個別記事の管理2011-10-02 (Sun)
 ダンスマガジンの10月号に、オペラ座のエトワール、
 マチュー・ガニオが彼の母親で、元ダンサーの
 ドミニク・カルフーニにインタヴューをしている記事が
 載っていたのですが、それがとても面白かった。。。


 ドミニク:<前略>音楽が私に夢を見せてくれるものだったのね。
 役柄に入る、表現するということを助けてくれたのが音楽なのよ。
 <中略>それに音楽から受ける感動で私は満たされていて、
 踊りながら、泣きたくなるほどだったのよ。


 マチュー:ぼくの場合は、そうじゃないんだ。たとえば映画
 『ブラック・スワン』で、バレエの音楽がかかるでしょう。
 ああ、この第四幕の音楽、素晴らしい、とても美しい、大好きって
 感じるのだけど、いざ自分が踊る舞台でとなると、あれをしなければ、
 次はこれを、といった雑音があって・・・・。
 『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーンの音楽も夢のようだし、
 『椿姫』のショパンの音楽も素晴らしいって思うのに、その感動が
 舞台では得られないんだ。


 ドミニク:私の場合は、逆に音楽が余計なことを忘れさせてくれるの。

 マチュー:ママは女性ダンサーだからだ。男の踊り手は
 自分の前にいる女性パートナーに対して、大きな責任があるんだ。


 ドミニク:そうね。それにひきかえ女性の踊り手は、パートナーを
 信頼し、音楽に身を委ねられる・・・というのが大きな違いね。



 それからドミニクは、こんなことも言っていました。。。


 ドミニク:私はあなたが経験で人物を作り上げていくのが
 いいと思ってるの。私たちは二人の別の人間なのだから、
 あなたがその人物をどう見ているのかを知るのは、とても興味深いわ。
 あなたにアドヴァイスを与えるのではなく、こうやって二つの
 感受性による考え方の違いとかを知るのが私には楽しいの。
 私が話したことによって、あなたの考えを変えてほしくないの。



 私にとってはいろいろと、、、
 とても共感できる考え方。。。

 なんだか、、、
 好きになっちゃったな、彼女のこと。


 mathieu.jpg
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個別記事の管理2011-10-03 (Mon)
harunomidori.jpg
 『春の緑』  アルベイン・ヴァン・デン・アベール 1900年


 ベルギー北部のフランダース(フランドル)地方、古都ゲントの
 郊外にあるシント・マルティンス・ラーテム。

 ヨーロッパでは19世紀半ばより、芸術家が自然の豊かな郊外に
 コロニーを形成するようになっていましたが、ラーテムもそうした
 芸術家村のひとつでした。

 その村で生まれ村長も務めた人がアルベイン・ヴァン・デン・アベールです。
 村を訪れる画家たちに影響され、彼が絵を描き始めたのは40代に
 なってから。遅咲きの画家でした。


 「余分なものをそぎ落とした森の姿。深い精神性の追求。
  禅の境地にも通ずる宗教的な瞑想に観るものをいざなう。」


 精緻な写実主義・・・

 印象派とは一線を画した彼の絵は、15世紀フランダース絵画の
 細密描写を見直していた芸術家たちに支持されたようです。



 先日テレビでゲントの風景を観たとき、、、
 ものすごく素敵だと思った。。。

 そして今までは、パリの影に隠れて気づかなかったけど、、、
 ベルギーって素敵な芸術の宝庫だったんだ。。。と。。。

 ちょっと、掘り出し物を見つけたようで嬉しかった。。。
 

 それでベルギーに興味を持ったの。
 そうしたら、今まではなにげなく食べていたベルギーチョコが、
 妙に美味しく感じたりもして。。。


 ベルギーやフランスに。。。
 なんだか、妙に行きたくなってしまった。。。


 先日、映画の『アメリ』を観ました。。。
 フランス映画は、やっぱりああでなくっちゃ。。。って思いました。

 そのアメリの音楽が、、、
 今、ふと浮かんで。。。


 ヴァン・デン・アベールのこの絵には、アメリのこの曲は
 いまひとつフィットしないような気がしなくもないのですが、、、

 せっかく浮かんだのだしね。。。


 
* Category : 絵画
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個別記事の管理2011-10-04 (Tue)
 


 カリギュラは、オペラ座のまだ新しい作品で、エトワールである
 ニコラ・ル・リッシュにより振付けられたものです。

 詳しくは、チャコットのこちらのサイトに載っています。


 カリギュラの治世を四季になぞらえ、さらに死を描いたル・リッシュの振付


 カミュの戯曲である「カリギュラ」は、暴君として知られるローマ帝国
 第3代皇帝カリギュラを題材にした作品ですが、ル・リッシュ振付けによる
 このバレエ作品は、カミュの戯曲からは、少し離れているみたいですね。

