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『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』 グスタフ・クリムト 1907年

先日テレビでやっていましたけれども、、、
この絵には、エジプトの「ホルスの眼」やケルトの「渦巻き」が
描かれているのだそうです。。。
「金の画家」と呼ばれたクリムトは、貧しい金細工職人の家に
生まれたそうです。。。
この絵の背景に使われている金箔の置き方は、日本の伝統的な
それに似ているのだとか。。。
近年の研究では、クリムトは古代エジプトから、ビザンチン、
日本の琳派まで、、、
古今東西の、様々な金の表現を取り入れていたことがわかって
いるのだそうです。
クリムトの絵って、、、
どれもこれもなんというか。。。
観ていると、(いい意味で)力が抜けてくる感じがします。。。
身体の緊張がほどける感じ。。。というか。。。
『For The Love Of All Who Gather』 by S. J. Tucker
『Lascia ch'io pianga』 Georg Fredrich Handel(1685-1759)
Armida, dispietata colla forza d'abisso,
rapimmi al caro Ciel di miei contenti,
e qui com duolo eterno
viva mi tiene in tormento d'inferno.
Signor! Ah! per pieta lasciami piangere.
Lascia ch'io pianga la dura sorte,
e che sospiri la libertà.
Il duolo infranga queste ritorte
de' miei martiri sol per pietà.
奈落の力を持った情け知らずのアルミーダは
懐かしい歓びの天上から私を奪い去り、
ここで、永遠の苦しみを持った
地獄の責め苦の中に私を生きたまま閉じ籠めている。
主よ、ああ、どうか私を泣かせてください。
過酷な運命に涙し、
自由に憧れることをお許しください。
私の苦しみに対する憐れみだけによって
苦悩がこの鎖を打ち毀してくれますように。
(ジャーコモ・ロッシ 詩)
オペラ<リナルド Rinald>(1711年)から
アルミレーナの叙唱とアリア

年明けの小さな発表会で、この歌を歌うことになりました。
この歌の詩が書かれたのは、18世紀のイタリア。。。
感情移入が難しい。。。
それにしても。。。
イタリア古典歌曲といい、オペラといい、暗い曲が多いですね。。。
オペラも、なんだかお話が妙に重くて結末が悲劇。。。
というものが多い。。。
気になったので先生に聞いてみたところ、そういうものを
「オペラ・セリア」というそうで、この「セリア」という
言葉は、英語の「シリアス」に繋がるのだそう。。。
この歌の詩のなかにもある「tormento」という言葉は、
こういった歌の中によく登場するのだそうですが、その意味は、、、
「苦悩」。。。
一方、もっと喜劇的で軽くて明るいものを「オペラ・ブッファ」と
いうのだそうです。
セリアは王侯貴族向けで、ブッファは庶民向けだった。
・・・というようなことがWikiに書かれていました。。。
確かに。。。
「苦悩」というものは、人を成長させてくれるから。。。
でも、生きるために毎日忙しく働かなければいけなかった庶民たちは、
わざわざ娯楽の中に苦悩を求めなくても、日頃の生活の中にそれは、
たくさん転がっていたのでしょうね。。。
仕事に疲れて、小難しいことを考えている暇さえなかったのかもしれない。。。
そういう人達は、オペラを観てしんみりと沈みこんで深く考えるよりも、
そこでは日頃の辛さを忘れて、ただ面白おかしく笑っていたかったのかも。。。
一方、考えごとをする時間はたくさんあるけれども、生き死にに
関わるような苦悩はあまり抱えなくてすんだ貴族たちは、
オペラの中に苦悩を求めたくなったのかもしれませんよね。。。
なんだか。。。
貴族は教養があるからセリア、庶民はないからブッファ。。。
・・・みたいな、単純な理由だけではなかったような気がするな。
でも、貴族がいなかったらセリアは発達しなかったかもしれないし、
庶民がいなかったらブッファは発達しなかったかもしれないし。。。
そうやって考えてみると私たちって本当に。。。
それぞれがそれぞれの役を演じて、こうして人類全体を
発展させてきたのだなぁ。。。って。。。
しみじみ思ってしまうのでした。。。
ヘイリーの歌は可愛くて好きなのですが、、、
本格的なのは、こっち。。。(でもちょっと低め)
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買ったはいいけど全く観ずに、ずっと家の中で埋もれていたこのDVD。。。
なんだか急に思い立って観てみたのですが、ものすごくよかった!
こういうのを面白く感じるようになれたのはきっと。。。
ベリーダンスやインド舞踊などをかじったおかげもあるような気がします。。。
あれでずいぶん、頭が柔らかくなった。。。
それ以前の私は、「型にはまった正統派バレエ」しか受付けられなかったから。。。
手元にあったDVDは輸入版だし、ブックレットに書いてある言葉は
フランス語なのでちんぷんかんぷん。。。
なので予備知識なしにとりあえず観てみた最初の印象は、、、
「動く現代アート」。。。でした。
すごい綺麗だった。。。
なんていうか、、、
そこに「ドラマ」の要素はあまり感じず、なんだか「色」とか背景とか。。。
そういう「絵」の部分に、やたらと目がいってしまう気がしてね。
感情とかそういうのはあんまり伝わってこないの。。。
ただ美しさの中に引き込まれる感じ。。。
まるで、瞑想状態。。。
バランシンは、ダンサーを使って「音楽」を表現しようとしたそうですよね。
これはそれと同じように、音楽ではなくて「絵画」を、、、
表現しようとしているように見えた。。。
もちろんそのためには、音楽もものすごく関係してくるのでしょうけれども。。。
期待以上に、、、というかとっても素晴らしかったのでそのあとすぐに
ネットでいろいろ調べてみたら、ものすごく納得しました。

最近はオペラも観るようになりましたが、、、
オペラに関してはまだ初心者で、ほとんど何も解らない私は、
いじっていない、昔ながらの舞台の方が面白いのです。。。
そう。。。
それこそ、正統派のオペラが面白いの。。。
オペラも最近では、演出がいろいろあって、、、
例えば、衣裳や舞台設定などが現代風にアレンジされたようなものも
たくさんあるみたいですが。
私は今はまだ、伝統的な舞台が好き。。。
でもバレエに関しては、最近はこういう新しいもの。。。
コンテンポラリー系も面白くなってきた。
そして。。。
こういう感じの舞台は、やっぱり、オペラ座のは絶品ですね。。。
デアゴスティーニのバレエDVDコレクション。。。
隔週とはいえ、あっという間に次のが来てしまうのでちょっと
めまぐるしい^^;
今回は、ニーナ・アナニアシヴィリ主演の『ドン・キホーテ』でした。
アナニアシヴィリは日本ではものすごく人気のあるダンサーなのですが、
すみません。。。
実は私、、、彼女の踊りはあんまり好きじゃないかも。。。
でも実際に踊っているところを生で観たことはないので、
これは、映像を観ただけの感想に過ぎないのだけど。。。
もっと本音を言っちゃうと。。。
写真を観ただけで私にはちょっと微妙だったので、彼女の踊りには
今まで興味が持てず、ほとんど観たことがなかったのでした(苦笑)
ちょうど先日のプレミアムシアターで、彼女とウヴァーロフ主演の
『ロミオとジュリエット』をやっていて、、、
でもその時のジュリエットよりは、こっちのキトリの方がまだいいかなぁ。。。
・・・という感じでした。
彼女のドンキは評判高いらしいのですが、、、
なんだか、、、ピンとこないのですよねぇ。。。
これは、アナニアシヴィリ云々の問題ではなく、単に好みの問題。。。
なのだと思いますが。。。
ドンキは、1999年の東京文化会館でのボリショイの日本公演。。。
あれが私にとっては一番ツボにハマッたドンキでした。
まだ若かりし頃のウヴァーロフのバジルとステパネンコの
キトリは最高!
闘牛士や踊り子、キトリの友達。。。
そういう周りを固めている人達もみんな素敵だったし、夢の場での
キューピットをやっていたニーナ・カプツォーワもとてもキュートだった。
そんな最高のドンキの舞台で、やんちゃ坊主みたいなバジルのイメージに
ピッタリだった当時のウヴァーロフも、今ではなんだか落ち着いちゃって。。。
年齢を重ねると、どうしてもね。。。
寂しい感じもするけれども、こればっかりは、仕方のないことです。。。
例えばヌレエフとか。。。
あとは、マリインスキーのザクリンスキーとか。。。
『海賊』の舞台で「奴隷商人」をやっていたザクリンスキーとか、
すごく良かったのですけどね。。。
でもやっぱり彼も晩年は、当たり前だけど、どんどん元気が
なくなっていってね。。。
ウヴァーロフにも、彼らと同じ流れを見ているようで。。。
なんだか、しみじみしてしまうのでした。。。
そして、、、そんなこと言ってる自分にも。。。
同じように、、、時が流れていることに気づいてしまったりして。。。
ステパネンコもアナニアシヴィリもボリショイの人ですが、、、
ボリショイのバレリーナの多くの人が、フェッテ32回転とか、
回転系のその速度が、みんな異様に速いの。。。
ザハロワなんかはボリショイダンサーといっても、元マリインスキー
ですから、ちょっと特殊な感じしますけれども。。。
そしてこれもやっぱり、好みの問題だと思いますが。。。
アナニアシヴィリのものすごく速い32回転を観ていたら、、、
フェッテとかって、、、
回転の速度が速ければいいってものじゃないよな~
・・・と、そう思ってしまう私がいてね。。。
やっぱり私は。。。
そこに「迫力」よりも、「優雅さ」を求めてしまうのかもしれません。。。
だから、マリインスキーやオペラ座が好きなのでしょうね。。。
あ。。。でも。。。
ステパネンコや、同じくボリショイのミハリチェンコ。。。
彼女たちもピルエットやフェッテの回転はかなり速かったけれども。。。
でも彼女達のは、そんなに嫌な感じしなかったな。。。
う~~ん。。。
隔週とはいえ、あっという間に次のが来てしまうのでちょっと
めまぐるしい^^;
今回は、ニーナ・アナニアシヴィリ主演の『ドン・キホーテ』でした。
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アナニアシヴィリは日本ではものすごく人気のあるダンサーなのですが、
すみません。。。
実は私、、、彼女の踊りはあんまり好きじゃないかも。。。
でも実際に踊っているところを生で観たことはないので、
これは、映像を観ただけの感想に過ぎないのだけど。。。
もっと本音を言っちゃうと。。。
写真を観ただけで私にはちょっと微妙だったので、彼女の踊りには
今まで興味が持てず、ほとんど観たことがなかったのでした(苦笑)
ちょうど先日のプレミアムシアターで、彼女とウヴァーロフ主演の
『ロミオとジュリエット』をやっていて、、、
でもその時のジュリエットよりは、こっちのキトリの方がまだいいかなぁ。。。
・・・という感じでした。
彼女のドンキは評判高いらしいのですが、、、
なんだか、、、ピンとこないのですよねぇ。。。
これは、アナニアシヴィリ云々の問題ではなく、単に好みの問題。。。
なのだと思いますが。。。
ドンキは、1999年の東京文化会館でのボリショイの日本公演。。。
あれが私にとっては一番ツボにハマッたドンキでした。
まだ若かりし頃のウヴァーロフのバジルとステパネンコの
キトリは最高!
闘牛士や踊り子、キトリの友達。。。
そういう周りを固めている人達もみんな素敵だったし、夢の場での
キューピットをやっていたニーナ・カプツォーワもとてもキュートだった。
そんな最高のドンキの舞台で、やんちゃ坊主みたいなバジルのイメージに
ピッタリだった当時のウヴァーロフも、今ではなんだか落ち着いちゃって。。。
年齢を重ねると、どうしてもね。。。
寂しい感じもするけれども、こればっかりは、仕方のないことです。。。
例えばヌレエフとか。。。
あとは、マリインスキーのザクリンスキーとか。。。
『海賊』の舞台で「奴隷商人」をやっていたザクリンスキーとか、
すごく良かったのですけどね。。。
でもやっぱり彼も晩年は、当たり前だけど、どんどん元気が
なくなっていってね。。。
ウヴァーロフにも、彼らと同じ流れを見ているようで。。。
なんだか、しみじみしてしまうのでした。。。
そして、、、そんなこと言ってる自分にも。。。
同じように、、、時が流れていることに気づいてしまったりして。。。
ステパネンコもアナニアシヴィリもボリショイの人ですが、、、
ボリショイのバレリーナの多くの人が、フェッテ32回転とか、
回転系のその速度が、みんな異様に速いの。。。
ザハロワなんかはボリショイダンサーといっても、元マリインスキー
ですから、ちょっと特殊な感じしますけれども。。。
そしてこれもやっぱり、好みの問題だと思いますが。。。
アナニアシヴィリのものすごく速い32回転を観ていたら、、、
フェッテとかって、、、
回転の速度が速ければいいってものじゃないよな~
・・・と、そう思ってしまう私がいてね。。。
やっぱり私は。。。
そこに「迫力」よりも、「優雅さ」を求めてしまうのかもしれません。。。
だから、マリインスキーやオペラ座が好きなのでしょうね。。。
あ。。。でも。。。
ステパネンコや、同じくボリショイのミハリチェンコ。。。
彼女たちもピルエットやフェッテの回転はかなり速かったけれども。。。
でも彼女達のは、そんなに嫌な感じしなかったな。。。
う~~ん。。。
最近やたらと「ラスコー洞窟の壁画」ばかり目について気になったので、
少しメモです。。。
ラスコー洞窟の壁画に星が描かれていた
有名なラスコー洞窟(フランス)の壁画に、星が描かれているのが発見された。
この研究が正しければ、最古の星図の発見だ。
ラスコー洞窟の壁画は、1万6500年ほど前の氷河期に描かれたものであると
考えられており、牛や馬、カモシカなどが描かれているが、この壁画に、
「夏の大三角」と思われる明るい3つの星の並びと、「プレヤデス星団(すばる)」
と思われる星の並びが描かれているのが発見された。
ドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士によると、壁画に描かれている
「牛の目」「鳥人間」「棒の上の鳥」が、それぞれ「べガ」「デネブ」
「アルタイル」を意味しているのだという。
この3つの星は、現在では北半球の夏の夜空で最も目立つ星たちであり、
「夏の大三角」としてよく知られている。しかし、1万7000年ほど前は、
地球の歳差運動による地軸のずれからこの3つの星はつねに地平線上にあり、
初春の夜に最も高く昇る星たちであった。
「プレヤデス星団(すばる)」を表すと思われる点の並びは、ラスコー洞窟の
入り口付近に描かれている、格調高い牛の絵の、肩のすぐ上に描かれている。
さらに、その牛の絵の内部には、「プレヤデス星団(すばる)」の付近にある
星たちを意味すると思われる部分がある。
現在では、夜空のこの領域は「おうし座」として知られる。
人は、遥かな太古から、夜空のこの領域に牛の姿を思い浮かべてきたのだ。
Rappenglueck博士は、スペインのある洞窟に描かれた壁画にも、
星の並びを意味する絵を発見している。
この洞窟は、Cueva di El Castillo洞窟と呼ばれる洞窟で、1万4000年ほど前に
描かれたと思われる壁画が残っている。この壁画に、曲線状に並んだ点が
描かれているが、Rappenglueck博士によるとこの点の並びは、現在
「かんむり座」と呼ばれる星の並びを意味するのだという。
Rappenglueck博士の結論を知った他の考古学者たちは今のところ、
Rappenglueck博士の解釈が合理的だと認めている。彼は、太古から人が
夜空の星に思いを寄せていたということを発見したのだ。
ラスコー洞窟に最古の月齢カレンダーが発見された
1万5000年以上前に描かれたといわれる有名なフランスのラスコー洞窟の壁画に、
最古の月齢カレンダーが描かれているのが発見された。
発見者はドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士で、
博士は以前、ラスコー洞窟の壁画の一部が星の並びを意味するものだという
発見を報告している。
博士によると、雄牛やカモシカ、馬の絵に沿って描かれている一連の点や
四角形の並びが、27日周期の月の動きを示したものであるという。
先日何気なく観た番組で、こんなのをやっていました。。。
ラスコー洞窟にきらめく星座たち
今から70年ほど前、フランス南西部のある村で、洞窟の中に入って
遊んでいた子どもたちが、ふしぎなものを見つけました。
洞窟の壁にリアルにえがかれた、動物たちのすがたです。
何百もの動物の壁画がえがかれたこのラスコー洞窟は、ユネスコの
世界遺産ともなっています。
しかし、洞窟の壁画は、いったいなぜ描かれたのでしょうか。
一人の女性研究者が、そのなぞに取り組んできました。ある年の
夏至の日の夕方、彼女はふしぎな現象を目の当たりにしました。
いつもは暗い闇となっている洞窟の中に、夏至の日の夕方だけ、
日の光が差し込んだのです。
さらに彼女は、ある大胆な仮説を打ち立てます。洞窟にえがかれた動物たちが、
夜空にきらめく星座を、うつしたものではないかというのです。
はたしてこの説は受け入れられるのか・・・。
番組の中では、骨に刻まれた月の満ち欠け図らしき遺物が見つかって
いるということにも触れていたりしました。。。
そして、今日観た「地球伝説」という番組では、色の発展の歴史に
ついてやっていましたが、その中でも、ラスコー洞窟の壁画について
触れられていました。。。
こんなにラスコー続きなのは、今ここ、注目してね。。。
という、天からのメッセージ(笑)
でも、、、
ラスコー洞窟壁画についての云々や、上記の彼女の仮説が
正しいとか間違っているとか、、、
そういうことを証明したり追及したりすることには、今はもう、、、
全く興味がない。。。
ただ目の前に現れたものを、楽しむだけです。。。
占星術をしばらく勉強していて確信したことは、、、
「星占いは確実に当たる」。。。ということでした。。。
ではなぜそれが当たるのか。。。
それは、、、
宇宙の「仕組み」というものを、星を利用して説明できるシステムが
占星術だから。。。
そう感じました。。。
では、、、
なぜそういうシステムができたの?
誰が最初にその「仕組み」を理解したの?
・・・と。。。
私は、、、何かを占うことよりも実は、、、
こっちのほうが強く気になった。。。
ラスコー洞窟の壁画は、、、
もしその壁が透明で、向こう側が透けて見えると考えると、
例えば、牛の絵が描かれている場所は、ぴったり牡牛座。。。
馬の絵が描かれている場所はぴったり射手座に一致しているのを
見ることが出来るでしょうと。。。
その女性の研究者の方は言っていました。
でもおそらく、その星達が「牡牛座」や「射手座」になるのは
もっと後世のことで、当時はそんな風に呼ばれていたわけでは
なかったのでしょうね。。。
遥か昔。。。
太古の人達は、現代人の私たちよりも、夜空の星や月を眺める時間は
はるかにたくさんあったのでしょうから、昔の人達が正確な
星や太陽の動きや位置を把握していたとしても、それは全く不思議な
ことではない。。。
そう思います。。。
そして彼らは自然を観察しながら、いろいろなことを発見したり、
想像したりしたのでしょうね。。。
私が今していることも、彼らと同じです。。。
「想像」。。。です。。。
私も今まさに、、、こうして過去のことを想像している。。。
ある時、、、
誰かがふと、空に見えるものを洞窟の壁に描いてみたいと思い立ち、
さて、描こうと思ったときに、そうだ。。。身近にいる動物達で
それを描いてみようと考えたのかもしれない。。。
そして、現在牡牛座と呼ばれるようになった星の位置に、
「たまたま」牛の絵を描き、後世射手座と呼ばれるようになる
星たちの位置には「たまたま」馬の絵を描いたけれども、、、
それは描いた当初は、そこに深い意味があったわけではなくて、
「なんとなくの思いつき」だったのかもしれない。。。
その最初の「思いつき」、そしてその「思いつき」が行動力ある
人に実行され絵としてそこに描かれる。。。
そうやってそこに遺されたものを基礎として、それを後世の人々が
時代時代で、発展させていく。。。
占星術もきっと、こうやって発展してきたものだろうと思うのです。。。
だから、当たるの。。。
なぜなら、、、
そこには人の「観察力」と「想像力」が関与しているから。。。
そして。。。
想像するという衝動のキッカケとなるインスピレーションは、
その人の経験の集大成から来る。。。
またそれは「単なる影響」だけではなく、時空を越えたテレパシックな
影響もきっとあると思うけど。。。
例えば、、、
地球の裏側で綺麗な夕日を見て感動した人の思いの波動。。。
それをキャッチした私は、、、
それがまるで、自分の内側からわいてきた、、、または天から降りてきた
インスピレーションのように感じて感動する。。。
その感動する心が、想像力を膨らませる。。。
そして、、、
私のその想像を、、、またどこかの誰かがキャッチする。。。
そういうことは、私たちの普段気づかない深い深い部分で
行われているの。。。
こうやって私たちは「現在」のみではなく、未来、そして過去さえも、
今、創造しているのだろうと思う。。。
過去も未来も、、、
常に更新されている。。。
今を生きる人達の意識によって。。。
こうしてここに書いていること自体。。。
誰かの思いをキャッチして、私自身が想像しているものに
過ぎないけれども。。。
それをそうだと強く思い込めば思い込むほどに。。。
そういう世界が、、、実際に出現し始める。。。
そんな気がする。。。
そして。。。
ジェームズはこういうのを、、、
とてもうまく利用しているように。。。私には見えるのでした。。。
少しメモです。。。

