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子供の頃の、神隠し一歩手前体験の
ことについて、少し書きたいと思います。。。
それは、子供の頃、家族で山梨に旅行に行った時のことです。。。
この体験のことは、今まですっかり忘れていたことだったのですが、
先日、ある方とお話していたら、突然思い出した記憶です。。。
そのあと気になって調べてみたところ、それはどうやら山梨の、
「甲斐善光寺」というお寺での体験だったことが解りました。
甲斐善光寺
そのお寺には、「仏さまの胎内めぐり」が出来る場所があったのです。。。
胎内めぐりというのは、地下や洞窟などに造られた霊場を、
仏さまの胎内に見立てて参拝することなのですが、、、
そのお寺の地下道だったか、洞窟だったかの一番奥には、
鍵があって、それは「極楽への鍵」なのだと、、、
お寺の住職さんだったかな。。。それとも案内の人だったのかも
しれませんが、、、説明してくださいました。
その鍵に触れて帰ってくれば、幸せになれる。。。と。。。
これは、お寺の人に説明されたわけではないのだけれども、、、
私はなんとなく、仏の胎内をめぐって外に出てくる。。。と
いうのは、もっと深い意味もあるような気がして。。。
なんというかそれは、「新たに生まれ出る」。。。
そんな意味もあるのではないのかな。。。なんて勝手に思っていたりして。。。
もしかして、住職さん達からそういった説明があったのに、
私が忘れているだけかもしれませんが(苦笑)
鍵のことなど、一通りの説明をうけたあと、私たち家族、
そして他にもたくさん人がいましたが、みんなでいざそのダンジョンへ!
中は真っ暗で何も見えず、壁を手で触って道を確認しながら
奥へ進んでいきました。。。
私はそのまま壁づたいに奥に進んでいこうとしたのですが、
先を歩いていた母に「どっち行ってるの!!」と呼び止められ引っ張られ、、、
そうして戻ってきた先に正規のルートがあり、そこで鍵を触って
無事に外に帰還したのですが。。。
あとで聞いてみたら、私が進もうとしていた先に道なんてなかったと
母に言われ、信じられない気持ちになったのを覚えています。。。
確かにあったのです。。。その道。。。
母が見落としただけなのだろうと、最初は思ってしまったくらい、
確実にそこに道はあったと。。。そう記憶しています。
子供の頃は、私が悪い子だから、極楽への鍵を触れないルートに
行ってしまったのかも~~(涙)って、真剣に悩んでいました^^;
もう少し大きくなってからは、あのまま先に進んでいたら、
今頃私は、一体どこに行っていたんだろう?
もしや、そのまんま神隠し??
なんて思ったりもしていたのでした。。。
けれども。。。
あの体験も、私があの一瞬のうちに夢を見ていたのかも。。。と
考えると、ちょっと納得いくような気もしなくもないです。。。
夢ってきっと、眠らなくても見ることは出来るのでしょうね。。。
意識の周波数を変えることが出来れば。。。
瞑想も、そういうものなのかもしれませんが、、、
例えば、長い間、たくさんの人達が瞑想をしてきた「場」というのは、
そういったエネルギーが渦巻いている分、そのエネルギーにひっぱられ、
家で一人で瞑想している時よりも、深く入りやすい。。。ってこと、
ありますよね。。。
聖地なんかは、地球がそのエネルギーを提供してくれているし。。。
ああいった胎内めぐりみたいな場にも。。。
何かそういった感じのエネルギー、渦巻いていたりするのかも?
「ちゃんと鍵を触れるのかしら?」という、人々の期待と不安が
生み出した何か。。。とか。。。
だから私は、、、
そういうのに刺激されて、一瞬、夢をみてしまったのかも。。。
ことについて、少し書きたいと思います。。。
それは、子供の頃、家族で山梨に旅行に行った時のことです。。。
この体験のことは、今まですっかり忘れていたことだったのですが、
先日、ある方とお話していたら、突然思い出した記憶です。。。
そのあと気になって調べてみたところ、それはどうやら山梨の、
「甲斐善光寺」というお寺での体験だったことが解りました。

そのお寺には、「仏さまの胎内めぐり」が出来る場所があったのです。。。
胎内めぐりというのは、地下や洞窟などに造られた霊場を、
仏さまの胎内に見立てて参拝することなのですが、、、
そのお寺の地下道だったか、洞窟だったかの一番奥には、
鍵があって、それは「極楽への鍵」なのだと、、、
お寺の住職さんだったかな。。。それとも案内の人だったのかも
しれませんが、、、説明してくださいました。
その鍵に触れて帰ってくれば、幸せになれる。。。と。。。
これは、お寺の人に説明されたわけではないのだけれども、、、
私はなんとなく、仏の胎内をめぐって外に出てくる。。。と
いうのは、もっと深い意味もあるような気がして。。。
なんというかそれは、「新たに生まれ出る」。。。
そんな意味もあるのではないのかな。。。なんて勝手に思っていたりして。。。
もしかして、住職さん達からそういった説明があったのに、
私が忘れているだけかもしれませんが(苦笑)
鍵のことなど、一通りの説明をうけたあと、私たち家族、
そして他にもたくさん人がいましたが、みんなでいざそのダンジョンへ!
中は真っ暗で何も見えず、壁を手で触って道を確認しながら
奥へ進んでいきました。。。
私はそのまま壁づたいに奥に進んでいこうとしたのですが、
先を歩いていた母に「どっち行ってるの!!」と呼び止められ引っ張られ、、、
そうして戻ってきた先に正規のルートがあり、そこで鍵を触って
無事に外に帰還したのですが。。。
あとで聞いてみたら、私が進もうとしていた先に道なんてなかったと
母に言われ、信じられない気持ちになったのを覚えています。。。
確かにあったのです。。。その道。。。
母が見落としただけなのだろうと、最初は思ってしまったくらい、
確実にそこに道はあったと。。。そう記憶しています。
子供の頃は、私が悪い子だから、極楽への鍵を触れないルートに
行ってしまったのかも~~(涙)って、真剣に悩んでいました^^;
もう少し大きくなってからは、あのまま先に進んでいたら、
今頃私は、一体どこに行っていたんだろう?
もしや、そのまんま神隠し??
なんて思ったりもしていたのでした。。。
けれども。。。
あの体験も、私があの一瞬のうちに夢を見ていたのかも。。。と
考えると、ちょっと納得いくような気もしなくもないです。。。
夢ってきっと、眠らなくても見ることは出来るのでしょうね。。。
意識の周波数を変えることが出来れば。。。
瞑想も、そういうものなのかもしれませんが、、、
例えば、長い間、たくさんの人達が瞑想をしてきた「場」というのは、
そういったエネルギーが渦巻いている分、そのエネルギーにひっぱられ、
家で一人で瞑想している時よりも、深く入りやすい。。。ってこと、
ありますよね。。。
聖地なんかは、地球がそのエネルギーを提供してくれているし。。。
ああいった胎内めぐりみたいな場にも。。。
何かそういった感じのエネルギー、渦巻いていたりするのかも?
