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癒される音楽を探していたら、懐かしい曲を見つけた。。。
この曲、、、
昔ラジオから流れてきて、すごく惹かれて、それでCDを買ったの。。。
その中で、この曲も好きだったな。。。
今の家に越してきてからは、聴いてなかったから。。。
7年以上は聴いてないはず。
でも、、、
娘が一緒に口ずさんでる。。。
あの頃、あんなに小さかったのに、、、
覚えているんだね。。。
この曲、、、
昔ラジオから流れてきて、すごく惹かれて、それでCDを買ったの。。。
その中で、この曲も好きだったな。。。
今の家に越してきてからは、聴いてなかったから。。。
7年以上は聴いてないはず。
でも、、、
娘が一緒に口ずさんでる。。。
あの頃、あんなに小さかったのに、、、
覚えているんだね。。。
私もまだまだ未熟者なので。。。
「呪いでもかけてやろうかしら。」
・・・なんて、真面目に思ってしまったりすることもあり(苦笑)
でも、、、
宇宙のことをいろいろ知ってしまうと、怖くてそんなことは
出来なくなる。。。
それに。。。
自分の身に降りかかる出来事というものは、全てが自己責任。。。
それは誰にとってもそうで。。。
だから何が起きても、それを誰かのせいにすることは、
遠まわりすること以外の何ものでもないと、私は思っています。
普通の人間的視点で見ると、「全く何てことしてくれるんだ。」と
思うようなことであっても、そこから大きく引いた視点。。。
魂の視点で見てしまうと、、、
「あなたがそうしてくれたから、、、
この子は本来進むべきだった道に進むことが出来た。」
・・・と。。。
本心でそう思ってしまうから。。。
だから、エゴはものすごく悔しがっているのだけれども、、、
でも、、、深いところでは、やっぱり感謝してしまう。。。
呪いたくなるくらい腹立たしい相手のはずなのに。。。
そのことを息子に伝えると、、、
妙に悟りきった顔で頷いて。
あの夫とこの私の息子なだけに。。。
彼のこの選択は、、、親としてもかなり納得しているんだ。実は。
最近はまた、、、
地震が多いですね。。。
「呪いでもかけてやろうかしら。」
・・・なんて、真面目に思ってしまったりすることもあり(苦笑)
でも、、、
宇宙のことをいろいろ知ってしまうと、怖くてそんなことは
出来なくなる。。。
それに。。。
自分の身に降りかかる出来事というものは、全てが自己責任。。。
それは誰にとってもそうで。。。
だから何が起きても、それを誰かのせいにすることは、
遠まわりすること以外の何ものでもないと、私は思っています。
普通の人間的視点で見ると、「全く何てことしてくれるんだ。」と
思うようなことであっても、そこから大きく引いた視点。。。
魂の視点で見てしまうと、、、
「あなたがそうしてくれたから、、、
この子は本来進むべきだった道に進むことが出来た。」
・・・と。。。
本心でそう思ってしまうから。。。
だから、エゴはものすごく悔しがっているのだけれども、、、
でも、、、深いところでは、やっぱり感謝してしまう。。。
呪いたくなるくらい腹立たしい相手のはずなのに。。。
そのことを息子に伝えると、、、
妙に悟りきった顔で頷いて。
あの夫とこの私の息子なだけに。。。
彼のこの選択は、、、親としてもかなり納得しているんだ。実は。
最近はまた、、、
地震が多いですね。。。
前回の声楽の発表会のあとくらいから、なんとなく声の調子が
スカスカとして通らない感じがしていました。
この季節、空気が乾燥しているせいもあるのかもしれないと思いつつ、
声がうまく出ないのは、練習不足かも。。。という不安というか焦りのような
気持ちがあり、毎日発声練習と、歌の練習を続けていたりしました。
クラシックの声楽だけでなく、普通のヴォイス・トレーニングも
始めることにしたので、その準備として、更にポップス系の
歌の練習もそこに重ねていました。
それでも、いつもいつも納得いく声が出なくて釈然としないところに、
他にもいろいろとあって、更に気分がどんよりとなってきたので、
その気分を吹き飛ばそうと 娘とカラオケで2時間くらい歌ったら、
とうとう、喉が痛くなってきました。
しまいには、歌うと息がかなり漏れるようになり、ヴォイトレの先生に
相談してみたら、それはもしかしたら声帯が炎症を起こしているかも
しれないよ。。。と言われ。
そこで初めて、、、
「あぁ。。。またやってしまった。。。」
・・・と、気づきました(苦笑)
なんと言うのでしょうね。。。
以前出来たことが出来なくなった時って、、、
バレエの時もそうだったのですが、妙に焦るのです。。。
こういう調子の悪い時は焦らないのが一番ということは、
バレエの時に散々身に染みて解っていたはずなのに、
またやってしまった。。。と。。。(涙)
声楽の先生にも、喉のこといろいろと聴いてみましたが、
今の段階ではおそらく、炎症はおこしているだろうけれども、
結節が出来るまでには至っていないだろうから、治るまでは
歌は歌わないほうがいいですよ。。。と言われました。
こういう時は、歌を休むことはもちろん、おしゃべりもなるべく
少なめにした方がいいそうです。
話す、、、ということが、喉には一番負担がかかるそうなのですが、
電話で話したりすることは、一番良くないようです。
大きな声も良くないみたいですが、逆に、ひそひそ話のような
話し方も、喉に負担がかかるのだそうです。
あと、極端に熱い飲み物や辛いものもダメ。
あとは加湿とか水分補給とか、ケアの方法をいろいろと聞いてきました。
そういうことを守っていれば、一週間もすればほとんどの場合は
治るようですので、ここはグッと我慢しようと思います。。。
歌いたいのを我慢することは、そこまで辛くはないのです。
私にとって一番シンドイのは、、、
「ずっと練習しないでまた戻ってしまったら、前より出来なくなって
しまったらどうしよう。」
・・・という、自分の中の焦りや不安を鎮めることなのです。。。
こういった時の、自分との向き合い方はバレエ体験の中でいろいろと
学びましたので、今はそのあたりのバランスの取り方も、昔よりは
少しは上手になってきたと思っていたのですが、、、
それでもまた、繰り返してしまったことがちょっとショック。。。
修行が足りませんでした(苦笑)
喉が悪化して手術なんてことになると、術後一ヶ月くらいは
沈黙を守らなければいけなくなったりもするそうです。
さすがに私はプロじゃないので、そこまでにはならないけど。。。
でも、一ヶ月の沈黙なんて。。。まるで、修行みたい。。。
「沈黙の行」
・・・みたいな(苦笑)
スカスカとして通らない感じがしていました。