 ル・リッシュの視点で捉えたカリギュラを表現しているようです。


 そのカリギュラを演じていたのは、パリ・オペラ座の若きエトワール、
 ステファン・ビュリオン。
 
 以前オペラ座の『椿姫』を観て以来、彼は大好きなダンサーの
 ひとりとなりました。。。


 stephane_bullion_10.jpg


 これは私の個人的な意見ですが、ステファンは、古典よりもこういった
 現代的な作品の方が、なんとなくあっているような気がします。

 彼のカリギュラは、すごく良かったです。

 自分の激情を抑えられない、、、だから狂ったように暴れ、
 人を心身ともに傷つけてしまい周りから距離を置かれてしまう。

 彼もそれを解っていてあえてそうしているけれども、でも実は、
 心の深いところで常に孤独を感じている。

 カリギュラという人は、、、
 実は「愛」に飢えていた人なのかもしれないな。。。と。。。

 ステファンのカリギュラを観ていたら、、、
 そんな思いが浮かんできたのでした。。。

 だから、カミュの原作を読んでみたくなった。。。


 『王妃マルゴ』の映画の中でラ・モール伯爵がマルゴに、

 「あなたはいつも孤独だからこそ、愛が激しいのだろうと思った。」

 ・・・と言うのですが。。。

 カリギュラからもなんだか、それと同じ匂いがするのです。


 すべてはひどく複雑に見える。
 ところが実は、すべて、しごく単純なのだ。
 もしおれが月を手に入れていたら、愛だけで十分だったなら、
 すべては変わっていただろう。

 ~カミュの『カリギュラ』より~



 カリギュラが探していた「月」とは、、、
 私はなんだか、それは「真の愛」なのではないかと思った。。。

 でもその愛は、エロスではなくて、アガペ。。。

 それを見つけるために彼は、とことん不条理を推し進めた。。。

 そんな風に見えてしまいました。。。


 オペラ座の舞台は、今年の2月にmedice.tvで生中継されたそうなのですが、
 その時は見逃してしまいました。

 まだDVDも出ていませんし、日本で観ることは出来ないのかもしれないと
 思っていたので、今回、少しだけでも観ることが出来て嬉しかったです。
* Category : 踊ること
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個別記事の管理2011-10-05 (Wed)
natunohuukei.jpg
 『夏の風景』  アルベイン・ヴァン・デン・アベール 1910年頃


 こういう場所で、、、
 一日中景色を眺めながらのんびりしていたいですね。。。


 先日テレビでダリの絵について、いろいろやっていました。

 前々から、ダリの絵からは「男の人の匂いがする」
 ・・・と感じていたのですが、その理由がよく解りました。

 描く前から何もかもが思考で緻密に計算された絵。。。

 「左脳的な絵」なのだな、と、、、そう思いました。


 アルベイン・ヴァン・デン・アベールの絵は、、、

 「あるがまま」

 そんな印象を受けます。


 いつの世も、、、
 時代の波に乗り遅れてしまうのは「専門家」なのですって。。。

 「こんなものは本物ではない。これはこう在るべきなのだ。。。」

 と、磨き上げられた専門的な目で見ていろいろ批判しているうちに、
 気づけば、周りは変化してしまっているのだそうです。。。


 私は今、、、
 これまで蓄えてきた知識を手放すのに、ちょっぴり苦労している。。。


 元々は「右勝負」でずっと生きてきた私ですが、ここ数年はなぜか、
 「左強化年間」でした。

 その、左に傾きすぎてしまったものを今は少し、、、
 建て直し中。。。


 
  Song from a Secret Garden
* Category : 絵画
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個別記事の管理2011-10-06 (Thu)
 人は、、、
 ふたり集まれば、必ずそこにドラマが起こる。。。


 娘は、、、
 夏ごろから彼氏と少し、気持ちがずれてきている。。。

 
 その手のことに関しては、、、
 いちお経験者として私にも思うこといろいろあるけど、
 娘にはアドバイスはしない。。。

 娘はそれを求めているようだけど、私は、私自身の経験を
 そのまま彼女に話すことくらいしか出来ない。。。

 「こうするといいよ。」的なことは言いたくないのです。。。

 娘との絆がとても深いからよけいに。。。ね。。。


 あとは、、、
 彼女の話を、ひたすら聞こう。。。


 さっき、ツイッターで瀬戸内寂聴さんのこんな言葉を
 見つけて、、、
 思わず、頷いてしまいました。。。


 愛に見返りはないんです。
 初めからないと思ってかからないと駄目です。



 まったくですねぇ。。。

 でも。。。
 まだ高校生の彼らに、最初からこの境地を求めるのは
 酷よね。。。

 最初から、答えを与えてしまうやり方は。。。
 私は嫌い。。。


 今は、、、
 相手に見返りを求めて、ケンカしてもめて悩んで。。。

 そうやって自分で答えを見つけていくほうが、、、
 ふたりとも、最終的には深くなれるような気がするから。。。


 今、書いていたら頭の中に「テス」のテーマがなぜか流れてきた。。。

 あれは、美しくて、切ない映画でした。。。

 ナスターシャ・キンスキーがものすごく綺麗だった。。。


 
* Category : 徒然日記
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個別記事の管理2011-10-07 (Fri)
gogh.jpg
 『包帯をしてパイプをくわえた自画像』  フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年