「ちゃんと鍵を触れるのかしら?」という、人々の期待と不安が
生み出した何か。。。とか。。。
だから私は、、、
そういうのに刺激されて、一瞬、夢をみてしまったのかも。。。
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ここで読書のみなさんに申しあげておきたいのは、私たちが
二つの現実を同時に生きているということである。
二つの現実のうちのひとつは、私たちが慣れ親しんだ日常世界、
手を離せば物体が落下する世界である。
しかしこの日常世界と同じように現実的なもうひとつの世界がある。
それは量子世界だ。
今この瞬間にも、思考体験を作り出すために無数の神経伝達物質が
脳の空間を飛びかっている。あなたが気づいていなくても、それは
実際に起きているのである。そしてこれはニュートン世界の現実ではない。
予測できないパラドックスを伴う、量子世界の現実である。
この量子世界に似た体験をできるのが私達の夢の中だ。<中略>
このような潜在意識領域の幻影は、論理や予測に関して無秩序である。
現実に対する西洋的考え(ニュートン世界)では、夢の体験などは
単なる想像上のこととして即座に片づけられてしまう。しかしそれらは
すべてが想像上のことではない。----少なくとも、あなたが持っている
あなた自身のイメージよりはずっと現実的である。
この奇妙で夢のような出来事とニュートン世界の現実とを比べて、
どちらがより現実的かというのではなく、交互に知覚される二つの
異なる現実として考えてみてはどうだろうか。
科学的な研究によって、「現実」と呼ばれるものを(それが何であろうと)
私たちは直接体験しないことが証明されている。私たちは肉体感覚の
制限、信念、期待などのフィルターをとおして現実を知覚する。
ニュートン世界だけが、唯一の現実ではない。。。
それは重々解っているつもりでも、多次元宇宙を、この3次元ほど
濃厚な現実に感じられないのは、、、
やっぱりこの、人間装置のせい?おかげ?なのかもね。。。
この本を書いた、トム・ケニオンさんは、お話を読んでいる限り、
かなりのサイキックだし、宗教的であり科学者的な人のような印象を
受けるのだけれども、異次元を、そして3次元でさえも、「現実」というよりも、
私たちの意識が作りだした「幻影」と捉えているところが面白い。。。
『異次元の刻印』、今ちょっと途中で止まっているのですが、そちらの
著書のグラハム・ハンコックさんは、ジャーナリスト的で、あまり信仰心
厚い人のようには感じられないのだけれども、自身の幻覚植物体験などから、
そういった異次元は、脳が生み出す幻覚などではなく、本当にそこに存在している。。。
と、力説してた。。。
だから、シャーマン達が見る世界は実際に存在していて、その世界からの
教えが、私たちの宗教や知識の元となっており、そして、そういった
世界が見える周波数に合わせられる機能というものは、元々私たちの
DNAの中にセットされている。。。なんておっしゃってた。。。
私は、、、
両者の意見、どちらにも共感してはいるのだけれども、どちらかというと
トム・ケニオンさん寄りで、世界を眺めているところがあります。。。
ハンコックさんのお話も、すごくすごく面白くて大好きで、
どこまでも共感してはいるのだけれども。。。
どこかにかすかに、自分との「温度差」を感じるのも正直なところ。。。
異次元や宇宙人、、、そういったものが存在しているということは、
事実ではあるけれども、彼らと人間の間には、実は何の違いもなく、、、
それはただ、「役割」の違いだけ。。。
だから本当は、、、
そこには「上」も「下」もなく、だから私は、「進化」という言葉に、
ちょっと違和感があったりもする。。。
宇宙人の体験、、、人間の体験、、、
どちらも本当は、「同等」です。。。
ファーストソースにとってみれば。。。
この世界で唯一「リアル」と言える存在は、ファーストソースだけであり、、、
ゆえに、それ以外のものは「幻」とも言えるけれども、異次元にしろ
3次元にしろ、宇宙人にしろ、人間にしろ、、、幻でありながら、
同時にリアルでもある。。。
このパラドックスを、、、トムさんは知っていらっしゃるのだろうな。。。
という、印象を受けるのです。。。
でも、異次元って、本当は何?
こういったシンプルな疑問に対する明確な答えというものを、
それを理解した人本人だけでなく、全ての人が納得、共有できる形で
提示するためには、、、そこに「巻き込まれた視点」から物を見ること、
そして、それをどこまでも追及しつづける必要があって。。。
だからこの世には、トムさんだけでなく、ハンコックさんのような役割を持った人も、
必要なのだろうな。。。と思っています。。。
世の中本当に、うまく出来ています。。。
昨日、面白いお話を教えてもらったの。。。

普段だったら、スルーしてしまうお話なのだけど、今回は
個人的シンクロがあったので、ちょっとだけ気に留めておこうと思います。
想像とはちょっと違うことが起きそうな気もするのだけどね。。。
なんだか最近、、、
「宇宙人」とか「異次元」って、キーワードだな。。。私の。。。
特に、プレアデスはね。。。
先日、発表会を無事に終えることが出来ました。
そのあと、ここでその時の出来事や感想などを綴ろうと思ったのですが、
なぜか今回はうまく書けずに、ツイッターで呟くのみになってしまいました。
もうあれから、一週間が過ぎようとしています。。。
早いですね。
今回の発表会では、ふたつの収穫がありました。
ひとつは、その道の経験者のアドバイスには素直に従ってみるのがいい。。。と
いうことを実感したこと。
もうひとつは、自分の中にある「超完璧主義者」に勝てたこと。。。
先生に、発表会前にはお肉をたくさん食べるといいよ。。。と
言われたのですが、私はその時点で一瞬、考えてしまったのです。。。
スピリチュアル的な視点で見ると、肉料理ってエネルギー的にどうなんだろう?