有名なラスコー洞窟(フランス)の壁画に、星が描かれているのが発見された。
この研究が正しければ、最古の星図の発見だ。
ラスコー洞窟の壁画は、1万6500年ほど前の氷河期に描かれたものであると
考えられており、牛や馬、カモシカなどが描かれているが、この壁画に、
「夏の大三角」と思われる明るい3つの星の並びと、「プレヤデス星団(すばる)」
と思われる星の並びが描かれているのが発見された。
ドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士によると、壁画に描かれている
「牛の目」「鳥人間」「棒の上の鳥」が、それぞれ「べガ」「デネブ」
「アルタイル」を意味しているのだという。
この3つの星は、現在では北半球の夏の夜空で最も目立つ星たちであり、
「夏の大三角」としてよく知られている。しかし、1万7000年ほど前は、
地球の歳差運動による地軸のずれからこの3つの星はつねに地平線上にあり、
初春の夜に最も高く昇る星たちであった。
「プレヤデス星団(すばる)」を表すと思われる点の並びは、ラスコー洞窟の
入り口付近に描かれている、格調高い牛の絵の、肩のすぐ上に描かれている。
さらに、その牛の絵の内部には、「プレヤデス星団(すばる)」の付近にある
星たちを意味すると思われる部分がある。
現在では、夜空のこの領域は「おうし座」として知られる。
人は、遥かな太古から、夜空のこの領域に牛の姿を思い浮かべてきたのだ。
Rappenglueck博士は、スペインのある洞窟に描かれた壁画にも、
星の並びを意味する絵を発見している。
この洞窟は、Cueva di El Castillo洞窟と呼ばれる洞窟で、1万4000年ほど前に
描かれたと思われる壁画が残っている。この壁画に、曲線状に並んだ点が
描かれているが、Rappenglueck博士によるとこの点の並びは、現在
「かんむり座」と呼ばれる星の並びを意味するのだという。
Rappenglueck博士の結論を知った他の考古学者たちは今のところ、
Rappenglueck博士の解釈が合理的だと認めている。彼は、太古から人が
夜空の星に思いを寄せていたということを発見したのだ。

1万5000年以上前に描かれたといわれる有名なフランスのラスコー洞窟の壁画に、
最古の月齢カレンダーが描かれているのが発見された。
発見者はドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士で、
博士は以前、ラスコー洞窟の壁画の一部が星の並びを意味するものだという
発見を報告している。
博士によると、雄牛やカモシカ、馬の絵に沿って描かれている一連の点や
四角形の並びが、27日周期の月の動きを示したものであるという。
先日何気なく観た番組で、こんなのをやっていました。。。

