- Admin *
- Write *
- Edit *
- All articles
私がゴッホの絵から感じるもの。。。それは「狂気」です。。。
ゴッホの人としての生涯の物語を知ったのは、絵を観るよりもあとだったのですが、
ゴッホの絵のなかでも私が惹かれるのは、どうも後半の絵。。。
彼が精神を壊してから描いた絵が多かったことに、あとになって気づきました。。。
ゴッホの生涯
残念ながら、本物をみたことはないのですが、最近新しく出たゴッホの画集は、
印刷の技術もあがっていて、今まで観たものよりもかなりいい感じで、
「星月夜」「糸杉と星の見える道」そして背景が渦巻く気のような「自画像」。。。
このあたりは、本当にクラクラきます。。。
あの螺旋。。。観ていると、トリップ。。。意識が飛びそうになるのです。。。
これは。。。私が勝手に思っていることですが、彼は恐らく、何かを見てしまった人、
知ってしまった人だと思うのです。。。
「忘我」。。。至福に満ちた世界。。。そこが虹色だとすると、その一歩手前に暗い。。。
闇の。。。黒い世界があります。。。自我にとっては一番辛い場所。。。
その世界をさ迷っていた人のように感じます。。。
大好きな。。。ウイングメーカーの絵から感じるものと近い感覚を、
ゴッホの絵から感じるのです。。。
以前、読んだ「プレアデス銀河の夜明け」という本に、こんなことが書かれていました。。。
この壮大な周期のあいだに地球に転生したプレアデス人のひとりがヴァン・ゴッホで、
螺旋状の星を描いたために投獄されました。
本来、プレアデス人としての彼は自由で創造性あふれる存在でしたが、直線的な時間と
空間にすっかり閉じこめられたような感じで恐怖にかられました。
地球の科学者たちもやっと、なにもない宇宙空間で光の螺旋を形成する星々に
気づきつつあります。
ゴッホは実際に星の螺旋形を見ることができました。
これは多次元的視力のなせるわざです。
彼をはじめ、あなたがたの領域を越えた世界を人々に見せて刺激してきた偉大な
芸術家たちが、牢獄から自由になるときがきたのです。
そう、地球にふたたびルネッサンスが始まります。
疑うのなら、子供たちを観察してごらんなさい。ゴッホの星の絵をよく調べてみなさい。
あなたがたの太陽が、実際はプレアデスの一部であることがわかるでしょう。
この場合の「牢獄」というのは、おそらく精神病院のことだと思います。。。
私は、この本のこの部分を読んだ時、かなりびっくりしましたが、でもなぜか
妙に納得してしまいました。。。
私がゴッホの絵から感じていた漠然としたものを、はっきりと示して
くれたように感じました。。。
そしてこのあと、またびっくりするようなニュースを知りました。。。

これは、ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた宇宙の写真なのですが。。。
これが、まるでゴッホの「星月夜」の宇宙版のようだというニュースが、
2004年頃流れました。。。
ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた、ゴッホ作「星月夜」の宇宙版
ハッブルの写真はどれも神秘的で美しいのですが、私はこの写真、大好きなのです。。。
それにしても、なんだか。。。いろいろと考えてしまいますね。。。
そして、プレアデスの本では、あのバッハもプレアデス人の転生者の
ひとりだと言われていました。。。
さてさて真実は如何に?という感じですが、これからの流れの中、
こういったこともだんだんと明らかになっていくのでしょうか。。。
ゴッホの人としての生涯の物語を知ったのは、絵を観るよりもあとだったのですが、
ゴッホの絵のなかでも私が惹かれるのは、どうも後半の絵。。。
彼が精神を壊してから描いた絵が多かったことに、あとになって気づきました。。。

残念ながら、本物をみたことはないのですが、最近新しく出たゴッホの画集は、
印刷の技術もあがっていて、今まで観たものよりもかなりいい感じで、
「星月夜」「糸杉と星の見える道」そして背景が渦巻く気のような「自画像」。。。
このあたりは、本当にクラクラきます。。。
あの螺旋。。。観ていると、トリップ。。。意識が飛びそうになるのです。。。
これは。。。私が勝手に思っていることですが、彼は恐らく、何かを見てしまった人、
知ってしまった人だと思うのです。。。
「忘我」。。。至福に満ちた世界。。。そこが虹色だとすると、その一歩手前に暗い。。。
闇の。。。黒い世界があります。。。自我にとっては一番辛い場所。。。
その世界をさ迷っていた人のように感じます。。。
大好きな。。。ウイングメーカーの絵から感じるものと近い感覚を、
ゴッホの絵から感じるのです。。。
以前、読んだ「プレアデス銀河の夜明け」という本に、こんなことが書かれていました。。。
この壮大な周期のあいだに地球に転生したプレアデス人のひとりがヴァン・ゴッホで、
螺旋状の星を描いたために投獄されました。
本来、プレアデス人としての彼は自由で創造性あふれる存在でしたが、直線的な時間と
空間にすっかり閉じこめられたような感じで恐怖にかられました。
地球の科学者たちもやっと、なにもない宇宙空間で光の螺旋を形成する星々に
気づきつつあります。
ゴッホは実際に星の螺旋形を見ることができました。
これは多次元的視力のなせるわざです。
彼をはじめ、あなたがたの領域を越えた世界を人々に見せて刺激してきた偉大な
芸術家たちが、牢獄から自由になるときがきたのです。
そう、地球にふたたびルネッサンスが始まります。
疑うのなら、子供たちを観察してごらんなさい。ゴッホの星の絵をよく調べてみなさい。
あなたがたの太陽が、実際はプレアデスの一部であることがわかるでしょう。
この場合の「牢獄」というのは、おそらく精神病院のことだと思います。。。
私は、この本のこの部分を読んだ時、かなりびっくりしましたが、でもなぜか
妙に納得してしまいました。。。
私がゴッホの絵から感じていた漠然としたものを、はっきりと示して
くれたように感じました。。。
そしてこのあと、またびっくりするようなニュースを知りました。。。

これは、ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた宇宙の写真なのですが。。。
これが、まるでゴッホの「星月夜」の宇宙版のようだというニュースが、
2004年頃流れました。。。

ハッブルの写真はどれも神秘的で美しいのですが、私はこの写真、大好きなのです。。。
それにしても、なんだか。。。いろいろと考えてしまいますね。。。
そして、プレアデスの本では、あのバッハもプレアデス人の転生者の
ひとりだと言われていました。。。
さてさて真実は如何に?という感じですが、これからの流れの中、
こういったこともだんだんと明らかになっていくのでしょうか。。。
国立西洋美術館でやっている、ムンク展に行ってきました。。。
本当は、家族と行こうかなぁ。。。なんて思っていたのだけど、
なんだかとても一人で行きたくなり、今日、フラ~ッと行ってきました。。。
子供達も行っておいでよ~なんて言ってくれたので。。。
ちょっと疲れ気味だったので、たまにのんびり出来るお休み。。。
時間をかけてゆっくり瞑想をしようかな。。。と思っていたのだけど、
なんでかな?急にムンクのことが浮かび。。。
それでもちょっと迷っていて。。。
昨日のお仕事帰り、雨が降っていたので、もし明日雨だったら
おうちで瞑想、晴れだったらムンク展。。。と思っていたら
朝から快晴でした。。。これは、行けってことね。。。と。。。
・・・というか、やっぱり私、行きたいんだなぁ。。。と思ったのでした。。。
今回のムンク展は、「装飾画家」としてのムンクに焦点をあてていて、
展示も、そのフリーズごとに分かれていました。。。
フリーズとは。。。
「帯状の建築装飾」を指す言葉なのだそうです。。。
今回は。。。
第1章 生命のフリーズ:装飾への道
第2章 人魚:アクセル・ハイベルク邸の装飾
第3章 リンデ・フリーズ:マックス・リンデ邸の装飾
第4章 ラインハルト・フリーズ:ベルリン小劇場の装飾
第5章 オーラ:オスロ大学講堂の壁画
第6章 フレイア・フリーズ:フレイア・チョコレート工場の装飾
第7章 労働者フリーズ:オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト
総数108点でした。。。
有名な「叫び」を含む一連の絵は、「フリーズオブライフ」。。。
生命のフリーズと言われています。。。
今回は、残念ながら叫びは来てなかったけど。。。
ムンク自身は。。。
「このフリーズは、全体として生命のありさまを示すような一連の
装飾的な絵画として考えられたものである。。。」
・・・と言っています。。。
・・・が、私の印象では、それはあとからとってつけたように
感じます。。。
第2章以降の作品は、確かに最初から「フリーズ」を意識して
描いたのだろうなぁ。。。という感じがしましたが。。。
でも、生命のフリーズの中の絵こそ。。。
彼の魂の叫びだと。。。そう感じました。。。
狂気と不安。。。そして。。。女性。。。
ムンクは。。。
自分の絵から、生命とは何か。。。生きることとは何なのかを。。。
観た人に探求してほしいと。。。そう願っていたようです。。。
芸術に。。。
それは絵画でも彫刻でも音楽でも。。。
そして踊りでも。。。
評論家なんて必要ない。。。
私はいつもそう思います。。。
その作品から、観た人自身が感じるもの。。。
それが全て。。。
だから。。。
偉大な芸術家は、自身の作品について数多くは語らない。。。
ただ。。。自分を燃焼させるだけ。。。
私は、そう思っています。。。
今日のムンク展。。。
ものすごいいろんなものを感じて。。。
なんだか。。。またジャストタイミング。。。
そんな気になりました。。。
ムンクが考えたある絵の配置。。。
それを観た時。。。
以前書いた記事。。。
「RAINBOW with the BLACK」
それを。。。思い出したりしました。。。
この幻想の世界の中で。。。
悩み苦しむ機械のような人間。。。
そこから抜けようとする時。。。
「不安」「絶望」「叫び」。。。
狂気が襲ってくるけど。。。
それを超えた先にあるものは。。。
「宙空での出会い」