と、つい考えてしまう部分があったのです。。。
動物が殺される時に感じる恐怖の波動が、自分自身の波動を乱す。。。
みたいな話をよく聞くからです。
私はベジタリアンではないし、普段はそういうことは全く気にせず、
お肉も感謝しながらいただくほうなのですが、なぜか今回は、そのことが
すごく気になってしまったのです。。。
けれども、私は今回の先生について声楽を勉強し始めた頃から、
先生のことは、本当に尊敬していました。いろんな面で。。。
私との相性も、とってもいいと感じていました。
そういう先生がおっしゃることを、なんだかんだと理屈を述べて
退こうとすることこそ、それこそ私のエゴだなぁ。。。なんて感じたので、
ここは、先生のおっしゃる通り、前日と朝食(普段は朝食とらないのですけど)に、
お肉をいただくことにしました。
それだけではなく、先生が教えてくれたマッサージなども実践してみました。
すると、本番は今までの中で最高なのでは?というくらい、声の出が
よかったので、びっくりしました。
ここで私が学んだことは、表面的な部分では、
「こういうマッサージをしたりお肉を食べたりすると、声が出やすくなる」
・・・ということでしたが、もっと深い部分で学んだことは、
「自分がこの人は、、、と真に認めた相手、先生に対しては、
自分のエゴは抑えて完全に信頼することが大切」
・・・ということだったような気がしていて、どちらかというと、
こっちのほうが重要だったような気がします。
もうひとつの。。。
自分の中の完璧主義を超えたこと。。。
これは、大人になってからバレエをやっていた時に、常に苦しんでいた
部分でもあったのですが、、、
自分はプロでもなく、プロを目指しているわけではないのだから、
もっとシンプルに楽しみなさい。。。と、、、
そうやって常に自分に言い聞かせているのに、理想からほど遠い
今の自分を認めてあげられない。。。
という、、、自分のそういった部分に随分と苦しみました。
大人になってからバレエを始めた人は、バレエを習えるだけで
楽しいし、発表会で綺麗な衣裳を着れるだけで嬉しいと思えるだろうな。。。
と思うと、それが、逆に羨ましく思えたことさえあります。
子供の頃バレエをやっていたから、やはり基礎は解っているし、
子供の頃にしみついた動きの基礎というものは、
身体は忘れないものです。。。
なので、大人クラスに行くと、そこにいる人達に、「綺麗ね~」とか
「やっぱりやってた人は違うわね。」とかよく言われてしまうのですが、
それが私の葛藤の元にもなったりしました。。。
私がそれなりに、自分の満足いくように踊れているのであれば、
それもいいのかもしれません。みんなのお手本になれれば、それは
それで楽しいのかもしれませんが、、、
昔の自分の踊りを頭は覚えているのに、身体が全然そのように踊れない
というこの状況の中、自分では全く満足できていない踊りを、
周りの人から「特別視」されるというのは、かなり辛いことでした。
「全然踊れないのですよ!!」と訴えてみたところで、そういうのは
他の人からすれば、下手すれば「嫌味」にとられてしまうことさえ
あるのですから。。。
下手でもなんでもいいから、ただ踊れるということに対して
純粋に楽しいと、心から感じられること。。。
これを求めて、バレエ以外でもベリーダンスやインド舞踊など、
いろいろなダンスの世界をさ迷ったりもしましたが、、、ある時、
私がそれをダンスの世界の中で得ることは、無理なのだなぁ。。。と
いうことを悟りました。。。
これについてはもっと書きたいことあるのですが、話がそれてしまうので
これはまたいつか。。。
歌でも、やはり私にはそういうところがありました。。。
要は、理想が高いのです。。。
理想が高いこと自体は全然悪いことではないのですが、私の何が悪いのか。。。
というと、「こんな歌じゃ全然ダメ、歌のレベルが伴っていないのに、
衣装だけ素晴らしいなんて、ありえない。。。」とか思ってしまうところ(苦笑)
最近はさすがに学びましたけど、もっと若い頃なんて、そういうのを
他者に対してまで感じてしまったりしていたのだから、、、
タチが悪いですね。。。
今でもそういうところ、少し残っているのですが、今回は、先生も
ドレスをすすめてくださったこともあり、頑張ってそのあたり、
自分に言い聞かせたのです。。。
「そんなこと言ってたら、あなたは死ぬまでドレスは着れないよ。
あなたのことだから、他の人が本気で褒めても、こんなんじゃまだまだ。。。
とか一生言ってるんだよ。
あなたは自分の目標に到達しても、また次の理想を掲げてしまうから、
自分の歌に心から満足して、それを認めてあげられる日なんて
一生こないよ。自分で自分に対して、ずっとダメだしし続けるよ。
そんなことしてたら、あっという間におばあちゃん。。。
あなたは、プロではないのよ。
・・・だから、ドレスくらい妥協しなさい。」
・・・ってね(笑)
こんな葛藤。。。
他の人が聞いたら笑ってしまうのかもしれないけど、私ってこういう
ところがあるのです。。。
それが自分なのだから、それはそれで認めてあげないとね。。。
けれども今回、自分の中では「妥協」という感覚でドレスを着ることに
したのですが、それはある意味、「壁を壊す」ということに繋がったようです。
やっぱりね。。。
綺麗なドレスを着られるというのは、女性の夢ですよね。。。
こんなドレスを着たのは、結婚式以来でしたけれども、歌をやって
いなければ、こんなのを着る機会なんて一生なかったかもしれないし、
そう言えば私がバレエを習いたいと思った一番のキッカケは、
あのチュチュが着たかったってことだったじゃないの。。。と(笑)
だから、、、
ドレスが着たくて歌います。。。っていうのも、アリなのかも。。。って、
なんだか、自然とそう思えるようになってきた。。。
もちろん、それはキッカケで本当のところはやはり歌が上手に
なりたいのですが、ドレスをひとつの「はずみ」にすることは、
まったく不純な動機ではないのだな。。。と思ったわけです。。。
私も女性なのですもの。。。
男性には解らないかもしれないけど、これって女性の本能なのかも
しれないよね。。。
それが心から解ったら、他の人に対する自分の目も、ずいぶんと
優しくなれたような気がします。。。
ここが、今回の発表会のもうひとつの収穫でした。。。
肝心の歌なのですが。。。
発表会というものは、不思議ですね。。。
これは、バレエの時も思っていたのですが、発表会をひとつ終えると
いきなり上手になったりするのです。
今回も、高音が綺麗に出なくてそれでいろいろ試行錯誤していた
はずなのに、発表会当日にいきなりそれが綺麗に出るようになり、
それ以来、その音は楽に綺麗に出るようになった。。。
魔法みたい。。。
だからやはり、「人前で歌う(踊る)」という体験は、、、
レベルアップのためには必要な、貴重な体験なのだと思います。
「欲」みたいなものも出てきたような気がします。。。
自分の中の理想だけは高いのに、私にはこの「欲」が少し薄くて、、、
ちょっと、ガツガツとした部分というかね。。。
だからなんというか、夢を追いつつ、あんまり深刻にならないところが
ありました。。。
だから、歌の練習も、かなり真面目に、気合いれてやるのは、
発表会一週間前だけとか^^;;;
普段の発声練習も、結構適当だったりとか^^;;;;
理想を追っているわりには、いい加減なところがあるのです。。。
子供の頃みたいに、もう少し「必死」で練習しようとか思えたら、
楽しいだろうになぁ。。。なんて思っていたのですが、
今回少し、スイッチが入ったみたい。
あまりにガツガツしすぎると、バランス崩しますけれども、
やっぱりね、こういうのって必要だと思いますよ。
十分、楽しむためには。。。
恋愛中は、その恋人のことしか頭にない。。。みたいに。。。
子供の頃の私の頭の中には、バレエしかなかったけど、、、
ああいう気持ちを、いつか歌にも感じられるようになれたらいいなぁ。。。
・・・って思います。
そのあと、ここでその時の出来事や感想などを綴ろうと思ったのですが、
なぜか今回はうまく書けずに、ツイッターで呟くのみになってしまいました。
もうあれから、一週間が過ぎようとしています。。。
早いですね。
今回の発表会では、ふたつの収穫がありました。
ひとつは、その道の経験者のアドバイスには素直に従ってみるのがいい。。。と
いうことを実感したこと。
もうひとつは、自分の中にある「超完璧主義者」に勝てたこと。。。
先生に、発表会前にはお肉をたくさん食べるといいよ。。。と
言われたのですが、私はその時点で一瞬、考えてしまったのです。。。
スピリチュアル的な視点で見ると、肉料理ってエネルギー的にどうなんだろう?