今から70年ほど前、フランス南西部のある村で、洞窟の中に入って
遊んでいた子どもたちが、ふしぎなものを見つけました。
洞窟の壁にリアルにえがかれた、動物たちのすがたです。
何百もの動物の壁画がえがかれたこのラスコー洞窟は、ユネスコの
世界遺産ともなっています。
しかし、洞窟の壁画は、いったいなぜ描かれたのでしょうか。
一人の女性研究者が、そのなぞに取り組んできました。ある年の
夏至の日の夕方、彼女はふしぎな現象を目の当たりにしました。
いつもは暗い闇となっている洞窟の中に、夏至の日の夕方だけ、
日の光が差し込んだのです。
さらに彼女は、ある大胆な仮説を打ち立てます。洞窟にえがかれた動物たちが、
夜空にきらめく星座を、うつしたものではないかというのです。
はたしてこの説は受け入れられるのか・・・。
番組の中では、骨に刻まれた月の満ち欠け図らしき遺物が見つかって
いるということにも触れていたりしました。。。
そして、今日観た「地球伝説」という番組では、色の発展の歴史に
ついてやっていましたが、その中でも、ラスコー洞窟の壁画について
触れられていました。。。
こんなにラスコー続きなのは、今ここ、注目してね。。。
という、天からのメッセージ(笑)
でも、、、
ラスコー洞窟壁画についての云々や、上記の彼女の仮説が
正しいとか間違っているとか、、、
そういうことを証明したり追及したりすることには、今はもう、、、
全く興味がない。。。
ただ目の前に現れたものを、楽しむだけです。。。
占星術をしばらく勉強していて確信したことは、、、
「星占いは確実に当たる」。。。ということでした。。。
ではなぜそれが当たるのか。。。
それは、、、
宇宙の「仕組み」というものを、星を利用して説明できるシステムが
占星術だから。。。
そう感じました。。。
では、、、
なぜそういうシステムができたの?
誰が最初にその「仕組み」を理解したの?
・・・と。。。
私は、、、何かを占うことよりも実は、、、
こっちのほうが強く気になった。。。
ラスコー洞窟の壁画は、、、
もしその壁が透明で、向こう側が透けて見えると考えると、
例えば、牛の絵が描かれている場所は、ぴったり牡牛座。。。
馬の絵が描かれている場所はぴったり射手座に一致しているのを
見ることが出来るでしょうと。。。
その女性の研究者の方は言っていました。
でもおそらく、その星達が「牡牛座」や「射手座」になるのは
もっと後世のことで、当時はそんな風に呼ばれていたわけでは
なかったのでしょうね。。。
遥か昔。。。
太古の人達は、現代人の私たちよりも、夜空の星や月を眺める時間は
はるかにたくさんあったのでしょうから、昔の人達が正確な
星や太陽の動きや位置を把握していたとしても、それは全く不思議な
ことではない。。。
そう思います。。。
そして彼らは自然を観察しながら、いろいろなことを発見したり、
想像したりしたのでしょうね。。。
私が今していることも、彼らと同じです。。。
「想像」。。。です。。。
私も今まさに、、、こうして過去のことを想像している。。。
ある時、、、
誰かがふと、空に見えるものを洞窟の壁に描いてみたいと思い立ち、
さて、描こうと思ったときに、そうだ。。。身近にいる動物達で
それを描いてみようと考えたのかもしれない。。。
そして、現在牡牛座と呼ばれるようになった星の位置に、
「たまたま」牛の絵を描き、後世射手座と呼ばれるようになる
星たちの位置には「たまたま」馬の絵を描いたけれども、、、
それは描いた当初は、そこに深い意味があったわけではなくて、
「なんとなくの思いつき」だったのかもしれない。。。
その最初の「思いつき」、そしてその「思いつき」が行動力ある
人に実行され絵としてそこに描かれる。。。
そうやってそこに遺されたものを基礎として、それを後世の人々が
時代時代で、発展させていく。。。
占星術もきっと、こうやって発展してきたものだろうと思うのです。。。
だから、当たるの。。。
なぜなら、、、
そこには人の「観察力」と「想像力」が関与しているから。。。
そして。。。
想像するという衝動のキッカケとなるインスピレーションは、
その人の経験の集大成から来る。。。
またそれは「単なる影響」だけではなく、時空を越えたテレパシックな
影響もきっとあると思うけど。。。
例えば、、、
地球の裏側で綺麗な夕日を見て感動した人の思いの波動。。。
それをキャッチした私は、、、
それがまるで、自分の内側からわいてきた、、、または天から降りてきた
インスピレーションのように感じて感動する。。。
その感動する心が、想像力を膨らませる。。。
そして、、、
私のその想像を、、、またどこかの誰かがキャッチする。。。
そういうことは、私たちの普段気づかない深い深い部分で
行われているの。。。
こうやって私たちは「現在」のみではなく、未来、そして過去さえも、
今、創造しているのだろうと思う。。。
過去も未来も、、、
常に更新されている。。。
今を生きる人達の意識によって。。。
こうしてここに書いていること自体。。。
誰かの思いをキャッチして、私自身が想像しているものに
過ぎないけれども。。。
それをそうだと強く思い込めば思い込むほどに。。。
そういう世界が、、、実際に出現し始める。。。
そんな気がする。。。
そして。。。
ジェームズはこういうのを、、、
とてもうまく利用しているように。。。私には見えるのでした。。。
以前、オペラには悲劇が多い。。。と書きましたが、それはなぜなのだろう?
と気になったので、ちょっと調べてみました。
ルネサンス後期の16世紀末にイタリアのフィレンツェで起こった、
「古代ギリシャの演劇を復興させよう」という思いがオペラ誕生の
キッカケになっているようでした。
なんでそんなこと思いついたのでしょうね?
そういうことに思いを巡らすのはまた違う機会にしますが、、、
そもそもこの「古代ギリシャの演劇」というものが、どうやら
「悲劇」だったようなのです。。。
ではその「ギリシャ悲劇」とは一体どういうものだったのか?と
調べてみたところ。。。
ギリシア悲劇
Wikiによればそれは、「古代ギリシアで、アテナイのディオニュシア祭で
上演されていた悲劇またそれに範を取った劇」となっていました。
ディオニュシア祭??
・・・とまた気になったのでさらに調べると。。。
ディオニューシア祭
ディオニューシア祭とは、神ディオニューソスを祝して古代アテナイで
催された大祭である。
主要な催しは悲劇の上演であるが、紀元前487年以降は喜劇も演じられた。
これはパンアテナイア祭に次いで重要な祭だった。
ディオニューシア祭は地方のディオニューシア祭と市のディオニューシア祭
という二つの関連する祭から成り、年中各地で行われたが、これらは
ディオニューソスの秘技の一端を担うものであった。
・・・と、話が私の好きな方向に展開していきました。。。(笑)
おそらくあの、エレウシス密儀やディオニュソス密儀のような
ものにも関係しているのかもしれないですね。。。
しかしどうして、「悲劇」が重要だったのでしょう?
悲劇とは
なお、まれに悲劇のうちには「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)に
よって事件が解決される筋をもつものもある。
ここがひっかかりました。
「デウス・エクス・マキナ」とは、ラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」を
意味するのだそうで、これもWikiによると、、、
由来はギリシア語の ἀπό μηχανῆς θεός
(apo mekhanes theos) からのラテン語訳で、古代ギリシアの
演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な
局面に陥った時、絶対的な力を持つ神が現れ、混乱した状況に解決を
下して物語を収束させるという手法を指した。
悲劇にしばしば登場し、特に盛期以降の悲劇で多く用いられる。
昔の人が悲劇を好んだのは、、、
簡単に言ってしまえば、そういう時代だったからなのでしょう。
紀元前6世紀頃のギリシャの世界観というものは、こんな感じ
だったようです。
「人間というものは、人間に対して決して好意的ではないゼウスや
運命の女神などによってもてあそばれながらも、現世利益を
求めながら生きる。
そして、死後は冥界でみじめに暮らす」
・・・と。。。
こういった物の見方は、ホメロスなどによって描かれた物語の中に
出てくる、オリンポスの宗教の中に見て取れるようです。
どうしてこう、、、
後ろ向きというか、自虐的というか、悲観的というか。。。
そんな感じの物の見方をするようになってしまったのでしょうね。。。
当時の人達は。。。
その頃の、人々の暮らしはどうだったのか。。。
自然災害とか圧政などに苦しんでいたりしたのではないか。。。とか。。。
いろいろ想像してしまいます。
けれどもそのうち、こういった物の見方をしていたギリシャ人達は、
例えばシャーマニズムとか、オリエントの神秘主義的な世界観を
引き継いだような、そういった「霊的なもの」を積極的に求めるように
なっていったそうです。。。
自然の流れですよねぇ、、、こういうのは。
厳しい親にガチガチに管理された子供は、自由への欲求が
強くなるものですものね。
やっぱり、、、
ただ単に神にもてあそばれるだけの世界では、やっていられなかった
のでしょう。。。
そのようにして起きた宗教・思想運動の先に登場したのが、
プラトンに代表されるギリシャ哲学なのだそうです。。。
そのプラトンでさえ、最初は悲劇詩人を目指していたそうですから、
なんだか、そういう悲壮感漂うギリシャ人的な物の見方があった
上での、そこからなんとかして自由になりたいという思いから
生まれてきたものが、ギリシャ哲学なのかもしれませんね。。。
こういった、なんだか後ろ向きというか、自暴自棄というか、、、
ちょっと根暗な物の見方から生まれたギリシャ悲劇を、、、
なぜ16世紀のイタリア人達は、復活させたくなったのでしょう。。。
今度は、その頃のイタリアの事情についてもいろいろ調べたくなりますが、、、
それはまた、今度にします。。。
さて。。。
現代は、どうなのでしょう?
今の人も、未だに悲劇を好むのでしょうか?
そういう傾向は、、、
やっぱりまだちょっとあるような気もしなくもないですが。。。
でも私は、、、悲劇に酔うことはあまり好きではないです。。。
自分を悲劇のヒロインにして、身の上の不幸を熱く語って
周りの同情をひこうとするのはイヤだし、、、
神様に救ってもらう物語も好きじゃない。。。
不幸になる物語は、胸が苦しくなるからやってられない。
途中どんなに困難があってもその試練を乗り越え、そして
最後はハッピーエンドで終わる物語が好きです。。。
私達人類は。。。
苦悩は今までにもう散々経験してきたのだから、、、
いつまでもそこに留まっていないで、これからはもう、
そういうところからは卒業して、もっと違うことを
体験していきたい。。。
もっとポジティヴに。。。
そう感じていたりします。。。
私が感動して涙涙で見る物語は。。。
悲劇ではなくてやっぱり、人間の、愛の物語なのですよねぇ。。。
と気になったので、ちょっと調べてみました。
ルネサンス後期の16世紀末にイタリアのフィレンツェで起こった、
「古代ギリシャの演劇を復興させよう」という思いがオペラ誕生の
キッカケになっているようでした。
なんでそんなこと思いついたのでしょうね?
そういうことに思いを巡らすのはまた違う機会にしますが、、、
そもそもこの「古代ギリシャの演劇」というものが、どうやら
「悲劇」だったようなのです。。。
ではその「ギリシャ悲劇」とは一体どういうものだったのか?と
調べてみたところ。。。

Wikiによればそれは、「古代ギリシアで、アテナイのディオニュシア祭で
上演されていた悲劇またそれに範を取った劇」となっていました。
ディオニュシア祭??
・・・とまた気になったのでさらに調べると。。。

ディオニューシア祭とは、神ディオニューソスを祝して古代アテナイで
催された大祭である。
主要な催しは悲劇の上演であるが、紀元前487年以降は喜劇も演じられた。
これはパンアテナイア祭に次いで重要な祭だった。
ディオニューシア祭は地方のディオニューシア祭と市のディオニューシア祭
という二つの関連する祭から成り、年中各地で行われたが、これらは
ディオニューソスの秘技の一端を担うものであった。
・・・と、話が私の好きな方向に展開していきました。。。(笑)
おそらくあの、エレウシス密儀やディオニュソス密儀のような
ものにも関係しているのかもしれないですね。。。
しかしどうして、「悲劇」が重要だったのでしょう?

なお、まれに悲劇のうちには「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)に
よって事件が解決される筋をもつものもある。
ここがひっかかりました。
「デウス・エクス・マキナ」とは、ラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」を
意味するのだそうで、これもWikiによると、、、
由来はギリシア語の ἀπό μηχανῆς θεός
(apo mekhanes theos) からのラテン語訳で、古代ギリシアの
演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な
局面に陥った時、絶対的な力を持つ神が現れ、混乱した状況に解決を
下して物語を収束させるという手法を指した。
悲劇にしばしば登場し、特に盛期以降の悲劇で多く用いられる。
昔の人が悲劇を好んだのは、、、
簡単に言ってしまえば、そういう時代だったからなのでしょう。
紀元前6世紀頃のギリシャの世界観というものは、こんな感じ
だったようです。
「人間というものは、人間に対して決して好意的ではないゼウスや
運命の女神などによってもてあそばれながらも、現世利益を
求めながら生きる。
そして、死後は冥界でみじめに暮らす」
・・・と。。。
こういった物の見方は、ホメロスなどによって描かれた物語の中に
出てくる、オリンポスの宗教の中に見て取れるようです。
どうしてこう、、、
後ろ向きというか、自虐的というか、悲観的というか。。。
そんな感じの物の見方をするようになってしまったのでしょうね。。。
当時の人達は。。。
その頃の、人々の暮らしはどうだったのか。。。
自然災害とか圧政などに苦しんでいたりしたのではないか。。。とか。。。
いろいろ想像してしまいます。
けれどもそのうち、こういった物の見方をしていたギリシャ人達は、
例えばシャーマニズムとか、オリエントの神秘主義的な世界観を
引き継いだような、そういった「霊的なもの」を積極的に求めるように
なっていったそうです。。。
自然の流れですよねぇ、、、こういうのは。
厳しい親にガチガチに管理された子供は、自由への欲求が
強くなるものですものね。
やっぱり、、、
ただ単に神にもてあそばれるだけの世界では、やっていられなかった
のでしょう。。。
そのようにして起きた宗教・思想運動の先に登場したのが、
プラトンに代表されるギリシャ哲学なのだそうです。。。
そのプラトンでさえ、最初は悲劇詩人を目指していたそうですから、
なんだか、そういう悲壮感漂うギリシャ人的な物の見方があった
上での、そこからなんとかして自由になりたいという思いから
生まれてきたものが、ギリシャ哲学なのかもしれませんね。。。
こういった、なんだか後ろ向きというか、自暴自棄というか、、、
ちょっと根暗な物の見方から生まれたギリシャ悲劇を、、、
なぜ16世紀のイタリア人達は、復活させたくなったのでしょう。。。
今度は、その頃のイタリアの事情についてもいろいろ調べたくなりますが、、、
それはまた、今度にします。。。
さて。。。
現代は、どうなのでしょう?
今の人も、未だに悲劇を好むのでしょうか?
そういう傾向は、、、
やっぱりまだちょっとあるような気もしなくもないですが。。。
でも私は、、、悲劇に酔うことはあまり好きではないです。。。
自分を悲劇のヒロインにして、身の上の不幸を熱く語って
周りの同情をひこうとするのはイヤだし、、、
神様に救ってもらう物語も好きじゃない。。。
不幸になる物語は、胸が苦しくなるからやってられない。
途中どんなに困難があってもその試練を乗り越え、そして
最後はハッピーエンドで終わる物語が好きです。。。
私達人類は。。。
苦悩は今までにもう散々経験してきたのだから、、、
いつまでもそこに留まっていないで、これからはもう、
そういうところからは卒業して、もっと違うことを
体験していきたい。。。
もっとポジティヴに。。。
そう感じていたりします。。。
私が感動して涙涙で見る物語は。。。
悲劇ではなくてやっぱり、人間の、愛の物語なのですよねぇ。。。
損保ジャパン東郷青児美術館で開催されていた
「モーリス・ドニ -いのちの輝き、子どものいる風景-」
・・・に行ってきました。