『生命のダンス』

『声』
今、気づいたのだけど。。。
今日は、ムンクのお誕生日でした。。。
本当は、家族と行こうかなぁ。。。なんて思っていたのだけど、
なんだかとても一人で行きたくなり、今日、フラ~ッと行ってきました。。。
子供達も行っておいでよ~なんて言ってくれたので。。。
ちょっと疲れ気味だったので、たまにのんびり出来るお休み。。。
時間をかけてゆっくり瞑想をしようかな。。。と思っていたのだけど、
なんでかな?急にムンクのことが浮かび。。。
それでもちょっと迷っていて。。。
昨日のお仕事帰り、雨が降っていたので、もし明日雨だったら
おうちで瞑想、晴れだったらムンク展。。。と思っていたら
朝から快晴でした。。。これは、行けってことね。。。と。。。
・・・というか、やっぱり私、行きたいんだなぁ。。。と思ったのでした。。。
今回のムンク展は、「装飾画家」としてのムンクに焦点をあてていて、
展示も、そのフリーズごとに分かれていました。。。
フリーズとは。。。
「帯状の建築装飾」を指す言葉なのだそうです。。。
今回は。。。
第1章 生命のフリーズ:装飾への道
第2章 人魚:アクセル・ハイベルク邸の装飾
第3章 リンデ・フリーズ:マックス・リンデ邸の装飾
第4章 ラインハルト・フリーズ:ベルリン小劇場の装飾
第5章 オーラ:オスロ大学講堂の壁画
第6章 フレイア・フリーズ:フレイア・チョコレート工場の装飾
第7章 労働者フリーズ:オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト
総数108点でした。。。
有名な「叫び」を含む一連の絵は、「フリーズオブライフ」。。。
生命のフリーズと言われています。。。
今回は、残念ながら叫びは来てなかったけど。。。
ムンク自身は。。。
「このフリーズは、全体として生命のありさまを示すような一連の
装飾的な絵画として考えられたものである。。。」
・・・と言っています。。。
・・・が、私の印象では、それはあとからとってつけたように
感じます。。。
第2章以降の作品は、確かに最初から「フリーズ」を意識して
描いたのだろうなぁ。。。という感じがしましたが。。。
でも、生命のフリーズの中の絵こそ。。。
彼の魂の叫びだと。。。そう感じました。。。
狂気と不安。。。そして。。。女性。。。
ムンクは。。。
自分の絵から、生命とは何か。。。生きることとは何なのかを。。。
観た人に探求してほしいと。。。そう願っていたようです。。。
芸術に。。。
それは絵画でも彫刻でも音楽でも。。。
そして踊りでも。。。
評論家なんて必要ない。。。
私はいつもそう思います。。。
その作品から、観た人自身が感じるもの。。。
それが全て。。。
だから。。。
偉大な芸術家は、自身の作品について数多くは語らない。。。
ただ。。。自分を燃焼させるだけ。。。
私は、そう思っています。。。
今日のムンク展。。。
ものすごいいろんなものを感じて。。。
なんだか。。。またジャストタイミング。。。
そんな気になりました。。。
ムンクが考えたある絵の配置。。。
それを観た時。。。
以前書いた記事。。。
「RAINBOW with the BLACK」
それを。。。思い出したりしました。。。
この幻想の世界の中で。。。
悩み苦しむ機械のような人間。。。
そこから抜けようとする時。。。
「不安」「絶望」「叫び」。。。
狂気が襲ってくるけど。。。
それを超えた先にあるものは。。。
「宙空での出会い」

『生命のダンス』

『声』
今、気づいたのだけど。。。
今日は、ムンクのお誕生日でした。。。
私のゴッホ熱があがって騒ぎ始めると、息子が必ず、学校の
図書室から借りてきてくれる本。。。
今回もそうだった。。。(笑)
でもなんだか。。。
私のためだけじゃなく、息子自身も、ゴッホの絵や生きざまに
何か感じるものがあるみたい。。。
真剣に、この本に見入っている様子だから。。。
この本にある解説のページ。。。
さすがに子供向けのほんだけあって、とても解りやすく書いてあるけど、
なんだか、ジーンとくるので、抜粋しておこうと思います。。。
「ひまわりと日本に夢を見た画家」 国府寺 司
ゴッホは、オランダ南部のフロート・ズンデルトという村で、キリスト教の
牧師の長男として生まれました。ゴッホが牧師の息子として生まれたことは、
非常に大きな意味を持っています。
当時オランダでは牧師はもっとも尊敬される職業でした。
この家庭の中で、ゴッホはしっかりとしたキリスト教の教育を受けました。
当時は美術の批評も、牧師たちによって書かれることが多かった時代でした。
ゴッホは中学校で勉強したあと、グーピル商会という有名な画商の店員に
なります。この仕事についたことは、のちのゴッホに大きな影響を
与えたはずです。
というのも、ここで勤めているあいだ、ゴッホは数多くの美術作品に
接しましたし、また、ロンドン支店、パリ支店にも勤めたため、英語や
フランス語も学び、多くの美術館を見てまわることもできたからです。
キリスト教の教えを受け、英語、フランス語、ドイツ語の文学、そして
美術にも親しむことで、ゴッホの精神はつくりあげられていきました。

ひまわりに託した想い
やがて画商の仕事に興味がもてなくなったゴッホは、父と同じ牧師に
なろうとします。そのためには大学で神学を勉強しなければなりませんでした。
ところが、ギリシャ語やラテン語を学び、難しい進学を教わることは、
ゴッホが本当に望んだことではありませんでした。
ゴッホはキリストがやったのと同じように、苦しんでいる民衆を
助けたいと思って、炭鉱のある町へ移り住みました。
ゴッホは自分の持ち物を炭鉱夫達に与えてしまい、ほとんど裸でむしろの
上に寝ていたとも言われています。ところが、教会の権威を守りたい
牧師たちにとって、この態度は受け入れられませんでした。
ゴッホは人並みはずれた強い信仰心を持っていたのに、教会に
拒否されるのです。
この絶望のなかでゴッホが選んだ仕事が画家でした。やり場のない信仰心を
もったまま、ゴッホは聖職者になれなかったかわりに、画家になったのです。
ゴッホが好んで描いたテーマには、種まく人、麦刈りをする人、地面を掘る人など、
聖書と関係の深いものが多くあります。また、有名なひまわりも例外では
ありません。
ひまわりは17世紀頃に南米からヨーロッパにもたらされた花だと
言われていますが、いつしかこの花には、信仰心や愛といった意味が
込められるようになりました。ひまわりの花は常に太陽に顔を向けると
信じられていたため、ひまわりが太陽に顔を向けるのと同じように、
信仰のあつい人はいつもキリストや神に、顔を向けているものだと
されていました。また、人は顔が自然と愛している人に向けられると
されたのです。ひまわりはこうして信仰や愛の象徴になりました。
ゴッホの生きていた頃のヨーロッパでは、このような意味はよく知られて
いました。キリスト教の教育を受け、絵画にも詳しかったゴッホが、
ひまわりの伝統的意味を知らなかったとは思えません。
ゴッホは南フランスのアルルで家を借り「黄色い家」と名付けました。
ここに友人の画家達も呼んで共同生活をしようと考え、部屋をひまわりの
絵で飾りました。この共同生活の手本のひとつとなったのがキリスト教の
修道院生活です。
ゴッホの考えではこの「黄色い家」は南フランスの太陽を信じる芸術家
たちが、お互いへの友情に満ちた生活を送る場所だったのです。
太陽への信仰と愛情に支えられたユートピア「黄色い家」。
ひまわりはこのユートピアにいちばんふさわしい花でした。
ゴッホがしばしば「ひまわりの画家」と呼ばれるのは、ただ、ひまわりの絵を
たくさん描いたからではありません。太陽に向かい、信仰と愛をあらわす花。
これほどゴッホの理想に近い花は、ひまわりのほかにはなかったのです。

ゴッホと日本
「日本」もまたゴッホの理想でした。ゴッホが生きていたのは今から
百年以上も前ですから、日本のことがよくわかるはずがありません。
日本や日本人について、いったいどのようなイメージを持っていたのでしょうか。
ゴッホの手紙を読んでいくと、一時期、日本に夢中になっていたことが
わかります。
ゴッホはまず日本の浮世絵に夢中になり、浮世絵に学んで絵を描こうと
します。浮世絵のように影のない世界を描こうとしたのです。そして
ついには、フランス人のモデルや自分自身を日本人のような顔に描く
ようにもなります。
ゴッホは日本や日本人に夢中になっていきました。
ゴッホにとって日本とは、まず光に満ちた美しい異国でした。
そして日本人とは「まるで自分自身が花であるかのように自然の中に
生きる」素朴な人々で、お互いの友情に支えられ、自然の中でつつましく
働く人達でした。そしてこの日本人の中に、ゴッホは「本当の宗教」も
見つけるのです。
もちろん日本がそれほど理想的な国でないことは、私たちにはわかります。
しかし、当時のヨーロッパの人々にとって日本ははるか遠くの国で、
日本について詳しいことはあまりわかりませんでした。だからこそ日本は
美しく、理想的に思えたのです。ゴッホが想像した異国「日本」とは
現実の日本ではなく、ゴッホ自身のすべての理想の結晶だったのです。
ゴッホは日本や日本人を誤解し、夢をみていたことになります。
しかし、この誤解と夢がゴッホの心を支え、多くの美しい絵を描かせたのです。
自然の中に神を見つける
ところが、夢は長続きしませんでした。
友人のポール・ゴーギャンとの共同生活は、わずか二ヵ月後、有名な
「耳切り事件」で終わります。その後、ゴッホはしばしば精神病の
発作に悩まされながらも製作を続け、優れた作品を次々に描きました。
時には宗教的な幻覚にも悩まされました。しかし、ひまわりにも日本にも、
もう自分の宗教的理想や夢をたくすことはできませんでした。
教会に拒否されて画家になったゴッホは、結局、自分の信仰心の
やり場をうまく見つけることはできなかったのです。
ゴッホの絵にはキリスト教的なテーマが多いのですが、ゴッホは
宗教画は描きませんでした。聖書の一場面を描こうとしたことはありましたが、
その絵を二度にわたってかきけずっています。
また、友人のベルナールが聖書の場面を描いた時、ゴッホは猛烈な
勢いで怒りました。ゴッホは深い宗教心やキリストへの尊敬はもって
いたのですが、教会や牧師、宗教画は心から憎むようになっていました。
そこで、ゴッホがやったことは、一見自然なものを描きながら、その中に
宗教的な意味をこめるというやりかただったのです。ある意味では、
種まく人もひまわりも、また太陽や星空も、ゴッホにとっては宗教的表現でした。
ただ、それはキリスト教の信仰ではなく、自然への信仰となったのです。
ゴッホは星空について次のように手紙に記しています。
「それでもぼくは時々、なんといったらよいのか、宗教の必要を感じる
ことがある。そんな時、ぼくは夜、外に出かけて星空を描くのだ。」