と、つい考えてしまう部分があったのです。。。
動物が殺される時に感じる恐怖の波動が、自分自身の波動を乱す。。。
みたいな話をよく聞くからです。
私はベジタリアンではないし、普段はそういうことは全く気にせず、
お肉も感謝しながらいただくほうなのですが、なぜか今回は、そのことが
すごく気になってしまったのです。。。
けれども、私は今回の先生について声楽を勉強し始めた頃から、
先生のことは、本当に尊敬していました。いろんな面で。。。
私との相性も、とってもいいと感じていました。
そういう先生がおっしゃることを、なんだかんだと理屈を述べて
退こうとすることこそ、それこそ私のエゴだなぁ。。。なんて感じたので、
ここは、先生のおっしゃる通り、前日と朝食(普段は朝食とらないのですけど)に、
お肉をいただくことにしました。
それだけではなく、先生が教えてくれたマッサージなども実践してみました。
すると、本番は今までの中で最高なのでは?というくらい、声の出が
よかったので、びっくりしました。
ここで私が学んだことは、表面的な部分では、
「こういうマッサージをしたりお肉を食べたりすると、声が出やすくなる」
・・・ということでしたが、もっと深い部分で学んだことは、
「自分がこの人は、、、と真に認めた相手、先生に対しては、
自分のエゴは抑えて完全に信頼することが大切」
・・・ということだったような気がしていて、どちらかというと、
こっちのほうが重要だったような気がします。
もうひとつの。。。
自分の中の完璧主義を超えたこと。。。
これは、大人になってからバレエをやっていた時に、常に苦しんでいた
部分でもあったのですが、、、
自分はプロでもなく、プロを目指しているわけではないのだから、
もっとシンプルに楽しみなさい。。。と、、、
そうやって常に自分に言い聞かせているのに、理想からほど遠い
今の自分を認めてあげられない。。。
という、、、自分のそういった部分に随分と苦しみました。
大人になってからバレエを始めた人は、バレエを習えるだけで
楽しいし、発表会で綺麗な衣裳を着れるだけで嬉しいと思えるだろうな。。。
と思うと、それが、逆に羨ましく思えたことさえあります。
子供の頃バレエをやっていたから、やはり基礎は解っているし、
子供の頃にしみついた動きの基礎というものは、
身体は忘れないものです。。。
なので、大人クラスに行くと、そこにいる人達に、「綺麗ね~」とか
「やっぱりやってた人は違うわね。」とかよく言われてしまうのですが、
それが私の葛藤の元にもなったりしました。。。
私がそれなりに、自分の満足いくように踊れているのであれば、
それもいいのかもしれません。みんなのお手本になれれば、それは
それで楽しいのかもしれませんが、、、
昔の自分の踊りを頭は覚えているのに、身体が全然そのように踊れない
というこの状況の中、自分では全く満足できていない踊りを、
周りの人から「特別視」されるというのは、かなり辛いことでした。
「全然踊れないのですよ!!」と訴えてみたところで、そういうのは
他の人からすれば、下手すれば「嫌味」にとられてしまうことさえ
あるのですから。。。
下手でもなんでもいいから、ただ踊れるということに対して
純粋に楽しいと、心から感じられること。。。
これを求めて、バレエ以外でもベリーダンスやインド舞踊など、
いろいろなダンスの世界をさ迷ったりもしましたが、、、ある時、
私がそれをダンスの世界の中で得ることは、無理なのだなぁ。。。と
いうことを悟りました。。。
これについてはもっと書きたいことあるのですが、話がそれてしまうので
これはまたいつか。。。
歌でも、やはり私にはそういうところがありました。。。
要は、理想が高いのです。。。
理想が高いこと自体は全然悪いことではないのですが、私の何が悪いのか。。。
というと、「こんな歌じゃ全然ダメ、歌のレベルが伴っていないのに、
衣装だけ素晴らしいなんて、ありえない。。。」とか思ってしまうところ(苦笑)
最近はさすがに学びましたけど、もっと若い頃なんて、そういうのを
他者に対してまで感じてしまったりしていたのだから、、、
タチが悪いですね。。。
今でもそういうところ、少し残っているのですが、今回は、先生も
ドレスをすすめてくださったこともあり、頑張ってそのあたり、
自分に言い聞かせたのです。。。
「そんなこと言ってたら、あなたは死ぬまでドレスは着れないよ。
あなたのことだから、他の人が本気で褒めても、こんなんじゃまだまだ。。。
とか一生言ってるんだよ。
あなたは自分の目標に到達しても、また次の理想を掲げてしまうから、
自分の歌に心から満足して、それを認めてあげられる日なんて
一生こないよ。自分で自分に対して、ずっとダメだしし続けるよ。
そんなことしてたら、あっという間におばあちゃん。。。
あなたは、プロではないのよ。
・・・だから、ドレスくらい妥協しなさい。」
・・・ってね(笑)
こんな葛藤。。。
他の人が聞いたら笑ってしまうのかもしれないけど、私ってこういう
ところがあるのです。。。
それが自分なのだから、それはそれで認めてあげないとね。。。
けれども今回、自分の中では「妥協」という感覚でドレスを着ることに
したのですが、それはある意味、「壁を壊す」ということに繋がったようです。
やっぱりね。。。
綺麗なドレスを着られるというのは、女性の夢ですよね。。。
こんなドレスを着たのは、結婚式以来でしたけれども、歌をやって
いなければ、こんなのを着る機会なんて一生なかったかもしれないし、
そう言えば私がバレエを習いたいと思った一番のキッカケは、
あのチュチュが着たかったってことだったじゃないの。。。と(笑)
だから、、、
ドレスが着たくて歌います。。。っていうのも、アリなのかも。。。って、
なんだか、自然とそう思えるようになってきた。。。
もちろん、それはキッカケで本当のところはやはり歌が上手に
なりたいのですが、ドレスをひとつの「はずみ」にすることは、
まったく不純な動機ではないのだな。。。と思ったわけです。。。
私も女性なのですもの。。。
男性には解らないかもしれないけど、これって女性の本能なのかも
しれないよね。。。
それが心から解ったら、他の人に対する自分の目も、ずいぶんと
優しくなれたような気がします。。。
ここが、今回の発表会のもうひとつの収穫でした。。。
肝心の歌なのですが。。。
発表会というものは、不思議ですね。。。
これは、バレエの時も思っていたのですが、発表会をひとつ終えると
いきなり上手になったりするのです。
今回も、高音が綺麗に出なくてそれでいろいろ試行錯誤していた
はずなのに、発表会当日にいきなりそれが綺麗に出るようになり、
それ以来、その音は楽に綺麗に出るようになった。。。
魔法みたい。。。
だからやはり、「人前で歌う(踊る)」という体験は、、、
レベルアップのためには必要な、貴重な体験なのだと思います。
「欲」みたいなものも出てきたような気がします。。。
自分の中の理想だけは高いのに、私にはこの「欲」が少し薄くて、、、
ちょっと、ガツガツとした部分というかね。。。
だからなんというか、夢を追いつつ、あんまり深刻にならないところが
ありました。。。
だから、歌の練習も、かなり真面目に、気合いれてやるのは、
発表会一週間前だけとか^^;;;
普段の発声練習も、結構適当だったりとか^^;;;;
理想を追っているわりには、いい加減なところがあるのです。。。
子供の頃みたいに、もう少し「必死」で練習しようとか思えたら、
楽しいだろうになぁ。。。なんて思っていたのですが、