昨年の大晦日の日、、、
ドガ展の時も私はその最終日に行ってきたのでしたが、
今回もまた、最終日ギリギリに滑りこむことになってしまいました。
ずっと行こう行こうと思いながら後回しにしていたら、気づけば
残りあと一週間に迫っていて。。。
けれどもその最後の一週間は予定が詰まっていたりとか、
家族で次々と風邪をひいたりとかで、一度は行くのを
諦めたのですが、やはりどこか心残りで。。。
最後の最後で行ってきました。
感想としては、、、
行って大正解でした。。。
ホント、行ってよかった。。。
モーリス・ドニ(1870~1943年)は、19世紀末から
20世紀前半にかけて活躍した、フランス象徴派を代表する画家です。
前衛芸術グループ「ナビ派」の主要メンバーであり、平面や
単純な形態を使ったその装飾的なスタイルは、20世紀の絵画運動に
少なからぬ影響を与えました。
自らも敬虔なカトリック教徒であり、ナビ派の時代には
「美しきイコン(聖像)のナビ」と呼ばれたドニは、聖書あるいは
ギリシャやローマ神話を主題にした作品で知られています。
しかしその一方で、日常生活に基づいた「アンチーム(親密)」な作品、
特に自分の子どもたちや家族を描いた作品も、ドニの芸術の中で
主要な位置をしめているといえます。
本展覧会ではドニの作品の中でも「子ども」や「家族」を主題とした
作品に注目、 国内外の美術館および個人コレクターが所蔵する
ドニの絵画、素描、写真、その他資料など約100点を展示し、
ドニの芸術に迫ります。
(美術館サイトより)
少し前に、同じくフランスの画家である「アンリ・ル・シダネル」の
絵を、軽井沢の美術館で観てきましたが、今回のドニの絵は、
なんとなく、シダネルの絵と似たような匂いを感じました。。。
同じフランス人だし、ほとんど同じ世代の人だから、、、
というのもあるのかもしれないけど、二人から共通して
感じたものは、とてもホンワカとしたもので。。。
そこにはゴッホのような強烈さはまるでなく。。。
なんというか。。。
絵からあんまり「苦悩」を感じない。。。みたいな?
なんだかね。。。
自分の生活の基盤となる「家庭」というもの。。。
そこが愛に満ちていて、関係がとてもスムーズだったりすると、、、
人って、ホンワカと穏やかになっていくものなのかも。。。
なんて思ったりもしました。。。
シダネルさんに続き、ドニもかなりお気に入りの画家に
なってしまいましたよ。。
「モーリス・ドニ -いのちの輝き、子どものいる風景-」
・・・に行ってきました。

昨年の大晦日の日、、、
ドガ展の時も私はその最終日に行ってきたのでしたが、
今回もまた、最終日ギリギリに滑りこむことになってしまいました。
ずっと行こう行こうと思いながら後回しにしていたら、気づけば
残りあと一週間に迫っていて。。。
けれどもその最後の一週間は予定が詰まっていたりとか、
家族で次々と風邪をひいたりとかで、一度は行くのを
諦めたのですが、やはりどこか心残りで。。。
最後の最後で行ってきました。
感想としては、、、
行って大正解でした。。。
ホント、行ってよかった。。。
モーリス・ドニ(1870~1943年)は、19世紀末から
20世紀前半にかけて活躍した、フランス象徴派を代表する画家です。
前衛芸術グループ「ナビ派」の主要メンバーであり、平面や
単純な形態を使ったその装飾的なスタイルは、20世紀の絵画運動に
少なからぬ影響を与えました。
自らも敬虔なカトリック教徒であり、ナビ派の時代には
「美しきイコン(聖像)のナビ」と呼ばれたドニは、聖書あるいは
ギリシャやローマ神話を主題にした作品で知られています。
しかしその一方で、日常生活に基づいた「アンチーム(親密)」な作品、
特に自分の子どもたちや家族を描いた作品も、ドニの芸術の中で
主要な位置をしめているといえます。
本展覧会ではドニの作品の中でも「子ども」や「家族」を主題とした
作品に注目、 国内外の美術館および個人コレクターが所蔵する
ドニの絵画、素描、写真、その他資料など約100点を展示し、
ドニの芸術に迫ります。
(美術館サイトより)
少し前に、同じくフランスの画家である「アンリ・ル・シダネル」の
絵を、軽井沢の美術館で観てきましたが、今回のドニの絵は、
なんとなく、シダネルの絵と似たような匂いを感じました。。。
同じフランス人だし、ほとんど同じ世代の人だから、、、
というのもあるのかもしれないけど、二人から共通して
感じたものは、とてもホンワカとしたもので。。。
そこにはゴッホのような強烈さはまるでなく。。。
なんというか。。。
絵からあんまり「苦悩」を感じない。。。みたいな?
なんだかね。。。
自分の生活の基盤となる「家庭」というもの。。。
そこが愛に満ちていて、関係がとてもスムーズだったりすると、、、
人って、ホンワカと穏やかになっていくものなのかも。。。
なんて思ったりもしました。。。
シダネルさんに続き、ドニもかなりお気に入りの画家に
なってしまいましたよ。。

『聖母マリアの接吻』 モーリス・ドニ 1919年頃
この『聖母マリアの接吻』は、プリウレ礼拝堂のステンドグラスの
ための下絵として描かれたそうです。
高さ195センチ、幅90センチのとても大きな絵でした。。。
こんなに愛しそうにわが子を見つめるマリアって、今まで
いたっけ?
・・・なんて思ってしまった。。。
抱っこされているイエスが、足に力を入れてピンと伸ばして
マリアの手の上に立ち上がり、そして背中をのけぞらせて
母に寄りかかってる。。。
赤ちゃんって、、、
嬉しくてご機嫌な時って、こういうことするのですよねぇ。。。
なんだか。。。
懐かしくなってしまいました。
ドニは、聖書の中の物語を自分の身近な人達に重ねて描くことが
多かったそうなのですが、この、ホンワカとした聖母子の様子を
眺めていると、ドニの家庭はどんなに温かかったんだろう。。。
なんて思えて、私までホンワカとした気持ちになれました。
敬虔なカトリックの信者だったモーリス・ドニ。。。
この絵の中に描かれていた、聖母マリアを象徴する白いユリの花。。。
それは、まっ白で光っていました。
実際のステンドグラスは、こんな感じなのだそうです。。。


『リンゴを持って頭を傾けるベルナデット』 モーリス・ドニ 1900年頃
ベルナデットは、ドニの次女です。。。
あまりに可愛らしかったので、絵の前でついつい微笑んで
しまった一枚。。。
そして、思わずポストカードを買ってしまった。。。
ドニについていろいろ読んでいたら、なるほどなぁ。。。と
思いました。。。
モーリス・ドニがあたかも現実世界に目を向けずに生きていたかの
ように、彼が人生の幸福なイメージしか描かなかったことを非難
する人もいるでしょう。
しかし実際には、長男の死や最初の妻マルトの長く苦しい闘病生活など、
ドニの生涯は困難と試練の連続でした。
けれども病気や苦悩、懸念といったものがドニの創造力を掻き立てる
ことはありませんでした。
ドニは現実や理想の幸福の中にこそ、素晴らしいインスピレーションを
発見したのです。<中略>
同様にドニにとって子供たちは太陽の光であり、ドニの想像力を
奮い立たせてくれるモチーフでした。
ドニの孫娘にあたられるクレール・ドニさんは、図録の中で
こう書いていらっしゃいました。。。
実際に、ドニと身近で接した方ですね。。。
これを読んだらなんだか。。。
ドニってきっと、強い人なのだろうなぁ。。。なんて思ってしまった。。。
どんなに辛くて大変なことがあっても、、、
わざわざ自分のその苦悩を世界にアピールしたりはしない。。。
そして。。。
人間の、、、この世の素晴らしい部分から決して目をそらさずにいる。。。
それってホントに強い意志と、そして勇気が要ることだと思うのです。。。
ドニにとってもきっと、、、
子供たちはそのパワーを与えてくれる存在であり、
また、宝物であったのかもしれないですね。。。

『バルコニーの子どもたち、ヴェネツィアにて』 モーリス・ドニ 1907年
これもポストカードを買った一枚。。。
ドニがヴェネツィアに家族旅行に行った時の様子を描いたもの
だそうです。。。
ドニの使う色は好きな色ばかり。。。
この絵だけでなく、ドニの描く絵の空や海の色は、私の感性に
しっくりとハマるような色ばかりが使われていて、、、
ウキウキでした。。。
けれども、美術館にあった「フランスの伝統色」という本を
立ち読みしてみたら、そこはこういう感じの色のオンパレードでね。。。
ますますフランスに行ってみたくなってしまった。。。
さらにフランス人っていいなぁ。。。って思ってしまったのは、
普段から子供たちにこんなに可愛いお洋服を着せてあげていた
ところ。。。(笑)
私も子供の頃こういうお洋服が着たかったのに、
母はあんまり着せてくれなかったの。
だから私は、、、
娘にはこういうお洋服着せまくりました(笑)
今の時代じゃ、、、
ちょっと浮いちゃうかな?
娘の頃は、かろうじてまだ大丈夫だったのですけど。。。
展覧会は、だいたいが家族と一緒か、それか夫と二人で観に行くのですが、
いつも思うのは、夫と私は同じ絵を観ても、観ている場所が違うなぁ。。。
ということです。。。
夫は元々、物をつくる職人であったためか、絵の技術的なことがやはり
気になるらしい。。。
だから、私の気づかなかったような細かいところまで、ホント
よく観てる。。。
私は、絵に関しては素人だからなのかもしれないのだけど、
技術的なことにはあまり関心が向かない。。。
それよりも、その絵全体から漂ってくる雰囲気を通して、、、
ドニという人が一体どんな人だったのか、どんなことを考えていたのか。。。
そして。。。
神様は、ドニを通して何を表現したかったのか。。。とか。。。
そういうことを想像するのが好きです。。。

『ミューズたち』 モーリス・ドニ 1893年
この絵は、今回の展覧会では来ていませんでしたが、
ドニの絵の中では有名なもののようです。。。
ミューズたち。。。
ミューズとは、ギリシャ神話の太陽神、アポロンに付き従う
9人の女神のこと。
彼女たちは音楽とか舞踊、文学など芸術関係を司る女神で、
「ミュージック」とか「ミュージアム」という言葉は、ここから
きているのですよね。。。
私は、「子供たちや日常を描いているドニ」という。。。
そういう彼の一面に最初に出会いましたが、でもそう言えばドニは、
本来は、聖書や神話を題材にした絵をたくさん描いていた人だった
のだそうで。。。
ドニは「ナビ派」だった。。。とのことですが、ナビ派というのは、
初めて聞きました。。。

ゴーギャンって、今のところ、彼の絵にはそれほど関心ないのですが、、、
でも彼は、私にとってはちょっと気になる存在。。。
なぜなら私は、ゴッホのファンだったから。。。
そのゴーギャンに影響を受けたドニが、、、
こういう絵を描くのかぁ。。。と。。。
自分の中に、また新たな展開が。。。
高校生の頃、、、にわかに周りではタロットブームが起きていて、
私の友達もカードを持っていました。。。
彼女は新しいカードで誰かを占いたくてしかたなかったらしく、
早速私がそのターゲットにされ。。。
お義理的な気持ちでつきあったけど、カードについている
「取り扱い説明書」を片手に、たどたどしく彼女が占った
その結果は、意外に的をついていたような気がして、、、
なので少しだけ「おや?」と思いはしたけれども、でもそれ以上、
私がタロットに関わることはありませんでした。。。
その後、再びタロットと出会ったのはインターネットを
使うようになってから。。。
キッカケは忘れてしまったけれども、何かの拍子で見かけた
タロットの絵に、グイグイと惹きつけられてしまったの。。。
それは、ヴィスコンティ・スフォルツァ版のタロットでした。。。