図書室から借りてきてくれる本。。。
今回もそうだった。。。(笑)
でもなんだか。。。
私のためだけじゃなく、息子自身も、ゴッホの絵や生きざまに
何か感じるものがあるみたい。。。
真剣に、この本に見入っている様子だから。。。
![]() | ゴッホ―太陽を愛した「ひまわり」の画家 (小学館版学習まんが人物館) (1996/10) 鈴木 みつはる、黒沢 哲哉 他 商品詳細を見る |
この本にある解説のページ。。。
さすがに子供向けのほんだけあって、とても解りやすく書いてあるけど、
なんだか、ジーンとくるので、抜粋しておこうと思います。。。
「ひまわりと日本に夢を見た画家」 国府寺 司
ゴッホは、オランダ南部のフロート・ズンデルトという村で、キリスト教の
牧師の長男として生まれました。ゴッホが牧師の息子として生まれたことは、
非常に大きな意味を持っています。
当時オランダでは牧師はもっとも尊敬される職業でした。
この家庭の中で、ゴッホはしっかりとしたキリスト教の教育を受けました。
当時は美術の批評も、牧師たちによって書かれることが多かった時代でした。
ゴッホは中学校で勉強したあと、グーピル商会という有名な画商の店員に
なります。この仕事についたことは、のちのゴッホに大きな影響を
与えたはずです。
というのも、ここで勤めているあいだ、ゴッホは数多くの美術作品に
接しましたし、また、ロンドン支店、パリ支店にも勤めたため、英語や
フランス語も学び、多くの美術館を見てまわることもできたからです。
キリスト教の教えを受け、英語、フランス語、ドイツ語の文学、そして
美術にも親しむことで、ゴッホの精神はつくりあげられていきました。


やがて画商の仕事に興味がもてなくなったゴッホは、父と同じ牧師に
なろうとします。そのためには大学で神学を勉強しなければなりませんでした。
ところが、ギリシャ語やラテン語を学び、難しい進学を教わることは、
ゴッホが本当に望んだことではありませんでした。
ゴッホはキリストがやったのと同じように、苦しんでいる民衆を
助けたいと思って、炭鉱のある町へ移り住みました。
ゴッホは自分の持ち物を炭鉱夫達に与えてしまい、ほとんど裸でむしろの
上に寝ていたとも言われています。ところが、教会の権威を守りたい
牧師たちにとって、この態度は受け入れられませんでした。
ゴッホは人並みはずれた強い信仰心を持っていたのに、教会に
拒否されるのです。
この絶望のなかでゴッホが選んだ仕事が画家でした。やり場のない信仰心を
もったまま、ゴッホは聖職者になれなかったかわりに、画家になったのです。
ゴッホが好んで描いたテーマには、種まく人、麦刈りをする人、地面を掘る人など、
聖書と関係の深いものが多くあります。また、有名なひまわりも例外では
ありません。
ひまわりは17世紀頃に南米からヨーロッパにもたらされた花だと
言われていますが、いつしかこの花には、信仰心や愛といった意味が
込められるようになりました。ひまわりの花は常に太陽に顔を向けると
信じられていたため、ひまわりが太陽に顔を向けるのと同じように、
信仰のあつい人はいつもキリストや神に、顔を向けているものだと
されていました。また、人は顔が自然と愛している人に向けられると
されたのです。ひまわりはこうして信仰や愛の象徴になりました。
ゴッホの生きていた頃のヨーロッパでは、このような意味はよく知られて
いました。キリスト教の教育を受け、絵画にも詳しかったゴッホが、
ひまわりの伝統的意味を知らなかったとは思えません。
ゴッホは南フランスのアルルで家を借り「黄色い家」と名付けました。
ここに友人の画家達も呼んで共同生活をしようと考え、部屋をひまわりの
絵で飾りました。この共同生活の手本のひとつとなったのがキリスト教の
修道院生活です。
ゴッホの考えではこの「黄色い家」は南フランスの太陽を信じる芸術家
たちが、お互いへの友情に満ちた生活を送る場所だったのです。
太陽への信仰と愛情に支えられたユートピア「黄色い家」。
ひまわりはこのユートピアにいちばんふさわしい花でした。
ゴッホがしばしば「ひまわりの画家」と呼ばれるのは、ただ、ひまわりの絵を
たくさん描いたからではありません。太陽に向かい、信仰と愛をあらわす花。
これほどゴッホの理想に近い花は、ひまわりのほかにはなかったのです。


「日本」もまたゴッホの理想でした。ゴッホが生きていたのは今から
百年以上も前ですから、日本のことがよくわかるはずがありません。
日本や日本人について、いったいどのようなイメージを持っていたのでしょうか。
ゴッホの手紙を読んでいくと、一時期、日本に夢中になっていたことが
わかります。
ゴッホはまず日本の浮世絵に夢中になり、浮世絵に学んで絵を描こうと
します。浮世絵のように影のない世界を描こうとしたのです。そして
ついには、フランス人のモデルや自分自身を日本人のような顔に描く
ようにもなります。
ゴッホは日本や日本人に夢中になっていきました。
ゴッホにとって日本とは、まず光に満ちた美しい異国でした。
そして日本人とは「まるで自分自身が花であるかのように自然の中に
生きる」素朴な人々で、お互いの友情に支えられ、自然の中でつつましく
働く人達でした。そしてこの日本人の中に、ゴッホは「本当の宗教」も
見つけるのです。
もちろん日本がそれほど理想的な国でないことは、私たちにはわかります。
しかし、当時のヨーロッパの人々にとって日本ははるか遠くの国で、
日本について詳しいことはあまりわかりませんでした。だからこそ日本は
美しく、理想的に思えたのです。ゴッホが想像した異国「日本」とは
現実の日本ではなく、ゴッホ自身のすべての理想の結晶だったのです。
ゴッホは日本や日本人を誤解し、夢をみていたことになります。
しかし、この誤解と夢がゴッホの心を支え、多くの美しい絵を描かせたのです。

ところが、夢は長続きしませんでした。
友人のポール・ゴーギャンとの共同生活は、わずか二ヵ月後、有名な
「耳切り事件」で終わります。その後、ゴッホはしばしば精神病の
発作に悩まされながらも製作を続け、優れた作品を次々に描きました。
時には宗教的な幻覚にも悩まされました。しかし、ひまわりにも日本にも、
もう自分の宗教的理想や夢をたくすことはできませんでした。
教会に拒否されて画家になったゴッホは、結局、自分の信仰心の
やり場をうまく見つけることはできなかったのです。
ゴッホの絵にはキリスト教的なテーマが多いのですが、ゴッホは
宗教画は描きませんでした。聖書の一場面を描こうとしたことはありましたが、
その絵を二度にわたってかきけずっています。
また、友人のベルナールが聖書の場面を描いた時、ゴッホは猛烈な
勢いで怒りました。ゴッホは深い宗教心やキリストへの尊敬はもって
いたのですが、教会や牧師、宗教画は心から憎むようになっていました。
そこで、ゴッホがやったことは、一見自然なものを描きながら、その中に
宗教的な意味をこめるというやりかただったのです。ある意味では、
種まく人もひまわりも、また太陽や星空も、ゴッホにとっては宗教的表現でした。
ただ、それはキリスト教の信仰ではなく、自然への信仰となったのです。
ゴッホは星空について次のように手紙に記しています。
「それでもぼくは時々、なんといったらよいのか、宗教の必要を感じる
ことがある。そんな時、ぼくは夜、外に出かけて星空を描くのだ。」