今回少し、スイッチが入ったみたい。
あまりにガツガツしすぎると、バランス崩しますけれども、
やっぱりね、こういうのって必要だと思いますよ。
十分、楽しむためには。。。
恋愛中は、その恋人のことしか頭にない。。。みたいに。。。
子供の頃の私の頭の中には、バレエしかなかったけど、、、
ああいう気持ちを、いつか歌にも感じられるようになれたらいいなぁ。。。
・・・って思います。
バレエ時代の自分の経験から、私は「基礎をおろそかにすること」
に対してなんだかものすごく、抵抗感を持ってしまっているみたいです。
歌の先生が、「あなたはある程度発声は出来ているから、いろんな
歌を歌ってみたほうがいいよ。」とおっしゃっているのに、
「でも、基礎が~~」とか思ってしまっている自分がいたりします。
そんなわけで、最近は、発声を中心にやってくれる先生はいないかな。。。と
探していたところでした。
もちろん、今の先生は大好きなので、そちらのレッスンも
同時進行で続けていくつもりですが。
先日、体験レッスンを受けた先生は、男性です。
異性の先生に発声を教わることってどうなんだろう?という、微妙な
疑問が自分の中にはあるものの、、、
なんだか流れ的に、これから、その先生のレッスンを受けることに
なっていきそうです。
ここはいったん、流れに任せてみようと思っていますが、あまり
執着せず、もししっくりいかないのであれば、その時また、
考えればいっか。。。くらいの、気楽な気持ちで行きたいと思います。
体験レッスンの時に、いろいろ直されて、、、
私的には、すごい違和感あるやり方ではあったのですが、先生の
言うとおりにやってみたら、ものすごくすんなりと、「理想の声」が
出てきたので、びっくりでした。
声楽の個人レッスンを始めたばかりの時に習った先生は、出産のため
ほんの数か月しか教えていただくことは出来なかったのですが、
その先生がおっしゃっていたことを思い出しました。
「どんな先生でも、到達地点、目指している声は同じなのだけど、
そこに行くまでの道のり、、、というか、教える時の表現方法と
いうか、、、そういうのが違うの。
だから、自分に合った先生を見つけた方がいいし、いろんな先生に
習ってみたほうがいいよ。」
・・・と、そんなことをおっしゃっていました。
今、ずっと教えてもらっていた先生は、私は本当に大好きなのです。
声も、教え方も、そして、先生のお人柄も。。。
今回、体験レッスンを受けた先生は、、、
正直言って、人柄的に尊敬できるかというと、そのあたり微妙^^;
でも、声は素晴らしかった。。。
そして、言われたとおりにやったら、ちゃんと声が出た。。。
だから、、、
どこかに感じるその「可能性」みたいなものが捨てきれず、、、
けれども、今後、人的にぶつかり合いはしないだろうか。。。と、、、
その辺が迷うところだったのですが、、、結局、次のレッスンを
お願いする、、、お願いせざるを得ない状況になってしまった(苦笑)
新しい先生曰く、「自分の声を、外側から聞けるようになること」。。。
これが大事なのだそうです。
先生が、良い声と、そうでもない声を実際に出して、その違いを
教えてくれたけど、、、
私が聴いた感じ、、、何が違うのかと言うと、それは、そこに
「倍音」が発生しているか、していないかの違いのように感じた。。。
あの響き。。。
その倍音を伴う声を、どうやって出せばいいのか。。。
それが、今回の先生のやり方だと、その声の出る確率が以前よりも
高くなったような気がしてね。。。
それにしても。。。
真剣に発声練習していると、、、
私はいつも、オーラがはっきりくっきり見えてきてしまう(苦笑)
そんなこと、、、さすがに先生には言えないけど。。。
に対してなんだかものすごく、抵抗感を持ってしまっているみたいです。
歌の先生が、「あなたはある程度発声は出来ているから、いろんな
歌を歌ってみたほうがいいよ。」とおっしゃっているのに、
「でも、基礎が~~」とか思ってしまっている自分がいたりします。
そんなわけで、最近は、発声を中心にやってくれる先生はいないかな。。。と
探していたところでした。
もちろん、今の先生は大好きなので、そちらのレッスンも
同時進行で続けていくつもりですが。
先日、体験レッスンを受けた先生は、男性です。
異性の先生に発声を教わることってどうなんだろう?という、微妙な
疑問が自分の中にはあるものの、、、
なんだか流れ的に、これから、その先生のレッスンを受けることに
なっていきそうです。
ここはいったん、流れに任せてみようと思っていますが、あまり
執着せず、もししっくりいかないのであれば、その時また、
考えればいっか。。。くらいの、気楽な気持ちで行きたいと思います。
体験レッスンの時に、いろいろ直されて、、、
私的には、すごい違和感あるやり方ではあったのですが、先生の
言うとおりにやってみたら、ものすごくすんなりと、「理想の声」が
出てきたので、びっくりでした。
声楽の個人レッスンを始めたばかりの時に習った先生は、出産のため
ほんの数か月しか教えていただくことは出来なかったのですが、
その先生がおっしゃっていたことを思い出しました。
「どんな先生でも、到達地点、目指している声は同じなのだけど、
そこに行くまでの道のり、、、というか、教える時の表現方法と
いうか、、、そういうのが違うの。
だから、自分に合った先生を見つけた方がいいし、いろんな先生に
習ってみたほうがいいよ。」
・・・と、そんなことをおっしゃっていました。
今、ずっと教えてもらっていた先生は、私は本当に大好きなのです。
声も、教え方も、そして、先生のお人柄も。。。
今回、体験レッスンを受けた先生は、、、
正直言って、人柄的に尊敬できるかというと、そのあたり微妙^^;
でも、声は素晴らしかった。。。
そして、言われたとおりにやったら、ちゃんと声が出た。。。
だから、、、
どこかに感じるその「可能性」みたいなものが捨てきれず、、、
けれども、今後、人的にぶつかり合いはしないだろうか。。。と、、、
その辺が迷うところだったのですが、、、結局、次のレッスンを
お願いする、、、お願いせざるを得ない状況になってしまった(苦笑)
新しい先生曰く、「自分の声を、外側から聞けるようになること」。。。
これが大事なのだそうです。
先生が、良い声と、そうでもない声を実際に出して、その違いを
教えてくれたけど、、、
私が聴いた感じ、、、何が違うのかと言うと、それは、そこに
「倍音」が発生しているか、していないかの違いのように感じた。。。
あの響き。。。
その倍音を伴う声を、どうやって出せばいいのか。。。
それが、今回の先生のやり方だと、その声の出る確率が以前よりも
高くなったような気がしてね。。。
それにしても。。。
真剣に発声練習していると、、、
私はいつも、オーラがはっきりくっきり見えてきてしまう(苦笑)
そんなこと、、、さすがに先生には言えないけど。。。
先日の続きになりますが、声楽の新しい先生のレッスン、、、
やはり受けないことにしました。
例えば、ひとり山の中にずっとこもって修行をしたとしたら、
絶対に、頭は固くなります。思考が、そこで固まります。
わざわざ固まらせたうえで、何かを目指そう。。。と、そういう
意志を持ちこの世に生まれてきた人もいると思うので、それ自体は
決して悪いことではありません。
でも、何年もの間自分自身のことを見つめ探ってきた私は、、、
今回の人生で、自分がそういった生き方をしたがっているとは、
やはり思えません。
そんなこともあって、趣味の声楽に関しても、いろんなところで
