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今日から12月ですね。。。
すごい勢いで11月が通り過ぎていったような気がします。
ここ数年は、時間が経つのがものすごく早く感じますが、
11月は特に早かった。。。
あっという間に1日、1週間、1ヶ月が過ぎていく割には、
つい先日のことが、遠い昔のような感じがすることもあり、、、
不思議です。。。
最近の個人的な流れの中、、、
ひとつの方向からだけではなく、様々なことが絡み合い、
私に何かを伝えようとしてるな。。。ということは解っていたのですが、
それがなんなのか、いまひとつハッキリ解りませんでした。
でも、昨日、、、
それが見えたような気がしました。。。
先日、今のNHKの連続ドラマ『純と愛』の主人公、純ちゃんは、
年配の方々からは不評だ。。。というお話を聞いて、
なるほどなぁ。。。と思いました。
でも私は、純ちゃんが大好きだったりします。
純ちゃんは私の中では「ゴッホ」とかぶり、ピュアでそして熱い(笑)
でも、ハートそのままで生きている人だと思っています。
リンクした過去記事のタイトルに、「ひまわり」という言葉が
あったのも、私にとってはやっぱり、ひとつのサインでした。。。
昨日の日記と繋がっている感じがしたから。。。
そんな純ちゃんのドラマ、昨日は夜の再放送を観ていたのですが、
チャンネルをそのままにしておいたら、「MAXファーム」が始まり、
更にそのままにしておいたら、こんな映画が始まりました。
最初は、なんだか馬鹿馬鹿しい映画なのかと思っていました。
夫も眠いから寝るぞ。。。とか言っていたのですが、結局、
だんだんと引きこまれ、彼も私も最後まで観てしまった。。。
そして最後まで観た感想は、「なんか、すごい面白かった。」
でした、ふたりとも(笑)
なんとなく、ディズニー映画の『魔法にかけられて』という映画を
思い出したりもしたかな。
あれも大好きな映画です。
昨日の夜たまたま、ああいった映画を観たことも、、、
実は偶然ではないな。。。と、そんな感じがしました。
『純と愛』の純ちゃんのように、キューティー・ブロンドの主人公
エル・ウッズも、ハートのままに生きている人でした。。。
そしてそういう人達に、妙に感激している自分がいました。。。
ハートのままで生きると、 ドラマや映画のように、
周囲との間に波風が立ちます。トラブルは続きます。。。
なぜなら、今の社会、組織というものは、カバラでいうところの
「動物意識」の上に形成された世界だから。。。
ハートで生きるということは、自我(イエソド)ではなく、
真我(ティフェレット)中心の「人間意識」で生きるということですから、、、
イエソド中心の「動物意識」からの抵抗や反発にあうのは、
当たり前なのです。。。
私達はこれまで何千年もの間、ずっとこのイエソド社会の中で
生きてきました。
でもそれも決して悪いことだったわけではなく、進化のステップの
過程であり、必要なことでした。。。
今はそこから移行する時だと、私は感じていたりしますが、、、
それでも、、、本当にティフェレットの意識で生きていくことって
まだまだ茨の道ですね。。。
ドラマや映画の中でも、こういった主人公達は、一見自分勝手で、
そしてワガママなように見え、常に周囲との調和や足並みを乱す
トラブルメーカーのように見えたりすると思いますが、、、
でも、彼女達の言っていることをよくよく聞いてみれば、、、
ハートで感じてみれば、、、
決して間違ったことは言っていないのです。。。
「はぁ?あなた何言ってるの?」
「そうかもしれないけど、実際は無理だよ。」
・・・と言っているのは、ハートではなく、マインドのはずです。。。
そしてほとんどの人が、心の深いところでは、彼女達のように
生きたい。。。と思っているはずだと、私は信じていたりします。。。
彼女達が、自分たちのハートの声を代弁してくれているのに、
エゴがそれに抵抗するから、逆に彼女達は攻撃されてしまうのです。。。
でもそれが本当に、ハートから出たもの、愛から出た行為だったのであれば、、、
やっぱりドラマや映画のように、周囲の人たちは最後の最後では
きっと理解してくれるものだと、それも私は信じています。
現実はそこにたどり着くまでは、もっともっと大変だと思うけど、
でも、誰かがそういう役を演じなければ、ここは一向に、
動物意識社会のままになってしまうのでしょう。。。
私は、、、
彼女達の生き方に、ものすごく共感していたりします。。。
私もやっぱり、、、ハートのまま生きていきたい人なんですね。。。
どんなに波風立っても(苦笑)
今の私に降りてきたメッセージって、、、きっとこれです。。。
恐れず、そして負けないでハートのまま生きなさい。。。
いつも魂に正直に生きなさい。。。
そして、、、
純ちゃんの働くホテルの社長が、こんなことを言っていましたよね。。。
純粋に生きる人ほど、愛の支えが必要なんだよ。。。と。。。
なんだかこの言葉が、、、妙に胸にしみました。。。
純ちゃんにも、愛君がついているし、エル・ウッズにも
理解ある婚約者がついていたし。。。
やっぱり愛がないと、ドルマンのヒューゲリットのような結末。。。
阿修羅のような結末になってしまうかもしれないなぁ。。。って
思いました。
愛ってやっぱり、大事。。。と。。。
しみじみ感じる今日この頃です。。。
すごい勢いで11月が通り過ぎていったような気がします。
ここ数年は、時間が経つのがものすごく早く感じますが、
11月は特に早かった。。。
あっという間に1日、1週間、1ヶ月が過ぎていく割には、
つい先日のことが、遠い昔のような感じがすることもあり、、、
不思議です。。。
最近の個人的な流れの中、、、
ひとつの方向からだけではなく、様々なことが絡み合い、
私に何かを伝えようとしてるな。。。ということは解っていたのですが、
それがなんなのか、いまひとつハッキリ解りませんでした。
でも、昨日、、、
それが見えたような気がしました。。。
先日、今のNHKの連続ドラマ『純と愛』の主人公、純ちゃんは、
年配の方々からは不評だ。。。というお話を聞いて、
なるほどなぁ。。。と思いました。
でも私は、純ちゃんが大好きだったりします。
純ちゃんは私の中では「ゴッホ」とかぶり、ピュアでそして熱い(笑)
でも、ハートそのままで生きている人だと思っています。
リンクした過去記事のタイトルに、「ひまわり」という言葉が
あったのも、私にとってはやっぱり、ひとつのサインでした。。。