 ゴッホが南フランスのアルルで、ゴーギャンとの共同生活を
 していたとき、口論の末、自分の耳を切ってしまった事件は
 あまりにも有名ですが、なぜ彼がこんなことをしてしまったのか、、、

 その理由については、様々な説があるのだそうです。


 例えば、アルルを去ろうとするゴーギャンへの当てつけ説。
 幻聴から逃れるためという説。

 また、闘牛には闘牛士が倒した牛の耳を切り取るという
 儀式があるのだそうですが、ゴーギャンを闘牛士に見立て、
 自分を倒された牛と見立てて、その儀式をしたのだ。。。
 
 なんていう説まであるそうです。

 この説を打ち出した人ってすごい想像力だな、、、と、
 思ってしまいました。


 こんな風に、その「説」はいろいろあるようなのですが。。。



 先日、「新約聖書」という映画の中のあるシーンを観ていたら、
 ゴッホのこのエピソードのことを想起させられました。

 それは、「ヨハネの福音書」に書かれていることを忠実に再現した
 映画でした。


 イエスが兵士に連れて行かれるシーンなのですが、福音書には
 こんな風に書かれています。


 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて
 大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。
 手下の名はマルコスであった。



 ペトロは、イエスの12人の弟子の中のひとりです。

 
 ゴッホは、画家になる前は牧師になりたかった人ですから、
 聖書のこのシーンのこともよく知っていたのではないかしら。。。


 ・・・なんてことが、ふと、頭の中をよぎったのでした。


 この自画像は、この事件の直後に描かれたものです。

 包帯が右の耳に巻かれていますが、自画像は鏡に映した
 自身の顔を描くのでしょうから、実際に切られたのは左耳。

 青い帽子の後ろにはその補色であるオレンジを、、、
 そして、緑の服の後ろにはその補色である赤を使って
 描かれている。


 ゴッホのことをよく知る前は、この絵から狂気を
 感じたりもしたのですが、ゴッホは実は、色の勉強も
 かなりしていたそうですから、この強烈さはおそらく、
 意図的で。。。

 カッとなって我を忘れてしまう時以外のゴッホは、
 意外とかなり、冷静な人だったのかも。。。


 なんて想像してみたり。。。


 結局本当のことは、ゴッホ本人にしか解らない。


 でも、、、
 こうやって想像したりすることによって、そこに
 今の自分が映し出されてくる。。。


 それが面白いのです。。。


 
  ビゼーのカルメンより『闘牛士の歌』
* Category : 絵画
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個別記事の管理2011-10-08 (Sat)
huyunokajutuen.jpg
 『冬の果実園』  ヴァレリウス・ド・サデレール 1908年


 ヴァレリウス・ド・サデレール(1867~1941)もベルギー北部の
 フランダース (フランドル)地方の画家です。


 サデレールは、初めの頃は印象派風の絵を描いていたそうですが、
 ジョルジュ・ミンヌやアルベイン・ヴァン・デン・アベール、
 また15世紀のフランドル絵画の影響を受け、自身のカトリックへの
 改宗を機に、その絵は象徴主義の様式に変わったのだそうです。

 象徴主義に変わったあと彼は、以前に描いていた印象派風の作品を
 買い戻し、破壊していったそうです。


 完璧主義というか、、、
 何もそこまで極端に走らなくても。。。と思いつつ。。。

 生まれ変わる前の自分の絵を、、、
 全て破壊してしまった彼の気持ち。。。

 なんとなく解るような気もします。。。


 
  カッチーニのアヴェ・マリア(by リベラ)
* Category : 絵画
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個別記事の管理2011-10-09 (Sun)
 今回は、パリ・オペラ座の『眠れる森の美女』でした。


 
ルドルフ・ヌレエフ振付・演出「眠れる森の美女」プロローグ付3幕 [DVD]ルドルフ・ヌレエフ振付・演出「眠れる森の美女」プロローグ付3幕 [DVD]
(2012/03/07)
パリ・オペラ座バレエ

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 オペラ座なだけに、オーロラ姫の王宮はフランスだったのね。。。
 と、思わされるような衣裳やセットでした。

 マリー・アントワネットの世界を彷彿とさせられるような。。。


 とてもカラフルで豪華で、、、
 衣裳もとてもおしゃれで、私好みな感じだったのですが、、、
 でもやっぱり、、、白鳥、くるみ、眠り、、、の3大バレエは
 ロシアのマリインスキーバレエの舞台が一番好きだなぁ。。。と、
 今回も思ってしまった。。。