この季節、空気が乾燥しているせいもあるのかもしれないと思いつつ、
声がうまく出ないのは、練習不足かも。。。という不安というか焦りのような
気持ちがあり、毎日発声練習と、歌の練習を続けていたりしました。
クラシックの声楽だけでなく、普通のヴォイス・トレーニングも
始めることにしたので、その準備として、更にポップス系の
歌の練習もそこに重ねていました。
それでも、いつもいつも納得いく声が出なくて釈然としないところに、
他にもいろいろとあって、更に気分がどんよりとなってきたので、
その気分を吹き飛ばそうと 娘とカラオケで2時間くらい歌ったら、
とうとう、喉が痛くなってきました。
しまいには、歌うと息がかなり漏れるようになり、ヴォイトレの先生に
相談してみたら、それはもしかしたら声帯が炎症を起こしているかも
しれないよ。。。と言われ。
そこで初めて、、、
「あぁ。。。またやってしまった。。。」
・・・と、気づきました(苦笑)
なんと言うのでしょうね。。。
以前出来たことが出来なくなった時って、、、
バレエの時もそうだったのですが、妙に焦るのです。。。
こういう調子の悪い時は焦らないのが一番ということは、
バレエの時に散々身に染みて解っていたはずなのに、
またやってしまった。。。と。。。(涙)
声楽の先生にも、喉のこといろいろと聴いてみましたが、
今の段階ではおそらく、炎症はおこしているだろうけれども、
結節が出来るまでには至っていないだろうから、治るまでは
歌は歌わないほうがいいですよ。。。と言われました。
こういう時は、歌を休むことはもちろん、おしゃべりもなるべく
少なめにした方がいいそうです。
話す、、、ということが、喉には一番負担がかかるそうなのですが、
電話で話したりすることは、一番良くないようです。
大きな声も良くないみたいですが、逆に、ひそひそ話のような
話し方も、喉に負担がかかるのだそうです。
あと、極端に熱い飲み物や辛いものもダメ。
あとは加湿とか水分補給とか、ケアの方法をいろいろと聞いてきました。
そういうことを守っていれば、一週間もすればほとんどの場合は
治るようですので、ここはグッと我慢しようと思います。。。
歌いたいのを我慢することは、そこまで辛くはないのです。
私にとって一番シンドイのは、、、
「ずっと練習しないでまた戻ってしまったら、前より出来なくなって
しまったらどうしよう。」
・・・という、自分の中の焦りや不安を鎮めることなのです。。。
こういった時の、自分との向き合い方はバレエ体験の中でいろいろと
学びましたので、今はそのあたりのバランスの取り方も、昔よりは
少しは上手になってきたと思っていたのですが、、、
それでもまた、繰り返してしまったことがちょっとショック。。。
修行が足りませんでした(苦笑)
喉が悪化して手術なんてことになると、術後一ヶ月くらいは
沈黙を守らなければいけなくなったりもするそうです。
さすがに私はプロじゃないので、そこまでにはならないけど。。。
でも、一ヶ月の沈黙なんて。。。まるで、修行みたい。。。
「沈黙の行」
・・・みたいな(苦笑)
昨日、声帯の炎症のことを書いてしまいましたが、、、
そのせいで、何人かの方々にご心配をおかけしてしまったこと、
申し訳なく思っています。
文章で書くと、より深刻な感じがしてしまうかもしれないのですが、
症状は、そこまでひどくはないので、ご安心くださいね。
先生に教えていただいたことは、一般的な対処法であって、、、
もちろん、外側からそういった対処をすることも大切であります。。。
ですので、教えていただいたことをメモ的に書くと同時に、それがどこかで
誰かの役に立てばいいなとシェアしたつもりだったのですが、
そのせいで、逆にご心配をおかけしてしまったことは、やはり少し
配慮にかけていたな。。。と、反省しております。すみません。
でも同時に、人の心の温かさに触れることが出来て、、、
不謹慎かもしれませんが、嬉しくも思っております。
ありがとうございます。。。感謝をこめて。。。
喉に炎症を起こしたのは、空気の乾燥や歌いすぎなどの、
外的な要因だけではないことは、実は解っていたりして。。。
私の場合、内面のバランスが乱れるとそれが即、体調に
反映されることが多いです。
そして今回のことは、その内面のほうの要因も、、、
ハッキリ解っていたりして。。。
ですので、そちらのほうも、これからスッキリさせなければな。。。と、
そう思っていたりもします。
出来事って、、、
言葉では完璧に説明出来ないくらい、様々なことが複雑に、、、
そして見事に絡み合っているのが解ります。。。
声帯に炎症を起こすという経験は、今回が2度目で、、、
そして、今回は前回の時よりも少し悪化させてしまいました。
私は前回の時に、しっかりそれを体験し尽くさず、魂が気づかせたがって
いたことにしっかり気づけずにいたので、、、
また同じことを繰り返したのです。。。
だから今回は、前回よりも悪化しました。
ですので、この貴重な機会を通して、魂の納得いく答えをエゴが
ちゃんと見つけられるように、大事に体験していきたいと思っています。
私のエゴが、魂の見つけてほしがっている答えを見つけられた時、、、
その時はきっと、絡み合っている周囲の問題も同時に解決するのだろうな。。。と、
そんな気がしています。
そしてその時、、、同時に喉もスッキリ治るのだろうと。。。
喉を傷め歌えないことによって、声楽のレッスンの時間を丸々使って、
普段は時間がなくて聞きたくても聞けないようなことを、
この機会に先生にまとめて聞けたことは、ある意味今回の、
大きな収穫でもありました。
私は転んでも、タダでは起きないの(笑)
モーツァルトの音楽について、いろいろ教えていただいたのです。。。
モーツァルトの音楽は、それ以降に出てきた例えばプッチーニや
ヴェルディに比べると、華やかさには欠けるけれども、、、
やはりすべての音楽の基礎になっているようなものをたくさん
含んでいるとのこと。。。
その歌の中には、いろんな技法が含まれているので、
それをマスターしておけば、あとが楽なのだとか。。。
ですので、基礎をしっかりやりたいのであれば、まずは
モーツァルトを練習して、そのあとに広げていくいいですよ。
・・・と、先生はそうおっしゃっていました。
なるほど。。。と思いました。
アリアも、、、
プッチーニよりもモーツァルトのほうが難しい。。。と感じたのは、
そのせいだったのかな。。。
もちろん、、、
趣味でやっている場合は、自分の歌いたい歌を楽しく歌えば
それでもいいのでしょうけれども。。。
私はやっぱり、バレエ時代の「基礎が命!」という考え方が、
がっちり染み付いてしまっているみたいで。。。