昨日の日記と繋がっている感じがしたから。。。
そんな純ちゃんのドラマ、昨日は夜の再放送を観ていたのですが、
チャンネルをそのままにしておいたら、「MAXファーム」が始まり、
更にそのままにしておいたら、こんな映画が始まりました。
![]() | キューティ・ブロンド2/ハッピーMAX (特別編) [DVD] (2010/06/25) リーズ・ウィザースプーン、ルーク・ウィルソン 他 商品詳細を見る |
最初は、なんだか馬鹿馬鹿しい映画なのかと思っていました。
夫も眠いから寝るぞ。。。とか言っていたのですが、結局、
だんだんと引きこまれ、彼も私も最後まで観てしまった。。。
そして最後まで観た感想は、「なんか、すごい面白かった。」
でした、ふたりとも(笑)
なんとなく、ディズニー映画の『魔法にかけられて』という映画を
思い出したりもしたかな。
あれも大好きな映画です。
![]() | 魔法にかけられて [DVD] (2010/03/17) エイミー・アダムス、パトリック・デンプシー 他 商品詳細を見る |
昨日の夜たまたま、ああいった映画を観たことも、、、
実は偶然ではないな。。。と、そんな感じがしました。
『純と愛』の純ちゃんのように、キューティー・ブロンドの主人公
エル・ウッズも、ハートのままに生きている人でした。。。
そしてそういう人達に、妙に感激している自分がいました。。。
ハートのままで生きると、 ドラマや映画のように、
周囲との間に波風が立ちます。トラブルは続きます。。。
なぜなら、今の社会、組織というものは、カバラでいうところの
「動物意識」の上に形成された世界だから。。。
ハートで生きるということは、自我(イエソド)ではなく、
真我(ティフェレット)中心の「人間意識」で生きるということですから、、、
イエソド中心の「動物意識」からの抵抗や反発にあうのは、
当たり前なのです。。。
私達はこれまで何千年もの間、ずっとこのイエソド社会の中で
生きてきました。
でもそれも決して悪いことだったわけではなく、進化のステップの
過程であり、必要なことでした。。。
今はそこから移行する時だと、私は感じていたりしますが、、、
それでも、、、本当にティフェレットの意識で生きていくことって
まだまだ茨の道ですね。。。
ドラマや映画の中でも、こういった主人公達は、一見自分勝手で、
そしてワガママなように見え、常に周囲との調和や足並みを乱す
トラブルメーカーのように見えたりすると思いますが、、、
でも、彼女達の言っていることをよくよく聞いてみれば、、、
ハートで感じてみれば、、、
決して間違ったことは言っていないのです。。。
「はぁ?あなた何言ってるの?」
「そうかもしれないけど、実際は無理だよ。」
・・・と言っているのは、ハートではなく、マインドのはずです。。。
そしてほとんどの人が、心の深いところでは、彼女達のように
生きたい。。。と思っているはずだと、私は信じていたりします。。。
彼女達が、自分たちのハートの声を代弁してくれているのに、
エゴがそれに抵抗するから、逆に彼女達は攻撃されてしまうのです。。。
でもそれが本当に、ハートから出たもの、愛から出た行為だったのであれば、、、
やっぱりドラマや映画のように、周囲の人たちは最後の最後では
きっと理解してくれるものだと、それも私は信じています。
現実はそこにたどり着くまでは、もっともっと大変だと思うけど、
でも、誰かがそういう役を演じなければ、ここは一向に、
動物意識社会のままになってしまうのでしょう。。。
私は、、、
彼女達の生き方に、ものすごく共感していたりします。。。
私もやっぱり、、、ハートのまま生きていきたい人なんですね。。。
どんなに波風立っても(苦笑)
今の私に降りてきたメッセージって、、、きっとこれです。。。
恐れず、そして負けないでハートのまま生きなさい。。。
いつも魂に正直に生きなさい。。。
そして、、、
純ちゃんの働くホテルの社長が、こんなことを言っていましたよね。。。
純粋に生きる人ほど、愛の支えが必要なんだよ。。。と。。。
なんだかこの言葉が、、、妙に胸にしみました。。。
純ちゃんにも、愛君がついているし、エル・ウッズにも
理解ある婚約者がついていたし。。。
やっぱり愛がないと、ドルマンのヒューゲリットのような結末。。。
阿修羅のような結末になってしまうかもしれないなぁ。。。って
思いました。
愛ってやっぱり、大事。。。と。。。
しみじみ感じる今日この頃です。。。
メトロポリタン美術館展に行ってきました。
メトロポリタン美術館展 大地、海、空 4000年の美への旅

今回は久しぶりに、夫婦で行ってきました。
夫が珍しく、「ゴッホの糸杉、観てみたい。」と言い出したからです。
そのゴッホの糸杉は、やはり光っていました。

『糸杉』 フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年
ゴッホは「ひまわり」と共に、この「糸杉」の絵もたくさん描いて
いましたよね。。。
ゴッホの絵って、どれも絵具は厚塗りですが、この絵は
特にたくさん絵具を重ねてあったような気がしました。
立体感があって、飛び出してくるような感じがしました。
その立体感は、絵具の厚塗りだけのせいではないと思いますが。。。
ゴッホ、、、やっぱり好きだなぁ。。。
この『糸杉』って、日本に来たのは初めてらしいですね。。。
「糸杉」は、英語で「サイプレス」と言いますが、このサイプレスの
精油は、私もよく使います。
以前、このサイプレスについていろいろ調べたことがありました。
サイプレスの学名は、「Cupressus sempervirens」というのですが、
地中海の「キプロス島」の名は、この「Cupressus」から
来ているのだそうです。。。
そしてキプロスではその昔、このサイプレスの木が崇拝されて
いたのだとか。。。
「Cupressus」はラテン語で「イトスギ属に似た」という意味。。。
キプロス島で、サイプレスが崇拝されていたのには、
「死」と関係もあるようで、サイプレスは「喪」の象徴として
葬儀に用いられていたこともあるのだとか。。。
ルーン文字の「ユー」も「死」と関係がありますが、ユーというのは
「イチイ」の木のことです。。。
ケルトでも、イチイの木は死と関わりがある木ですが、
古代ローマでは、そのイチイの木とサイプレスの木が
共に植えられることがあったようです。。。
ゴッホは精神のバランスが不安定になってからは、このサイプレス、、、
糸杉の木の絵をたくさん描いていましたが。。。
なぜなのでしょうね?
