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![]() | 洞窟のなかの心 (2012/08/02) デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ 商品詳細を見る |
この本については、いろいろと書きたいことが山ほどあるのですが、
いざ書こうと思うと、何をどう書いていいのか解らずに、今に
至ってしまっています。
とりあえず、、、
この本の「序文」の部分を一部抜粋して、まずは内容紹介から
始めてみようかな。。。なんて思います。
人間はつねに自分の解決できる問題だけを提示したがるものである。
したがってより詳しく観察してみると、問いそのものが、その解決の
物質的諸条件がすでにそろっているか、あるいは少なくともそれが
形成されつつある場合にのみ発生する、ということがかならず見られる
(カール・マルクス 『経済学批判』序言、1859年)
本書の出版は、後期旧石器時代の芸術調査に費やされた二十世紀の百年間の終わりと、新しい世紀の幕開けを記念するものとなるだろう。1902年、当時フランスやスペインの洞窟でなされた発見の正当性につよい疑念を表明していたフランスの影響力ある考古学者、エミール・カルタイヤックが自らの主張を翻し、かの有名な『懐疑論者の懺悔』を出版した。当時、不完全ながらも広く浸透していた、後期旧石器時代の先史人類には芸術創造の能力など認められないという懐疑主義は、このカイタイヤックの改心によってすぐさま崩れ去った。こうして、後期旧石器時代の芸術をめぐる探求は、たちまちにしてれっきとした研究分野となり、新しい学問の共同体が誕生したのである。
カルタイヤックの改心から一世紀を経た今、私たちはいったいどれほどのことを知りえただろうか?後期旧石器時代芸術の実態をめぐる私たちの知識量は、たしかにとてつもなく増大した。大地の下に潜む遺跡に関しても、地上に遺された遺跡に関しても、私たちは以前よりずっと多くを知っている。それにほとんどの有名な遺跡については、詳細なイメージのリストが存在する。多くの洞窟では考古学的な調査がされていて、それぞれのイメージの正確なありかを示す地図も作成された。それらの多くは、年代も特定されている。美しい動産芸術(ポータブル・アート)の、莫大なコレクションを私たちは保管しているし、洞窟も岩のシェルターも、注意深く発掘されてきた。古代のイメージの作り手たちの使った、いくつかの絵具の成分までわかっている。
だが、これだけの情報量があるにもかかわらず、その時代の人々が、フランスやスペインの、光の入らない鍾乳洞の奥深くに潜り込んでイメージを描いたのはどうしてなのか、また彼らが、その近くの日当たりのよい場所でも石や骨や騎馬や角の小片にイメージを刻んだのはなぜかという謎には、まだまだ接近できていないように思える。私たちはそうしたイメージが、作者や鑑賞者にとってどのような意味を持ちえていたのかを知らない。少なくとも、こういった重要な点についての合意はいまだになく、「私たちはいかにして今日のような人間になり、またその途上で芸術を創造するようになったのか?」という考古学上の大問題は、いまだに私達を悩ませている。
研究者の大勢、とりわけフランスやスペインの研究者たちは、「理論の形成」がおこなわれる前に、できるだけ多くの「事実」を用意しておかなければならないと信じている。だが、それではいったいどの時点に達すれば、説明の作業をはじめるのに「十分な」データがそろったと判断してよいというのだろう?データの量が臨界量に達したとき、データは内部崩壊を起こし、自動的に編成されて、ある説明として再構成されるのだろうか?こういうことは、ありえそうにない。それとも、データの量ではなく、なんらかの決定的な情報---集積されたデータがぴったりと当てはまり、私たちに説得力のある説明をもたらすような、いまだ洞窟でなされていない並外れて鋭い観察---があるのだろうか?たぶん私たちもまた、聖杯探求の途上にあるのだろう。
この序文のエピグラフにマルクスのあのような言葉を掲げたのは、いささか楽観的にすぎるように思われるかもしれない。たが、現地調査に明け暮れた一世紀は事実上、後期旧石器時代の芸術のほとんど---そのすべてではないとしても---について説得力のある、概説的な説明をおこなうのに「十分な」データと、そのための「物質的条件」を提供してくれたはずであり、またこうして集められたデータによって、今まで説明のつかなかったイメージ類の特徴や、それをめぐる不可解なコンテクストに解釈の端緒がひらかれたものと、私は信じている。今求められているのは、さらなるデータの蓄積ではなくて(もちろん、新しいデータの追加はいつでも歓迎される)、むしろ私たちがすでに知っている事柄についての、根本的な見直し作業なのである。