その点については、どんどん厳しく指導してください。。。って
心から思うのです。
友達には、「LyricaってMだよね。」と言われましたが(笑)
でも、、、それがやっぱり、楽しいと感じるのですよ。
・・・といいつつも、いつかはこんな曲も歌いたい。。。
そのせいで、何人かの方々にご心配をおかけしてしまったこと、
申し訳なく思っています。
文章で書くと、より深刻な感じがしてしまうかもしれないのですが、
症状は、そこまでひどくはないので、ご安心くださいね。
先生に教えていただいたことは、一般的な対処法であって、、、
もちろん、外側からそういった対処をすることも大切であります。。。
ですので、教えていただいたことをメモ的に書くと同時に、それがどこかで
誰かの役に立てばいいなとシェアしたつもりだったのですが、
そのせいで、逆にご心配をおかけしてしまったことは、やはり少し
配慮にかけていたな。。。と、反省しております。すみません。
でも同時に、人の心の温かさに触れることが出来て、、、
不謹慎かもしれませんが、嬉しくも思っております。
ありがとうございます。。。感謝をこめて。。。
喉に炎症を起こしたのは、空気の乾燥や歌いすぎなどの、
外的な要因だけではないことは、実は解っていたりして。。。
私の場合、内面のバランスが乱れるとそれが即、体調に
反映されることが多いです。
そして今回のことは、その内面のほうの要因も、、、
ハッキリ解っていたりして。。。
ですので、そちらのほうも、これからスッキリさせなければな。。。と、
そう思っていたりもします。
出来事って、、、
言葉では完璧に説明出来ないくらい、様々なことが複雑に、、、
そして見事に絡み合っているのが解ります。。。
声帯に炎症を起こすという経験は、今回が2度目で、、、
そして、今回は前回の時よりも少し悪化させてしまいました。
私は前回の時に、しっかりそれを体験し尽くさず、魂が気づかせたがって
いたことにしっかり気づけずにいたので、、、
また同じことを繰り返したのです。。。
だから今回は、前回よりも悪化しました。
ですので、この貴重な機会を通して、魂の納得いく答えをエゴが
ちゃんと見つけられるように、大事に体験していきたいと思っています。
私のエゴが、魂の見つけてほしがっている答えを見つけられた時、、、
その時はきっと、絡み合っている周囲の問題も同時に解決するのだろうな。。。と、
そんな気がしています。
そしてその時、、、同時に喉もスッキリ治るのだろうと。。。
喉を傷め歌えないことによって、声楽のレッスンの時間を丸々使って、
普段は時間がなくて聞きたくても聞けないようなことを、
この機会に先生にまとめて聞けたことは、ある意味今回の、
大きな収穫でもありました。
私は転んでも、タダでは起きないの(笑)
モーツァルトの音楽について、いろいろ教えていただいたのです。。。
モーツァルトの音楽は、それ以降に出てきた例えばプッチーニや
ヴェルディに比べると、華やかさには欠けるけれども、、、
やはりすべての音楽の基礎になっているようなものをたくさん
含んでいるとのこと。。。
その歌の中には、いろんな技法が含まれているので、
それをマスターしておけば、あとが楽なのだとか。。。
ですので、基礎をしっかりやりたいのであれば、まずは
モーツァルトを練習して、そのあとに広げていくいいですよ。
・・・と、先生はそうおっしゃっていました。
なるほど。。。と思いました。
アリアも、、、
プッチーニよりもモーツァルトのほうが難しい。。。と感じたのは、
そのせいだったのかな。。。
もちろん、、、
趣味でやっている場合は、自分の歌いたい歌を楽しく歌えば
それでもいいのでしょうけれども。。。
私はやっぱり、バレエ時代の「基礎が命!」という考え方が、
がっちり染み付いてしまっているみたいで。。。
その点については、どんどん厳しく指導してください。。。って
心から思うのです。
友達には、「LyricaってMだよね。」と言われましたが(笑)
でも、、、それがやっぱり、楽しいと感じるのですよ。
・・・といいつつも、いつかはこんな曲も歌いたい。。。
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随分前に、テレビで放送されて録画しておいた映画ですが、
やっと観ることが出来ました。
私は、ビゼーの『カルメン』の音楽大好きなのですけれども、、、
映画の中で、『カルメン』のオペラを映画化するシーンがあり、
その舞台や衣装が、もうものすごく素敵でした。
アマゾンのレビューを見たところ、そのシーンは本場スペインで
撮影されたのだそうで。。。
さすが本場は違う。。。と。。。
理想のカルメンの世界。。。と思ってしまうくらい素晴らしい映像でした。
マリア・カラスが最後のシーンで言っていました。。。
普通の女になればよかった。
私たちは、普通の人になる選択をして幸せになれるはずだったのに、
私は、マリア・カラスになることを選んでしまった。
束の間の栄光を手に入れることは出来たけれども、、、
それはすぐに消え去ってしまった。
マリア・カラスのこのセリフを聞いていたら、、、
ずっと前に見た、自分の前世のヴィジョンを思い出してしまいました。
それが本当に自分の前世なのか、それとも心の奥深くにある
何かなのかは解りませんが、、、
でも「それ」が確実に、今の私の人生に影響を与えていることを、
今は、なんとなく解っています。。。
そのヴィジョンの中では、私は西洋の男性だったのですが、
家の都合で、かなり高い地位のある、あるお金持ちの家の娘と
結婚することになりました。婿養子という形で。
私は、超豪邸に住み、その女性との間に二人の娘をもうけ、、、
それなりの地位も得て、物質的には何一つ苦労のない贅沢な
暮らしをしていました。
けれども、婿養子ということにコンプレックスを持っていた私は、
妙なプライドが邪魔したのか、妻や娘とは最後まで心を通わすことが出来ず、、、
最後は、たくさんの本が並ぶ自宅の大きな書斎にあるこれもまた、
大きな立派な木のテーブルの上にうつ伏したまま、たった一人で
寂しく亡くなりました。
自分が死んだあと、、、
私は空中に浮かび、天井から自分の亡くなった姿を見つめていました。
亡くなった自分に対して「よく頑張ったね。」と言っていました。
そして、、、そこで私は、しみじみ思っているのです。。。
物質的に満たされても、結局何の意味もない。。。と。
これは、一種の誘導催眠みたいなもので観たヴィジョンだったのですが、、、
そこから覚めた時、私は号泣していました。
このお話は、これまでも何度か書いたことありましたが、、、
こうやって、ことある毎に思い出させられたりするのですから、