この木に、、、
彼は何かを感じ取っていたりしたのでしょうか。。。
メトロポリタン美術館展は、他にも素敵な絵や美術品がたくさんあって、
とても楽しかったです。
惹かれる絵もたくさんあったので、またいつか、そういった絵についても
ここで書いていきたいな。。。と思っていますが、、、
今日ふと気づいたのは、私って、夕日が描かれている絵とか、
思わず目を細めたくなってしまうくらいの、眩しい光が描かれている絵に、
なんとなく目が留まるような?
・・・なんて思ったりもしました。
それと、なんだか可愛らしい彫刻もありました。

『シロクマ』 フランソワ・ポンポン 1923年
妙に可愛らしいシルエットで目に留まり、じっくり眺めたあとに
作者の名前を見て、思わず笑いそうになってしまいました。
「フランソワ・ポンポン」なんて。。。
名前までなんて可愛らしい(笑)
ミュージアム・ショップに行くと、図録が売っていましたが、
ゴッホの糸杉が表紙になっているものと、ポンポンのシロクマが
表紙になっているものがありました。
糸杉のほうは、この展覧会の目玉でもありますので解りますが、
シロクマが表紙というのは、なんというか、「やっぱり(笑)」
みたいな感じがしてしまいましたよ。
もしかすると多くの人が、、、
あのシロクマの可愛さと、そして作者の名前の可愛さで、
ハッキリ記憶に残しているような作品なのかもしれませんね^^


今回は久しぶりに、夫婦で行ってきました。
夫が珍しく、「ゴッホの糸杉、観てみたい。」と言い出したからです。
そのゴッホの糸杉は、やはり光っていました。

『糸杉』 フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年
ゴッホは「ひまわり」と共に、この「糸杉」の絵もたくさん描いて
いましたよね。。。
ゴッホの絵って、どれも絵具は厚塗りですが、この絵は
特にたくさん絵具を重ねてあったような気がしました。
立体感があって、飛び出してくるような感じがしました。
その立体感は、絵具の厚塗りだけのせいではないと思いますが。。。
ゴッホ、、、やっぱり好きだなぁ。。。
この『糸杉』って、日本に来たのは初めてらしいですね。。。
「糸杉」は、英語で「サイプレス」と言いますが、このサイプレスの
精油は、私もよく使います。
以前、このサイプレスについていろいろ調べたことがありました。
サイプレスの学名は、「Cupressus sempervirens」というのですが、
地中海の「キプロス島」の名は、この「Cupressus」から
来ているのだそうです。。。
そしてキプロスではその昔、このサイプレスの木が崇拝されて
いたのだとか。。。
「Cupressus」はラテン語で「イトスギ属に似た」という意味。。。
キプロス島で、サイプレスが崇拝されていたのには、
「死」と関係もあるようで、サイプレスは「喪」の象徴として
葬儀に用いられていたこともあるのだとか。。。
ルーン文字の「ユー」も「死」と関係がありますが、ユーというのは
「イチイ」の木のことです。。。
ケルトでも、イチイの木は死と関わりがある木ですが、
古代ローマでは、そのイチイの木とサイプレスの木が
共に植えられることがあったようです。。。
ゴッホは精神のバランスが不安定になってからは、このサイプレス、、、
糸杉の木の絵をたくさん描いていましたが。。。
なぜなのでしょうね?
この木に、、、
彼は何かを感じ取っていたりしたのでしょうか。。。
メトロポリタン美術館展は、他にも素敵な絵や美術品がたくさんあって、
とても楽しかったです。
惹かれる絵もたくさんあったので、またいつか、そういった絵についても
ここで書いていきたいな。。。と思っていますが、、、
今日ふと気づいたのは、私って、夕日が描かれている絵とか、
思わず目を細めたくなってしまうくらいの、眩しい光が描かれている絵に、
なんとなく目が留まるような?