今日は、テレビでゴッホの番組やってましたね。
ゴッホ。。。
なんで私はこんなにゴッホが好きなのかなぁ?と
自分でも不思議に思う。
絵がね、どうの、、、というわけではないんです。
もちろん、彼の絵も大好きだけれど、それ以上に。。。
彼の人生が。。。
なんだか、いつもいつも「胸」に来るんです。
ゴッホの生き様、、、
その行動のワケ、、、
ものすごく理解出来てしまうような気がするから。
それで彼に触れるたび、いつもいつも
泣きたい気分になったりするのです。。。
日本人のどこかのおじさんが、、、
「ゴッホ他殺説」なんて話してたけど。。。
それを聞いて、なんだか呆れている私がいたの。
「はぁ?何言ってんの、この人。。。」
みたいに。。。(苦笑)
なんで自分がこんな風に感じていたのか、、、
あとでいろいろ分析してみたいです。。。
他者は、、、
自分を映す鏡だからね。
前のブログにも書いたけど。。。
彼の青は、異次元の青、、、なのですよね。
私にとっては。
彼には、、、
見えていたのかな?
今日の番組でも、ゴッホがアブサンを飲んでいたという
話をしていました。
緑の妖精の棲むお酒。。。
実際私も飲んでみたけど、、、
甘くて美味しかったよ。
けど、後味が強烈過ぎるので、もう飲みたいとは
思わないかな^^;
ゴッホはアブサン中毒だったと聞いたけど、、、
緑の妖精が、彼に異次元の絵を描かせたのでしょうか?
あぁ、なんかやっぱり感傷的になっちゃうね。
ゴッホのことを書くときは、いつも。。。
ゴッホ。。。
なんで私はこんなにゴッホが好きなのかなぁ?と
自分でも不思議に思う。
絵がね、どうの、、、というわけではないんです。
もちろん、彼の絵も大好きだけれど、それ以上に。。。
彼の人生が。。。
なんだか、いつもいつも「胸」に来るんです。
ゴッホの生き様、、、
その行動のワケ、、、
ものすごく理解出来てしまうような気がするから。
それで彼に触れるたび、いつもいつも
泣きたい気分になったりするのです。。。
日本人のどこかのおじさんが、、、
「ゴッホ他殺説」なんて話してたけど。。。
それを聞いて、なんだか呆れている私がいたの。
「はぁ?何言ってんの、この人。。。」
みたいに。。。(苦笑)
なんで自分がこんな風に感じていたのか、、、
あとでいろいろ分析してみたいです。。。
他者は、、、
自分を映す鏡だからね。
前のブログにも書いたけど。。。
彼の青は、異次元の青、、、なのですよね。
私にとっては。
彼には、、、
見えていたのかな?
今日の番組でも、ゴッホがアブサンを飲んでいたという
話をしていました。
緑の妖精の棲むお酒。。。
実際私も飲んでみたけど、、、
甘くて美味しかったよ。
けど、後味が強烈過ぎるので、もう飲みたいとは
思わないかな^^;
ゴッホはアブサン中毒だったと聞いたけど、、、
緑の妖精が、彼に異次元の絵を描かせたのでしょうか?
あぁ、なんかやっぱり感傷的になっちゃうね。
ゴッホのことを書くときは、いつも。。。
昨日、ゴッホ展に行ってきました。
こちらがそのゴッホ展のテーマソング。。。
平井堅さんが歌っています。。。
会場はもう、ものすごい人でした。
日曜日でしたからね。
でも、夫も観に行きたいと言っていたし、
それに息子もとっても行きたがっていたので
混んでいても、お休みの日に家族みんなで行こうと。。。
息子は口ではハッキリ言わないけれども、
きっと、ゴッホ大好きなのだろうと思います。
これは、母の勘です(笑)
ゴッホの生涯を追ってみると、、、
ところどころで息子と共通するものが
チラリと見えたりもします。
それは、ひと言で言ったら、
「牡羊座気質」の部分。
ゴッホや息子を見ていても思うのですが、、、
牡羊座から感じるものは、「純粋さ」。。。
そして「勢い」。。。
そこら辺を邪魔されると、プチパニックを
起こしてしまうところも、2人は似てる(笑)
息子は、何かどこかで。。。
ゴッホの気持ちに、妙に共感できる部分が
あるのだろうな。。。
なんて、私は勝手に思っていたりします。
絵を観ていて思ったことは、、、
ゴッホは天才なのではなくて、やっぱり努力の人
だったのだなぁ。。。ということでした。
牡羊座の熱い情熱のエネルギーを。。。
彼はきっと、絵に一心に注ぎ込んだのだろうなぁ。。。
メインに飾られていた自画像の背景は、、、
茶色?朱色?、、、に近いオレンジとブルーの
点で描かれていたのですが、オレンジとブルーと
いうのは、補色同士ですよね。
これって、ゴッホは解っててそうしたのかな?
それとも偶然かな?なんて娘と話していたのですが、
絵の説明を読んでみたら、どうやらそれは、補色と
知っての意図的だったみたいでした。。。
ゴッホは。。。
色彩の研究も、私が今まで思っていたよりも
かなりしっかりしていたようです。
このことを知って。。。
私の中のゴッホのイメージが微妙に変わりました。。。
昨日は、私の好きな「星月夜」の絵は残念ながら
なかったのですが、もしかするとあの絵のあの螺旋も。。。
聖書をしっかり勉強していたゴッホならではの、
意図的なものだったのかもしれない。。。と。。。
ふと思ったんですよね。
今までは、
「彼には見えていたんだ。。。」
・・・と。。。
私はそういう風に捉えていたのだけど。
私の、、、ゴッホに対する幻想が。。。
魔法が、少し溶けてきたのかな?
ここでもちょっと、地に足がついてきたのかしら?(笑)
それでもやっぱり。。。
ゴッホのことが大好きなことには変わりはないけど。。。

こちらがそのゴッホ展のテーマソング。。。
平井堅さんが歌っています。。。
会場はもう、ものすごい人でした。
日曜日でしたからね。
でも、夫も観に行きたいと言っていたし、
それに息子もとっても行きたがっていたので
混んでいても、お休みの日に家族みんなで行こうと。。。
息子は口ではハッキリ言わないけれども、
きっと、ゴッホ大好きなのだろうと思います。
これは、母の勘です(笑)
ゴッホの生涯を追ってみると、、、
ところどころで息子と共通するものが
チラリと見えたりもします。
それは、ひと言で言ったら、
「牡羊座気質」の部分。
ゴッホや息子を見ていても思うのですが、、、
牡羊座から感じるものは、「純粋さ」。。。
そして「勢い」。。。
そこら辺を邪魔されると、プチパニックを
起こしてしまうところも、2人は似てる(笑)
息子は、何かどこかで。。。
ゴッホの気持ちに、妙に共感できる部分が
あるのだろうな。。。
なんて、私は勝手に思っていたりします。
絵を観ていて思ったことは、、、
ゴッホは天才なのではなくて、やっぱり努力の人
だったのだなぁ。。。ということでした。
牡羊座の熱い情熱のエネルギーを。。。
彼はきっと、絵に一心に注ぎ込んだのだろうなぁ。。。
メインに飾られていた自画像の背景は、、、
茶色?朱色?、、、に近いオレンジとブルーの
点で描かれていたのですが、オレンジとブルーと
いうのは、補色同士ですよね。
これって、ゴッホは解っててそうしたのかな?
それとも偶然かな?なんて娘と話していたのですが、
絵の説明を読んでみたら、どうやらそれは、補色と
知っての意図的だったみたいでした。。。
ゴッホは。。。
色彩の研究も、私が今まで思っていたよりも
かなりしっかりしていたようです。
このことを知って。。。
私の中のゴッホのイメージが微妙に変わりました。。。
昨日は、私の好きな「星月夜」の絵は残念ながら
なかったのですが、もしかするとあの絵のあの螺旋も。。。
聖書をしっかり勉強していたゴッホならではの、
意図的なものだったのかもしれない。。。と。。。
ふと思ったんですよね。
今までは、
「彼には見えていたんだ。。。」
・・・と。。。
私はそういう風に捉えていたのだけど。
私の、、、ゴッホに対する幻想が。。。
魔法が、少し溶けてきたのかな?
ここでもちょっと、地に足がついてきたのかしら?(笑)
それでもやっぱり。。。
ゴッホのことが大好きなことには変わりはないけど。。。


『Le Pavillon』 アンリ・ル・シダネル 1909年
少し前ですが、メルシャン軽井沢美術館に行ってきました。
目的は、フランス人画家、アンリ・ル・シダネルの絵。
この展覧会は後日東京にも来るそうなのですが、メルシャン美術館が
今年の11月で閉館になると伺ったので、どうしても最後に行って
おきたかったのです。

こちらの美術館の雰囲気は、私の理想でした。
閉館してしまうなんて、寂しい限りです。
けれどもその最後を飾る展覧会が、アンリ・ル・シダネルだったこと・・・
それは私にとって、最高の贈り物になってくれたような感じがします。
彼の絵、一目見て大好きになってしまいました。
至るところに薔薇が描かれていて、、、
薔薇好きの人にはきっと、たまらないと思います。
ル・シダネル自身も、薔薇をこよなく愛していた人だったそうです。
アンリ・ル・シダネル(Henri Le Sidaner 1862-1939)は
20世紀初頭に活躍したフランスの画家です。モネ、ピサロ、
スーラなどと同時代を生き、印象派、新印象派など様々な
芸術運動を目撃しながらも、同時代の芸術的な動きとは距離を
おいて独自の画風を発展させました。
1862年にインド洋のモーリシャス島で生まれ、18歳でパリにでて
アレクサンドル・カバネルのアトリエで数年間学んだあと、
1939年第二次世界大戦勃発の数週間前に亡くなるまで“薔薇の庭”
“木漏れ日”“ガーデンテーブル”“夜の森”“夕暮れに
家々の窓から漏れる光”など身近な題材を情緒的なタッチで描きました。
どこか内省的でありながら穏やかな空気感を持つ作風は当時
大変な人気を集め、現在でも世界中の美術愛好家を魅了しています。
1989年に行なわれたマルモッタン・モネ美術館(パリ)での
大規模な個展を中心にル・シダネルの展覧会は近年ヨーロッパで
頻繁に開催されてきましたが、日本では国内コレクションの
常設展などで数点が展示されるに留まり、回顧展の開催が
長らく待たれていました。
本展はル・シダネルの曾孫で美術史家のヤン・ファリノー=
ル・シダネル氏の協力により油彩を中心に初期から晩年に
いたるまで、主にフランスの複数の美術館が所蔵する60余点で
構成され、その画業を本格的に紹介する日本では初めての回顧展です。
ル・シダネルの作品は、時代や文化を超えて観る者の郷愁を
優しく刺激する、普遍的な魅力と暖かさに溢れています。
身近なものを描いた彼の作品は、平凡な日々の生活の中に
あってもほっとする一瞬の「小さな幸せ」を感じさせてくれます。
今の時代においても新鮮な輝きに満ちたル・シダネルの作品を
どうぞご堪能ください。
(メルシャン軽井沢美術館サイトより転載)
アンリ・ル・シダネルの絵は、どれもホンワカとした雰囲気を
漂わせていて、彼はきっと、とても優しい人柄だったのだろうな、
と感じさせてくれます。
そして、ミストがかかったように、全体がぼんやりと霞んでいる
ところが、なんともいえなく神秘的で。。。
夜の家を描いたものは、どれも窓の部分に鮮やかなオレンジ色が
使われていたことが、なんだか印象に残りました。
家の中はおそらく、明るくそして温かく。。。
そこで家族みんなで楽しく過ごしているのだろうな、と想像してみたり。
東京に来た時、もう一度行ってみたいなと思ってしまうくらい
大満足の展覧会でした。
けれどももしかすると、軽井沢のあの美術館であの絵を観るという
体験が、私にとっては至福のひと時だったのかもしれません。。。
ここに載せた絵は、実は今回の展覧会では展示されていません
でしたが、とてもお気に入りなので。。。
ル・シダネルの絵は、今後も少しづつ、ここに飾っていきたいな。。。
と、思っています。。。
シューマン「月の夜」