 名曲のカバーソングがアレンジを変えて何度リリースされても、
 その最初の元歌を越えられないのと、同じで。。。


 この眠れる森の美女という演目は、私が生まれて初めて全幕
 通して観たバレエで、あれはたしか、小学校の2年生か3年生
 くらいの時。。。

 それがマリインスキー(当時はキーロフ)だったのでした。。。

 オーロラ姫は、ガブリエラ・コムレオワさん。。。

 マリインスキーの眠りは幻想的で、、、
 オーロラ姫はフランスではなくて、、、おとぎの国に
 住んでいるのです。。。

 その素敵さに、子供ながらにものすごく感動してね、、、
 ビデオに録画したものをもう、飽きもせず、毎日毎日、
 何度も繰り返し観たものです。。。

 だからどうしても、、、
 私の中の「眠り」のイメージが強烈にそれだから、まだ、、、
 オペラ座のものになかなか馴染めない。。。


 オペラ座は本当につい最近、とても好きになりましたが、
 以前は実は、あまり好きではなかったのです。。。

 昔、ヌレエフ版の『ロミオとジュリエット』を観た時、
 それが私にとってはイマイチで。。。
 それ以来、積極的に観ようという気持ちがずっと起きなくて。。。

 けれども、最近観た『椿姫』や『プルースト』などは非常に
 素晴らしかったので、やっとこの頃、オペラ座の素晴らしさを
 発見できたのです。。。


 今回の眠りの振付は、このコレクションの第1号の
 『白鳥の湖』と同じく、そのルドルフ・ヌレエフです。

 ヌレエフの演出は、、、
 やはりちょっと「癖」がありますね。。。

 演出家によってその「癖」は様々ですが、、、
 ヌレエフの癖が、私には合わないのかなぁ?

 それとも、フランスという国の香りとこういった演目が微妙に
 合わないのか?

 元々、3大バレエの発祥の地はロシアですものね。。。

 フランスはおとぎ話というよりも、もっとシビアでリアルな
 お話の方が光るような気がしたのでした。。。

 おとぎ話は変に現代的な複雑さを出すより、シンプルなままの方が
 好きだな。。。


 4人の求婚者が道化に見えてしまう。。。^^;
 リラの精、マダムヴァージョンはちょっと。。。
 赤頭巾ちゃんと狼はどこに行っちゃったの?
 王子、ちょっと踊りすぎ、目立ちすぎ!

 ・・・みたいな(笑)

 いろいろしっくりこない部分が多い舞台でした。。。


 でも、、、
 オーロラ姫のオーレリ・デュポンはものすごく綺麗でしたし、
 カラボスが女性ヴァージョンというのはよかったです。
 悪の精は、男性がやるより女性がやったほうが断然怖くて
 雰囲気が出ていてよいです。。。

 本来、物語のカラボスは女性でしたものね。


 そんなわけで。。。
 私みたいに変にこだわりを持った目でみなければ、オペラ座の
 この舞台も、きっと素晴らしいものなのだろうと思います。


 なんだか。。。
 今回の舞台を観ていたら、私は自分のずいぶんと保守的な部分に
 いろいろ気づかされてしまったわ(笑)
* Category : 踊ること
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個別記事の管理2011-10-09 (Sun)
 youtubeを観ていたら、素晴らしいダンサーを見つけてしまった。。。

 彼女はロシア人で、オランダ国立バレエ団のプリンシパルのようです。
 また、スウェーデンロイヤルバレエ団のプリンシパルも兼任?している
 みたいです。。。
 
 


 

 

 

 

 

 


 久々に見つけた!
 私の理想ぴったりのダンサー!!

 感動です。。。

 ワクワクです。。。


 Jurgita Dronina(ユルギータ・ドロニナ) 公式サイト

 
 
* Category : 踊ること
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個別記事の管理2011-10-10 (Mon)
 


 時々、、、、サティの『ジムノペティ』が頭の中で流れます。
 娘は、この曲が大好きだそうです。


 この音楽は3曲から構成されていますが、その中でも一番有名な
 第一番目の曲。

 『ゆっくりと悩める如く』

 ちなみに、第2番の主題は『ゆっくりと悲しげに』
 第3番は、『ゆっくりと厳かに』です。


 サティの友人であったドビュッシーは、この第1番と第3番を
 オーケストラ用に編曲しました。

 そのオケ版もとてもとても良いのですが、やはりピアノヴァージョンが
 好きです。


 ジムノペティ・・・というのは、古代ギリシャで行われていた
 神々を讃える祭典、『ギムノパイディア』に由来しているそうです。

 サティはお祭りの様子を描いた古代の壺を見て、曲想を得たといわれて
 いるのだそう。。。

 このお祭りは少年達を大勢集め、彼らを裸で歌い踊らせて古代ギリシャの
 神々を讃えるものらしく、「ギムノパイディア」という言葉はギリシャ語で、
 「裸の子供達」という意味なのだそうです。


 サティという人も、結構変わっていた人みたいですね。
 私は、、、変わっている人、好きですけど(笑)

 なんでもあの、薔薇十字団にスカウトされて、公認の作曲家に
 なったこともあったとか・・・


 RoseBee(844x720).jpg


 けれども、そこのリーダーのやり方に不満を持ったサティは
 そことは絶縁し(かなり派手に 笑)、その後なぜか、モンマルトルの
 アパートに架空の教団を設立したりしたのですって。