やはり、私の今生の人生に対して、大きな影響を与えているものなのでしょう。。。
今は、あのヴィジョンの中のように、大金持ちでもなければ、
地位とか名誉とか、そういうものもありませんけれども。。。
あのヴィジョンの中の自分と今の自分を比べてみたら、、、
今のほうが断然幸せだと思う。。。
夫に対しても、子供達に対しても、、、
私が一番安心できるのは、彼らと「心で繋がっている」と実感できる時で。
表面的なこと、物質的なことには、あまり振り回されないところが、、、
今の私には、やっぱりあって。
あと、、、
今でも自宅には本がたくさんあって、、、
でもその中で、最初から最後までしっかり読みきった本というのは、
実は、ほんの少ししかないのです。。。
本棚に、読みもしない本がたくさん並んでいるのを見ていると、、、
ここでもやはり、時々フッとあの前世らしきヴィジョンを思い出すことがある。。。
本に囲まれていると安心する。。。みたいなところって。。。
もしかすると、前世から引きずっているのかもしれないね。。。

『オーヴェールの教会』 フィンセント・ファン・ゴッホ 1890年
ゴッホ最期の地、オーヴェール・シュル・オワーズにある教会を描いたもの。
ネットで検索すれば、この教会の実物の写真を観ることができ、、、
それを見ると、この絵の教会は、実際のものとはだいぶイメージが
違うものであることが解ります。
でも、、、
ゴッホには本当にこの絵のように、、、
教会のその輪郭が、揺らめいて見えていたのでしょうね。。。
ゴッホは、お姉さんにこんな手紙を送っています。
ぼくはいま、村の教会のかなり大きな作品を手掛けています。
この建物は深く澄んだ、純粋なコバルド・ブルーの空にくらべると
紫色がかって見えます。
焼絵ガラスのはまった窓は群青のしみのようです。
屋根は紫色で、一部はオレンジ色です。
前景にはちょっと緑がかった花が咲き、日のあたっている砂地は
バラ色です。
この作品はヌエネンで描いた古い塔と墓地の習作とほとんど同じですが、
この作品では、色彩はもっと表現力に富み、もっと豪華になっています。
ヴァチカンの法王、ベネティクト16世が近々引退するそうですね。。。
そのヴァチカンが権力を振るっていた時代の絵画は、、、
写実主義的なものがその中心で、その時代に印象派の絵なんてものは、
絶対に認められはしなかったことでしょう。。。
その印象派さえも首をかしげるような絵。。。
たとえばピカソとかポロックとか。。。
後世には、そういった画家たちも、登場してきたりしました。
表現の仕方や描き方の変化は、、、
人類の意識の変化を、そのまんま映し出しているようで。。。
ゴッホは、印象派にも影響を受けてはいますが、、、
ゴッホの絵は、ゴッホなのです。。。
彼そのもの。。。
彼の世界では、、、
この教会の壁は、紫色がかっている。。。
それが本当に、彼が観ている世界であり。。。
だからそれが、「ゴッホ」だということ。。。
私たちって、、、
目の前にあるものを、本当に同じものとして捉えているのでしょうか?
今でも時々思います。。。
私が観ている赤と、あなたが観ている赤は、、、
本当に同じ色をしているのだろうか。。。と。。。
息子がツイッターで、こんな言葉をリツイートしていました。。。
自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う
必要はありませんよ。
サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中で咲かない。
シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、
誰がシロクマを責めますか
(梨木香歩『西の魔女が死んだ』)
なんだか。。。
苦笑い。。。
『西の魔女が死んだ』は、私の大好きなお話のひとつであって、、、
映画化された時は娘と試写会にまで足を運び、二人で泣きながら
その映画を観ました。
娘に原作の本を薦めてみると、彼女は素直にそれを読んでた。。。
映画のDVDを買って家で観ていた時は、息子も何となく一緒に
観ていたけど。。。
彼はあんまり関心ないみたいに見えていたし、もちろん本なんて、
絶対に読もうとしなかった。
それでも、、、当時も彼の中では、思うことあったのでしょうね。。。
そしてやっぱり、本人の自覚はなかったとしても、、、
少なからず、周りから影響も受けたでしょうし。。。
息子は、、、
あのツイートを私が見ることを承知で、あえてリツイートしたのだろうな。。。
なんて、勘ぐりたくなったりもして。
趣味ブログとして使っていたブログは、、、
今や着々と私の本棚と化しているのだけど(笑)
そんな息子のツイートに刺激されて、西魔女のことも思い出し。。。
それも本棚ブログに追加しておこうと思ったのだけど。。。
そうしたら連鎖して、忘れていたような古い本やらCDのことも
いろいろと思い出してきて。。。
それを整理し出したら止まらなくなってしまった。。。
無性にそういうことをやりたくなる時があるの。。。私って。
整理好きの乙女座の月が刺激されるのか。。。
こういうのも惑星の影響なのかしら?
・・・なんて思いながら。。。
そんな中、、、
昔読んだ、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という本のことを
ふと、思い出しました。。。
学校の、『文章表現』という授業の課題で読まされてね、、、
私はそれまで、小説なんてマトモに読んだこともなかったのだけど、
この本がキッカケとなり、一時期は小説をあれこれ読み漁ったり
していたこともありました。
これは、そんな思い出の本だったりもします。。。
それであの時、この本の感想文を書いて提出したら、、、
みんなの感想文を読んだ先生が、こんなことを言っていたのを、
今でもハッキリ覚えています。。。
「この本は、毎年生徒には必ず読んでもらって、感想文を
出してもらうのだけどね。。。
主人公のホールデン少年を嫌って批判的に見る人と、
彼の気持ちを理解して共感を持つ人と、必ずふたつに分かれるのよ。」
・・・と。
私は、、、というと、ホールデン少年に、共感していたほうでした。。。
実は、このお話の内容、今はほとんど覚えていないのですが、、、
主人公の男の子の気持ちに、当時の自分がとても共感していたという
ことだけは、今でもよく覚えているのです。
アマゾンの内容紹介には、こんな風に書いてありました。。。
インチキ野郎は大嫌い! おとなの儀礼的な処世術やまやかしに反発し、
虚栄と悪の華に飾られた巨大な人工都市ニューヨークの街を、たったひとりで
さまよいつづける16歳の少年の目に映じたものは何か?