『春の緑』 アルベイン・ヴァン・デン・アベール 1900年
ベルギー北部のフランダース(フランドル)地方、古都ゲントの
郊外にあるシント・マルティンス・ラーテム。
ヨーロッパでは19世紀半ばより、芸術家が自然の豊かな郊外に
コロニーを形成するようになっていましたが、ラーテムもそうした
芸術家村のひとつでした。
その村で生まれ村長も務めた人がアルベイン・ヴァン・デン・アベールです。
村を訪れる画家たちに影響され、彼が絵を描き始めたのは40代に
なってから。遅咲きの画家でした。
「余分なものをそぎ落とした森の姿。深い精神性の追求。
禅の境地にも通ずる宗教的な瞑想に観るものをいざなう。」
精緻な写実主義・・・
印象派とは一線を画した彼の絵は、15世紀フランダース絵画の
細密描写を見直していた芸術家たちに支持されたようです。
先日テレビでゲントの風景を観たとき、、、
ものすごく素敵だと思った。。。
そして今までは、パリの影に隠れて気づかなかったけど、、、
ベルギーって素敵な芸術の宝庫だったんだ。。。と。。。
ちょっと、掘り出し物を見つけたようで嬉しかった。。。
それでベルギーに興味を持ったの。
そうしたら、今まではなにげなく食べていたベルギーチョコが、
妙に美味しく感じたりもして。。。
ベルギーやフランスに。。。
なんだか、妙に行きたくなってしまった。。。
先日、映画の『アメリ』を観ました。。。
フランス映画は、やっぱりああでなくっちゃ。。。って思いました。
そのアメリの音楽が、、、
今、ふと浮かんで。。。
ヴァン・デン・アベールのこの絵には、アメリのこの曲は
いまひとつフィットしないような気がしなくもないのですが、、、
せっかく浮かんだのだしね。。。

『夏の風景』 アルベイン・ヴァン・デン・アベール 1910年頃
こういう場所で、、、
一日中景色を眺めながらのんびりしていたいですね。。。
先日テレビでダリの絵について、いろいろやっていました。
前々から、ダリの絵からは「男の人の匂いがする」
・・・と感じていたのですが、その理由がよく解りました。
描く前から何もかもが思考で緻密に計算された絵。。。
「左脳的な絵」なのだな、と、、、そう思いました。
アルベイン・ヴァン・デン・アベールの絵は、、、
「あるがまま」
そんな印象を受けます。
いつの世も、、、
時代の波に乗り遅れてしまうのは「専門家」なのですって。。。
「こんなものは本物ではない。これはこう在るべきなのだ。。。」
と、磨き上げられた専門的な目で見ていろいろ批判しているうちに、
気づけば、周りは変化してしまっているのだそうです。。。
私は今、、、
これまで蓄えてきた知識を手放すのに、ちょっぴり苦労している。。。
元々は「右勝負」でずっと生きてきた私ですが、ここ数年はなぜか、
「左強化年間」でした。
その、左に傾きすぎてしまったものを今は少し、、、
建て直し中。。。
Song from a Secret Garden

『包帯をしてパイプをくわえた自画像』 フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年
ゴッホが南フランスのアルルで、ゴーギャンとの共同生活を
していたとき、口論の末、自分の耳を切ってしまった事件は
あまりにも有名ですが、なぜ彼がこんなことをしてしまったのか、、、
その理由については、様々な説があるのだそうです。
例えば、アルルを去ろうとするゴーギャンへの当てつけ説。
幻聴から逃れるためという説。
また、闘牛には闘牛士が倒した牛の耳を切り取るという
儀式があるのだそうですが、ゴーギャンを闘牛士に見立て、
自分を倒された牛と見立てて、その儀式をしたのだ。。。
なんていう説まであるそうです。
この説を打ち出した人ってすごい想像力だな、、、と、
思ってしまいました。
こんな風に、その「説」はいろいろあるようなのですが。。。
先日、「新約聖書」という映画の中のあるシーンを観ていたら、
ゴッホのこのエピソードのことを想起させられました。
それは、「ヨハネの福音書」に書かれていることを忠実に再現した
映画でした。
イエスが兵士に連れて行かれるシーンなのですが、福音書には
こんな風に書かれています。
シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて
大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。
手下の名はマルコスであった。
ペトロは、イエスの12人の弟子の中のひとりです。
ゴッホは、画家になる前は牧師になりたかった人ですから、
聖書のこのシーンのこともよく知っていたのではないかしら。。。
・・・なんてことが、ふと、頭の中をよぎったのでした。
この自画像は、この事件の直後に描かれたものです。
包帯が右の耳に巻かれていますが、自画像は鏡に映した
自身の顔を描くのでしょうから、実際に切られたのは左耳。
青い帽子の後ろにはその補色であるオレンジを、、、
そして、緑の服の後ろにはその補色である赤を使って
描かれている。
ゴッホのことをよく知る前は、この絵から狂気を
感じたりもしたのですが、ゴッホは実は、色の勉強も
かなりしていたそうですから、この強烈さはおそらく、
意図的で。。。
カッとなって我を忘れてしまう時以外のゴッホは、
意外とかなり、冷静な人だったのかも。。。
なんて想像してみたり。。。
結局本当のことは、ゴッホ本人にしか解らない。
でも、、、
こうやって想像したりすることによって、そこに
今の自分が映し出されてくる。。。
それが面白いのです。。。
ビゼーのカルメンより『闘牛士の歌』

『冬の果実園』 ヴァレリウス・ド・サデレール 1908年
ヴァレリウス・ド・サデレール(1867~1941)もベルギー北部の
フランダース (フランドル)地方の画家です。
サデレールは、初めの頃は印象派風の絵を描いていたそうですが、
ジョルジュ・ミンヌやアルベイン・ヴァン・デン・アベール、
また15世紀のフランドル絵画の影響を受け、自身のカトリックへの
改宗を機に、その絵は象徴主義の様式に変わったのだそうです。
象徴主義に変わったあと彼は、以前に描いていた印象派風の作品を
買い戻し、破壊していったそうです。
完璧主義というか、、、
何もそこまで極端に走らなくても。。。と思いつつ。。。
生まれ変わる前の自分の絵を、、、
全て破壊してしまった彼の気持ち。。。
なんとなく解るような気もします。。。
カッチーニのアヴェ・マリア(by リベラ)

『最後の晩餐』 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1498年

ダン・ブラウンが「ダ・ヴィンチ・コード」の小説の中で、
イエスの左側の人物、、、
長い間、弟子のヨハネだと言われてきたその人物が、実は
マグダラのマリアだったということを、小説の中の主人公の
口を通して世界に発信して以来、、、
それが真実だと思う人が増えたとか。。。
そういった現状に、専門家たちからは強い反発の声が多く
あがったようです。。。
「歴史をゆがめてしまう。」
・・・と。。。
でも面白いことに、、、
これは、ダン・ブラウン自身は述べていなかったことなのですが、
近年、同じダ・ヴィンチによって描かれた「岩窟の聖母」の中の
「マリア」の構図と、この最後の晩餐の中の「ヨハネ」の構図が
ぴったり一致することがわかったらしく、、、
この二つの絵のモデルは、おそらく同一人物なのだろう。。。と、、、
そういった意見も出てきているのだそうです。

もちろん、、、
だからと言って、最後の晩餐のこの人物が「女性」だという
決定的な証拠となるわけではありませんが。。。
あの時は正しいとされていたことが、今では間違いだとわかった。。。
・・・なんてことはよくあることで、、、
歴史というものは結局、、、
今を生きる私達が、そこに自分達自身を投影させて、
今、この瞬間に創りあげているものなのだと思う。。。
この絵のその人物を、ヨハネではなくマグダラのマリアだと
思いこむ人が出てきたという事実が。。。
私には、面白い。。。
また、この絵が湿気や戦争など数々の崩壊の危機にさらされながらも
不思議な偶然が重なりそれらを乗り越え、そして様々な人たちに
時代時代で修復の手を加えられ、今のこの姿に至っていること。。。
長い時間を生き抜き、今ここにこうして存在していること。。。
こういうこと自体が「何か」を物語っている。。。と。。。
ついね。。。
そう感じてしまうのです。。。
『Lamentations: Miserere mei Deus』 by カヴァリエーリ