 面白い人ですね。


 でも芸術家って、、、ちょっと変わっててなんぼ。。。のような
 気もしますし・・・

 私もついつい、こういう破天荒な人に惹かれがち。


 Erik_Satie.jpg
* Category : 音楽
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個別記事の管理2011-10-11 (Tue)
Emile_Claus_-_De_ijsvogels.jpg
 『スケートをする人々』  エミール・クラウス 1891年

 エミール・クラウスは、ベルギー印象派の先駆的存在です。

 最初は彼も写実主義だったようですが、次第にパリの印象派の
 影響を受けるようになりました。


 リュミニスム(光輝主義)の画家・・・

 
 彼は、絵の中で光を再現することを追及していたようです。


 この絵を初めて観た時、、、
 氷に反射する光が本当に眩しく感じて、思わず目を細めてしまいました。


 『スケートをする人々』 マイヤベーア
 
* Category : 絵画
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個別記事の管理2011-10-11 (Tue)
20130105135733419.jpg
 『陽だまりの木』  エミール・クラウス 1900年


 何気ない森のひとコマ。。。

 あまりにも自然に描かれすぎていて、ボーッとしていると気づかず
 通りすぎてしまいそうな感じですが・・・

 そこには、、、
 本当はすごいものが描かれているのだな、、、と、しみじみ感じた絵。


 前回の絵と同様、パソコンの画面ではそこまで感じることは
 出来ないかもしれません。。。でも。。。


 エミール・クラウスの絵は、本当にみんな眩しい。。。



 Heartmagic 
 
* Category : 絵画
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個別記事の管理2011-10-11 (Tue)
 


 今日はサティの『グノシエンヌ』

 実は私は、ジムノペティよりもこちらの方が好きです。

 この曲名の由来はこんな感じ。。。


 『グノシエンヌ』とは「知る」というギリシア語の動詞の語幹を
 もとにして作ったサティの造語である。語源はまた、古代クレタ島に
 あった古都「グノーソス宮」とも神秘教会グノーシス派とも言われている。
 古代ギリシャの詩の脚韻を踏んだリズムが伴奏部に使われている。
  (Wikipediaより)



 このグノシエンヌの動画には、ゴッホの絵が使われていました。。。

 ゴッホとこの曲、私は、、、いまひとつ結びつかないのだけど。。。
* Category : 音楽
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個別記事の管理2011-10-12 (Wed)
 ビヨンセの新作PVは、ベルギーの振付家ケースマイケルの
 「ローサス・ダンス・ローサス」の盗作なのではないかという
 騒動の中、、、

 「オマージュ」と「盗作」の違いは何なのだ?という議論が、
 一部で出ているのだそうです。

 
 それを読んだ時、、、
 この頃の自分の気持ちとシンクロしました。。。

 ついこの前、ツイッターでつぶやいたことを、
 そのまま転載。


 人は他者との関わりあいの中で生み出されたドラマによって、
 様々なことに気づかせられ、そして自身を成長させていく。
 それなのに、それをすべて自分の手柄だと勘違いして偉そうに
 語っている人を見ると、無性に腹が立ってくるの。


 他者からの影響を受けていない人なんて、絶対にいない。
 そういうことが解ってくれば、もっともっと謙虚になれる
 はずなのにね。

 そして、こんなことでイライラしてしまう自分を未熟だなぁ。。。
 とも思う。

 これは結局、、、自分の中にあるそういう「偉そうに語る」という
 部分が嫌いなのだということなのだよね。



 先人達の残したものを基礎にしてそれを発展させていく。。。
 そうやって人類は進化してきた。。。

 結局、、、
 そういうことなのだと思う。。。

 たとえそこに、「意識的」か「無意識」なのかの違いはあっても。。。
 または、「善意」か「悪意」かの違いはあっても。。。


 ケースマイケルの持つ感性で生みだされた「作品」を、
 もっと世に知らしめたかったある「意思」が、ビヨンセという
 広げる力のある人を使って、多くの人の目に触れさせた。。。

 ・・・ということなのだろうと。。。

 そして、、、
 その元のケースマイケルの作品自体もきっと、様々な先人達や
 外部の影響を受けた上で、生まれている。。。


 変な揉め事を起こして余計なエネルギーを消耗しないコツは
 簡単。。。

 「感謝」と「謙虚さ」の気持ちを持つこと。。。

 そのために必要なものが「理解」。。。


 そういう点で、今回振付家のケースマイケルは、とても
 素敵な対応をされていて、なんだか嬉しかった。。。


 ケースマイケルのコメント 


 私の経路はまず理解、、、
 それがあってからそこに、感謝や謙虚さが生まれる。。。

 でもこれも。。。
 人によって、感謝や謙虚さが先にあって、そこから理解が
 生まれるという経路もあるのかもしれないですね。。。
* Category : 踊ること
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個別記事の管理2011-10-12 (Wed)
 20081024165002.jpg