もう、、、
こういう絵を見ていると何ともいえなくゾクゾクワクワクしてしまう。。。
そっか。。。
私ってタロットが好きだったんだ。。。
だったらせっかくだから、占いの勉強もしてみようか。。。と思い立ち、
一冊のタロット教本を買ってみたのでした。。。
ヴィスコンティのタロットはとても大きくて、占いに使うには
少し不向きな感じがして。。。
なのでそれをキッカケに、何種類かのタロットデッキを買ったりも
しました。。。
でも私は、、、
カードの絵をウットリと眺めるばかりで、いつまでたっても一向に、
占いの本を読む気持ちが起きず、、、それからまた、何年かが過ぎました。。。
ある時、「カモワン・タロット」というものに出会いました。。。
その時はそのカードにだいぶのめり込んだけど、、、
今思うと私は、そのカードとセットになっていた本、、、
そこに書かれている内容の方に興味をひかれていたのだな。。。
・・・と、そんな感じがしています。。。
そこには、秘教的なことがいろいろ書かれていて、例えば、
描かれている絵の象徴的な意味とか、色の意味とか。。。
「そういう内容」が、私にとってはワクワクだったのでした。。。
ルーンについても同じです。。。
「ルーン占い」ではなくて結局は、「ルーンの歴史」の方に
私はワクワクしていたんだ。。。
そういうことにハッキリ気づくまでも、ずいぶん時間かかったな(苦笑)
ある時、図書館で「タロット大全」という本を見つけました。。。
ずっと興味はあったけど、買ってまで読もうとは思わなかったその本。。。
早速借りてきて読んでみました。。。
そうしたらね、、、
なんだかもう、ものすごくワクワクしている自分をそこに
発見してしまったの。。。
そしてちょうどその時、すごいタイミングでお友達から、
偶然にもその本の著者の方のタロット講座に行かない?と誘われ。。。
これは、、、流れ的に行ってみるべきだろうと思ってね。。。
でも結局、すぐにやめてしまった。。。
決してつまらなかったわけではないのだけど、、、
やっぱりどこかに「物足りなさ」を感じてしまったから。。。
そこでは、マルセイユ・タロットを使った「占い方」を中心に
マルセイユ版とウェイト版の歴史や違いについても教えてくれましたが、、、
ワクワクしたのは相変わらず「歴史」の部分だけで、
やっぱり私って、、、どうも「占い」には興味ないらしい。。。
そこで私はそういうことを、ハッキリと自覚したので。。。
だから実は、それが私にとってのそこでの本当の「収穫」だったのです。。。
あれ以来、、、
タロット達は、本棚の奥深くにしまいこまれました。。。
ルーンも、この前部屋の整理をした時に誤ってばら撒いてしまい、
その時にひとつだけ失くしたルーンが今も見つからないけど、、、
それを必死で探そうという気は起きない。。。
占いとかオラクルとか、、、
そういうことにはもう、一切興味がなくなってしまったの。。。
けれどね。。。
昨日突然理解した。。。
私が、初めてヴィスコンティのタロットを見た時、なぜあんなに
ワクワクしたのか。。。
「タロット大全」を読んだ時、なぜあんなにワクワクしたのか。。。
答えは簡単。。。
私って、、、
ただ単に、中世ヨーロッパのああいう絵が好きだったんだ。。。
「タロット」というよりも、「絵、そのもの」が好きだったんだ。。。
・・・と。。。
結局、、、
タロットカードを「占いの道具」としてではなくて「美術品」と
して見ていたのですよねぇ。。。
全く。。。
こんなことに気づくのに、何年かかっているのでしょう、私。。。(苦笑)
あと、ここからは少し愚痴です。。。
「メディバル・スカピーニ」というタロットデッキを持っています。。。
それは、ネット上で見ていいなぁ。。。と思って買ったものですが、
実物を見たら期待とは少し違っていてね。。。
ちょっとがっかりしたというか、、、
なので、ヴィスコンティほど思い入れは深くありませんでした。。。
でも以前ある方に、「それもヴィスコンティと同じように、
昔の貴族が作らせたカード」だと教わり、、、
ただね、私その時一度言っているのですよ。。。
「え?違いますよね?」と。。。
でもその方はずいぶんと自信を持ってお話されていたし、
「先生」という肩書きを持った方でしたので、どこかで
納得いかないながらも、ついついそれを信じてしまった私。。。
なので今までずっとそう思っていたのですが。。。
・・・が。。。
やっぱり違うじゃん!!!
あるサイトによるスカピーニ版の説明はこうでした。。。
15世紀に制作された世界最古のタロット『ヴィスコンティ・スフォルツァ版』
をベースに、中世ルネッサンス芸術のシンボルを散りばめた美しいデッキ。
イタリアのアーティスト、ルイジ・スカピーニが中世の象徴体系と
神秘学の伝統を盛り込んで制作したタロット・カードです。
中世風に作られていますが、実際に発表されたのは1985年と新しく、
中世の伝統的なデザインをベースにしながらも、オズワルド・ウィルトや
アーサー・エドワード・ウェイトといった近代のオカルティスト達の
影響をも受けているデッキといえます。
おかしいと思ってたんだ。。。
だって、、、ヴィスコンティから感じるものとスカピーニから
感じるものって、全然違うのだもの。。。
まぁ、、、
人の話を鵜呑みにして、今までちゃんと自分で調べなかった
私に責任があります。。。
それに、、、
その気になればもっと早く解っていたのに、今までそういう気が
起きなかったということも、、、また必然で。。。
あぁ。。。
完璧なのだわ。。。と感動してしまったりもして。。。(笑)
そんなわけで、昨日はここでも長年の誤解が解け、、、
自分自身に対する理解が、さらに深まった。。。
自分が本当に好きなものが何なのか。。。
またひとつ、、、解ってきたのでした。。。
私の友達もカードを持っていました。。。
彼女は新しいカードで誰かを占いたくてしかたなかったらしく、
早速私がそのターゲットにされ。。。
お義理的な気持ちでつきあったけど、カードについている
「取り扱い説明書」を片手に、たどたどしく彼女が占った
その結果は、意外に的をついていたような気がして、、、
なので少しだけ「おや?」と思いはしたけれども、でもそれ以上、
私がタロットに関わることはありませんでした。。。
その後、再びタロットと出会ったのはインターネットを
使うようになってから。。。
キッカケは忘れてしまったけれども、何かの拍子で見かけた
タロットの絵に、グイグイと惹きつけられてしまったの。。。
それは、ヴィスコンティ・スフォルツァ版のタロットでした。。。


もう、、、
こういう絵を見ていると何ともいえなくゾクゾクワクワクしてしまう。。。
そっか。。。
私ってタロットが好きだったんだ。。。
だったらせっかくだから、占いの勉強もしてみようか。。。と思い立ち、
一冊のタロット教本を買ってみたのでした。。。
ヴィスコンティのタロットはとても大きくて、占いに使うには
少し不向きな感じがして。。。
なのでそれをキッカケに、何種類かのタロットデッキを買ったりも
しました。。。
でも私は、、、
カードの絵をウットリと眺めるばかりで、いつまでたっても一向に、
占いの本を読む気持ちが起きず、、、それからまた、何年かが過ぎました。。。
ある時、「カモワン・タロット」というものに出会いました。。。
その時はそのカードにだいぶのめり込んだけど、、、
今思うと私は、そのカードとセットになっていた本、、、
そこに書かれている内容の方に興味をひかれていたのだな。。。
・・・と、そんな感じがしています。。。
そこには、秘教的なことがいろいろ書かれていて、例えば、
描かれている絵の象徴的な意味とか、色の意味とか。。。
「そういう内容」が、私にとってはワクワクだったのでした。。。
ルーンについても同じです。。。
「ルーン占い」ではなくて結局は、「ルーンの歴史」の方に
私はワクワクしていたんだ。。。
そういうことにハッキリ気づくまでも、ずいぶん時間かかったな(苦笑)
ある時、図書館で「タロット大全」という本を見つけました。。。
ずっと興味はあったけど、買ってまで読もうとは思わなかったその本。。。
早速借りてきて読んでみました。。。
そうしたらね、、、
なんだかもう、ものすごくワクワクしている自分をそこに
発見してしまったの。。。
そしてちょうどその時、すごいタイミングでお友達から、
偶然にもその本の著者の方のタロット講座に行かない?と誘われ。。。
これは、、、流れ的に行ってみるべきだろうと思ってね。。。
でも結局、すぐにやめてしまった。。。
決してつまらなかったわけではないのだけど、、、
やっぱりどこかに「物足りなさ」を感じてしまったから。。。
そこでは、マルセイユ・タロットを使った「占い方」を中心に
マルセイユ版とウェイト版の歴史や違いについても教えてくれましたが、、、
ワクワクしたのは相変わらず「歴史」の部分だけで、
やっぱり私って、、、どうも「占い」には興味ないらしい。。。
そこで私はそういうことを、ハッキリと自覚したので。。。
だから実は、それが私にとってのそこでの本当の「収穫」だったのです。。。
あれ以来、、、
タロット達は、本棚の奥深くにしまいこまれました。。。
ルーンも、この前部屋の整理をした時に誤ってばら撒いてしまい、
その時にひとつだけ失くしたルーンが今も見つからないけど、、、
それを必死で探そうという気は起きない。。。
占いとかオラクルとか、、、
そういうことにはもう、一切興味がなくなってしまったの。。。
けれどね。。。
昨日突然理解した。。。
私が、初めてヴィスコンティのタロットを見た時、なぜあんなに
ワクワクしたのか。。。
「タロット大全」を読んだ時、なぜあんなにワクワクしたのか。。。
答えは簡単。。。
私って、、、
ただ単に、中世ヨーロッパのああいう絵が好きだったんだ。。。
「タロット」というよりも、「絵、そのもの」が好きだったんだ。。。
・・・と。。。
結局、、、
タロットカードを「占いの道具」としてではなくて「美術品」と
して見ていたのですよねぇ。。。
全く。。。
こんなことに気づくのに、何年かかっているのでしょう、私。。。(苦笑)
あと、ここからは少し愚痴です。。。
「メディバル・スカピーニ」というタロットデッキを持っています。。。
それは、ネット上で見ていいなぁ。。。と思って買ったものですが、
実物を見たら期待とは少し違っていてね。。。
ちょっとがっかりしたというか、、、
なので、ヴィスコンティほど思い入れは深くありませんでした。。。
でも以前ある方に、「それもヴィスコンティと同じように、
昔の貴族が作らせたカード」だと教わり、、、
ただね、私その時一度言っているのですよ。。。
「え?違いますよね?」と。。。
でもその方はずいぶんと自信を持ってお話されていたし、
「先生」という肩書きを持った方でしたので、どこかで
納得いかないながらも、ついついそれを信じてしまった私。。。
なので今までずっとそう思っていたのですが。。。
・・・が。。。
やっぱり違うじゃん!!!
あるサイトによるスカピーニ版の説明はこうでした。。。
15世紀に制作された世界最古のタロット『ヴィスコンティ・スフォルツァ版』
をベースに、中世ルネッサンス芸術のシンボルを散りばめた美しいデッキ。
イタリアのアーティスト、ルイジ・スカピーニが中世の象徴体系と
神秘学の伝統を盛り込んで制作したタロット・カードです。
中世風に作られていますが、実際に発表されたのは1985年と新しく、
中世の伝統的なデザインをベースにしながらも、オズワルド・ウィルトや
アーサー・エドワード・ウェイトといった近代のオカルティスト達の
影響をも受けているデッキといえます。
おかしいと思ってたんだ。。。
だって、、、ヴィスコンティから感じるものとスカピーニから
感じるものって、全然違うのだもの。。。
まぁ、、、
人の話を鵜呑みにして、今までちゃんと自分で調べなかった
私に責任があります。。。
それに、、、
その気になればもっと早く解っていたのに、今までそういう気が
起きなかったということも、、、また必然で。。。
あぁ。。。
完璧なのだわ。。。と感動してしまったりもして。。。(笑)
そんなわけで、昨日はここでも長年の誤解が解け、、、
自分自身に対する理解が、さらに深まった。。。
自分が本当に好きなものが何なのか。。。
またひとつ、、、解ってきたのでした。。。
新宿のオペラシティで、国立モスクワ合唱団の公演を観て来ました。

G.スヴィリードフ:合唱のためのコンチェルトより「哀歌」
(2011年3月の震災犠牲者の霊に捧げる)
S.ラフマニノフ:無伴奏合唱による「晩祷」作品37(抜粋)
Rachmaninov: Vespers
1. 来たれわれらの主、神に
2. わが霊(たましい)や主を崇めよ
5. 主宰や今爾(なんじ)の言(ことば)にしたがい
6. 生神女(しょうしんじょ)よ、喜びたまえ
メゾ・ソプラノ:エレーナ・グリダソヴァ
テノール:ボリスラフ・モルチャノフ
テノール:セルゲイ・ゴージン
バス:アレクサンドル・ビレツキー
G.カンチェリ:Amao Omi -無意味な戦争
(混声合唱とサクソフォン四重奏のための。2005年。)
Kancheli: Amo Omi (Japan Premire)
ソプラノ:オリガ・ピャトニッツキフ
共演:カルテット・スピリタス Quartet SPIRITUS
- - - - - - - -
ロシアのクリスマス・キャロル:お月様通り過ぎた
M. ブランテル:カチューシャ
A.ワルラーモフ:赤いサラファン ソリスト:オリガ・ポポヴァ(ソプラノ)
ロシア民謡:果てもなき荒野原 ソリスト:アンドレイ・ボリセンコ(バス)
ロシア民謡:若い私は夕暮れに ソリスト:マリヤ・ブイノソヴァ(ソプラノ)
ロシア民謡:ステンカ・ラージン ソリスト:アンドレイ・クルィジャノフスキー(バス)
古いワルツ:アムール河の波 ソリスト:アリベルト・シトジコフ(バリトン)
M. フラトキン:愛の歌 ソリスト:ベラ・カバノヴァ(ソプラノ)
ロシアの古いロマンス:黒い瞳 ソリスト:エヴゲーニー・カプスチン(バリトン)
~アンコール~
ロマ(ジプシー)の古いロマンス:夕焼けではなく
日本民謡:ソーラン節
ロシア民謡:カリンカ