・・・なんて思ったりもしました。
それと、なんだか可愛らしい彫刻もありました。

『シロクマ』 フランソワ・ポンポン 1923年
妙に可愛らしいシルエットで目に留まり、じっくり眺めたあとに
作者の名前を見て、思わず笑いそうになってしまいました。
「フランソワ・ポンポン」なんて。。。
名前までなんて可愛らしい(笑)
ミュージアム・ショップに行くと、図録が売っていましたが、
ゴッホの糸杉が表紙になっているものと、ポンポンのシロクマが
表紙になっているものがありました。
糸杉のほうは、この展覧会の目玉でもありますので解りますが、
シロクマが表紙というのは、なんというか、「やっぱり(笑)」
みたいな感じがしてしまいましたよ。
もしかすると多くの人が、、、
あのシロクマの可愛さと、そして作者の名前の可愛さで、
ハッキリ記憶に残しているような作品なのかもしれませんね^^
いつも行く美容室の美容師さんは、私とほぼ同世代で、
成人したお子さんと、保育園に通うお子さんふたりのママなのだけど。。。
話しているといつも思います。。。
子供を一人前に育て上げた女性というのは、、、
ホント、たくましいと(笑)
最近、ママ友とはあまり会う機会もなくなったせいか、、、
こういう「たくましいノリ」というのは新鮮で、リフレッシュしたりします(笑)
やっぱり、自分に合っているのですよね、こういうノリ。。。
私も同じく、母ですから。。。
母親業というのは。。。
たくましくならないと、やっていけないと思っています。。。
結婚、そして子育てというものは、本当に本当に精神修行には
もってこいだな。。。なんて思ってしまいました(苦笑)
私の母なんて、、、
父が亡くなってからは、なんだか明るくなっちゃって。。。
何かから解き放たれたようになっちゃって。。。
毎日、父の祭壇の前で般若心経を唱えていたりするし、
父が生きているうちから、それまでの結婚生活の中であった
いろいろも、父も母も綺麗に清算していたように見えますので、
心の中に何かわだかまりが残っていた。。。というわけでは
ないのでしょうが。。。
やり遂げた達成感なのかなぁ?
なんか、母の今の羽ばたき方を見ていると、、、
女性ってホント、たくましいわ。。。
・・・ってね、そう思ってしまいます。
これが父より母のほうが先に逝っていたら、、、
父は弱って、家でテレビをボーッと見るくらいしかしなくなって、
私がノイローゼになってたかもね^^;
成人したお子さんと、保育園に通うお子さんふたりのママなのだけど。。。
話しているといつも思います。。。
子供を一人前に育て上げた女性というのは、、、
ホント、たくましいと(笑)
最近、ママ友とはあまり会う機会もなくなったせいか、、、
こういう「たくましいノリ」というのは新鮮で、リフレッシュしたりします(笑)
やっぱり、自分に合っているのですよね、こういうノリ。。。
私も同じく、母ですから。。。
母親業というのは。。。
たくましくならないと、やっていけないと思っています。。。
結婚、そして子育てというものは、本当に本当に精神修行には
もってこいだな。。。なんて思ってしまいました(苦笑)
私の母なんて、、、
父が亡くなってからは、なんだか明るくなっちゃって。。。
何かから解き放たれたようになっちゃって。。。
毎日、父の祭壇の前で般若心経を唱えていたりするし、
父が生きているうちから、それまでの結婚生活の中であった
いろいろも、父も母も綺麗に清算していたように見えますので、
心の中に何かわだかまりが残っていた。。。というわけでは
ないのでしょうが。。。
やり遂げた達成感なのかなぁ?
なんか、母の今の羽ばたき方を見ていると、、、
女性ってホント、たくましいわ。。。
・・・ってね、そう思ってしまいます。
これが父より母のほうが先に逝っていたら、、、
父は弱って、家でテレビをボーッと見るくらいしかしなくなって、
私がノイローゼになってたかもね^^;
次の発表会で歌う、モーツァルトのアリアは、以前歌ったプッチーニの
アリアよりも、難しい感じがしています。。。
私にとっては。。。ですが。
夏に声楽の発表会があった時、その日近くになってきた頃は
毎日毎日、たくさん練習をしていました。
やはり練習するのとしないのとでは、声の出が全く違うのですが、
そういうこと分かっていながら、私はいつも間近にならないと
本気を出せない(苦笑)
アロマやハーブの試験を受けた時も、そうでした。。。
1年以上かけてノートをまとめたりはしていたけど、本当に
身になる勉強ができたのって、試験2週間前くらいからだったような
気がします。。。
そういう気合いの入った勉強というものは、集中力と吸収力が、
全然違いますよね。
ただ、ダラダラとやっているだけの勉強とは。。。
そんなわけで、前回の歌の発表会の時も、間近になった気合いの入った
練習によって、私の中でなにか「手ごたえ」をつかんだ感覚があったのです。
「あぁ、これかぁ。。。」というようなもの。
それを掴んだあとは、高音もそれまでよりもだいぶ楽に出るように
なったりもしたのでした。
けれども、、、
発表会が終わってから、他のことにいろいろと気を取られ、、、
レッスンに行けない日も続いたり、家でも全く練習をしていなかったので、
久しぶりに歌ってみた時は、すっかり元に戻ってしまっていました。
自分でも、「あれ?」って感じでした。
以前掴んだ感じがしたもの。。。
その「感覚」がどうしても思い出せなくて、声も思ったように
出せなくなり、私自身、欲求不満。。。というか。。。
そんな不調の日々が、このところ続いていました。。。
でも、昨日家で歌の練習をしていたら、なぜか急にフッと、
「それ」を思い出したのです。。。
感覚的に。。。
そうしたら、急に声が変わったような気がしました。
先生も、それを思い出す前の私と、思い出した後の私の違いは
歌を聴いたら、すぐに解ったようです。
さすが、プロ。。。
こうやって私がひとつクリアすれば、先生はそこをきちんと
褒めてくださいます。
だからとても嬉しいのだけれども、先生はまた更に高い要求を
出してくるので、いつまでたってもゴールにたどり着くことはありません。。。
こういうのは、バレエの時でもそうでした。。。
また、中だるみをしている時に、「発表会」というものが
あるのとないのとでは、、、
やはり、エンジンのかかり具合も違ってくるものですね。。。
だからこれからも、、、
そういう機会はなるべく参加したいな。。。と思っています。
先生に教わったことも、頭では解ったつもりでも、決してすぐに
出来るようにはならなくて。。。
歌やバレエの世界では、頭でその理論は解っていたとしても、
実際にそれが出来なければ話にならない。。。
だから、ひたすら練習あるのみです。。。
でもそうやって、ずっと練習していると、、、