病める高度文明社会への辛辣な批判を秘めて若い世代の共感を呼ぶ
永遠のベストセラー。
やっぱり息子は、、、
私に似ているんだなぁ。。。なんて思ってしまうよ。。。
自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う
必要はありませんよ。
サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中で咲かない。
シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、
誰がシロクマを責めますか
(梨木香歩『西の魔女が死んだ』)
なんだか。。。
苦笑い。。。
『西の魔女が死んだ』は、私の大好きなお話のひとつであって、、、
映画化された時は娘と試写会にまで足を運び、二人で泣きながら
その映画を観ました。
娘に原作の本を薦めてみると、彼女は素直にそれを読んでた。。。
映画のDVDを買って家で観ていた時は、息子も何となく一緒に
観ていたけど。。。
彼はあんまり関心ないみたいに見えていたし、もちろん本なんて、
絶対に読もうとしなかった。
それでも、、、当時も彼の中では、思うことあったのでしょうね。。。
そしてやっぱり、本人の自覚はなかったとしても、、、
少なからず、周りから影響も受けたでしょうし。。。
息子は、、、
あのツイートを私が見ることを承知で、あえてリツイートしたのだろうな。。。
なんて、勘ぐりたくなったりもして。
趣味ブログとして使っていたブログは、、、
今や着々と私の本棚と化しているのだけど(笑)
そんな息子のツイートに刺激されて、西魔女のことも思い出し。。。
それも本棚ブログに追加しておこうと思ったのだけど。。。
そうしたら連鎖して、忘れていたような古い本やらCDのことも
いろいろと思い出してきて。。。
それを整理し出したら止まらなくなってしまった。。。
無性にそういうことをやりたくなる時があるの。。。私って。
整理好きの乙女座の月が刺激されるのか。。。
こういうのも惑星の影響なのかしら?
・・・なんて思いながら。。。
そんな中、、、
昔読んだ、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という本のことを
ふと、思い出しました。。。
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学校の、『文章表現』という授業の課題で読まされてね、、、
私はそれまで、小説なんてマトモに読んだこともなかったのだけど、
この本がキッカケとなり、一時期は小説をあれこれ読み漁ったり
していたこともありました。
これは、そんな思い出の本だったりもします。。。
それであの時、この本の感想文を書いて提出したら、、、
みんなの感想文を読んだ先生が、こんなことを言っていたのを、
今でもハッキリ覚えています。。。
「この本は、毎年生徒には必ず読んでもらって、感想文を
出してもらうのだけどね。。。
主人公のホールデン少年を嫌って批判的に見る人と、
彼の気持ちを理解して共感を持つ人と、必ずふたつに分かれるのよ。」
・・・と。
私は、、、というと、ホールデン少年に、共感していたほうでした。。。
実は、このお話の内容、今はほとんど覚えていないのですが、、、
主人公の男の子の気持ちに、当時の自分がとても共感していたという
ことだけは、今でもよく覚えているのです。
アマゾンの内容紹介には、こんな風に書いてありました。。。
インチキ野郎は大嫌い! おとなの儀礼的な処世術やまやかしに反発し、
虚栄と悪の華に飾られた巨大な人工都市ニューヨークの街を、たったひとりで
さまよいつづける16歳の少年の目に映じたものは何か?
病める高度文明社会への辛辣な批判を秘めて若い世代の共感を呼ぶ
永遠のベストセラー。
やっぱり息子は、、、
私に似ているんだなぁ。。。なんて思ってしまうよ。。。
「セイキロスの墓碑銘」とは、現存する世界最古の曲と言われているものです。
「セイキロスのスコリオン」ともいいます。
詳細は、ウィキペディアにも載っています。
セイキロスの墓碑銘(ウィキより)
リラの響きが、、、いいですよね。
そして、歌詞の内容も素敵。。。
生きている間は輝いていてください
思い悩んだりは決してしないでください
人生はほんの束の間ですから
そして時間は奪っていくものですから
古代ギリシャの音楽は聴いていると癒され、不思議と
落ち着いた気分になってきます。
だからずっと聴いていたくなって、気づけばエンドレスで
CDを聴いてしまったりして。。。
こちらはどこか少し、現代的な匂いのする
「セイキロスのスコリオン」
「セイキロスのスコリオン」ともいいます。
詳細は、ウィキペディアにも載っています。

リラの響きが、、、いいですよね。
そして、歌詞の内容も素敵。。。
生きている間は輝いていてください
思い悩んだりは決してしないでください
人生はほんの束の間ですから
そして時間は奪っていくものですから
古代ギリシャの音楽は聴いていると癒され、不思議と
落ち着いた気分になってきます。
だからずっと聴いていたくなって、気づけばエンドレスで
CDを聴いてしまったりして。。。
こちらはどこか少し、現代的な匂いのする
「セイキロスのスコリオン」
上野の東京都美術館で開催されている『エル・グレコ展』に行ってきました。
エル・グレコ展

没後400 年を迎えるスペイン絵画の巨匠、エル・グレコの大回顧展を開催します。
エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス、1541~1614年)は
16世紀から17世紀にかけてのスペイン美術の黄金時代に活躍し、ベラスケス、
ゴヤとともにスペイン三大画家の一人に数えられます。
クレタ島に生まれ、ヴェネツィア、ローマでの修行を経てスペイン・トレドに
たどりつき、揺らめく炎のように引き伸ばされた人物像が印象的な宗教画や、
モデルの人となりをも描き出す独自の肖像画で、当時の宗教関係者や知識人から
圧倒的な支持を得ました。
ピカソら20 世紀の巨匠たちからも、その作品は高く評価されています。
本展にはプラド美術館、ボストン美術館など、世界中の名だたる美術館や
トレドの教会群から油彩およびテンペラ画51点が集結。高さ3 メートルを
超える祭壇画の最高傑作の一つ「無原罪のお宿り」も初来日し、まさに
「奇跡の集結」といえる国内史上最大のエル・グレコ展となります。
~展覧会公式サイトより~

『芸術家の自画像』 1595年頃 メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
「エル・グレコ」とは「ギリシャ人」という意味のあだ名で、
本名をドメニコス・テオトコプーロスというギリシャ生まれの画家です。
彼は生地でキリスト教にまつわる図像を描くイコン画家として画業を
スタートさせ、その後イタリアで西欧絵画の技法を習得し、35歳頃スペインの
トレドにたどり着きます。そして没するまでの後半生をそこで過ごし、
画家として大成しました。細長くデフォルメされた人体や超自然的な
光の効果を特徴とする独自の様式によって、対抗宗教改革のカトリック的
熱情と神秘を反映した宗教画を描いたことで知られています。
西洋美術史上最も偉大な画家の一人です。
エル・グレコの作品にみられる深い精神性や宗教的情熱は、長い間、
画家自身の神秘主義的思想や狂信的な奇想の産物であると考えられていました。
しかし、今日ではそうした見方は退けられ、生地で体得したヘレニズム文化と、
イタリアで学んだルネサンスの人文主義に立脚しつつ、トレドという場に
おいて優美な人体描写の理想とカトリックの宗教的主題を稀有なかたちで
融合させた、きわめて独自な知性の創造であると見なされています。
~展覧会公式サイトより~
素晴らしかったです。。。エル・グレコ。
人物画の衣の描き方に目がとまりました。。。
独特な、、、厚みのある、、、
ホワイトという色を、ものすごく巧みに使っているのだなぁ。。。と、
そんなことを思っていました。
そして、人物画の輪郭をうっすらと彩る光。。。
エル・グレコって、オーラでも見えていたのではないかしら?