柔軟に行きたい。。。と、そんな風に思っていたところがありました。
なので先生も、たった一人の先生だけに一生ついて行く!!というよりも、
様々な先生に教えてもらった方がいいのかもしれないな。。。と
そう、思っていたのです。
でも、、、
今回新たにレッスンを受けようと思っていた先生は、なんだかどこかで
ひっかかるところがありました。
自分の中を見つめた結果、そのひっかかるものが何だったのかと
いうのは、なんとなく見えたのですが、それをここで並べると、
その先生の悪口みたいに聞こえてしまいそうなので、それはやめて
おきます。
それに、こういうのはなんだかんだと理由をつけても、結局は、
単純に「相性」の問題なのだろうとも思うのです。
ただ、その先生に断りの連絡を入れた直後、自分の身体が思いっきり
軽くなったような感覚がきました。
簡単に言えば、肩の荷が降りた感じたしたのです。。。
その軽さが来た瞬間、、、
「あぁ、よかった。また遠まわりしちゃうところだった。」
・・・と、そんな風に思いました。
こうやって未だに、あやふやなところが私にはまだまだいっぱいあります。
今回は危機一髪って感じでしたが、こうやって勘違いすると、
余計な試練とか、しなくていい苦労までしてしまうことがあるように、
今までの経験から思っていたりもします。
そうやって勘違いして遠まわりすることも、経験のひとつとして
ポジティブに捉えてきていました。今までは・・・
でもさすがに、そろそろそういうのにも疲れてきたかな(苦笑)
歌に関しては、これはバレエとは違って、まだこの先何年も歌っていくことは
出来ると思うのですが、それでも、それほど時間にゆとりがあるわけでも
ないし。。。
その限られた時間の中で出来ることを詰め込めるだけ詰め込んで、
ギュッと濃縮しておきたい感じがします。
最近また、占星術のお勉強復活させたのだけど・・・
私の土星のサインとハウスをじっくり眺めていたら、
ハッと気がついたことがありました。
今まで見えてなかったものが、今日、突然見えた感じです。
ホロスコープって、多次元ですよね、本当に。。。
そんなこともあって、、、
「歌」はちょっと、そこらへんをクリアするための、そして人生の目的を
果たすためのひとつのよい表現方法になってくれそうだという、、、
そんな直観がね、なんとなくしたのです。。。
やはり受けないことにしました。
例えば、ひとり山の中にずっとこもって修行をしたとしたら、
絶対に、頭は固くなります。思考が、そこで固まります。
わざわざ固まらせたうえで、何かを目指そう。。。と、そういう
意志を持ちこの世に生まれてきた人もいると思うので、それ自体は
決して悪いことではありません。
でも、何年もの間自分自身のことを見つめ探ってきた私は、、、
今回の人生で、自分がそういった生き方をしたがっているとは、
やはり思えません。
そんなこともあって、趣味の声楽に関しても、いろんなところで
柔軟に行きたい。。。と、そんな風に思っていたところがありました。
なので先生も、たった一人の先生だけに一生ついて行く!!というよりも、
様々な先生に教えてもらった方がいいのかもしれないな。。。と
そう、思っていたのです。
でも、、、
今回新たにレッスンを受けようと思っていた先生は、なんだかどこかで
ひっかかるところがありました。
自分の中を見つめた結果、そのひっかかるものが何だったのかと
いうのは、なんとなく見えたのですが、それをここで並べると、
その先生の悪口みたいに聞こえてしまいそうなので、それはやめて
おきます。
それに、こういうのはなんだかんだと理由をつけても、結局は、
単純に「相性」の問題なのだろうとも思うのです。
ただ、その先生に断りの連絡を入れた直後、自分の身体が思いっきり
軽くなったような感覚がきました。
簡単に言えば、肩の荷が降りた感じたしたのです。。。
その軽さが来た瞬間、、、
「あぁ、よかった。また遠まわりしちゃうところだった。」
・・・と、そんな風に思いました。
こうやって未だに、あやふやなところが私にはまだまだいっぱいあります。
今回は危機一髪って感じでしたが、こうやって勘違いすると、
余計な試練とか、しなくていい苦労までしてしまうことがあるように、
今までの経験から思っていたりもします。
そうやって勘違いして遠まわりすることも、経験のひとつとして
ポジティブに捉えてきていました。今までは・・・
でもさすがに、そろそろそういうのにも疲れてきたかな(苦笑)
歌に関しては、これはバレエとは違って、まだこの先何年も歌っていくことは
出来ると思うのですが、それでも、それほど時間にゆとりがあるわけでも
ないし。。。
その限られた時間の中で出来ることを詰め込めるだけ詰め込んで、
ギュッと濃縮しておきたい感じがします。
最近また、占星術のお勉強復活させたのだけど・・・
私の土星のサインとハウスをじっくり眺めていたら、
ハッと気がついたことがありました。
今まで見えてなかったものが、今日、突然見えた感じです。
ホロスコープって、多次元ですよね、本当に。。。
そんなこともあって、、、
「歌」はちょっと、そこらへんをクリアするための、そして人生の目的を
果たすためのひとつのよい表現方法になってくれそうだという、、、
そんな直観がね、なんとなくしたのです。。。
先日の発表会での自分の歌、CDにしてくれたものを今日いただきました。
自分の歌を聴くのって、すごい苦手。
数年前、ある作曲家のかたが作られた曲を歌った時も、その方は
それを録音してCDに焼いてくださったのだけど、もう、自分の歌を
聴いていると鳥肌がたってくるので、なかなか聴けず、結局、
数回くらいしか聴いていません(苦笑)
バレエの発表会なんかも、自分が踊っている姿を観るのが嫌で、
ビデオもすごく恥ずかしくて、、、
誰かと一緒に観てる時は、穴を掘って隠れたくなるほどでした(笑)
でも、これってそのまんまの自分を直視できない、したくない、、、
そういうところからきているような気がしたので、今回はがんばって?
聴こうと思いました。
そして、次に繋げよう。。。
最初の1、2回は、もう死にたいくらいイヤだったけど^^;
何度も聴いていたら、やっと慣れてきました。。。
最初は、自分の歌声ってこんなだったんだ。。。と、そういう
ショックが大きく、ドーンと下まで落ちたのですが、何度も聞くうちに
だんだん受け入れられてきて、よく聴いてみたら、最初にショックを
受けた時に思ったのほどはひどくない、、、と思い直し(笑)
そして、次は自分の歌を冷静に分析できるくらいにまで、
やっとなってきた。
あぁ、、、辛い(泣笑)
昔、バンドでボーカルやってた頃も、同じようなことしてたな。。。
録音した自分の声が、なんだかすごく低くて、変な声に聞こえて、
ショックを受けたことがあった。。。
思い出しちゃった。。。
今までずっとお世話になっていた声楽の先生に、相談してみたのです。
レッスンの回数をもう少し増やしたいのですが、、、と。。。
先生が他でやっているお教室か、それか先生の紹介の他の先生とか
そういったところでレッスンを受けられるところがあるかどうか、
聞いてみたのです。
そうしたら、先生がご自宅で個人でやっているレッスンもあることを
教えてくださって、これから、そちらも通わせていただくことにしました。
多分、秋以降になると思いますが・・・
最初から相談すればよかった。。。と、思ってしまいました(苦笑)
そして、流れの不思議を思うこともありました。。。
先生は来春、なんと、ご出産予定なのだそうです!