ある時急に、開ける時がくる。。。
突き抜ける時。。。というか。
その時に初めて、、、
以前先生が言っていたことが本当に理解できる。。。
「あぁ、こういうことだったんだ。」
・・・と。。。
でも更に、次の課題が生まれてくる。。。
その繰り返しです。。。
それはエンドレスですが、、、
こうやって、延々と高みを目指し続けているのが私はやっぱり
好きだし、楽しいです。。。
アリアよりも、難しい感じがしています。。。
私にとっては。。。ですが。
夏に声楽の発表会があった時、その日近くになってきた頃は
毎日毎日、たくさん練習をしていました。
やはり練習するのとしないのとでは、声の出が全く違うのですが、
そういうこと分かっていながら、私はいつも間近にならないと
本気を出せない(苦笑)
アロマやハーブの試験を受けた時も、そうでした。。。
1年以上かけてノートをまとめたりはしていたけど、本当に
身になる勉強ができたのって、試験2週間前くらいからだったような
気がします。。。
そういう気合いの入った勉強というものは、集中力と吸収力が、
全然違いますよね。
ただ、ダラダラとやっているだけの勉強とは。。。
そんなわけで、前回の歌の発表会の時も、間近になった気合いの入った
練習によって、私の中でなにか「手ごたえ」をつかんだ感覚があったのです。
「あぁ、これかぁ。。。」というようなもの。
それを掴んだあとは、高音もそれまでよりもだいぶ楽に出るように
なったりもしたのでした。
けれども、、、
発表会が終わってから、他のことにいろいろと気を取られ、、、
レッスンに行けない日も続いたり、家でも全く練習をしていなかったので、
久しぶりに歌ってみた時は、すっかり元に戻ってしまっていました。
自分でも、「あれ?」って感じでした。
以前掴んだ感じがしたもの。。。
その「感覚」がどうしても思い出せなくて、声も思ったように
出せなくなり、私自身、欲求不満。。。というか。。。
そんな不調の日々が、このところ続いていました。。。
でも、昨日家で歌の練習をしていたら、なぜか急にフッと、
「それ」を思い出したのです。。。
感覚的に。。。
そうしたら、急に声が変わったような気がしました。
先生も、それを思い出す前の私と、思い出した後の私の違いは
歌を聴いたら、すぐに解ったようです。
さすが、プロ。。。
こうやって私がひとつクリアすれば、先生はそこをきちんと
褒めてくださいます。
だからとても嬉しいのだけれども、先生はまた更に高い要求を
出してくるので、いつまでたってもゴールにたどり着くことはありません。。。
こういうのは、バレエの時でもそうでした。。。
また、中だるみをしている時に、「発表会」というものが
あるのとないのとでは、、、
やはり、エンジンのかかり具合も違ってくるものですね。。。
だからこれからも、、、
そういう機会はなるべく参加したいな。。。と思っています。
先生に教わったことも、頭では解ったつもりでも、決してすぐに
出来るようにはならなくて。。。
歌やバレエの世界では、頭でその理論は解っていたとしても、
実際にそれが出来なければ話にならない。。。
だから、ひたすら練習あるのみです。。。
でもそうやって、ずっと練習していると、、、
ある時急に、開ける時がくる。。。
突き抜ける時。。。というか。
その時に初めて、、、
以前先生が言っていたことが本当に理解できる。。。
「あぁ、こういうことだったんだ。」
・・・と。。。
でも更に、次の課題が生まれてくる。。。
その繰り返しです。。。
それはエンドレスですが、、、
こうやって、延々と高みを目指し続けているのが私はやっぱり
好きだし、楽しいです。。。

『罪』 フランツ・フォン・シュトゥック 1893年
フランツ・フォン・シュトゥックは世紀末ドイツの画家で、もともとは
象徴主義ですが、のちに分離派の創始者のひとりとなったようです。

あのカンディンスキーも、彼の教え子なのですね。
先日娘とテレビを観ていたら、この『罪』の絵が紹介されて、
ふたりで釘付けになりました。
「なんか、すごい不気味。。。すごい怖い。。。」
・・・と言いながらも、目が離せなくなり、忘れられなくなるくらい
インパクトの強い絵でした。
「こういういっちゃってる感じの絵を描くなんて、きっと魚座入ってるよね?」
・・・と、魚座の娘と話していたのですが、シュトゥックのネイタルを
見てみたら、本当に太陽が魚座だったので、娘と一緒に苦笑い。。。
いっちゃってる。。。なんて書くと、魚座の人に失礼ですが、、、
なんというのでしょうね。。。
現実の世界の匂いだけではなく、半分あちらの世界の匂いがする。。。
夢の世界。。。
異次元の匂い。。。
・・・みたいなね。うまく言えないけど。
それを占星術用語で言ったら、魚座の世界とか海王星の世界とか。。。
そんな感じになるのだろうと。
なんでもこのシュトゥックは、フェルナン・クノップフにも
影響を与えた画家なのだそうで、それを聞いた時は、
ものすごく納得してしまいました。
フェルナン・クノップフについては、以前も書いたかと思います。。。

そしてそのクノップフは、あのクリムトに影響を与えている。。。
流れが面白いです。。。
ところでこの絵のモチーフって、、、
ジョン・コリアの『リリス』の絵と、なんだか同じですよね。。。

リリスに思い入れのある私としては、、、
シュトゥックの絵のタイトルが『罪』というのは、、、
妙に複雑な気持ちにさせられたりもするのだけど。。。
光を追求するのが「印象派」だとしたら、闇を追求するのが
「象徴主義」だというお話を聞いたことがあります。。。
でも結局。。。
光が好きな人も、闇が好きな人も、、、
その先に観ているものというのは、同じものなのでしょうね。。。
今日は久しぶりに、「不思議な夢」と言えるような夢を見ました。。。
しかもそれが、3本立てになっていました。。。
最初の夢にはまず、「海」が出てきました。。。
その海を見たいのに、なかなか良いスポットが見つからずに
あちこちさ迷い、結局、デパートのエスカレーターで地下に下りていくと
そこには大きなガラス張りの壁のある部屋があって。。。
そこから海を眺めることができるのだけど、そこはもう既に
人がたくさんいて、、、人の頭でやっぱり海が見えない。。。
もっと早く、ここに気づいていればよかった。。。と思いながら、
少しでも見ることの出来る場所を見つけようと、またあちこち
探し始めました。。。
ふと、他の人が誰も気づいていない裏道を発見し、、、
靴を濡らす覚悟でそこを通れば、絶景ポイントに簡単に行ける
ことに気づきました。。。
その道は、こんな解りやすいところにあるのに、なぜ、周りの人は
気づいていないのだろう?と不思議に思い、そのせいで不信感まで
湧いてきてしまいました。
誰も通らないのは、何かあるからなのでは?