・・・なんて、思ってみたり。
彼は、ギリシャのクレタ島出身で、元々はイコン画を描いていた
人だったとのことでしたが、その貴重なイコンも、ひとつだけ
展示されていました。。。
私はこれを観て、もうワクワク。。。
イコン画って、なぜか大好きなのです。。。
観ていて、ドキドキしてしまうのですが、本物のイコンを間近でじっくり
観ることが出来て、嬉しかったです。
あの時代のスペインの匂い、、、とても好きです。。。
スペインに行きたくなってしまいました。
エル・グレコの描く絵は、「ザ・キリスト教の世界」という感じで。。。
こういう絵を観ると、妙にワクワクしてしまう自分を観察しながら、、、
私はなんだかんだ言って、やっぱりこういう世界に縁があるのだろうなぁ。。。
・・・と。。。
ついつい、そんな思いにふけってしまうような展覧会でした。
今回の目玉は、『無原罪のお宿り』という3メートル以上もある大きな祭壇画。。。
あまりいろいろ言葉にしたくないくらい、素晴らしかったです。。。
しゃがんで観ている人がいたので、私も真似してしゃがんでみたのですが、、、
なんというか、、、マリアの浮かぶ天が、より高く感じられて神秘的でした。。。

『無原罪のお宿り』1607~1613年、サン・ニコラス教区聖堂所蔵、サンタ・クルス美術館寄託


没後400 年を迎えるスペイン絵画の巨匠、エル・グレコの大回顧展を開催します。
エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス、1541~1614年)は
16世紀から17世紀にかけてのスペイン美術の黄金時代に活躍し、ベラスケス、
ゴヤとともにスペイン三大画家の一人に数えられます。
クレタ島に生まれ、ヴェネツィア、ローマでの修行を経てスペイン・トレドに
たどりつき、揺らめく炎のように引き伸ばされた人物像が印象的な宗教画や、
モデルの人となりをも描き出す独自の肖像画で、当時の宗教関係者や知識人から
圧倒的な支持を得ました。
ピカソら20 世紀の巨匠たちからも、その作品は高く評価されています。
本展にはプラド美術館、ボストン美術館など、世界中の名だたる美術館や
トレドの教会群から油彩およびテンペラ画51点が集結。高さ3 メートルを
超える祭壇画の最高傑作の一つ「無原罪のお宿り」も初来日し、まさに
「奇跡の集結」といえる国内史上最大のエル・グレコ展となります。
~展覧会公式サイトより~

『芸術家の自画像』 1595年頃 メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
「エル・グレコ」とは「ギリシャ人」という意味のあだ名で、
本名をドメニコス・テオトコプーロスというギリシャ生まれの画家です。
彼は生地でキリスト教にまつわる図像を描くイコン画家として画業を
スタートさせ、その後イタリアで西欧絵画の技法を習得し、35歳頃スペインの
トレドにたどり着きます。そして没するまでの後半生をそこで過ごし、
画家として大成しました。細長くデフォルメされた人体や超自然的な
光の効果を特徴とする独自の様式によって、対抗宗教改革のカトリック的
熱情と神秘を反映した宗教画を描いたことで知られています。
西洋美術史上最も偉大な画家の一人です。
エル・グレコの作品にみられる深い精神性や宗教的情熱は、長い間、
画家自身の神秘主義的思想や狂信的な奇想の産物であると考えられていました。
しかし、今日ではそうした見方は退けられ、生地で体得したヘレニズム文化と、
イタリアで学んだルネサンスの人文主義に立脚しつつ、トレドという場に
おいて優美な人体描写の理想とカトリックの宗教的主題を稀有なかたちで
融合させた、きわめて独自な知性の創造であると見なされています。
~展覧会公式サイトより~
素晴らしかったです。。。エル・グレコ。
人物画の衣の描き方に目がとまりました。。。
独特な、、、厚みのある、、、
ホワイトという色を、ものすごく巧みに使っているのだなぁ。。。と、
そんなことを思っていました。
そして、人物画の輪郭をうっすらと彩る光。。。
エル・グレコって、オーラでも見えていたのではないかしら?