 この絵、、、とても好きなのです。
 これは、シャロン(A. E. Chalon)による『パ・ド・カトル』
 初演時のリトグラフです。。。


 時は19世紀半ば、ロンドン王立劇場の支配人だった
 ベンジャミン・ラムリーは、とうてい実現不可能と思われる
 企画を考えついた。

 当時世界の4大バレリーナと謳われていたマリー・タリオーニ、
 ファニー・エルスラー、カルロッタ・グリジ、ファニー・チェリートを
 一堂に集めて、ひとつの作品で一緒に躍らせようとしたのである。

 彼女達はそれぞれに自らトップであると信じ、それまで
 顔をあわせることはなかった。

 結局タリオーニとエルスラーを共演させることは出来ず、
 エルスラーの代わりにルシル・グラーンを加えての
 『パ・ド・カトル(四人の踊り)』になったが、振付にあたった
 ペローの苦心は大変だった。

 彼自身はグリジの夫だったが、四人の扱いに上下をつけることは
 許されない。各人が得意とするパを与えてその特徴を際立たせ
 なければならないのみならず、そのためにほかのスターの影が
 薄くなるようなことがあってもならないのである。

 最後のヴァリアシオンは最年長で風格のあるタリオーニと、
 そこまでは自然に決まったが、次の順番でひと悶着起きそうになった。
 困ったラムリーは年齢順にと提案した。
 するとスターたちはとたんに謙虚になって、たがいに譲りあったという。。。

 幕が開くと、揃いのピンクのロマンティック・チュチュを着て、
 違う髪型をした四人が、シャロンの石版画そのままのポーズで
 よりそっている。
 やがて一緒に踊りはじめるが、その物腰には、トップ・スターとしての
 自負と威厳、共演者への大仰な礼儀正しさに隠されたライバル意識が
 うかがわれて、それがロマンティック・バレエならではの優雅な
 雰囲気に、いささかコミックな味を添える。

 バレリーナたちはその役どころ、つまり初演の四大スターを
 彷彿とさせる技術と雰囲気のヴァリアシオンを見せ、
 いかにも仲が良さそうに、またはじめのポーズにおさまって幕となる。

 ~バレエ101物語(新書館)より~



 初演は、1845年7月12日にロンドンのハー・マジェスティ劇場
 だったそうです。

 この時、4人の年齢は手元の本によるとタリオーニが41歳で最年長。
 チェリートが28歳、グリジとグランが26歳でした。。。

 絵でいうと、左からグリジ、タリオーニ、グラン、そしてチェリート。


 このパ・ド・カトルがなぜか急に。。。
 そして久々に観たくなってしまいました。

 現在踊られているものは、1941年にアントン・ドーリンが昔の
 資料を元に振付しなおしたものです。
 ペロー振付のタリオーニ達が踊った原典は、失われてしまったそうです。

 原典は失われてしまいましたが、でも、チェーザレ・プーニの
 音楽は残っていたわけですし、、、
 その音楽やシャロンのリトグラフから、想像力をかきたてて、
 当時に思いを馳せることは出来ますよね。


 それでyoutubeを彷徨っていたら、、、
 とんでもない映像を見つけてしまったのです。。。

 アリシア・アロンソ、カルラ・フラッチ、ギレーヌ・テスマー、
 そしてエヴァ・エフドキモワによるパ・ド・カトルです。。。

 私くらいの世代のバレエファンが聞いたらもう、、、
 気絶するくらいのすごいメンバーの顔揃えです。。。

 おそらくこれは、30年前くらいのものなのではないでしょうか。。。

 タリオーニ役のアロンソも、当時で60歳近かったと思いますが、
 素晴らしいです。。。

 そしてエフドキモワは、少し前に亡くなられましたね。。。
 彼女はとても品があって、、、美しいバレリーナでした。。。

 
 超豪華メンバーの『パ・ド・カトル』1

 超豪華メンバーの『パ・ド・カトル』2

 超豪華メンバーの『パ・ド・カトル』3

 超豪華メンバーの『パ・ド・カトル』4
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個別記事の管理2011-10-15 (Sat)
 この本を読んでいたら以前ジェームズが、、、

 「これから私たちはこのヒューマン・インストゥルメントを
  まとったままで進化していくのです。」

 ・・・というようなことを言っていたことを思い出しました。。。 


 
バレエ入門バレエ入門
(2000/11)
三浦 雅士

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 バレエという舞台芸術の場で起こっている精神と身体をめぐる
 このような出来事は、20世紀から21世紀へと移行しつつあるいまが、
 じつはひとつの時代からもうひとつの時代へと向かう劇的な過渡期で
 あることを示唆しているようです。
 音楽においても、美術においても、同じように変化が起こっています。
 