今やどんな問いにも回答できるようになった、というのではない。そうではなくて、何かの説明をするために、かならずしもすべてに回答を与える必要はない、ということなのである。後期旧石器人は、なぜイメージをつくるようになったのか?あの漆黒の闇につつまれた洞窟の中で、秘められたイメージを描くように彼らを駆り立てたものは、いったい何だったのか?そうした疑問について、私たちは今や大まかな思考の見取り図を描くことができる。さらにこういった一般的な議論を超えて、洞窟内でのイメージの制作について、詳細な理解を得る地点まで進むこともできる。もちろん、解明しなければならない点がまだまだ多いことは、繰り返し注意しておきたい。本書は、想定される問いすべてに解決を与えようとするものではない。私の説明は、後期旧石器時代の芸術研究に決定的な指針を与え、論争に幕を下ろすことをめざしてはいない。逆に、私は各章ごとにわかりやすい表現を用いながら、新しい、さらなる探求上の問いかけを発信したいと考えている。
今日の研究において不足しているのは、大量のデータの集積でもなければ、ジグソーパズルの欠落した重要な一片でもない。私たちがすでに持っているデータに新たな意味を与える方法こそが、必要とされているのである。方法論、つまり方法についての研究は、本書での必須の問題だ。ただしそれは、たとえば放射性炭素年代測定法、コンピュータ解析、イメージの正確な複製などの技術とは、別個のものと考えなければならない。ここで言う方法とは、研究者が自説の提示に至るまでの、議論のモードのことである。今日ではすべての研究者が、正確な年代測定等々の技術の必要性について合意を形成しているけれど、納得のいく結論にたどり着くためにはどのような議論の形式が好ましいかということについては、まるで合意は得られていない。その結果、後期旧石器時代の洞窟芸術の解説を試みる研究者の間で、コミュニケーションは減衰しつつある。多くの誤解があり、積み重なって、挙句の果てには罵詈雑言の嵐となる。こうしてみると、今日の研究者のほとんどが頑迷な不可知論者であるのも不思議はない。彼らは面倒な解説者の立場から我が身を遠ざけ、データの収集に集中したいのだろう。
後期旧石器時代の芸術研究にみられる方法論の欠如は、優先事項の混乱という事態を招いている。私たちは他の疑問点を検証する前に、まずどの疑問に回答を出さなければならないのかということについて、はっきりとした考えを抱く必要がある。そして、どのような問いかけ---それが興味を惹くものであっても---が説明の展開を遅らせることなく取り置かれるべきか、ということを判断しなければならない。これこそ私が本書で試みたことで、つまり数多くの議論が埋没した暗礁を回りこんで航行し、回答を与えることのできる重要な問いの騎士へと移行するということである。
<中略>
私の思索にとって、後期旧石器時代に創造された西ヨーロッパの地下芸術ほど、考古学的な謎を感じさせるものはない。狭く閉ざされ、完全な闇につつまれた地下通路を一キロ以上も這いつくばって進み、ぬかるんだ起伏で足を滑らせながら暗がりの湖や隠された河へと歩みを進めた者は、その危険きわまりない旅の最後に、今や絶滅した毛深いマンモスや、堂々たるこぶを持つ野牛(バイソン)の絵画に遭遇する。それを観た者の意識は、もはや後戻りのできない変容を体験するだろう。全身泥まみれになって、へとへとに疲れ果てながらも、洞窟の探求者はそこで、人間の心のなかに果てしなく広がる<未知の大陸(テラ・インコグニタ)>に驚異の眼を見張ることになるのである。
まず最初の、マルクスの言葉。。。
本当に、鋭いな。と思ってしまいます。
歴史に名を残す人というのは、その視線を向ける場所。。。
見ているところ、「ものの見方」。。。
・・・が、一味違うのですよね。やはり。。。
ですので、そのマルクスの言葉を、自分の本の冒頭に持ってきた
このルイス=ウィリアムズさんという人に、私はとても興味がわいたのです。
先史時代の人が、なぜ壁画を描き始めたのか。。。
・・・ということに関しては、私も非常に興味があって、それについて
知りたい!という気持ちはもちろんあるのですが、その反面、それは、
私たちがその時代にタイムトラベルでもして、その時代にそこに
生きた人達に直接話を聞かない限りは、解るはずがないだろうという、
そんな冷めた気持ちを持っていたりもするのです。
たとえば、、、
アカシックにアクセスすれば解るのではないか。。。という意見も、
もしかしたらあるのかもしれませんが、多分そのアカシックですら
「流動的」なのだな。。。と、私は、ある時から思うようになりました。
最初から決められているものはおそらく、「大筋」だけなのでしょうから。
その大筋のポイント、ポイントに至るまでの過程は、「自由意思」によって、
いろいろ変更することが可能だと思っています。
ですので、先史時代の人達の「動機」というものも、いくらでも
変更可能だと、私はそう感じています。
今からでも。。。
それが、現在によって過去も書き換えられる。。。ということ。