・・・なんて、思ってみたり。
彼は、ギリシャのクレタ島出身で、元々はイコン画を描いていた
人だったとのことでしたが、その貴重なイコンも、ひとつだけ
展示されていました。。。
私はこれを観て、もうワクワク。。。
イコン画って、なぜか大好きなのです。。。
観ていて、ドキドキしてしまうのですが、本物のイコンを間近でじっくり
観ることが出来て、嬉しかったです。
あの時代のスペインの匂い、、、とても好きです。。。
スペインに行きたくなってしまいました。
エル・グレコの描く絵は、「ザ・キリスト教の世界」という感じで。。。
こういう絵を観ると、妙にワクワクしてしまう自分を観察しながら、、、
私はなんだかんだ言って、やっぱりこういう世界に縁があるのだろうなぁ。。。
・・・と。。。
ついつい、そんな思いにふけってしまうような展覧会でした。
今回の目玉は、『無原罪のお宿り』という3メートル以上もある大きな祭壇画。。。
あまりいろいろ言葉にしたくないくらい、素晴らしかったです。。。
しゃがんで観ている人がいたので、私も真似してしゃがんでみたのですが、、、
なんというか、、、マリアの浮かぶ天が、より高く感じられて神秘的でした。。。

『無原罪のお宿り』1607~1613年、サン・ニコラス教区聖堂所蔵、サンタ・クルス美術館寄託
歴史を紐解いてみれば、宗教や芸術というものは、私達人類といつも深く
関わってきたものであったことが解りますが、その源泉を辿っていくと、
最終的にいつもぶつかるものは、太古の「洞窟壁画」なのです。
最近、こんな音楽を聴いていたりします。
CDのブックレットから、土取さんのお話を少し・・・
(洞窟という空間自体はどのような場ですか?という質問に対して)
日常眠っている、身体の奥にある感覚を目覚めさせる何かが存在する場です。
ガウディのサグラダファミリアを想わせる奇怪な鍾乳石の柱が体内の
臓器のように拡がり、音も光も一切遮断された空間では、時折吹き抜ける
微風や、ロウソクの明かりでさえ、生き物のように感じます。
またじっと立っていると深い眠りに入ったときのようになります。
だから洞窟の中ではすべてが夢を体験するような感じです。
ネイティブ・アメリカンやアボリジニが、夢の世界で生きているといいますが、
まさに、“ドリームタイム”の世界。神話が成立する場ともいえるのでは
ないでしょうか・・・。
旧石器時代の人々は、神話の中に生きていた。そして闇に包まれた洞窟は
そういう夢や神話を育んだ非日常空間でもあったのだと思います。
レ・トロア・フレール洞窟には、ネガティブ・ハンドと呼ばれる手形の絵、
マンモスやライオンなど様々な動物の絵、そして意味のわからない点や
図形が無数に描かれています。
ここには、先に述べたように二箇所、巨大なドームがあって、その一番目の
巨大なドームでは、あちこちからかすかな水の滴る音が聞こえてきます。
<中略>このドームで注目すべきはその音響です。いわゆる西洋の教会内部の
響きと雰囲気がとても似ています。この時空から西洋の音楽文明が始まったのかと
思います。
しかしここでは教会内では体験できない音も多く聴こえてきます。
自分で声を出してみると、どこかから誰かが応えているような気がする。
吹き抜けてくる風の音や水滴の音が、生命をもった何かの声に聞こえてくる。
真っ暗闇で天井の高さもわからない。星のない夜空を見あげているような・・・
天も地もない世界の中に放り出されているような・・・
あまねく拡がる宇宙の暗闇の中を浮遊する感じになるのです。
土取さんが入られた、レ・トロア・フレール洞窟には、こんな壁画が
あります。

多くの研究者が、この絵は当時のシャーマンを描いていると言っている
そうです。
シャーマンが動物の能力にあやかるためにその姿を模倣する、一種の
「類感呪術」が、当時から用いられていたのだろうと。。。
以前読んだ、マーガレット・マレーの『魔女の神』という本の中には、
太古の人々は、シャーマン達が「テレパシー」を使い、動物をおびき寄せ、
自ら罠にかかるようにしむけ、現代の私達が想像するよりも、もっと楽に
狩りを行っていたのだ。。。というようなことが書かれていました。
そして彼女も、この絵はそのシャーマンなのだと言っていました。
マレーは、それ以前に出ていたジェームズ・フレイザーの『金枝篇』に
影響され、このような説を打ち出したのだと思いますが、フレイザーは
その中で、世界中の未開の民族の中に伝わっている「類感呪術」について
触れたりしていましたよね。
マレーの話は、「想像」や「妄想」が入りすぎているということで
いろいろ批判されたりもしましたが、マレーの主張が、あの魔女の父とも
言われるジェラルド・ガードナーに刺激をあたえ、のちに彼が「ウィッカ」、、
つまり、「現代魔女宗」を興すこととなるひとつの要因になったことは
確かだと思いますので、、、
「創造主」のやることというのは、、、
いろいろと面白いな。と、つい思ってしまいますね。
いろんなことが繋がって、、、今に至っているのです。。。
マレーの話は、トンデモすぎると批判されることが多かったようですが、、、
いつだったかある音楽番組で、「キュールニング」というものが紹介
されていたのを観た時は、、、あながち、そういうこともあり得ない話
ではないな。。。と思ったことを覚えています。
まぁ、、、それを「テレパシー」というと確かにトンデモ的に
聞こえたりもしますが、、、「本能の赴くままに」、、、というと、
なんとなく納得出来たりもしなくもないですね。
過去の日記より少し転載します。。。
スウェーデンの伝統的な唱法も紹介していました。
それは、「キュールニング」というものなのだそうですが、
キュールニング(kulning)とは、夏、牛飼いが牛を山の奥に
連れていった際に、はぐれてしまった牛や山羊を呼んだり、
オオカミの声の真似をして追い払ったりするために使った
唱法なのだそうです。
これを行っていたのは、女性だそうです。。。
きっと、これに使うのは高音だから、、、なのでしょうねぇ。。。
森を見て、風を読む。。。
そして、どんな声を響かせるか判断するのだそうです。。。
その声はまるで野生の鳥の声のような響きで、、、
とても遠くまで響き渡り、こだましていました。。。
木の多い森の中では、少し低め、遠くの山にぶつけて響きを
拡散させたいときはかなりの高音。。。と、いろいろと
使い分けるのだそうです。。。
高い音の方が、遠くに響くのですって。。。
このキュールニングは、スウェーデン・ダーラナ地方の山間部に
伝わる伝統唱法なのだそうですが、その第一人者である、
レーナ・ヴィッレマルク (Lena Willemark)さんという方が、
いろいろお話しされていました。。。
最後に再び、CDのブックレットから土取さんのお話を。。。
旧石器時代の音楽を理解することで、ある時代というアイデンティティを超えた、