・・・と。。。
そこは、通れば靴は濡れてはしまうだろうけど、でもかなり簡単に
通れそうな浅瀬なのです。。。
私は、そこを通ろうかどうしようかと、しばらく迷っていました。。。
けれどもハッと気づくと、私はなぜか、、、
もう砂浜のど真ん中にいました。。。
そして、目の前には海が広がっていました。
次の夢では、駅までの近道(ということになっている)の地下道が、、、
その時は工事中になっていて、工事関係者の人達は、どうしても
なら通ってもいいけど、そうでなかったらあまり通らないでほしい。。。
みたいな雰囲気を醸し出していてね。
でも私には何か急ぎの用事があるらしく、そこを通らざるをえなくて。。。
そこは通れるようにはなっていても、出口の手前の場所だけは
かなり危険になっていて、命がけでないと通れない。。。
その危険な場所は、なぜか峡谷のようになっていて、その割れ目の上に
細い線路が通っていて、そこをジェットコースターみたいに連なった
ゴムボートに乗って渡るのですが、、、
電力節約のために、ボートが定員がいっぱいになるまでは動かないようでした。。。
私は後ろから2番目あたりのボートに乗りました。。。
人が集まるまでしばらくの間待っていると、待ちきれなくなった
おばさん達が、みんな文句を言いながら帰って行ってしまいました。。。
すると、私の前に座っていた小学生くらいの無邪気そうな女の子が、
おばさん達がいなくなって空いた前の席に移動しようとするのですが、
軽々移動しようとした時に、足を踏み外してボートから落ちてしまって、
真っ暗な谷の底へ真っ逆さまに。。。
場が騒然となり、女の子は死んでしまったとみんなが思いました。
でも線路の5メートルくらい下に、なぜか薄いガラスで出来ている板が
張り出していて、彼女はそこに落ち。。。
その薄いガラスにはヒビがたくさん入り、今にも割れそうで、、、
みんなヒヤヒヤしていましたが、その子はガラスを割らないように
そっと這っていって、鉄の棒を見つけそれを登り、、、
無事に生還してきたのでした。。。
彼女が助かってホッとしたのだけど、それを見た私たちはみんな、
急にそこを渡るのが怖くなってきました。
そして、ゴムボートに残っていた少数の人達も、結局逃げ出して
しまったのでした。。。
多くの人が、ワーワーと騒ぎながら来た道を大急ぎで戻り始める中、
ひとりのおじさんが、現場の係員みたいな人に文句を言っていました。
「どうにかしてくれよ!!」
・・・と。。。
私は、係員の人にあのボートは本当に安全なのかを聞こうと、、、
おじさんが文句を言い終わるのをじっと待っていたのですが、
そこでその夢は終わりました。。。
そして次の夢は。。。
なぜかELTの持田さんと、あと昔からの友達が、私の家に遊びにくる
ということになっていて。。。
私はその日、それを解っているのに外出してしまって、慌てて家に
帰らなければいけない。。。という設定になっていました。
どう考えても間に合わなさそうで焦っていると、知らない人から
電話がかかってきて、持田さんのことは気にしなくても大丈夫だと
言われるのです。
なぜなら、芸能人はみんないい加減だから、約束なんて守らなくても
大丈夫だよ。。。と。。。
そう、言われました。
でもどっちにしても、もうひとりの友達もいるし、、、
早く帰らなければ、、、と思っているのですが、私はなぜか車の
後部座席に乗っていて、そしてなぜか紅葉の綺麗な山道を走ってる。。。
その車が全く動かなくて、ジリジリとした気分で窓の外を見ると。。。
遠くの山の、その山肌に映し出された紅葉らしき景色がね、、、
また、天国のような景色だったのです。。。
この世のものとは思えないほどの、美しい色。。。
極彩色の曼荼羅のような素晴らしい模様。。。
「あ、、、また見れた。異次元のこの景色。。。」
・・・と、夢の中で私は思い、、、
その時はもう、さっきまでの焦った気持ちは全部消えてなくなり、
今は異次元の、この美しさをじっくり堪能しなくちゃ。。。と。。。
すごいじっくり眺めてた(笑)
その時はもう、、、
これが夢だということには気づいていました。。。
そうして、、、ものすごく気分よく目覚めました。。。
以前、こんな夢を見たことを日記に書いたと思います。。。
霞と、この世のものとは思えない美しい色
あの夢の壁画の色があまりにも美しかったので、、、
私はものすごく感動しました。。。
そして、これが異次元の色なのだ。。。と、私の中ではかなり
強烈にインプットされていましたので、今回同じ香りのする
景色を見た時、すぐに気づいたのだろうと思います。。。
最後の夢の景色が一番印象深いけれども。。。
その前の2本の夢も、、、
なんだか意味深い夢だったなぁ。。。なんて思います。。。
そしてやっぱり、WMの影響も受けていそうです。。。
しかもそれが、3本立てになっていました。。。
最初の夢にはまず、「海」が出てきました。。。
その海を見たいのに、なかなか良いスポットが見つからずに
あちこちさ迷い、結局、デパートのエスカレーターで地下に下りていくと
そこには大きなガラス張りの壁のある部屋があって。。。
そこから海を眺めることができるのだけど、そこはもう既に
人がたくさんいて、、、人の頭でやっぱり海が見えない。。。
もっと早く、ここに気づいていればよかった。。。と思いながら、
少しでも見ることの出来る場所を見つけようと、またあちこち
探し始めました。。。
ふと、他の人が誰も気づいていない裏道を発見し、、、
靴を濡らす覚悟でそこを通れば、絶景ポイントに簡単に行ける
ことに気づきました。。。
その道は、こんな解りやすいところにあるのに、なぜ、周りの人は
気づいていないのだろう?と不思議に思い、そのせいで不信感まで
湧いてきてしまいました。
誰も通らないのは、何かあるからなのでは?