ルイス=ウィリアムズさんがこの本を出版されたのは、もう10年くらい
前なのだそうが、彼は欧米ではそこそこ人気があり、彼のこの考えを
受け入れる人も多いようです。
また、今でもいろいろと本を出されているようです。
ですので、欧米人のジェネティック・マインドには、かなり前から、
こういった考え方が、だいぶ浸透していたりするのではないのかな。
なんて、想像したりします。
日本では、この本が翻訳されて出版されたのが昨年でしたから、
民族的なジェネティック・マインドで考えると、日本人の意識には
まだそれほど浸透していないのだろうな。と、そんなことを
考えたりもしました。
しかし現在は、なんだかんだといっても欧米の影響力は大きく、
その欧米的な「ものの見方」が世界中に広がっていく、、、という「形」が
出来上がっていますし、ですから、科学、芸術、精神世界などに関しても、
あちらで発祥したものが、のちにこちらに流れてきて影響を受ける。。。
という流れには、逆らえないだろうと思っています。
逆らう気もありませんけど。
それが、ファーストソースの意思だと思っているから。
特に古い世代になればなるほど、「日本人魂が~!!」って嘆く人、
抵抗する人もたくさんいると思いますし、「海外には負けてられない!」って
ライバル心を燃やす人ももちろんいると思いますが。。。
結局、人類はみな兄弟。。。
どこの国が後か先かとか、他国には負けたくない!とか、、、
そういうことにこだわっていることに、私はあまり意味を感じないのです。
その国の個性を活かしつつも、それは全体としての一部なのだという
見方。。。
そして、その全体で一つの大きな物語を作っているのだという見方。。。
そんな中、日本の個性は?日本ってどんなことをするとその個性を
発揮できるの?と、そんなことを考える方が、私は好きです。
そして、そうやって考えていると、日本は、自分の意見というものを
頑として主張するという役割を、あまり持っていないような気もしてね。
なんか、もっと違う役割を持っていそう。
個人的には、、、
あちらで最初に外に押し出してくれたものを、もっと洗練させていく。。。
みたいな、そんなことができそうな気がしていたりもします。
自分は全体の一部なのだという自覚を持ち、その一部として出来る
精一杯のことをして、全体に、つまりは「自分自身」へと奉仕する。。。
あぁ。。。
なんだか、洞窟壁画の話からは、どんどんずれていきますが(苦笑)
たとえば、仲良しグループが3人くらいで一緒に話していたとして、
誰かひとりが、「ケーキが食べたい。」というと、「え!私も今
ちょうど食べたかったんだよ。」「え!私も!」って。。。
みんなが同時に同じことを考えていた。。。ということが、時々
あるかと思うのですが、そういう時って、誰かの思いを誰かがキャッチし、
それを自分の思いのように感じている時なのだと思います。
そして、その中の誰かが、一番最初に「ケーキが食べたい」と、
それを外側に表明する。その人がその役を担ったのですよね。
そしてみんながそれに同意して、、、
「あのお店が美味しいよ。」とか「そこに行くにはこの道が一番近いよ。」
とか、いろんな人がそれぞれの役割を担って、そして最後は、
全員めでたく、一緒にケーキを食べることができました。。。みたいなね。
人類全体も。。。
そういう風に出来ているのだろうな。。。と感じています。
人気が出るもの、、、というのは、その時点での人類全体の意識を
反映させているものなのだと、私は感じていたりします。
もし、ルイスさんの本がとても人気があるのだというのであれば、、、
それは、これが現在の人類全体の思いの反映なのだろうな。。。と、
私は思うのです。
彼は全体の思いを、外側に発信する役割を、たまたま持っていた人
なのかもしれないな。。。ってね。。。
そんなことを思いながらこの本を読んでいると、、、
「あぁ、今の私たちって、こういう世界を創造したいと思っているのかな。。。」
なんて気持ちになってくるのです。
そしてこの本のなかには、様々な歴史のお話なども出てきたりしますので、
そこに、人類の意識の変化のようなものも見て取れて、、、
だから、面白いのです。
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こちらの本では、三つの時間単位が紹介されています。
ひとつは、1万4000年前~1万3000年前。
その時間単位で生きていた人々が、どういった思いで洞窟を利用していたかと
いうことが書かれていますが、それは、現代の科学的な発見や検証の結果などを
もとに浮かび上がった、著者の「想像の物語」です。
次の時間単位は、西暦1660年。場所はフランスのニオー洞窟。
その時、リュバン・ド・ラ・ヴィアルという人が仲間とこの洞窟の中に入り、
そこで、洞窟壁画を見つけていたのだそうです。
しかし彼は、この壁画に対して何の価値も見いだせなかったようです。