先生ご自身も、つい数日前に判ったそうなのですが。。。
だから、今の教室は出産数か月前には、お辞めになることに
されたそうなのです。。。
今の先生の前の先生も、ご出産で引退されて、私はその先生には
1ヶ月か2ヶ月くらいしか教わらず、今の先生にバトンタッチと
いうことになったわけなのですが・・・
なんだか、おめでたいこと続きなクラスで。。。(笑)
けれども、もし、先日体験レッスンを受けたあの男性の先生のところに
通うことにしていたら、今の先生とは春以降はお会いできなくなる
ところだったのかも。。。と思うと、なんとも不思議な気持ちになりました。
ご自宅でされるレッスンは、出産以降も続けてくださるそうです。
だから、そちらでは今後も末永くお世話になれそうです。
そして、今やっているところもきっと、そのあとまた新しく
違う先生がいらっしゃるでしょうから、、、なんというか、、、
なんのトラブルもなく、大好きな先生とお別れすることも、変に
気がねをすることもなく、「複数の先生に習う」。。。という、、、
そういう流れになっていきそうです。。。
次にいらっしゃる先生がどんな先生になるのかはまだ解りませんが、
この流れ的には、問題はなさそうな気がします。。。なんとなく。。。
やっぱり、自分の中の感覚というか、、、
「違和感」「サイン」というものにちゃんと気づいてあげれば、
物事はすべてスムーズに進むものなのかもしれませんね。。。
自分の歌を聴くのって、すごい苦手。
数年前、ある作曲家のかたが作られた曲を歌った時も、その方は
それを録音してCDに焼いてくださったのだけど、もう、自分の歌を
聴いていると鳥肌がたってくるので、なかなか聴けず、結局、
数回くらいしか聴いていません(苦笑)
バレエの発表会なんかも、自分が踊っている姿を観るのが嫌で、
ビデオもすごく恥ずかしくて、、、
誰かと一緒に観てる時は、穴を掘って隠れたくなるほどでした(笑)
でも、これってそのまんまの自分を直視できない、したくない、、、
そういうところからきているような気がしたので、今回はがんばって?
聴こうと思いました。
そして、次に繋げよう。。。
最初の1、2回は、もう死にたいくらいイヤだったけど^^;
何度も聴いていたら、やっと慣れてきました。。。
最初は、自分の歌声ってこんなだったんだ。。。と、そういう
ショックが大きく、ドーンと下まで落ちたのですが、何度も聞くうちに
だんだん受け入れられてきて、よく聴いてみたら、最初にショックを
受けた時に思ったのほどはひどくない、、、と思い直し(笑)
そして、次は自分の歌を冷静に分析できるくらいにまで、
やっとなってきた。
あぁ、、、辛い(泣笑)
昔、バンドでボーカルやってた頃も、同じようなことしてたな。。。
録音した自分の声が、なんだかすごく低くて、変な声に聞こえて、
ショックを受けたことがあった。。。
思い出しちゃった。。。
今までずっとお世話になっていた声楽の先生に、相談してみたのです。
レッスンの回数をもう少し増やしたいのですが、、、と。。。
先生が他でやっているお教室か、それか先生の紹介の他の先生とか
そういったところでレッスンを受けられるところがあるかどうか、
聞いてみたのです。
そうしたら、先生がご自宅で個人でやっているレッスンもあることを
教えてくださって、これから、そちらも通わせていただくことにしました。
多分、秋以降になると思いますが・・・
最初から相談すればよかった。。。と、思ってしまいました(苦笑)
そして、流れの不思議を思うこともありました。。。
先生は来春、なんと、ご出産予定なのだそうです!
先生ご自身も、つい数日前に判ったそうなのですが。。。
だから、今の教室は出産数か月前には、お辞めになることに
されたそうなのです。。。
今の先生の前の先生も、ご出産で引退されて、私はその先生には
1ヶ月か2ヶ月くらいしか教わらず、今の先生にバトンタッチと
いうことになったわけなのですが・・・
なんだか、おめでたいこと続きなクラスで。。。(笑)
けれども、もし、先日体験レッスンを受けたあの男性の先生のところに
通うことにしていたら、今の先生とは春以降はお会いできなくなる
ところだったのかも。。。と思うと、なんとも不思議な気持ちになりました。
ご自宅でされるレッスンは、出産以降も続けてくださるそうです。
だから、そちらでは今後も末永くお世話になれそうです。
そして、今やっているところもきっと、そのあとまた新しく
違う先生がいらっしゃるでしょうから、、、なんというか、、、
なんのトラブルもなく、大好きな先生とお別れすることも、変に
気がねをすることもなく、「複数の先生に習う」。。。という、、、
そういう流れになっていきそうです。。。
次にいらっしゃる先生がどんな先生になるのかはまだ解りませんが、
この流れ的には、問題はなさそうな気がします。。。なんとなく。。。
やっぱり、自分の中の感覚というか、、、
「違和感」「サイン」というものにちゃんと気づいてあげれば、
物事はすべてスムーズに進むものなのかもしれませんね。。。
今年の初夢は、「子供を産む夢」でした。
今はもう、その夢がどんな夢だったのかは全く覚えていないのですが、
このブログにメモしておいたおかげで、いちお、そんな夢を見たこと
だけは、覚えていました。
この日記によると、その夢の雰囲気は全体的にとてもいい感じだった
ようなので、きっと良い夢だったのだろうと思っています。
そして、夢、、、というものは、そのものズバリで出てくるよりも、
象徴的に出てくることのほうが多いみたいなので、この夢もきっと
そういった類の夢なのだろうと思います。
「子供」って、何の象徴なのでしょうね?
私は今年、何を産むのでしょう?
いや、、、「産む」ということ自体も、何かの象徴??
一昨日の夜、娘といろいろ話しているうちに、なぜか子供を産む話に
なり、それでこの初夢のことを思い出したりしていたのですが、
その話の流れが、ちょっと予期せぬ方向に向かっていきました。
キリスト教会の教えの中では、聖母マリアは天使から受胎告知を受け、
処女懐妊したことになっていますよね。
あれについてどう思う?本当にそんなことがあると思う?
もし私や娘が、身に覚えもないのに身ごもったと言ったら、周りの家族は、
マリアの夫のヨセフのように、それを受け入れられるのだろうか?とか。。。
そんなようなことを話していたのです。
でも、特にそんなに気にすることなく、娘とそんなことを話したことさえ
すっかり忘れていたのですが、昨日の夜、今度は夫と話していた時に、
またその話題が持ちあがりました。。。
そしてその時にハッ!と、昼間の出来事もそこにリンクしていた
ことに気づきました。
趣味ブログのほうに詳細は書きましたが、ここ数日、声楽の先生絡みで、
いろいろと流れがあり、昨日、先生からおめでたのお話を聞いた時に、
「あぁ、これでよかったんだね。。。」と、、、
私の中で納得したことがあったのです。
でもこれは、「初夢」とか「マリアの話」とは、まったく関係のないところ、
違ったところでの納得でした。
また、夫は夫でここ最近、ちょっと特殊な流れが起こっていたそうで、
それを私に話すタイミングを伺っていたらしく。。。
そしてその話が、娘の学園祭のことと変に絡みあっていたみたいでね。。。
それが、話を切り出すキッカケになったみたいだけど、、、
・・・と、端折りすぎで、あとから読んだらワケわからなくなりそうだけど^^;
でも、なんというか、、、
家族みんながそれぞれに、ここ数日の間にちょっと気になる流れが
起こっていて、それをみんなで打ち明けてみたら、、、
蓋を開けてみたら、なんだかそれは、一見複雑で解りづらそうなのだけど、
一度見えてしまうと、面白いぐらい見事に、それぞれの物語が
見えないところで完璧に絡み合っていたことが解ってきて、、、
それをみんなが同時に、深いところで納得してしまったので、
なんだか、みんなしてしみじみしてしまってね。。。
だから昨日は、この絡み合った物語に隠されている意味、、、
魂が今、エゴに気づかせたがっているものは何なのかということを、