今回楽しみにしていたのは、カンチェリの「無意味な戦争」でした。
日本ではこれが初演と聞いたので、興味をそそられました。
私は結構この、「初演」という言葉に弱い。。。(苦笑)
カンチェリもそうですが、ラフマニノフの「晩祷」なども、
家でCDで聴いていたりすると、素敵な曲だなぁ。。。とは
思いながらも、結構途中で眠くなってきたりするのですが。。。
でもやっぱり、こういうのは「生」で聴くものなのですよね。。。
CDでは、その歌の本当のところは絶対解らない。。。
そう思うから、、、
今回のこの機会を逃したくなかったのでした。。。
人間の声って、、、
本当に素晴らしい。。。
素晴らしい楽器です。。。
大勢の人達が、声だけでなく、魂まで合わせて歌う時、
そこには、倍音のシャワーが降り注ぎ。。。
空間のエネルギーが、グヮングヮンと動くのがわかるの。。。
バスの人達の低い声が一斉に響いてくる時、それはまるで
チベット僧達のマントラの響きのようで。。。
ヨーロッパの大聖堂などで、ああやって訓練して磨き上げられた
声の歌い手の方達が魂をあわせて歌う聖歌を聴かされたら、、、
もう、きっとどんな人でも、いやでも敬虔な気持ちに
させられてしまうのだろうなぁ。。。なんて思います。。。
声楽を習うようになってから、こういった歌声をまた、
違った目で見るようにもなりましたが、つくづく思うのは、
西洋人がその身体の中に持っているパイプのようなもの、、、
パイプというのは、私のイメージなのだけど。。。
なんというか、空気の通り道みたいなものって、やっぱり
東洋人より全然太い感じがするの。。。
もう、、、
最初から、作りからして違うのねぇ。。。と、しみじみ感じてしまった。。。
これは、バレエをやっていた時も感じていたことだけれども、、、
そうやって、西洋人の中で生まれ西洋で育った伝統的なもの。。。
バレエとかオペラとか。。。
そういうものを日本人が習得しようとする時って、結構苦労が
伴うというかね。。。
ホント、損だよなぁ。。。と、ハンデを感じたことも、
バレエをやっていた頃はよくありましたが。。。
昨日ふと、そういうことを思い出したりしていた。。。
それでも、、、
こういうものが好きなのだから仕方ない(笑)
それに今はまた、もっと違う風に。。。
もっと前向きに考えられるようになりましたけど。。。^^
話がずれてしまいましたが、、、
昨日の公演は、1部はまるで教会の中にいるような、、、
敬虔な気持ちにさせられるような感じでしたが、2部は
もう少し砕けた感じになって、1部とはまた違った形で、
気持ちが高ぶりました。。。
どれもこれも全部素敵でしたが、ワルツの「アムール河の波」が、
とても可愛らしかったので印象に残っています。
アンコールで「ソーラン節」を歌ってくれたときは、
会場からかすかに笑い声が聴こえてくるほど、雰囲気が和らいでいた。。。
やっぱり、日本人としてこういうのは嬉しいものですよね。。。
その、ソーラン節を聴きながら思いました。。。
こういう時期に日本に来てくれたこと、、、
本当にありがたく感じました。
たとえ国は違っても、人間ってやっぱり、みんな同じなのですよね。。。
人は誰でも、、、
その深いところに神聖な部分があって。。。
オペラ座の元エトワールのギエムが、震災で被災した人達の
ために、封印していたあのボレロをまた踊りに来てくれた時も、
ものすごく感動したけど。。。
芸術って、、、
人のそういう神聖な部分を刺激して、心を温かくさせて
くれるような気がした。。。
そうやって世界中が繋がっていけたら、、、いいですよね。。。

G.スヴィリードフ:合唱のためのコンチェルトより「哀歌」
(2011年3月の震災犠牲者の霊に捧げる)
S.ラフマニノフ:無伴奏合唱による「晩祷」作品37(抜粋)
Rachmaninov: Vespers
1. 来たれわれらの主、神に
2. わが霊(たましい)や主を崇めよ
5. 主宰や今爾(なんじ)の言(ことば)にしたがい
6. 生神女(しょうしんじょ)よ、喜びたまえ
メゾ・ソプラノ:エレーナ・グリダソヴァ
テノール:ボリスラフ・モルチャノフ
テノール:セルゲイ・ゴージン
バス:アレクサンドル・ビレツキー
G.カンチェリ:Amao Omi -無意味な戦争
(混声合唱とサクソフォン四重奏のための。2005年。)
Kancheli: Amo Omi (Japan Premire)
ソプラノ:オリガ・ピャトニッツキフ
共演:カルテット・スピリタス Quartet SPIRITUS
- - - - - - - -
ロシアのクリスマス・キャロル:お月様通り過ぎた
M. ブランテル:カチューシャ
A.ワルラーモフ:赤いサラファン ソリスト:オリガ・ポポヴァ(ソプラノ)
ロシア民謡:果てもなき荒野原 ソリスト:アンドレイ・ボリセンコ(バス)
ロシア民謡:若い私は夕暮れに ソリスト:マリヤ・ブイノソヴァ(ソプラノ)
ロシア民謡:ステンカ・ラージン ソリスト:アンドレイ・クルィジャノフスキー(バス)
古いワルツ:アムール河の波 ソリスト:アリベルト・シトジコフ(バリトン)
M. フラトキン:愛の歌 ソリスト:ベラ・カバノヴァ(ソプラノ)
ロシアの古いロマンス:黒い瞳 ソリスト:エヴゲーニー・カプスチン(バリトン)
~アンコール~
ロマ(ジプシー)の古いロマンス:夕焼けではなく
日本民謡:ソーラン節
ロシア民謡:カリンカ

今回楽しみにしていたのは、カンチェリの「無意味な戦争」でした。
日本ではこれが初演と聞いたので、興味をそそられました。
私は結構この、「初演」という言葉に弱い。。。(苦笑)
カンチェリもそうですが、ラフマニノフの「晩祷」なども、
家でCDで聴いていたりすると、素敵な曲だなぁ。。。とは
思いながらも、結構途中で眠くなってきたりするのですが。。。
でもやっぱり、こういうのは「生」で聴くものなのですよね。。。
CDでは、その歌の本当のところは絶対解らない。。。
そう思うから、、、
今回のこの機会を逃したくなかったのでした。。。
人間の声って、、、
本当に素晴らしい。。。
素晴らしい楽器です。。。
大勢の人達が、声だけでなく、魂まで合わせて歌う時、
そこには、倍音のシャワーが降り注ぎ。。。
空間のエネルギーが、グヮングヮンと動くのがわかるの。。。
バスの人達の低い声が一斉に響いてくる時、それはまるで
チベット僧達のマントラの響きのようで。。。
ヨーロッパの大聖堂などで、ああやって訓練して磨き上げられた
声の歌い手の方達が魂をあわせて歌う聖歌を聴かされたら、、、
もう、きっとどんな人でも、いやでも敬虔な気持ちに
させられてしまうのだろうなぁ。。。なんて思います。。。
声楽を習うようになってから、こういった歌声をまた、
違った目で見るようにもなりましたが、つくづく思うのは、
西洋人がその身体の中に持っているパイプのようなもの、、、
パイプというのは、私のイメージなのだけど。。。
なんというか、空気の通り道みたいなものって、やっぱり
東洋人より全然太い感じがするの。。。
もう、、、
最初から、作りからして違うのねぇ。。。と、しみじみ感じてしまった。。。
これは、バレエをやっていた時も感じていたことだけれども、、、
そうやって、西洋人の中で生まれ西洋で育った伝統的なもの。。。
バレエとかオペラとか。。。
そういうものを日本人が習得しようとする時って、結構苦労が
伴うというかね。。。
ホント、損だよなぁ。。。と、ハンデを感じたことも、
バレエをやっていた頃はよくありましたが。。。
昨日ふと、そういうことを思い出したりしていた。。。
それでも、、、
こういうものが好きなのだから仕方ない(笑)
それに今はまた、もっと違う風に。。。
もっと前向きに考えられるようになりましたけど。。。^^
話がずれてしまいましたが、、、
昨日の公演は、1部はまるで教会の中にいるような、、、
敬虔な気持ちにさせられるような感じでしたが、2部は
もう少し砕けた感じになって、1部とはまた違った形で、
気持ちが高ぶりました。。。
どれもこれも全部素敵でしたが、ワルツの「アムール河の波」が、
とても可愛らしかったので印象に残っています。
アンコールで「ソーラン節」を歌ってくれたときは、
会場からかすかに笑い声が聴こえてくるほど、雰囲気が和らいでいた。。。
やっぱり、日本人としてこういうのは嬉しいものですよね。。。
その、ソーラン節を聴きながら思いました。。。
こういう時期に日本に来てくれたこと、、、
本当にありがたく感じました。
たとえ国は違っても、人間ってやっぱり、みんな同じなのですよね。。。
人は誰でも、、、
その深いところに神聖な部分があって。。。
オペラ座の元エトワールのギエムが、震災で被災した人達の
ために、封印していたあのボレロをまた踊りに来てくれた時も、
ものすごく感動したけど。。。
芸術って、、、
人のそういう神聖な部分を刺激して、心を温かくさせて
くれるような気がした。。。
そうやって世界中が繋がっていけたら、、、いいですよね。。。

『塔のプリンセス』 モーリス・ドニ 1894年
ドニの愛好家だったある芸術評論家は、1894年にドニのこの絵を
購入したのですが、事情があって絵を手放さなくてはいけなく
なったそうです。
そのために、ドニにもう一度描いてくれるように頼んだところ、
彼は同じ主題で、少し違ったヴァリエーションでそれを描いたのだとか。。。
展覧会に来ていたのは、その2番目に描かれていたほうでした。。。
この、1894年に描かれた最初の方の絵は、図録の中の解説によると、、、
騎士が思慮の浅い裸の処女たちの誘惑に対抗し、邪悪な蛇と闘っている。
画家は塔の中で休息する貞節な恋人を描いた。それは「賢さ」の
象徴としての美しいマルトの肖像で、彼女の目は自己の内側に
向けられている。それは画家の個人的な見解による善と悪の
象徴的表現である。
なのだそうで、マルトとはドニの最初の奥さんのことです。。。

『塔のプリンセス、ぺロス(2)』 モーリス・ドニ 1914年
前回の絵と同じテーマで描かれた絵が、数年後にはこういう形に
変化しました。。。
マルトは少し歳をとりました。。。
彼女は今回はしっかり目を開いて外の景色を眺めていて、その隣で
息子ドミニクが、「ジャンヌ・ダルクの戦旗」を翻し、「僕が母を守るんだ」
・・・と決意しています。。。
私はドミニクのこのけなげさに感動して、、、
実は絵の前で、ちょっと泣きそうになってしまった。。。
後ろの騎士達が闘っている相手が、蛇ではなく、巨大なドラゴンに
変わりました。。。
その戦いを邪魔する「誘惑者」を象徴する「裸の女性達」の姿は
もう消えています。。。
信仰心。。。
最初は、マクロ的な宇宙に目が向きがちなのですけれども、、、
ある時期が来ると、今度はミクロの宇宙に目が行くようになる。。。
誰もが辿りがちな道だなぁ。。。なんて思います。