『十字架のヨハネのキリスト』 サルバドール・ダリ 1951年
ダリは「シュールレアリスム」に傾倒した画家の先駆者のような人ですが、
祖国に戻るために、カトリック教徒になったのだそうです。。。
そうしてそれから宗教的な絵を描くようになった彼は、この絵を
描く為に実際に筋肉隆々のスタントマンにこのポーズをとらせ、
その写真を撮ってそれをこのイエスのモデルにしたりとか、わざわざ
測量の専門家を呼んで寸法を測らせ、そこに意図的にブレのない
幾何学的な構図を描き出したりとか。。。
そういうことをしたのですって。。。
こういうお話を聞いた時、私はそれまでダリの絵から漠然と
感じていた「男の人の匂い」というものに納得し、、、
この絵には、「計算しつくされた」。。。という言葉がぴったりだなぁ。。。
・・・と思ったのでした。。。
「男の人の匂い」と言ってもそれは、私の中で勝手に象徴的に
使っているに過ぎなくて、実際の男の人のことではないのですけど。。。
なんて言ったらいいのでしょうね。。。
「左脳的」。。。というか。。。
法則をもう既に頭で理解していて、それを意図的に使うことで
最初からそこに「何か」が起こることを予測してそれをやっている。。。
・・・と、そんな感じです。。。
ニーチェはそういうのを「アポロ的」と表現したそうです。。。
アポロは、明晰。。。理路整然。。。
それに対して「ディオニュソス」は、混沌。。。複雑怪奇。。。
実は、、、
モーツァルトの音楽からも、以前からこういう「アポロ的」な
ものを感じていました。。。
私にとってはそれは少し、、、整いすぎているというか。。。
完璧すぎてしまうような感じというかね。。。
彼のオペラの「魔笛」をこの前観たのですけれども、それで
ちょっと気になったことがあったので調べていたら、
「あぁ、そうか」。。。と、納得したことがありました。。。
モーツァルトがフリーメイソンのメンバーだったというお話は
けっこう有名ですが、彼はこの「魔笛」の中には、ずいぶんと
メイソンの教義を反映させていたらしくてね。。。
「魔笛」ほど意図的ではなかったのだとしても、彼の他の
音楽にもきっと、そういった影響がにじみ出ていたのだろうな。。。と、、、
そう思ったのでした。。。
メイソンからも、、、
男の人の匂いがプンプン。。。(笑)
ピタゴラス的というか、エジプト的というか。。。
モーツァルトの『魔笛』より 夜の女王のアリア

『キリストの復活』 ピエロ・デッラ・フランチェスカ 1460年代前半頃

ピエロ・デッラ・フランチェスカは、ルネサンス初期の最も
革新的な画家だと言われているそうです。
彼は、今から約600年ほど前、イタリアの南トスカーナの小さな街、
サンセポルクロに生まれました。
このサンセポルクロという街は、10世紀、聖地エルサレムからやってきた
二人の巡礼者によって造られた街なのだそうです。
彼らはその時、この街にキリストのお墓にまつわる何かを持って
きたとか・・・
当時のイタリアでは、伝統を重視するという風潮があったため、
この絵も、以前に描かれていた壁画の構図を参考にして描かれて
いるようですが、そこに、フランチェスカがフィレンツェで学んだ
遠近法の技法を取り入れ描くことによって、復活したキリストを
よりリアルに、生々しく表現させたのだそうです。
イギリスの作家、オルダス・ハクスリーはこの壁画を見て、
「世界で一番美しい絵」だと思いました。
そしてそれを「路上にて」という旅行記の中に書きました。。。
その旅行記を読んだあるひとりのイギリス人兵士、、、
アンソニー・クラークという兵士は、第2次世界大戦中、
上からの命令でこの、サンセポルクロの街を砲撃していた
最中に、ハスクリーのあの言葉を思い出しました。。。
「世界で一番美しい絵」と言われていた絵がある街。。。
そしてクラークは、、、砲撃を中止させたのだそうです。。。
美しいものを愛する心は、、、
憎しみや戦争より強い。。。
・・・と、ある人が言っていました。。。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」は、
18世紀には、壁ごと塗りつぶされてしまうという災難にも
見舞われましたが、19世紀頃、自然とその壁がはがれ、そして
イギリスのヘンリー・レアードという考古学者によって
その価値が見直され、再び人の目に触れられるようになりました。。。
その後、それを観て感動したハクスリー、そのハクスリーの書いた
エッセイを読んだクラーク。。。
そしてそのクラークによって救われた、サンセポルクロの街。。。
こういう流れに。。。
私はとてもとても。。。
感動してしまうのでした。。。
『Amao Omi(無意味な戦争) 』 by ギヤ・カンチェリ

『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』 グスタフ・クリムト 1907年

先日テレビでやっていましたけれども、、、
この絵には、エジプトの「ホルスの眼」やケルトの「渦巻き」が
描かれているのだそうです。。。
「金の画家」と呼ばれたクリムトは、貧しい金細工職人の家に
生まれたそうです。。。
この絵の背景に使われている金箔の置き方は、日本の伝統的な
それに似ているのだとか。。。
近年の研究では、クリムトは古代エジプトから、ビザンチン、
日本の琳派まで、、、
古今東西の、様々な金の表現を取り入れていたことがわかって
いるのだそうです。
クリムトの絵って、、、
どれもこれもなんというか。。。
観ていると、(いい意味で)力が抜けてくる感じがします。。。
身体の緊張がほどける感じ。。。というか。。。
『For The Love Of All Who Gather』 by S. J. Tucker
最近やたらと「ラスコー洞窟の壁画」ばかり目について気になったので、
少しメモです。。。
ラスコー洞窟の壁画に星が描かれていた
有名なラスコー洞窟(フランス)の壁画に、星が描かれているのが発見された。
この研究が正しければ、最古の星図の発見だ。
ラスコー洞窟の壁画は、1万6500年ほど前の氷河期に描かれたものであると
考えられており、牛や馬、カモシカなどが描かれているが、この壁画に、
「夏の大三角」と思われる明るい3つの星の並びと、「プレヤデス星団(すばる)」
と思われる星の並びが描かれているのが発見された。
ドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士によると、壁画に描かれている
「牛の目」「鳥人間」「棒の上の鳥」が、それぞれ「べガ」「デネブ」
「アルタイル」を意味しているのだという。
この3つの星は、現在では北半球の夏の夜空で最も目立つ星たちであり、
「夏の大三角」としてよく知られている。しかし、1万7000年ほど前は、
地球の歳差運動による地軸のずれからこの3つの星はつねに地平線上にあり、
初春の夜に最も高く昇る星たちであった。
「プレヤデス星団(すばる)」を表すと思われる点の並びは、ラスコー洞窟の
入り口付近に描かれている、格調高い牛の絵の、肩のすぐ上に描かれている。
さらに、その牛の絵の内部には、「プレヤデス星団(すばる)」の付近にある
星たちを意味すると思われる部分がある。
現在では、夜空のこの領域は「おうし座」として知られる。
人は、遥かな太古から、夜空のこの領域に牛の姿を思い浮かべてきたのだ。
Rappenglueck博士は、スペインのある洞窟に描かれた壁画にも、
星の並びを意味する絵を発見している。
この洞窟は、Cueva di El Castillo洞窟と呼ばれる洞窟で、1万4000年ほど前に
描かれたと思われる壁画が残っている。この壁画に、曲線状に並んだ点が
描かれているが、Rappenglueck博士によるとこの点の並びは、現在
「かんむり座」と呼ばれる星の並びを意味するのだという。
Rappenglueck博士の結論を知った他の考古学者たちは今のところ、
Rappenglueck博士の解釈が合理的だと認めている。彼は、太古から人が
夜空の星に思いを寄せていたということを発見したのだ。
ラスコー洞窟に最古の月齢カレンダーが発見された
1万5000年以上前に描かれたといわれる有名なフランスのラスコー洞窟の壁画に、
最古の月齢カレンダーが描かれているのが発見された。
発見者はドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士で、
博士は以前、ラスコー洞窟の壁画の一部が星の並びを意味するものだという
発見を報告している。
博士によると、雄牛やカモシカ、馬の絵に沿って描かれている一連の点や
四角形の並びが、27日周期の月の動きを示したものであるという。
先日何気なく観た番組で、こんなのをやっていました。。。
ラスコー洞窟にきらめく星座たち
今から70年ほど前、フランス南西部のある村で、洞窟の中に入って
遊んでいた子どもたちが、ふしぎなものを見つけました。
洞窟の壁にリアルにえがかれた、動物たちのすがたです。
何百もの動物の壁画がえがかれたこのラスコー洞窟は、ユネスコの
世界遺産ともなっています。
しかし、洞窟の壁画は、いったいなぜ描かれたのでしょうか。
一人の女性研究者が、そのなぞに取り組んできました。ある年の
夏至の日の夕方、彼女はふしぎな現象を目の当たりにしました。
いつもは暗い闇となっている洞窟の中に、夏至の日の夕方だけ、
日の光が差し込んだのです。
さらに彼女は、ある大胆な仮説を打ち立てます。洞窟にえがかれた動物たちが、
夜空にきらめく星座を、うつしたものではないかというのです。
はたしてこの説は受け入れられるのか・・・。
番組の中では、骨に刻まれた月の満ち欠け図らしき遺物が見つかって
いるということにも触れていたりしました。。。
そして、今日観た「地球伝説」という番組では、色の発展の歴史に
ついてやっていましたが、その中でも、ラスコー洞窟の壁画について
触れられていました。。。
こんなにラスコー続きなのは、今ここ、注目してね。。。
という、天からのメッセージ(笑)
でも、、、
ラスコー洞窟壁画についての云々や、上記の彼女の仮説が
正しいとか間違っているとか、、、
そういうことを証明したり追及したりすることには、今はもう、、、
全く興味がない。。。
ただ目の前に現れたものを、楽しむだけです。。。
占星術をしばらく勉強していて確信したことは、、、
「星占いは確実に当たる」。。。ということでした。。。
ではなぜそれが当たるのか。。。
それは、、、
宇宙の「仕組み」というものを、星を利用して説明できるシステムが
占星術だから。。。
そう感じました。。。
では、、、
なぜそういうシステムができたの?
誰が最初にその「仕組み」を理解したの?
・・・と。。。
私は、、、何かを占うことよりも実は、、、
こっちのほうが強く気になった。。。
ラスコー洞窟の壁画は、、、
もしその壁が透明で、向こう側が透けて見えると考えると、
例えば、牛の絵が描かれている場所は、ぴったり牡牛座。。。
馬の絵が描かれている場所はぴったり射手座に一致しているのを
見ることが出来るでしょうと。。。
その女性の研究者の方は言っていました。
でもおそらく、その星達が「牡牛座」や「射手座」になるのは
もっと後世のことで、当時はそんな風に呼ばれていたわけでは
なかったのでしょうね。。。
遥か昔。。。
太古の人達は、現代人の私たちよりも、夜空の星や月を眺める時間は
はるかにたくさんあったのでしょうから、昔の人達が正確な
星や太陽の動きや位置を把握していたとしても、それは全く不思議な
ことではない。。。
そう思います。。。
そして彼らは自然を観察しながら、いろいろなことを発見したり、
想像したりしたのでしょうね。。。
私が今していることも、彼らと同じです。。。
「想像」。。。です。。。
私も今まさに、、、こうして過去のことを想像している。。。
ある時、、、
誰かがふと、空に見えるものを洞窟の壁に描いてみたいと思い立ち、
さて、描こうと思ったときに、そうだ。。。身近にいる動物達で
それを描いてみようと考えたのかもしれない。。。
そして、現在牡牛座と呼ばれるようになった星の位置に、
「たまたま」牛の絵を描き、後世射手座と呼ばれるようになる
星たちの位置には「たまたま」馬の絵を描いたけれども、、、
それは描いた当初は、そこに深い意味があったわけではなくて、
「なんとなくの思いつき」だったのかもしれない。。。
その最初の「思いつき」、そしてその「思いつき」が行動力ある
人に実行され絵としてそこに描かれる。。。
そうやってそこに遺されたものを基礎として、それを後世の人々が
時代時代で、発展させていく。。。
占星術もきっと、こうやって発展してきたものだろうと思うのです。。。
だから、当たるの。。。
なぜなら、、、
そこには人の「観察力」と「想像力」が関与しているから。。。
そして。。。
想像するという衝動のキッカケとなるインスピレーションは、
その人の経験の集大成から来る。。。
またそれは「単なる影響」だけではなく、時空を越えたテレパシックな
影響もきっとあると思うけど。。。
例えば、、、
地球の裏側で綺麗な夕日を見て感動した人の思いの波動。。。
それをキャッチした私は、、、
それがまるで、自分の内側からわいてきた、、、または天から降りてきた
インスピレーションのように感じて感動する。。。
その感動する心が、想像力を膨らませる。。。
そして、、、
私のその想像を、、、またどこかの誰かがキャッチする。。。
そういうことは、私たちの普段気づかない深い深い部分で
行われているの。。。
こうやって私たちは「現在」のみではなく、未来、そして過去さえも、
今、創造しているのだろうと思う。。。
過去も未来も、、、
常に更新されている。。。
今を生きる人達の意識によって。。。
こうしてここに書いていること自体。。。
誰かの思いをキャッチして、私自身が想像しているものに
過ぎないけれども。。。
それをそうだと強く思い込めば思い込むほどに。。。
そういう世界が、、、実際に出現し始める。。。
そんな気がする。。。
そして。。。
ジェームズはこういうのを、、、
とてもうまく利用しているように。。。私には見えるのでした。。。
少しメモです。。。