・・・と。。。
そこは、通れば靴は濡れてはしまうだろうけど、でもかなり簡単に
通れそうな浅瀬なのです。。。
私は、そこを通ろうかどうしようかと、しばらく迷っていました。。。
けれどもハッと気づくと、私はなぜか、、、
もう砂浜のど真ん中にいました。。。
そして、目の前には海が広がっていました。
次の夢では、駅までの近道(ということになっている)の地下道が、、、
その時は工事中になっていて、工事関係者の人達は、どうしても
なら通ってもいいけど、そうでなかったらあまり通らないでほしい。。。
みたいな雰囲気を醸し出していてね。
でも私には何か急ぎの用事があるらしく、そこを通らざるをえなくて。。。
そこは通れるようにはなっていても、出口の手前の場所だけは
かなり危険になっていて、命がけでないと通れない。。。
その危険な場所は、なぜか峡谷のようになっていて、その割れ目の上に
細い線路が通っていて、そこをジェットコースターみたいに連なった
ゴムボートに乗って渡るのですが、、、
電力節約のために、ボートが定員がいっぱいになるまでは動かないようでした。。。
私は後ろから2番目あたりのボートに乗りました。。。
人が集まるまでしばらくの間待っていると、待ちきれなくなった
おばさん達が、みんな文句を言いながら帰って行ってしまいました。。。
すると、私の前に座っていた小学生くらいの無邪気そうな女の子が、
おばさん達がいなくなって空いた前の席に移動しようとするのですが、
軽々移動しようとした時に、足を踏み外してボートから落ちてしまって、
真っ暗な谷の底へ真っ逆さまに。。。
場が騒然となり、女の子は死んでしまったとみんなが思いました。
でも線路の5メートルくらい下に、なぜか薄いガラスで出来ている板が
張り出していて、彼女はそこに落ち。。。
その薄いガラスにはヒビがたくさん入り、今にも割れそうで、、、
みんなヒヤヒヤしていましたが、その子はガラスを割らないように
そっと這っていって、鉄の棒を見つけそれを登り、、、
無事に生還してきたのでした。。。
彼女が助かってホッとしたのだけど、それを見た私たちはみんな、
急にそこを渡るのが怖くなってきました。
そして、ゴムボートに残っていた少数の人達も、結局逃げ出して
しまったのでした。。。
多くの人が、ワーワーと騒ぎながら来た道を大急ぎで戻り始める中、
ひとりのおじさんが、現場の係員みたいな人に文句を言っていました。
「どうにかしてくれよ!!」
・・・と。。。
私は、係員の人にあのボートは本当に安全なのかを聞こうと、、、
おじさんが文句を言い終わるのをじっと待っていたのですが、
そこでその夢は終わりました。。。
そして次の夢は。。。
なぜかELTの持田さんと、あと昔からの友達が、私の家に遊びにくる
ということになっていて。。。
私はその日、それを解っているのに外出してしまって、慌てて家に
帰らなければいけない。。。という設定になっていました。
どう考えても間に合わなさそうで焦っていると、知らない人から
電話がかかってきて、持田さんのことは気にしなくても大丈夫だと
言われるのです。
なぜなら、芸能人はみんないい加減だから、約束なんて守らなくても
大丈夫だよ。。。と。。。
そう、言われました。
でもどっちにしても、もうひとりの友達もいるし、、、
早く帰らなければ、、、と思っているのですが、私はなぜか車の
後部座席に乗っていて、そしてなぜか紅葉の綺麗な山道を走ってる。。。
その車が全く動かなくて、ジリジリとした気分で窓の外を見ると。。。
遠くの山の、その山肌に映し出された紅葉らしき景色がね、、、
また、天国のような景色だったのです。。。
この世のものとは思えないほどの、美しい色。。。
極彩色の曼荼羅のような素晴らしい模様。。。
「あ、、、また見れた。異次元のこの景色。。。」
・・・と、夢の中で私は思い、、、
その時はもう、さっきまでの焦った気持ちは全部消えてなくなり、
今は異次元の、この美しさをじっくり堪能しなくちゃ。。。と。。。
すごいじっくり眺めてた(笑)
その時はもう、、、
これが夢だということには気づいていました。。。
そうして、、、ものすごく気分よく目覚めました。。。
以前、こんな夢を見たことを日記に書いたと思います。。。

あの夢の壁画の色があまりにも美しかったので、、、
私はものすごく感動しました。。。
そして、これが異次元の色なのだ。。。と、私の中ではかなり
強烈にインプットされていましたので、今回同じ香りのする
景色を見た時、すぐに気づいたのだろうと思います。。。
最後の夢の景色が一番印象深いけれども。。。
その前の2本の夢も、、、
なんだか意味深い夢だったなぁ。。。なんて思います。。。
そしてやっぱり、WMの影響も受けていそうです。。。
『Aria di chiesa』
これは『教会のアリア』というイタリア古典歌曲のタイトルから
とったものでした。。。
あのブログを書き始めた時に、たまたま流れていた曲のタイトルを、
そのままブログの名前にしたのです。。
声楽を習い始めた時に、コンコーネとイタリア歌曲の楽譜から
入ったのですが、私はその歌曲の中で、この曲に一番惹かれました。。。