人類にとっての「音楽とは何か?」というさらなる問いと向きあうことが
できるはずなのです。
四大文明以前に「動物の海の中」で人類が過ごした数百万年の間、どんな
音楽があったのかを研究すれば、人間の心の謎もより解明されるはずです。
ネアンデルタール人やクロマニョン人は洞窟の闇の奥にある、何らかの
力の根源を壁の向こうに見ようとしていた・・・。私もこのことを探求
することで、さらに現代の音楽の壁を越えて、音楽の源泉に触れたいわけです。
関わってきたものであったことが解りますが、その源泉を辿っていくと、
最終的にいつもぶつかるものは、太古の「洞窟壁画」なのです。
最近、こんな音楽を聴いていたりします。
![]() | 瞑響・壁画洞窟―旧石器時代のクロマニョン・サウンズ [SHM-CD] (2008/07/23) 土取利行 商品詳細を見る |
CDのブックレットから、土取さんのお話を少し・・・
(洞窟という空間自体はどのような場ですか?という質問に対して)
日常眠っている、身体の奥にある感覚を目覚めさせる何かが存在する場です。
ガウディのサグラダファミリアを想わせる奇怪な鍾乳石の柱が体内の
臓器のように拡がり、音も光も一切遮断された空間では、時折吹き抜ける
微風や、ロウソクの明かりでさえ、生き物のように感じます。
またじっと立っていると深い眠りに入ったときのようになります。
だから洞窟の中ではすべてが夢を体験するような感じです。
ネイティブ・アメリカンやアボリジニが、夢の世界で生きているといいますが、
まさに、“ドリームタイム”の世界。神話が成立する場ともいえるのでは
ないでしょうか・・・。
旧石器時代の人々は、神話の中に生きていた。そして闇に包まれた洞窟は
そういう夢や神話を育んだ非日常空間でもあったのだと思います。
レ・トロア・フレール洞窟には、ネガティブ・ハンドと呼ばれる手形の絵、
マンモスやライオンなど様々な動物の絵、そして意味のわからない点や
図形が無数に描かれています。
ここには、先に述べたように二箇所、巨大なドームがあって、その一番目の
巨大なドームでは、あちこちからかすかな水の滴る音が聞こえてきます。
<中略>このドームで注目すべきはその音響です。いわゆる西洋の教会内部の
響きと雰囲気がとても似ています。この時空から西洋の音楽文明が始まったのかと
思います。
しかしここでは教会内では体験できない音も多く聴こえてきます。
自分で声を出してみると、どこかから誰かが応えているような気がする。
吹き抜けてくる風の音や水滴の音が、生命をもった何かの声に聞こえてくる。
真っ暗闇で天井の高さもわからない。星のない夜空を見あげているような・・・
天も地もない世界の中に放り出されているような・・・
あまねく拡がる宇宙の暗闇の中を浮遊する感じになるのです。
土取さんが入られた、レ・トロア・フレール洞窟には、こんな壁画が
あります。

多くの研究者が、この絵は当時のシャーマンを描いていると言っている
そうです。
シャーマンが動物の能力にあやかるためにその姿を模倣する、一種の
「類感呪術」が、当時から用いられていたのだろうと。。。
以前読んだ、マーガレット・マレーの『魔女の神』という本の中には、
太古の人々は、シャーマン達が「テレパシー」を使い、動物をおびき寄せ、
自ら罠にかかるようにしむけ、現代の私達が想像するよりも、もっと楽に
狩りを行っていたのだ。。。というようなことが書かれていました。
そして彼女も、この絵はそのシャーマンなのだと言っていました。
マレーは、それ以前に出ていたジェームズ・フレイザーの『金枝篇』に
影響され、このような説を打ち出したのだと思いますが、フレイザーは
その中で、世界中の未開の民族の中に伝わっている「類感呪術」について
触れたりしていましたよね。
マレーの話は、「想像」や「妄想」が入りすぎているということで
いろいろ批判されたりもしましたが、マレーの主張が、あの魔女の父とも
言われるジェラルド・ガードナーに刺激をあたえ、のちに彼が「ウィッカ」、、
つまり、「現代魔女宗」を興すこととなるひとつの要因になったことは
確かだと思いますので、、、
「創造主」のやることというのは、、、
いろいろと面白いな。と、つい思ってしまいますね。
いろんなことが繋がって、、、今に至っているのです。。。
マレーの話は、トンデモすぎると批判されることが多かったようですが、、、
いつだったかある音楽番組で、「キュールニング」というものが紹介
されていたのを観た時は、、、あながち、そういうこともあり得ない話
ではないな。。。と思ったことを覚えています。
まぁ、、、それを「テレパシー」というと確かにトンデモ的に
聞こえたりもしますが、、、「本能の赴くままに」、、、というと、
なんとなく納得出来たりもしなくもないですね。
過去の日記より少し転載します。。。
スウェーデンの伝統的な唱法も紹介していました。
それは、「キュールニング」というものなのだそうですが、
キュールニング(kulning)とは、夏、牛飼いが牛を山の奥に
連れていった際に、はぐれてしまった牛や山羊を呼んだり、
オオカミの声の真似をして追い払ったりするために使った
唱法なのだそうです。
これを行っていたのは、女性だそうです。。。
きっと、これに使うのは高音だから、、、なのでしょうねぇ。。。
森を見て、風を読む。。。
そして、どんな声を響かせるか判断するのだそうです。。。
その声はまるで野生の鳥の声のような響きで、、、
とても遠くまで響き渡り、こだましていました。。。
木の多い森の中では、少し低め、遠くの山にぶつけて響きを
拡散させたいときはかなりの高音。。。と、いろいろと
使い分けるのだそうです。。。
高い音の方が、遠くに響くのですって。。。
このキュールニングは、スウェーデン・ダーラナ地方の山間部に
伝わる伝統唱法なのだそうですが、その第一人者である、
レーナ・ヴィッレマルク (Lena Willemark)さんという方が、
いろいろお話しされていました。。。
最後に再び、CDのブックレットから土取さんのお話を。。。
旧石器時代の音楽を理解することで、ある時代というアイデンティティを超えた、
人類にとっての「音楽とは何か?」というさらなる問いと向きあうことが
できるはずなのです。
四大文明以前に「動物の海の中」で人類が過ごした数百万年の間、どんな
音楽があったのかを研究すれば、人間の心の謎もより解明されるはずです。
ネアンデルタール人やクロマニョン人は洞窟の闇の奥にある、何らかの
力の根源を壁の向こうに見ようとしていた・・・。私もこのことを探求
することで、さらに現代の音楽の壁を越えて、音楽の源泉に触れたいわけです。
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