有名なラスコー洞窟(フランス)の壁画に、星が描かれているのが発見された。
この研究が正しければ、最古の星図の発見だ。
ラスコー洞窟の壁画は、1万6500年ほど前の氷河期に描かれたものであると
考えられており、牛や馬、カモシカなどが描かれているが、この壁画に、
「夏の大三角」と思われる明るい3つの星の並びと、「プレヤデス星団(すばる)」
と思われる星の並びが描かれているのが発見された。
ドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士によると、壁画に描かれている
「牛の目」「鳥人間」「棒の上の鳥」が、それぞれ「べガ」「デネブ」
「アルタイル」を意味しているのだという。
この3つの星は、現在では北半球の夏の夜空で最も目立つ星たちであり、
「夏の大三角」としてよく知られている。しかし、1万7000年ほど前は、
地球の歳差運動による地軸のずれからこの3つの星はつねに地平線上にあり、
初春の夜に最も高く昇る星たちであった。
「プレヤデス星団(すばる)」を表すと思われる点の並びは、ラスコー洞窟の
入り口付近に描かれている、格調高い牛の絵の、肩のすぐ上に描かれている。
さらに、その牛の絵の内部には、「プレヤデス星団(すばる)」の付近にある
星たちを意味すると思われる部分がある。
現在では、夜空のこの領域は「おうし座」として知られる。
人は、遥かな太古から、夜空のこの領域に牛の姿を思い浮かべてきたのだ。
Rappenglueck博士は、スペインのある洞窟に描かれた壁画にも、
星の並びを意味する絵を発見している。
この洞窟は、Cueva di El Castillo洞窟と呼ばれる洞窟で、1万4000年ほど前に
描かれたと思われる壁画が残っている。この壁画に、曲線状に並んだ点が
描かれているが、Rappenglueck博士によるとこの点の並びは、現在
「かんむり座」と呼ばれる星の並びを意味するのだという。
Rappenglueck博士の結論を知った他の考古学者たちは今のところ、
Rappenglueck博士の解釈が合理的だと認めている。彼は、太古から人が
夜空の星に思いを寄せていたということを発見したのだ。

1万5000年以上前に描かれたといわれる有名なフランスのラスコー洞窟の壁画に、
最古の月齢カレンダーが描かれているのが発見された。
発見者はドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士で、
博士は以前、ラスコー洞窟の壁画の一部が星の並びを意味するものだという
発見を報告している。
博士によると、雄牛やカモシカ、馬の絵に沿って描かれている一連の点や
四角形の並びが、27日周期の月の動きを示したものであるという。
先日何気なく観た番組で、こんなのをやっていました。。。

今から70年ほど前、フランス南西部のある村で、洞窟の中に入って
遊んでいた子どもたちが、ふしぎなものを見つけました。
洞窟の壁にリアルにえがかれた、動物たちのすがたです。
何百もの動物の壁画がえがかれたこのラスコー洞窟は、ユネスコの
世界遺産ともなっています。
しかし、洞窟の壁画は、いったいなぜ描かれたのでしょうか。
一人の女性研究者が、そのなぞに取り組んできました。ある年の
夏至の日の夕方、彼女はふしぎな現象を目の当たりにしました。
いつもは暗い闇となっている洞窟の中に、夏至の日の夕方だけ、
日の光が差し込んだのです。
さらに彼女は、ある大胆な仮説を打ち立てます。洞窟にえがかれた動物たちが、
夜空にきらめく星座を、うつしたものではないかというのです。
はたしてこの説は受け入れられるのか・・・。
番組の中では、骨に刻まれた月の満ち欠け図らしき遺物が見つかって
いるということにも触れていたりしました。。。
そして、今日観た「地球伝説」という番組では、色の発展の歴史に
ついてやっていましたが、その中でも、ラスコー洞窟の壁画について
触れられていました。。。
こんなにラスコー続きなのは、今ここ、注目してね。。。
という、天からのメッセージ(笑)
でも、、、
ラスコー洞窟壁画についての云々や、上記の彼女の仮説が
正しいとか間違っているとか、、、
そういうことを証明したり追及したりすることには、今はもう、、、
全く興味がない。。。
ただ目の前に現れたものを、楽しむだけです。。。
占星術をしばらく勉強していて確信したことは、、、
「星占いは確実に当たる」。。。ということでした。。。
ではなぜそれが当たるのか。。。
それは、、、
宇宙の「仕組み」というものを、星を利用して説明できるシステムが
占星術だから。。。
そう感じました。。。
では、、、
なぜそういうシステムができたの?
誰が最初にその「仕組み」を理解したの?
・・・と。。。
私は、、、何かを占うことよりも実は、、、
こっちのほうが強く気になった。。。
ラスコー洞窟の壁画は、、、
もしその壁が透明で、向こう側が透けて見えると考えると、
例えば、牛の絵が描かれている場所は、ぴったり牡牛座。。。
馬の絵が描かれている場所はぴったり射手座に一致しているのを
見ることが出来るでしょうと。。。
その女性の研究者の方は言っていました。
でもおそらく、その星達が「牡牛座」や「射手座」になるのは
もっと後世のことで、当時はそんな風に呼ばれていたわけでは
なかったのでしょうね。。。
遥か昔。。。
太古の人達は、現代人の私たちよりも、夜空の星や月を眺める時間は
はるかにたくさんあったのでしょうから、昔の人達が正確な
星や太陽の動きや位置を把握していたとしても、それは全く不思議な
ことではない。。。
そう思います。。。
そして彼らは自然を観察しながら、いろいろなことを発見したり、
想像したりしたのでしょうね。。。
私が今していることも、彼らと同じです。。。
「想像」。。。です。。。
私も今まさに、、、こうして過去のことを想像している。。。
ある時、、、
誰かがふと、空に見えるものを洞窟の壁に描いてみたいと思い立ち、
さて、描こうと思ったときに、そうだ。。。身近にいる動物達で
それを描いてみようと考えたのかもしれない。。。
そして、現在牡牛座と呼ばれるようになった星の位置に、
「たまたま」牛の絵を描き、後世射手座と呼ばれるようになる
星たちの位置には「たまたま」馬の絵を描いたけれども、、、
それは描いた当初は、そこに深い意味があったわけではなくて、
「なんとなくの思いつき」だったのかもしれない。。。
その最初の「思いつき」、そしてその「思いつき」が行動力ある
人に実行され絵としてそこに描かれる。。。
そうやってそこに遺されたものを基礎として、それを後世の人々が
時代時代で、発展させていく。。。
占星術もきっと、こうやって発展してきたものだろうと思うのです。。。
だから、当たるの。。。
なぜなら、、、
そこには人の「観察力」と「想像力」が関与しているから。。。
そして。。。
想像するという衝動のキッカケとなるインスピレーションは、
その人の経験の集大成から来る。。。
またそれは「単なる影響」だけではなく、時空を越えたテレパシックな
影響もきっとあると思うけど。。。
例えば、、、
地球の裏側で綺麗な夕日を見て感動した人の思いの波動。。。
それをキャッチした私は、、、
それがまるで、自分の内側からわいてきた、、、または天から降りてきた
インスピレーションのように感じて感動する。。。
その感動する心が、想像力を膨らませる。。。
そして、、、
私のその想像を、、、またどこかの誰かがキャッチする。。。
そういうことは、私たちの普段気づかない深い深い部分で
行われているの。。。
こうやって私たちは「現在」のみではなく、未来、そして過去さえも、
今、創造しているのだろうと思う。。。
過去も未来も、、、
常に更新されている。。。
今を生きる人達の意識によって。。。
こうしてここに書いていること自体。。。
誰かの思いをキャッチして、私自身が想像しているものに
過ぎないけれども。。。
それをそうだと強く思い込めば思い込むほどに。。。
そういう世界が、、、実際に出現し始める。。。
そんな気がする。。。
そして。。。
ジェームズはこういうのを、、、
とてもうまく利用しているように。。。私には見えるのでした。。。
損保ジャパン東郷青児美術館で開催されていた
「モーリス・ドニ -いのちの輝き、子どものいる風景-」
・・・に行ってきました。