『神秘のアルゴリー』 モーリス・ドニ 1892年
キリスト教美術のイコノグラフィーに遡れば、ここで思い出されるのは
キリストによる“蘇生”で有名なラザロの姉妹マルタとマリアである。
家に招じ入れたキリストに対し、マリアはキリストの足元で彼の言葉に
耳を傾け、マルタはキリストのもてなしの準備に余念がなかった。
(中略)『神秘のアルゴリー』にはキリストは登場しないが、マリアの
手の中にある聖書がキリストの言葉を代弁している。一方マルタが手に
しているティーセットはキリストへの“もてなし”を暗示している。
聖書ではキリストは甲斐甲斐しく働くマルタより、キリストの膝元で
彼の言葉に耳を傾けるマリアを褒めているが・・・(図録より抜粋)
この『神秘のアルゴリー』も、展覧会には来ていなかったのですが、
図録を読んでいたら、こう書かれている部分があって、、、
私は、妙なところでひっかかってしまって。。。
「聖書ではキリストは甲斐甲斐しく働くマルタより、キリストの
膝元で彼の言葉に耳を傾けるマリアを褒めているが・・・」
・・・って、それはおかしいでしょ!!。。。と。。。(苦笑)
イエスがそれでマリアを褒めていたのだとしたら、、、
イエスは本物のマスターではないわ。。。
なんて思ってしまったのでした。。。
なので早速聖書を引っ張り出してきて、その部分を確かめてみたの。。。
ルカによる福音書、10章38節~42節。。。
一行が歩いていくうち、イエスはある村にお入りになった。
すると、マルタという女がイエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足元に座って、その話に聞き入っていた。
マルタはいろいろのもてなしのためせわしく立ち働いて
いたが、そばに近寄って言った。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせて
いますが、何ともお思いになりませんか?手伝ってくれる
ようにおっしゃってください。」
主はお答えになった。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、
心を乱している。しかし必要なことはただ一つだけである。
マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない。」
なるほど納得。。。
多分イエスは、、、
マリアの行為の方がマルタの行為よりも上ですと言ったわけではなく、
「自分の魂の欲することに正直であれ」と言ったのだろうと。。。
そう考えたら、このエピソードにも納得いきました。。。
マルタが叱られたのは、足元でイエスの話を聞かなかった
からではなくて、マルタがマリアの行為を否定したからなのだろうと。。。
マルタの魂はもてなしを選び、マリアは話を聞くことを選び。。。
それはどちらも間違っていないのだから、それぞれの役割を
そのまま果たせばいい。。。
そういうことなのだろうなぁ。。。きっと。。。
この絵の中でティーカップを持っているマルタの視線を、
ドニはしっかりとマリアの持つ「本」に向けさせていました。。。
だからやっていることは違っても、マリアもマルタも、
その信仰心には変わりはないし、そこには正しいも間違いも、
そして、上も下もない。。。ということを、ドニはちゃんと
理解していたのだろうと思う。。。
この絵の主題は、、、
古くからある「活動的人生」と「瞑想的人生」のアレゴリーとも
なっているのだそうです。。。
・・・ということは、聖書のこのエピソードで語られていることも、
きっと、そういうことだった。。。ということですよね。。。
ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた
『オペラ座の怪人25周年記念公演』を観てきました。。。
DVDが出てからでいいかな。。。と、ちょっと迷ったのですが、
映画館に行ってよかったです。。。
大画面の迫力ある音と映像で観るのはやっぱり違いますね。。。
なんだか。。。
出来ることなら、ロンドンで生で観たかったなぁ。。。
ミュージカルのオペラ座の怪人の音楽は、当時のロンドンの
オリジナル・キャストのものと、映画版のものは、もう
いやというほど聴きましたが、今回のファントムの声と歌は、
その中で、一番私好みだったかもしれません。
私の脳内イメージにぴったりでした。。。
クリスティーヌの歌も、安心して聴けました。。。
ラウルは、今まで観た中で一番たくましくて熱い感じがしました。。。
個人的には、ラウルは色白で細身の、あんまり強そうではない
タイプがイメージだったのですけれども(笑)
このミュージカルを作曲したアンドリュー・ロイド=ウェバーは、
現代のモーツァルトと言われている。。。なんてどこかで
読みましたけれども、納得してしまいます。。。
彼の曲は素晴らしいです。。。
特にこのオペラ座の怪人は、当時の妻、サラ・ブライトマンの
ために創ったもの。。。
誰かのためにと、一生懸命創ったものだからこそ、よけいに
素晴らしいのかもしれませんね。。。
オペラ座の怪人は実は大好きで、今までにガストン・ルルーの
小説も読みましたし、これまで何度も作られてきた映画も
いろいろ観ました。。。
中にはホラーというか、スプラッターみたいになってしまって
いたものもあって、そういう気持ち悪いのはちょっと勘弁なのですが、、、
古くから何度もリメイクされているものというのは、その時代時代に
よって、登場人物の心理や関係性などが微妙に変化していき。。。
そこにその時代を生きる人の意識が反映されているので
面白いのです。。。
そういう点で言うと例えば、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」
なんかもそうだったのですが、、、
何というのかな。。。
古くても消えていかず、何度もリメイクされるようなものは
そこに何か「普遍的」なテーマを含んでいるのですよねぇ。。。
ただ、それを飾る装飾品は、時代に連動して変化していくの。。。
そういうのを観ているのが面白いです。。。
「オペラ座の怪人」は、私はやっぱり、、、
このミュージカルヴァージョンが一番好きかなぁ。。。
この音楽は、一度聴いたらいつまでも耳に残って離れない。。。
ところで、ミュージカルの源流というものは、やっぱりオペラなのかな?
と、気になったので調べてみました。。。
ミュージカル
ミュージカルの形成は、以下のような流れを経ている。
パリで演じられていたオペラ・コミックを発端に、『地獄のオルフェ』
(天国と地獄)を作曲したジャック・オッフェンバックに影響を
受けたヨハン・シュトラウス2世がウィーンでオペレッタ(ウィンナ・オペレッタ)
を発展させた。
それがベルリンオペレッタで近代化し、さらにハーバート、フリムル、
ロンバーグらがアメリカに持ち込んでニューオーリンズで行われていた
ショーとなり、ミュージカルが誕生したと言われる。
第1次世界大戦後のオペレッタ作品とミュージカルを厳密に峻別することは
困難だが、前者の、オペラ発声の歌手、クラシック編成の管弦楽団、
バレエダンサーによる舞踊、ドイツ語歌詞といった要素が、後者の、
地声による自由な歌唱と一体化したダンス(歌手とダンスを分担しない)、
打楽器を多用した自由なバンド編成、英語歌詞といった形へと置き換えられて
いった。
ベルリンオペレッタやロンバーグのミュージカルなど、過渡的な
形態のものも少なくない。
また、オペラとミュージカルの両方を書いているレナード・バーンスタインは、
歌によってドラマが進行するのがオペラで、ドラマの結果としての
感情を歌に託するのがミュージカルと定義しているが、これもひとつの
説にすぎない。
ミュージカルは、「マイク」という技術のおかげで、、、
オペラで出来なかったようなことも可能になったのでしょうね。
例えば、激しく踊りながら歌える。。。みたいな。
声の芸術。。。という点で見たらやっぱりオペラだし、
芸術としての踊りといったら、やっぱりバレエだと思うけど。。。
ミュージカルのように現代的なものも、また違う魅力があって
とても素敵です。。。
『オペラ座の怪人25周年記念公演』を観てきました。。。
DVDが出てからでいいかな。。。と、ちょっと迷ったのですが、
映画館に行ってよかったです。。。
大画面の迫力ある音と映像で観るのはやっぱり違いますね。。。
なんだか。。。
出来ることなら、ロンドンで生で観たかったなぁ。。。
ミュージカルのオペラ座の怪人の音楽は、当時のロンドンの
オリジナル・キャストのものと、映画版のものは、もう
いやというほど聴きましたが、今回のファントムの声と歌は、
その中で、一番私好みだったかもしれません。
私の脳内イメージにぴったりでした。。。
クリスティーヌの歌も、安心して聴けました。。。
ラウルは、今まで観た中で一番たくましくて熱い感じがしました。。。
個人的には、ラウルは色白で細身の、あんまり強そうではない
タイプがイメージだったのですけれども(笑)
このミュージカルを作曲したアンドリュー・ロイド=ウェバーは、
現代のモーツァルトと言われている。。。なんてどこかで
読みましたけれども、納得してしまいます。。。
彼の曲は素晴らしいです。。。
特にこのオペラ座の怪人は、当時の妻、サラ・ブライトマンの
ために創ったもの。。。
誰かのためにと、一生懸命創ったものだからこそ、よけいに
素晴らしいのかもしれませんね。。。
オペラ座の怪人は実は大好きで、今までにガストン・ルルーの
小説も読みましたし、これまで何度も作られてきた映画も
いろいろ観ました。。。
中にはホラーというか、スプラッターみたいになってしまって
いたものもあって、そういう気持ち悪いのはちょっと勘弁なのですが、、、
古くから何度もリメイクされているものというのは、その時代時代に
よって、登場人物の心理や関係性などが微妙に変化していき。。。
そこにその時代を生きる人の意識が反映されているので
面白いのです。。。
そういう点で言うと例えば、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」
なんかもそうだったのですが、、、
何というのかな。。。
古くても消えていかず、何度もリメイクされるようなものは
そこに何か「普遍的」なテーマを含んでいるのですよねぇ。。。
ただ、それを飾る装飾品は、時代に連動して変化していくの。。。
そういうのを観ているのが面白いです。。。
「オペラ座の怪人」は、私はやっぱり、、、
このミュージカルヴァージョンが一番好きかなぁ。。。
この音楽は、一度聴いたらいつまでも耳に残って離れない。。。
ところで、ミュージカルの源流というものは、やっぱりオペラなのかな?
と、気になったので調べてみました。。。