 人間にとって決定的に重要なのは、身体という次元なのではないかと
 いう問いかけがいたるところでなされています。

 精神は永遠を希求しますが、身体は時間に囚われています。
 現代物理学の最先端は、しかし、宇宙もまた時間に囚われていることを
 明らかにしています。

 宇宙も、銀河も、地球も、決して還ることのない時間を生きている。
 つまり、宇宙もまたひとつの身体なのだというのです。

 内面性の内実はいまや永遠を希求する精神によってではなく、
 やがて滅び去るであろう宇宙によって満たされなければ
 ならなくなったのです。

 <中略>

 バレエにとっては、刻一刻と過ぎてゆくその瞬間のすべてが、
 作品です。

 つまり、バレエは、この人生、この人間の生命そのものが、やがて
 消え去りゆくにせよ、素晴らしい作品であることを告知しているのです




 仏陀が亡くなる時、弟子のアーナンダに言った言葉を
 思い出します。。。


 「アーナンダよ、、、この世は美しい。」


 ・・・と。。。
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個別記事の管理2011-10-15 (Sat)
 先日、バレエの先生がおっしゃっていました。。。

 男性は筋肉があるし、胸やお尻のふくらみがないので
 最初から何回転も出来るのだけれども、女性はその点、
 筋肉も少ないし、前後にふくらみが出ている分、
 バランスがとりづらいので、なかなかうまく回れない。。。

 だから、訓練しないといけないのだ。。。と。。。


 今ではあちこちの筋力が衰えた上に、体重も増えてしまったので、
 全然うまく回れない。。。(涙)

 でも、、、地道にがんばろ。。。


 数年前、話題になった動画がありました。


 


 最初に観た時は目が点になり、、、
 もう、何度も何度も観てしまいました。。。

 スーパーピルエット。。。

 彼女はオランダ国立バレエに籍を置きつつNYCBでも踊っている
 ソリストのソフィアン・シルヴです。


 先日の先生の言葉で思い出し、久々に観ていたのですけれども、
 そうしたらこの動画繋がりで、なんだかまた、すごい人を
 見つけてしまいました。。。


 


 え~!!
 パートナーの支えなしっっ?!

 ・・・と、、、また、目が点に。。。


 調べてみたら彼女は、Alys Shee(エリス・シー)という
 オーストラリアの女の子だそうです。

 エリス・シーがバレエを始めたのは9歳からなのだそうですが、
 彼女が13歳の時のレッスン風景がこちらで。。。


 


 レッスン始めてたったの4年で、こんなに踊れてしまうなんて。。。

 なんだか。。。
 踊るために生まれてきた人なのだなぁ。。。なんて
 思ってしまいました。。。


 14歳の頃の『エスメラルダ』

 


 彼女は現在、おそらく16歳か17歳くらいになっていると
 思うのですが、15歳の頃にはボリショイにバレエ留学したり、
 国際コンクールでメダルを取ったりもしていたようです。


 こちらが16歳になった彼女。。。

 


 16歳でジゼルは、いろんな意味でとても難しいと思いますが、
 でも、とても頑張っているなぁ。。。って思いました。。。
 

 「未完の大器」。。。という感じの彼女。。。

 今後の成長と活躍がとても楽しみです。。。

 
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個別記事の管理2011-10-16 (Sun)
 昔は、、、「評論家」と言われる人達が嫌いでした。。。

 以前に自分も踊っていた。。。という人ならまだしも、
 自身に舞踊経験がなくただ観ているだけなのに、ああだこうだと
 好き勝手なことを言っている人達に腹が立ってしかたなかった。。。

 どうしても、「踊る側」の人の気持ちにたってしまい、
 もう少しダンサーに対する思いやりを持ってよ。。。とね。。。

 ついそんな風に思ってしまったから。。。


 もちろん今では。。。
 全ての人にはそれぞれ、「役割」というものがあるのだ。。。

 ・・・ということは、理解したつもりで。。。
 なのでそういうことに対しても、、、腹は立たなくなったけど。。。


 昨日、読んでいたこの本に、、、
 こんなことが書かれていました。。。


 
バレエ入門バレエ入門
(2000/11)
三浦 雅士

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 舞踊にとってダンサーの存在がたいへん重要なものだということに
 気づいたのは、意識して舞踊を見はじめるようになってからも、
 ずいぶんたってからでした。

 それ以前は、コリオグラファーの作品を観ているという意識の方が
 圧倒的に強かったのです。
 
 音楽を作曲家の作品として聴くのと同じことです。
 小説を文学者の作品として読むのと同じことです。

 これは自戒を含めて言うのですが、残念なことに、思想的、哲学的な
 関心からダンスを見はじめた人には、そういう人が多いようです。
 バレエを作者の思想の表現であると考えて、その表現を理解して
 バレエが分かった、ダンスが分かったと思い込む人が多い。

 理屈が先に立って、素直に感動することができないのです。

 <中略>実際は、舞踊にとっては、コリオグラファーよりもダンサーの
 ほうが重要だということがしばしばあるのです。そのほうが多い。
 それが舞踊の本質なのです。舞踊というのは、身体を媒介にした
 関係の表現だからです。

 ダンスは、表現された関係性なのです。



 世の中には様々な人がいて、様々な考え方や生き方がある。。。

 だから、、、
 三浦さんのこの意見がすべてかと言ったら、そうではないけど。。。

 でも。。。
 これを読んで妙に気分がスッキリしている自分を、、、
 発見してしまった。。。


 そしてこの続きに書かれていた、

 「ダンスは人間が関係する存在であることを明らかにする」

 ・・・という部分で語られているお話が、とても面白かったです。
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個別記事の管理2011-10-17 (Mon)
davinchi.jpg
 『最後の晩餐』 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1498年