みんなでずっと探っていたのです。。。
意味を探ること、そこから意味を見つけようとする作業というのは、、、
実は、自分達(エゴ)がそこにどんな意味をつけるか。。。
・・・ということだと、私は思っているのですが。。。
で、その意味を探っていくのにいろいろ話していくうちに、
なぜかまた、マリアの処女懐妊の話にたどり着いてしまったのです。
常識では信じられないような、ありえないような事態が起きた時、、、
あなたはそれを受け入れることは出来ますか?。。。というテーマで。。。
その時に、昼間に聞いたあの、「先生のおめでたのお話」さえも、
そこに繋がっていくことに気づいて、、、
私はますます、あの「子供を産む」という初夢が気になり始めて
きてしまったのでした。。。
昨日の晩、そんなことがあり、、、
そうして今朝、NHKの梅ちゃん先生を見ていたら、そこにはまた
しつこいくらいのメッセージがあった。。。
それは、「梅ちゃんがおめでたですよ~」という内容だったのです。
なんだかもう。。。ね。。。(苦笑)
この流れ、、、
この物語に隠されている意味は、もう少しあとになってみないと
私のエゴには解らないと思うので、いちお、あとあとのために、
記録しておこうと思います。。。
自分ひとりに関する流れの意味は、最近ではだいぶ早く
読めるようになってきました。
でも、他者と絡んだ部分を読み解くには、私にはまだちょっと、
ある程度の時間が必要です。
人生の、暗号解読です。。。
例えば、自分の出生ホロスコープとか、自分の見た夢もそう。。。
今回のように、こうして自分の身に実際に起きてくる出来事、
その物語に関しても同じです。。。
そういった中に常に含まれている「サイン」。。。
象徴、、、それを、魂からの声。。。と言ってもいいのかな。。。
そういったものに気づきだすと、この世はもう、そこら中そういう
サインやメッセージだらけ。。。
そのサインがサインであることは、もうこの頃は、直観でだいたい
すぐに、解るようになりました。。。
ただし、マインドがその暗号を解読するのには、、、
まだちょっと、時間がかかる。。。ということですね。
でも、そこに意味をつけていく作業は、誰かにやってもらうよりも、
自分自身でやったほうが、はるかに実りは多いはずです。
そのプロセスが、「己を知る」ということに繋がっていくからです。。。
せっかくの体験は、、、しっかり体験し尽くさなければね。。。
あの初夢の意味、、、今年中には解るのかなぁ。。。
今はもう、その夢がどんな夢だったのかは全く覚えていないのですが、
このブログにメモしておいたおかげで、いちお、そんな夢を見たこと
だけは、覚えていました。
この日記によると、その夢の雰囲気は全体的にとてもいい感じだった
ようなので、きっと良い夢だったのだろうと思っています。
そして、夢、、、というものは、そのものズバリで出てくるよりも、
象徴的に出てくることのほうが多いみたいなので、この夢もきっと
そういった類の夢なのだろうと思います。
「子供」って、何の象徴なのでしょうね?
私は今年、何を産むのでしょう?
いや、、、「産む」ということ自体も、何かの象徴??
一昨日の夜、娘といろいろ話しているうちに、なぜか子供を産む話に
なり、それでこの初夢のことを思い出したりしていたのですが、
その話の流れが、ちょっと予期せぬ方向に向かっていきました。
キリスト教会の教えの中では、聖母マリアは天使から受胎告知を受け、
処女懐妊したことになっていますよね。
あれについてどう思う?本当にそんなことがあると思う?
もし私や娘が、身に覚えもないのに身ごもったと言ったら、周りの家族は、
マリアの夫のヨセフのように、それを受け入れられるのだろうか?とか。。。
そんなようなことを話していたのです。
でも、特にそんなに気にすることなく、娘とそんなことを話したことさえ
すっかり忘れていたのですが、昨日の夜、今度は夫と話していた時に、
またその話題が持ちあがりました。。。
そしてその時にハッ!と、昼間の出来事もそこにリンクしていた
ことに気づきました。
趣味ブログのほうに詳細は書きましたが、ここ数日、声楽の先生絡みで、
いろいろと流れがあり、昨日、先生からおめでたのお話を聞いた時に、
「あぁ、これでよかったんだね。。。」と、、、
私の中で納得したことがあったのです。
でもこれは、「初夢」とか「マリアの話」とは、まったく関係のないところ、
違ったところでの納得でした。
また、夫は夫でここ最近、ちょっと特殊な流れが起こっていたそうで、
それを私に話すタイミングを伺っていたらしく。。。
そしてその話が、娘の学園祭のことと変に絡みあっていたみたいでね。。。
それが、話を切り出すキッカケになったみたいだけど、、、
・・・と、端折りすぎで、あとから読んだらワケわからなくなりそうだけど^^;
でも、なんというか、、、
家族みんながそれぞれに、ここ数日の間にちょっと気になる流れが
起こっていて、それをみんなで打ち明けてみたら、、、
蓋を開けてみたら、なんだかそれは、一見複雑で解りづらそうなのだけど、
一度見えてしまうと、面白いぐらい見事に、それぞれの物語が
見えないところで完璧に絡み合っていたことが解ってきて、、、
それをみんなが同時に、深いところで納得してしまったので、
なんだか、みんなしてしみじみしてしまってね。。。
だから昨日は、この絡み合った物語に隠されている意味、、、
魂が今、エゴに気づかせたがっているものは何なのかということを、
みんなでずっと探っていたのです。。。
意味を探ること、そこから意味を見つけようとする作業というのは、、、
実は、自分達(エゴ)がそこにどんな意味をつけるか。。。
・・・ということだと、私は思っているのですが。。。
で、その意味を探っていくのにいろいろ話していくうちに、
なぜかまた、マリアの処女懐妊の話にたどり着いてしまったのです。
常識では信じられないような、ありえないような事態が起きた時、、、
あなたはそれを受け入れることは出来ますか?。。。というテーマで。。。
その時に、昼間に聞いたあの、「先生のおめでたのお話」さえも、
そこに繋がっていくことに気づいて、、、
私はますます、あの「子供を産む」という初夢が気になり始めて
きてしまったのでした。。。
昨日の晩、そんなことがあり、、、
そうして今朝、NHKの梅ちゃん先生を見ていたら、そこにはまた
しつこいくらいのメッセージがあった。。。
それは、「梅ちゃんがおめでたですよ~」という内容だったのです。
なんだかもう。。。ね。。。(苦笑)
この流れ、、、
この物語に隠されている意味は、もう少しあとになってみないと
私のエゴには解らないと思うので、いちお、あとあとのために、
記録しておこうと思います。。。
自分ひとりに関する流れの意味は、最近ではだいぶ早く
読めるようになってきました。
でも、他者と絡んだ部分を読み解くには、私にはまだちょっと、
ある程度の時間が必要です。
人生の、暗号解読です。。。
例えば、自分の出生ホロスコープとか、自分の見た夢もそう。。。
今回のように、こうして自分の身に実際に起きてくる出来事、
その物語に関しても同じです。。。
そういった中に常に含まれている「サイン」。。。
象徴、、、それを、魂からの声。。。と言ってもいいのかな。。。
そういったものに気づきだすと、この世はもう、そこら中そういう
サインやメッセージだらけ。。。
そのサインがサインであることは、もうこの頃は、直観でだいたい
すぐに、解るようになりました。。。
ただし、マインドがその暗号を解読するのには、、、
まだちょっと、時間がかかる。。。ということですね。
でも、そこに意味をつけていく作業は、誰かにやってもらうよりも、
自分自身でやったほうが、はるかに実りは多いはずです。
そのプロセスが、「己を知る」ということに繋がっていくからです。。。
せっかくの体験は、、、しっかり体験し尽くさなければね。。。
あの初夢の意味、、、今年中には解るのかなぁ。。。
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