昨年の大晦日の日、、、
ドガ展の時も私はその最終日に行ってきたのでしたが、
今回もまた、最終日ギリギリに滑りこむことになってしまいました。
ずっと行こう行こうと思いながら後回しにしていたら、気づけば
残りあと一週間に迫っていて。。。
けれどもその最後の一週間は予定が詰まっていたりとか、
家族で次々と風邪をひいたりとかで、一度は行くのを
諦めたのですが、やはりどこか心残りで。。。
最後の最後で行ってきました。
感想としては、、、
行って大正解でした。。。
ホント、行ってよかった。。。
モーリス・ドニ(1870~1943年)は、19世紀末から
20世紀前半にかけて活躍した、フランス象徴派を代表する画家です。
前衛芸術グループ「ナビ派」の主要メンバーであり、平面や
単純な形態を使ったその装飾的なスタイルは、20世紀の絵画運動に
少なからぬ影響を与えました。
自らも敬虔なカトリック教徒であり、ナビ派の時代には
「美しきイコン(聖像)のナビ」と呼ばれたドニは、聖書あるいは
ギリシャやローマ神話を主題にした作品で知られています。
しかしその一方で、日常生活に基づいた「アンチーム(親密)」な作品、
特に自分の子どもたちや家族を描いた作品も、ドニの芸術の中で
主要な位置をしめているといえます。
本展覧会ではドニの作品の中でも「子ども」や「家族」を主題とした
作品に注目、 国内外の美術館および個人コレクターが所蔵する
ドニの絵画、素描、写真、その他資料など約100点を展示し、
ドニの芸術に迫ります。
(美術館サイトより)
少し前に、同じくフランスの画家である「アンリ・ル・シダネル」の
絵を、軽井沢の美術館で観てきましたが、今回のドニの絵は、
なんとなく、シダネルの絵と似たような匂いを感じました。。。
同じフランス人だし、ほとんど同じ世代の人だから、、、
というのもあるのかもしれないけど、二人から共通して
感じたものは、とてもホンワカとしたもので。。。
そこにはゴッホのような強烈さはまるでなく。。。
なんというか。。。
絵からあんまり「苦悩」を感じない。。。みたいな?
なんだかね。。。
自分の生活の基盤となる「家庭」というもの。。。
そこが愛に満ちていて、関係がとてもスムーズだったりすると、、、
人って、ホンワカと穏やかになっていくものなのかも。。。
なんて思ったりもしました。。。
シダネルさんに続き、ドニもかなりお気に入りの画家に
なってしまいましたよ。。
「モーリス・ドニ -いのちの輝き、子どものいる風景-」
・・・に行ってきました。

昨年の大晦日の日、、、
ドガ展の時も私はその最終日に行ってきたのでしたが、
今回もまた、最終日ギリギリに滑りこむことになってしまいました。
ずっと行こう行こうと思いながら後回しにしていたら、気づけば
残りあと一週間に迫っていて。。。
けれどもその最後の一週間は予定が詰まっていたりとか、
家族で次々と風邪をひいたりとかで、一度は行くのを
諦めたのですが、やはりどこか心残りで。。。
最後の最後で行ってきました。
感想としては、、、
行って大正解でした。。。
ホント、行ってよかった。。。
モーリス・ドニ(1870~1943年)は、19世紀末から
20世紀前半にかけて活躍した、フランス象徴派を代表する画家です。
前衛芸術グループ「ナビ派」の主要メンバーであり、平面や
単純な形態を使ったその装飾的なスタイルは、20世紀の絵画運動に
少なからぬ影響を与えました。
自らも敬虔なカトリック教徒であり、ナビ派の時代には
「美しきイコン(聖像)のナビ」と呼ばれたドニは、聖書あるいは
ギリシャやローマ神話を主題にした作品で知られています。
しかしその一方で、日常生活に基づいた「アンチーム(親密)」な作品、
特に自分の子どもたちや家族を描いた作品も、ドニの芸術の中で
主要な位置をしめているといえます。
本展覧会ではドニの作品の中でも「子ども」や「家族」を主題とした
作品に注目、 国内外の美術館および個人コレクターが所蔵する
ドニの絵画、素描、写真、その他資料など約100点を展示し、
ドニの芸術に迫ります。
(美術館サイトより)
少し前に、同じくフランスの画家である「アンリ・ル・シダネル」の
絵を、軽井沢の美術館で観てきましたが、今回のドニの絵は、
なんとなく、シダネルの絵と似たような匂いを感じました。。。
同じフランス人だし、ほとんど同じ世代の人だから、、、
というのもあるのかもしれないけど、二人から共通して
感じたものは、とてもホンワカとしたもので。。。
そこにはゴッホのような強烈さはまるでなく。。。
なんというか。。。
絵からあんまり「苦悩」を感じない。。。みたいな?
なんだかね。。。
自分の生活の基盤となる「家庭」というもの。。。
そこが愛に満ちていて、関係がとてもスムーズだったりすると、、、
人って、ホンワカと穏やかになっていくものなのかも。。。
なんて思ったりもしました。。。
シダネルさんに続き、ドニもかなりお気に入りの画家に
なってしまいましたよ。。

『聖母マリアの接吻』 モーリス・ドニ 1919年頃
この『聖母マリアの接吻』は、プリウレ礼拝堂のステンドグラスの
ための下絵として描かれたそうです。
高さ195センチ、幅90センチのとても大きな絵でした。。。
こんなに愛しそうにわが子を見つめるマリアって、今まで
いたっけ?
・・・なんて思ってしまった。。。
抱っこされているイエスが、足に力を入れてピンと伸ばして
マリアの手の上に立ち上がり、そして背中をのけぞらせて
母に寄りかかってる。。。
赤ちゃんって、、、
嬉しくてご機嫌な時って、こういうことするのですよねぇ。。。
なんだか。。。
懐かしくなってしまいました。
ドニは、聖書の中の物語を自分の身近な人達に重ねて描くことが
多かったそうなのですが、この、ホンワカとした聖母子の様子を
眺めていると、ドニの家庭はどんなに温かかったんだろう。。。
なんて思えて、私までホンワカとした気持ちになれました。
敬虔なカトリックの信者だったモーリス・ドニ。。。
この絵の中に描かれていた、聖母マリアを象徴する白いユリの花。。。
それは、まっ白で光っていました。
実際のステンドグラスは、こんな感じなのだそうです。。。


『リンゴを持って頭を傾けるベルナデット』 モーリス・ドニ 1900年頃
ベルナデットは、ドニの次女です。。。
あまりに可愛らしかったので、絵の前でついつい微笑んで
しまった一枚。。。
そして、思わずポストカードを買ってしまった。。。
ドニについていろいろ読んでいたら、なるほどなぁ。。。と
思いました。。。
モーリス・ドニがあたかも現実世界に目を向けずに生きていたかの
ように、彼が人生の幸福なイメージしか描かなかったことを非難
する人もいるでしょう。
しかし実際には、長男の死や最初の妻マルトの長く苦しい闘病生活など、
ドニの生涯は困難と試練の連続でした。
けれども病気や苦悩、懸念といったものがドニの創造力を掻き立てる
ことはありませんでした。
ドニは現実や理想の幸福の中にこそ、素晴らしいインスピレーションを
発見したのです。<中略>
同様にドニにとって子供たちは太陽の光であり、ドニの想像力を
奮い立たせてくれるモチーフでした。
ドニの孫娘にあたられるクレール・ドニさんは、図録の中で
こう書いていらっしゃいました。。。
実際に、ドニと身近で接した方ですね。。。
これを読んだらなんだか。。。
ドニってきっと、強い人なのだろうなぁ。。。なんて思ってしまった。。。
どんなに辛くて大変なことがあっても、、、
わざわざ自分のその苦悩を世界にアピールしたりはしない。。。
そして。。。
人間の、、、この世の素晴らしい部分から決して目をそらさずにいる。。。
それってホントに強い意志と、そして勇気が要ることだと思うのです。。。
ドニにとってもきっと、、、
子供たちはそのパワーを与えてくれる存在であり、
また、宝物であったのかもしれないですね。。。