 最後の晩餐(Wikipedia)


 ダン・ブラウンが「ダ・ヴィンチ・コード」の小説の中で、
 イエスの左側の人物、、、
 長い間、弟子のヨハネだと言われてきたその人物が、実は
 マグダラのマリアだったということを、小説の中の主人公の
 口を通して世界に発信して以来、、、
 それが真実だと思う人が増えたとか。。。

 そういった現状に、専門家たちからは強い反発の声が多く
 あがったようです。。。

 「歴史をゆがめてしまう。」

 ・・・と。。。


 でも面白いことに、、、
 これは、ダン・ブラウン自身は述べていなかったことなのですが、
 近年、同じダ・ヴィンチによって描かれた「岩窟の聖母」の中の
 「マリア」の構図と、この最後の晩餐の中の「ヨハネ」の構図が
 ぴったり一致することがわかったらしく、、、

 この二つの絵のモデルは、おそらく同一人物なのだろう。。。と、、、
 そういった意見も出てきているのだそうです。


 岩窟の聖母(Wikipedia)


 もちろん、、、
 だからと言って、最後の晩餐のこの人物が「女性」だという
 決定的な証拠となるわけではありませんが。。。


 あの時は正しいとされていたことが、今では間違いだとわかった。。。
 ・・・なんてことはよくあることで、、、


 歴史というものは結局、、、
 今を生きる私達が、そこに自分達自身を投影させて、
 今、この瞬間に創りあげているものなのだと思う。。。


 この絵のその人物を、ヨハネではなくマグダラのマリアだと
 思いこむ人が出てきたという事実が。。。

 私には、面白い。。。


 また、この絵が湿気や戦争など数々の崩壊の危機にさらされながらも
 不思議な偶然が重なりそれらを乗り越え、そして様々な人たちに
 時代時代で修復の手を加えられ、今のこの姿に至っていること。。。

 長い時間を生き抜き、今ここにこうして存在していること。。。


 こういうこと自体が「何か」を物語っている。。。と。。。


 ついね。。。
 そう感じてしまうのです。。。


 『Lamentations: Miserere mei Deus』 by カヴァリエーリ
 
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個別記事の管理2011-10-20 (Thu)
 christ2.jpg
  『十字架のヨハネのキリスト』 サルバドール・ダリ 1951年

 
 ダリは「シュールレアリスム」に傾倒した画家の先駆者のような人ですが、
 祖国に戻るために、カトリック教徒になったのだそうです。。。

 そうしてそれから宗教的な絵を描くようになった彼は、この絵を
 描く為に実際に筋肉隆々のスタントマンにこのポーズをとらせ、
 その写真を撮ってそれをこのイエスのモデルにしたりとか、わざわざ
 測量の専門家を呼んで寸法を測らせ、そこに意図的にブレのない
 幾何学的な構図を描き出したりとか。。。

 そういうことをしたのですって。。。


 こういうお話を聞いた時、私はそれまでダリの絵から漠然と
 感じていた「男の人の匂い」というものに納得し、、、

 この絵には、「計算しつくされた」。。。という言葉がぴったりだなぁ。。。

 ・・・と思ったのでした。。。


 「男の人の匂い」と言ってもそれは、私の中で勝手に象徴的に
 使っているに過ぎなくて、実際の男の人のことではないのですけど。。。
 
 なんて言ったらいいのでしょうね。。。

 「左脳的」。。。というか。。。

 
 法則をもう既に頭で理解していて、それを意図的に使うことで
 最初からそこに「何か」が起こることを予測してそれをやっている。。。

 ・・・と、そんな感じです。。。


 ニーチェはそういうのを「アポロ的」と表現したそうです。。。

 アポロは、明晰。。。理路整然。。。

 それに対して「ディオニュソス」は、混沌。。。複雑怪奇。。。


 実は、、、
 モーツァルトの音楽からも、以前からこういう「アポロ的」な
 ものを感じていました。。。

 私にとってはそれは少し、、、整いすぎているというか。。。
 完璧すぎてしまうような感じというかね。。。


 彼のオペラの「魔笛」をこの前観たのですけれども、それで
 ちょっと気になったことがあったので調べていたら、
 「あぁ、そうか」。。。と、納得したことがありました。。。


 モーツァルトがフリーメイソンのメンバーだったというお話は
 けっこう有名ですが、彼はこの「魔笛」の中には、ずいぶんと
 メイソンの教義を反映させていたらしくてね。。。

 「魔笛」ほど意図的ではなかったのだとしても、彼の他の
 音楽にもきっと、そういった影響がにじみ出ていたのだろうな。。。と、、、

 そう思ったのでした。。。


 メイソンからも、、、
 男の人の匂いがプンプン。。。(笑)

 ピタゴラス的というか、エジプト的というか。。。

 
 モーツァルトの『魔笛』より 夜の女王のアリア
 
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