曲のタイトルを見た時、私って本当にキリスト教関係に縁があるのだなぁ。。。と
思ったりしたものです。
無意識にそういうのに惹かれる傾向が、どうも、あるみたい。。。
この曲の作詞者は不明らしいですが、作曲者は分かっていて、
アレッサンドロ・ストラデッラという人だそうです。
アレッサンドロ・ストラデッラ

素晴らしい芸術作品を残す人が、必ずしも聖人とは限らないのですね。
そしてこういう人が、、、
「宗教曲」をたくさん書いたというのがまた。。。(苦笑)
歌の先生に、「何か歌ってみたい歌はありますか?」と聞かれた時に
この曲を言ったら、先生もちゃんと習ったことない。。。とおっしゃっていました。
なので、習うことができなかったのですが、、、
いつか歌ってみたい曲のひとつです。
この動画は、アンドレア・ボチェッリさん。
彼はいつだったか来日した時に、こんなことを言っていました。。。
僕はこの声は神様が下さったプレゼントだと思っています。
だから、世界中をツアーしたりするのは、体力的には
辛かったりしますが、少しでも多くの人に僕の歌を届けることが
自分の使命だと思っています。。。
そうおっしゃる彼は。。。
なんだかとても謙虚な感じがして。。。素敵だなぁ。。。と思いました。。。
天職なのでしょうね、きっと。。。
そしてそれを彼自身も自覚されているから、神様に感謝の気持ちを
持ちながら、とても謙虚になれるのかもしれない。。。と。。。
とても感動したことを覚えています。。。
Pieta Signore,di me dolente,
se a te giunge il nio pregar
non mi punisca il tuo rigor:
meno severi,clementi ognora
voigi i tuoi sguardi sopra di me:
non fia mai che nell’inferno
sia dannato nel fuoco eterno
dai tuo rigor:gran Dio giammai.
主よ、悩める私に憐れみを。
私の祈りが届くなら
厳しく私を罰しないでください。
厳しさを和らげたいつも慈悲深い眼差しを
私の上に注いでください。
地獄の永遠の火の中で
あなたの厳しさによって
罰せられませんように、偉大な神よ。
これは『教会のアリア』というイタリア古典歌曲のタイトルから
とったものでした。。。
あのブログを書き始めた時に、たまたま流れていた曲のタイトルを、
そのままブログの名前にしたのです。。
声楽を習い始めた時に、コンコーネとイタリア歌曲の楽譜から
入ったのですが、私はその歌曲の中で、この曲に一番惹かれました。。。
曲のタイトルを見た時、私って本当にキリスト教関係に縁があるのだなぁ。。。と
思ったりしたものです。
無意識にそういうのに惹かれる傾向が、どうも、あるみたい。。。
この曲の作詞者は不明らしいですが、作曲者は分かっていて、
アレッサンドロ・ストラデッラという人だそうです。


素晴らしい芸術作品を残す人が、必ずしも聖人とは限らないのですね。
そしてこういう人が、、、
「宗教曲」をたくさん書いたというのがまた。。。(苦笑)
歌の先生に、「何か歌ってみたい歌はありますか?」と聞かれた時に
この曲を言ったら、先生もちゃんと習ったことない。。。とおっしゃっていました。
なので、習うことができなかったのですが、、、
いつか歌ってみたい曲のひとつです。
この動画は、アンドレア・ボチェッリさん。
彼はいつだったか来日した時に、こんなことを言っていました。。。
僕はこの声は神様が下さったプレゼントだと思っています。
だから、世界中をツアーしたりするのは、体力的には
辛かったりしますが、少しでも多くの人に僕の歌を届けることが
自分の使命だと思っています。。。
そうおっしゃる彼は。。。
なんだかとても謙虚な感じがして。。。素敵だなぁ。。。と思いました。。。
天職なのでしょうね、きっと。。。
そしてそれを彼自身も自覚されているから、神様に感謝の気持ちを
持ちながら、とても謙虚になれるのかもしれない。。。と。。。
とても感動したことを覚えています。。。
Pieta Signore,di me dolente,
se a te giunge il nio pregar
non mi punisca il tuo rigor:
meno severi,clementi ognora
voigi i tuoi sguardi sopra di me:
non fia mai che nell’inferno
sia dannato nel fuoco eterno
dai tuo rigor:gran Dio giammai.
主よ、悩める私に憐れみを。
私の祈りが届くなら
厳しく私を罰しないでください。
厳しさを和らげたいつも慈悲深い眼差しを
私の上に注いでください。
地獄の永遠の火の中で
あなたの厳しさによって
罰せられませんように、偉大な神よ。
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