ミュージカルの形成は、以下のような流れを経ている。
パリで演じられていたオペラ・コミックを発端に、『地獄のオルフェ』
(天国と地獄)を作曲したジャック・オッフェンバックに影響を
受けたヨハン・シュトラウス2世がウィーンでオペレッタ(ウィンナ・オペレッタ)
を発展させた。
それがベルリンオペレッタで近代化し、さらにハーバート、フリムル、
ロンバーグらがアメリカに持ち込んでニューオーリンズで行われていた
ショーとなり、ミュージカルが誕生したと言われる。
第1次世界大戦後のオペレッタ作品とミュージカルを厳密に峻別することは
困難だが、前者の、オペラ発声の歌手、クラシック編成の管弦楽団、
バレエダンサーによる舞踊、ドイツ語歌詞といった要素が、後者の、
地声による自由な歌唱と一体化したダンス(歌手とダンスを分担しない)、
打楽器を多用した自由なバンド編成、英語歌詞といった形へと置き換えられて
いった。
ベルリンオペレッタやロンバーグのミュージカルなど、過渡的な
形態のものも少なくない。
また、オペラとミュージカルの両方を書いているレナード・バーンスタインは、
歌によってドラマが進行するのがオペラで、ドラマの結果としての
感情を歌に託するのがミュージカルと定義しているが、これもひとつの
説にすぎない。
ミュージカルは、「マイク」という技術のおかげで、、、
オペラで出来なかったようなことも可能になったのでしょうね。
例えば、激しく踊りながら歌える。。。みたいな。
声の芸術。。。という点で見たらやっぱりオペラだし、
芸術としての踊りといったら、やっぱりバレエだと思うけど。。。
ミュージカルのように現代的なものも、また違う魅力があって
とても素敵です。。。
メモです。。。
思うことあって、とても久しぶりに「ダ・ヴィンチ・コード」の
映画を観たのですが。。。
私やっぱり、、、
ああいう世界に触れると、ワクワクが止まらなくなる。。。
大好き。。。
ああいう世界。。。
マグダラのマリアとサラの伝説。。。
モン・サン・ミッシェルとか。。。
様々なところで祀られる黒いマリア像。。。
そして、今でも「黒い聖女サラ」を崇拝するロマ達。。。
テンプル騎士団とシオン修道会。。。
ついでに薔薇十字団も。。。
あと、レンヌ・ル・シャトーの謎とか。。。
ロスリン礼拝堂やシャルトル大聖堂の建築の秘密。。。
聖杯伝説。。。
アーサー王伝説。。。
そしてケルトとフランス。。。
ドルイド僧とマグダラのマリアとの関係。。。
フランス王朝。。。
ついでにマリー・アントワネットも大好き!(笑)
なんとなく。。。
自分のワクワクするものを、一本の糸で繋げられそうなのに。。。
でも、いつもいつも途中で頭が混乱してきて何がなんだか
解らなくなってくる。。。
映画の中で、ラングドン教授とソフィーを見ていたら、、、
なぜか、「The Dohrman Prophecy」の中のJosephとMaiaの
コンビを想起させられました。。。
結局いつもいつも、結論は出ない。。。
思うことあって、とても久しぶりに「ダ・ヴィンチ・コード」の
映画を観たのですが。。。
私やっぱり、、、
ああいう世界に触れると、ワクワクが止まらなくなる。。。
大好き。。。
ああいう世界。。。
マグダラのマリアとサラの伝説。。。
モン・サン・ミッシェルとか。。。
様々なところで祀られる黒いマリア像。。。
そして、今でも「黒い聖女サラ」を崇拝するロマ達。。。
テンプル騎士団とシオン修道会。。。
ついでに薔薇十字団も。。。
あと、レンヌ・ル・シャトーの謎とか。。。
ロスリン礼拝堂やシャルトル大聖堂の建築の秘密。。。
聖杯伝説。。。
アーサー王伝説。。。
そしてケルトとフランス。。。
ドルイド僧とマグダラのマリアとの関係。。。
フランス王朝。。。
ついでにマリー・アントワネットも大好き!(笑)
なんとなく。。。
自分のワクワクするものを、一本の糸で繋げられそうなのに。。。
でも、いつもいつも途中で頭が混乱してきて何がなんだか
解らなくなってくる。。。
映画の中で、ラングドン教授とソフィーを見ていたら、、、
なぜか、「The Dohrman Prophecy」の中のJosephとMaiaの
コンビを想起させられました。。。
結局いつもいつも、結論は出ない。。。
声楽のレッスンを始めてだいぶ経ちましたが。。。
だんだんといろいろ解ってきて楽しくなってきたと同時に、
難しさも解ってきました。。。
口や喉の開き方、呼吸や身体の使い方。。。
どこに力を入れてどこの力を抜くのか。。。とか。。。
「歌う」ということも、こうして本格的に学んでみると
いろいろ難しい。。。
カラオケで歌っているのとは、全然違うんですね。。。
声楽のレッスンを受けながらいつも思うのは、歌も、バレエなどの
ダンスのレッスンとなんだか空気が似ているなぁ。。。ということです。
まず、どちらも「基礎」がとても大事。。。
これは、、、
ダンスや歌に限らず、どんな世界にも言えることなのかな。。。
基礎がしっかり身についていないうちから、オペラのアリアを
歌おうとすることなんて、バレエを始めたばかりの生徒が
いきなりトゥシューズを履こうとするようなものなのだなぁ。。。
なんて思うようになりました。
上手になるためには、先生が教えてくれることを素直に聞いて、
また、出来ないことはひたすら練習する。。。
先生の言葉を思い出しながら、、、そして、試行錯誤しながら。。。
そして次のレッスンでまた、先生にそれを見てもらって
直してもらう。。。
これの地道な繰り返ししかないような気がするのです。。。
そして、この繰り返し上を目指す道。。。
あくなき探求の道には「ゴール」はない。。。
・・・というところも、バレエと声楽は似てる。。。
自分自身の歌や踊りに対して「これで満足」。。。とは、
なかなか思えない。。。みたいな。
もっと上手になりたい。。。
もっと高みを目指したい。。。ってね。
バレエに関しては、自分の中で決めていることがあって、、、
それは、「技術的なことに関する本は読まない。」という
ことなんです。。。
バレエの歴史とか作品についてとかそういった類の本は、
もちろんたくさん読みたいけど、、、
技術のハウ・トゥー本は、読まないことにしてます。。。
大人になると「知識」から入っていく人がほとんどで、
それもありだとは思うのだけど、、、
でも、バレエでも歌でもやっていて思うのは、いくら
知識を蓄えたところで、実際にそれが出来ないのでは
意味がない。。。
そう思うからなのです。。。
評論家になるのなら別だけど、、、
私は、自分で歌ったり踊ったりしたい人だから。。。
わざわざ本から知識を得なくても、レッスンで先生が
教えてくれたことを、家でも集中して練習すればいいし、
解らないことは先生に聞けばいいんだ。。。と、そう
思っています。。。
早く先に進みたい気持ちももちろんありますけど、、、
先に知識ばかりを入れてしまうと、なんだか、
頭でっかちになっちゃいそうで。。。
あとは、変な癖とかつけちゃいそうで、そういうのが
ちょっと怖い。。。
それでなくても自主練しているうちに間違った癖がついて
しまうこともあるのだから。。。ね。。。
間違った癖がついてしまうと、今度はそれを直すのに時間が
かかるのですよ。。。
このあたりも声楽とバレエは一緒で。。。
急がば回れだなぁ。。。と、感じています。。。
だから、歌に関する技術のハウ・トゥー本も読まない。。。
バレエをやっていた子供の頃。。。
そういう本なんてまず読まなかったものね。。。
子供はやっぱり、頭ではなくて身体が先に覚える。。。
先生のことも、完全に信頼してる。。。
でも大人になったら、先生の言っていることに対する理解力は
子供の頃より断然深まったのだから、そういう点では得かもね。。。
それにしても。。。
ホント、バレエと同じで、「先生の言ってること、頭では
解っているのに実際には出来ない。」・・・ということは、
歌でもしょっちゅうあって。。。
それを出来るようにするには、繰り返し繰り返し練習して、
身体でそれを習得するしかない。。。
でも、声楽をやり始めて感じたのは、、、
これもバレエと同じ。。。
「才能10%、努力90%」
そういう世界だなぁ。。。ってね、そう思った。。。
なぜなら、誰でも綺麗に歌えるようになるような、、、
そういう「メソッド」のようなものは、もうしっかり
出来上がっている。。。と、そう感じるから。。。
こういう伝統あるものというのは、、、
先人達がより高みを目指して、長い時間をかけて試行錯誤しながら、
メソッドを確立してきてくれたのだな。。。って思うのです。。。
そう思うと、自分が少しだけでもそういう世界の空気に触れることが
できたのは、実はとても素晴らしいことだと感じて。。。
だからとても嬉しいし、感動の気持ちがこみ上げてくる。。。
この感謝の気持ちと共に、、、
これからも、楽しく練習を続けていきたいな。。。と思っています。。。
だんだんといろいろ解ってきて楽しくなってきたと同時に、
難しさも解ってきました。。。
口や喉の開き方、呼吸や身体の使い方。。。
どこに力を入れてどこの力を抜くのか。。。とか。。。
「歌う」ということも、こうして本格的に学んでみると
いろいろ難しい。。。
カラオケで歌っているのとは、全然違うんですね。。。
声楽のレッスンを受けながらいつも思うのは、歌も、バレエなどの
ダンスのレッスンとなんだか空気が似ているなぁ。。。ということです。
まず、どちらも「基礎」がとても大事。。。
これは、、、
ダンスや歌に限らず、どんな世界にも言えることなのかな。。。
基礎がしっかり身についていないうちから、オペラのアリアを
歌おうとすることなんて、バレエを始めたばかりの生徒が
いきなりトゥシューズを履こうとするようなものなのだなぁ。。。
なんて思うようになりました。
上手になるためには、先生が教えてくれることを素直に聞いて、
また、出来ないことはひたすら練習する。。。
先生の言葉を思い出しながら、、、そして、試行錯誤しながら。。。
そして次のレッスンでまた、先生にそれを見てもらって
直してもらう。。。
これの地道な繰り返ししかないような気がするのです。。。
そして、この繰り返し上を目指す道。。。
あくなき探求の道には「ゴール」はない。。。
・・・というところも、バレエと声楽は似てる。。。
自分自身の歌や踊りに対して「これで満足」。。。とは、
なかなか思えない。。。みたいな。
もっと上手になりたい。。。
もっと高みを目指したい。。。ってね。
バレエに関しては、自分の中で決めていることがあって、、、
それは、「技術的なことに関する本は読まない。」という
ことなんです。。。
バレエの歴史とか作品についてとかそういった類の本は、
もちろんたくさん読みたいけど、、、
技術のハウ・トゥー本は、読まないことにしてます。。。
大人になると「知識」から入っていく人がほとんどで、
それもありだとは思うのだけど、、、
でも、バレエでも歌でもやっていて思うのは、いくら
知識を蓄えたところで、実際にそれが出来ないのでは
意味がない。。。
そう思うからなのです。。。
評論家になるのなら別だけど、、、
私は、自分で歌ったり踊ったりしたい人だから。。。
わざわざ本から知識を得なくても、レッスンで先生が
教えてくれたことを、家でも集中して練習すればいいし、
解らないことは先生に聞けばいいんだ。。。と、そう
思っています。。。
早く先に進みたい気持ちももちろんありますけど、、、
先に知識ばかりを入れてしまうと、なんだか、
頭でっかちになっちゃいそうで。。。
あとは、変な癖とかつけちゃいそうで、そういうのが
ちょっと怖い。。。
それでなくても自主練しているうちに間違った癖がついて
しまうこともあるのだから。。。ね。。。
間違った癖がついてしまうと、今度はそれを直すのに時間が
かかるのですよ。。。
このあたりも声楽とバレエは一緒で。。。
急がば回れだなぁ。。。と、感じています。。。
だから、歌に関する技術のハウ・トゥー本も読まない。。。
バレエをやっていた子供の頃。。。
そういう本なんてまず読まなかったものね。。。
子供はやっぱり、頭ではなくて身体が先に覚える。。。
先生のことも、完全に信頼してる。。。
でも大人になったら、先生の言っていることに対する理解力は
子供の頃より断然深まったのだから、そういう点では得かもね。。。
それにしても。。。
ホント、バレエと同じで、「先生の言ってること、頭では
解っているのに実際には出来ない。」・・・ということは、
歌でもしょっちゅうあって。。。
それを出来るようにするには、繰り返し繰り返し練習して、
身体でそれを習得するしかない。。。
でも、声楽をやり始めて感じたのは、、、
これもバレエと同じ。。。
「才能10%、努力90%」
そういう世界だなぁ。。。ってね、そう思った。。。
なぜなら、誰でも綺麗に歌えるようになるような、、、
そういう「メソッド」のようなものは、もうしっかり
出来上がっている。。。と、そう感じるから。。。
こういう伝統あるものというのは、、、
先人達がより高みを目指して、長い時間をかけて試行錯誤しながら、
メソッドを確立してきてくれたのだな。。。って思うのです。。。
そう思うと、自分が少しだけでもそういう世界の空気に触れることが
できたのは、実はとても素晴らしいことだと感じて。。。
だからとても嬉しいし、感動の気持ちがこみ上げてくる。。。
この感謝の気持ちと共に、、、
これからも、楽しく練習を続けていきたいな。。。と思っています。。。
・・・という番組を観ました。。。
岡村喬生という日本のオペラ歌手の方が、プッチーニの有名な
オペラ『蝶々夫人』の新演出に挑み、それをイタリアで
上演しようという企画を追ったドキュメンタリーでした。。。
岡村さんご自身が、蝶々夫人の叔父の僧侶ぼんぞー役を演じられた時、
そこにおかしな日本語が紛れ込んでいることに気づかれたことが
『蝶々夫人』に対して疑問を持つキッカケとなられたそうです。。。
番組のサイトには、こう書かれていました。。。
日本人に最も有名でありながら、日本文化へ様々な誤解を
生んできたプッチーニ作のオペラ「蝶々夫人」。オペラ歌手・
岡村喬生さんが、2011年の夏、日本人にとってなじみの深い
オペラ「蝶々夫人」の、本場イタリアでの公演を目指すという
大プロジェクトに挑戦した。
岡村さんは、100年以上前にプッチーニによって作曲された
「蝶々夫人」が、“異国趣味が強く、日本についての正しい理解が
されていない”と考え、新演出でイタリアに乗り込む。
摩訶不思議な日本語が出てきたり、着物の着方がおかしかったり、、、
と、私も「これは日本人じゃないよ~」って感じることはやはり
多々ある『蝶々夫人』ではありますが、、、
でも、私はそれはそれでよし。。。としていた人でした。
その当時のイタリアに生きたプッチーニという人は、
日本をこういうイメージで見ていたんだね。。。という気持ちで
オペラを観ていました。。。
そしてそれを、、、
人類の歴史の1ページとして、たとえそこに間違いがあったとしても、
それも含めて、そのまんまの形で残しておきたいと思っているほうでした。。。
けれども岡本さんは、それをよしとはしない方のようでした。
なので彼が、ここはおかしいと思った部分の歌詞を直し、
演出も新しくした『蝶々夫人』をイタリアに持っていこうと
されていましたが、それは結局、イタリアでの上演許可は
得られませんでした。。。
それを見ていたら、、、「当たり前だよね。」。。。って、、、
ついつい思ってしまった(苦笑)
日本人としての誇り。。。と岡村さんはおっしゃっていたけど、、、
私の目には、、、それは、日本人のエゴに映ってしまったの。。。
オーディションで選ばれた蝶々夫人役の方やすずき役の方が
現地で、若いイタリア人指揮者の元で歌のレッスンを受け、
イタリア語の発音を厳しく直されたりしていました。。。
でも、劇場でリハーサルをしたりするうちに、すずき役の人は、
声のボリューム不足ということで、直前に役を降ろされてしまいました。。。
芸術に対して真剣になればなるほど、、、
厳しいんだよねぇ。。。こういう世界って。。。(涙)
特にその指揮者の方なんて、まだ30歳だったからね。。。
よけいになのかもなぁ。。。なんて思った。。。
急遽、イタリア人の女性をすずき役に立てて、本番まであと
わずかしかないという中、すずき役としてわざわざイタリアまで
やってきたその女性は、役を降ろされたというその辛さを表には
出さず、そのかわり、本当に一生懸命、すずき役となったその
イタリア人女性に、役の立ち居振いなどをつきっきりで教えて
あげていました。。。
その健気な彼女の様子に、胸を打たれたのでしょうか。。。
若い指揮者は、、、一日だけ彼女に、すずき役をやってもいいと
言ってきてくれました。。。
まだまだ君は、勉強不足だけどね。。。といいながらも。。。
また、代役にたったイタリア人女性も、日本人のその彼女に
深く感謝をしていてね。。。
「彼女が親切にいろいろ教えてくれたおかげで、私は無事に
日本人を演じることができました。」
・・・と言っていました。
これが、、、
日本人なのだよなぁ。。。って感じました。。。
蝶々夫人のオペラの訂正によってではなく、こういった一連の
出来事の中での、、、すずき役の彼女の行動を通して、
イタリアの方々は、日本人の魂を感じたのではないのかなぁ。。。
なんて思ったのでした。。。
そしてこういうのが、、、
宇宙のいつものやり方なのだなぁ。。。って。。。
岡村喬生という日本のオペラ歌手の方が、プッチーニの有名な
オペラ『蝶々夫人』の新演出に挑み、それをイタリアで
上演しようという企画を追ったドキュメンタリーでした。。。
岡村さんご自身が、蝶々夫人の叔父の僧侶ぼんぞー役を演じられた時、
そこにおかしな日本語が紛れ込んでいることに気づかれたことが
『蝶々夫人』に対して疑問を持つキッカケとなられたそうです。。。
番組のサイトには、こう書かれていました。。。
日本人に最も有名でありながら、日本文化へ様々な誤解を
生んできたプッチーニ作のオペラ「蝶々夫人」。オペラ歌手・
岡村喬生さんが、2011年の夏、日本人にとってなじみの深い
オペラ「蝶々夫人」の、本場イタリアでの公演を目指すという
大プロジェクトに挑戦した。
岡村さんは、100年以上前にプッチーニによって作曲された
「蝶々夫人」が、“異国趣味が強く、日本についての正しい理解が
されていない”と考え、新演出でイタリアに乗り込む。
摩訶不思議な日本語が出てきたり、着物の着方がおかしかったり、、、
と、私も「これは日本人じゃないよ~」って感じることはやはり
多々ある『蝶々夫人』ではありますが、、、
でも、私はそれはそれでよし。。。としていた人でした。
その当時のイタリアに生きたプッチーニという人は、
日本をこういうイメージで見ていたんだね。。。という気持ちで
オペラを観ていました。。。
そしてそれを、、、
人類の歴史の1ページとして、たとえそこに間違いがあったとしても、
それも含めて、そのまんまの形で残しておきたいと思っているほうでした。。。
けれども岡本さんは、それをよしとはしない方のようでした。
なので彼が、ここはおかしいと思った部分の歌詞を直し、
演出も新しくした『蝶々夫人』をイタリアに持っていこうと
されていましたが、それは結局、イタリアでの上演許可は
得られませんでした。。。
それを見ていたら、、、「当たり前だよね。」。。。って、、、
ついつい思ってしまった(苦笑)
日本人としての誇り。。。と岡村さんはおっしゃっていたけど、、、
私の目には、、、それは、日本人のエゴに映ってしまったの。。。
オーディションで選ばれた蝶々夫人役の方やすずき役の方が
現地で、若いイタリア人指揮者の元で歌のレッスンを受け、
イタリア語の発音を厳しく直されたりしていました。。。
でも、劇場でリハーサルをしたりするうちに、すずき役の人は、
声のボリューム不足ということで、直前に役を降ろされてしまいました。。。
芸術に対して真剣になればなるほど、、、
厳しいんだよねぇ。。。こういう世界って。。。(涙)
特にその指揮者の方なんて、まだ30歳だったからね。。。
よけいになのかもなぁ。。。なんて思った。。。
急遽、イタリア人の女性をすずき役に立てて、本番まであと
わずかしかないという中、すずき役としてわざわざイタリアまで
やってきたその女性は、役を降ろされたというその辛さを表には
出さず、そのかわり、本当に一生懸命、すずき役となったその
イタリア人女性に、役の立ち居振いなどをつきっきりで教えて
あげていました。。。
その健気な彼女の様子に、胸を打たれたのでしょうか。。。
若い指揮者は、、、一日だけ彼女に、すずき役をやってもいいと
言ってきてくれました。。。
まだまだ君は、勉強不足だけどね。。。といいながらも。。。
また、代役にたったイタリア人女性も、日本人のその彼女に
深く感謝をしていてね。。。
「彼女が親切にいろいろ教えてくれたおかげで、私は無事に
日本人を演じることができました。」
・・・と言っていました。
これが、、、
日本人なのだよなぁ。。。って感じました。。。
蝶々夫人のオペラの訂正によってではなく、こういった一連の
出来事の中での、、、すずき役の彼女の行動を通して、
イタリアの方々は、日本人の魂を感じたのではないのかなぁ。。。
なんて思ったのでした。。。
そしてこういうのが、、、
宇宙のいつものやり方なのだなぁ。。。って。。。