この壁画はおそらく、自分と同じように洞窟探検に来た誰かが描いた
ものだと思い込み、その壁画のすぐそばに、自分自身のサインを刻んで
いったようです。
現代人でも、旅行先で建物の壁などに自分の名前を書きこんだりする人が
いたりしますが、きっとそれと同じような気持ちで、彼はそこに自分の名前を
刻んだりしたのでしょう。
今聞くと、「人類の遺産になんてことを~(汗)」なんて思ったりもしますが、
当時の人達の意識のなかには、「先史時代」という観念自体がどうも、
なかったようなのです。
その当時を生きる人たちも、現代の私たちと同じように、
「人類の起源を知りたい」という強い思いは持っていたようです。
それは、今も昔も変わらない、人類共通の思いです。。。
しかし、当時のヨーロッパでは、その大多数の人達が聖書の創世記。。。
「この世界は神によって創られた」というあのお話を、かなり真面目に、
本気で信じこんでいたようです。
こちらの本によると。。。
大主教ジェイムズ・アッシャー(1581-1656)によれば、この奇跡の出来事は
紀元前4004年に生じた。主教ジョン・ライトフットは後にアッシャーの計算を
さらに洗練させて、天地創造は、紀元前4004年10月23日の朝9時に起こった、と
公言した。
天地創造の日取りとケンブリッジ大学の学年暦開始とが、なぜかぴったりと
重なり合うという幸福すぎる偶然は、当時の人々によっても諸手を上げて
受け入れられるものではなかった。
それでも、人類の歴史はそれほど古くない時代の、ある瞬間に奇跡的に
開始されたのだと、ほとんどの人が信じていた。
とのことで。。。

地球の歴史が、ほんの6000年って。。。
・・・と、今を生きる私たちは誰もがそう思うと思いますが、
当時の人達は、特に真面目に聖書を文字通りに信じていた人達は、、、
こういう風に、考えていたのですね。。。
そして、それがひとつの、「一般常識」のようになっていた。。。
ですからある意味、、、
当時は、本当に「たった6000年の歴史しか持たない地球」というものが、
そこにあった。。。ということです。
そう思うと、今私たちが「常識」だと思っていることも、、、
この先絶対に変化しないとは、誰にも言いきれないことで。。。
その最後の最後の結末、、、最終的に行きつく形というものを知っているのは、、、
多分、ファーストソースだけ。。。ということなのだろうと、
そんな風に思っていたりします。
当時の、そういった「世界観」で生きていたリュバン・ド・ラ・ヴィアルが、
たまたま見つけたその壁画にほとんど何の価値も見いだせなかったことは、
彼が愚かだったということでは決してなく、それは、当時を生きていた人
としては、当たり前のことでした。
著者のルイス=ウィリアムズさんは、ド・ラ・ヴィアルは、
「目の前の壁画をまったく見ていなかったということになる。」と言っていますが、
本当にその通りで、でもその時は、それでよかったのだとも思います。
当時を生きる人達には、先史時代の観念というものは、
まだ必要なかったのだと思っています。
まだ、その時期が来ていなかった。。。ということなのでしょう。。。
「ダーウィンの進化論」という、新たな世界観が人類の中に現れるのは、
ド・ラ・ヴィアルがこの壁画を発見した時よりも、ずっとあとのこと
だったのですから。。。

ダーウィンの進化論については、いつかまた触れたいと思っていますが、
これは、当時としては、かなり異端的、冒涜的な考えだとして、
世間からの向かい風もとても強かったと思います。
それがいつしか、「常識」として人々に受け入れられていくようになりました。
ただ、今でも一部の、特にスピリチュアル系の人々の中では、
この進化論は、実は間違った考えだと再び言われるようになっていたりして。
このあたりについても、いろいろと思うことがあったりします。
さて。。。
もうひとつ紹介されている時間単位は、1994年のことで、つい先日まで
世界最古の洞窟壁画とされていた、ショーヴェ洞窟が発見された時間です。
そのことが書かれている部分は、以前もここで抜粋を載せたことがあったと思いますが、
もう一度、少しだけ。。。
後に彼らは、このときの経験をこう回想している。
「広大な空間にぽつんと投げ出され、私たちは手もとの弱々しい
ランプの光に照らされながら、奇妙な感覚にとらわれていました。
すべてはとても美しく、とても新鮮で、それは信じられないほどです。
ここでは時間が消滅し、まるで私たちと眼の前にある絵画を描いた作者とを
隔てている何万年もの時間は、もう存在していないかのようでした。
彼らがたった今、そうした傑作を完成させたかのように感じられました。
そのとき突然、私たちは侵入者であるような気がしてきたのです。
深い感動の思いに浸りながらも、ここにいるのはけっして私たちだけではないという
感情が襲いかかってきたのです。彼ら芸術家の霊魂が、私たちを取り囲んでいる。
そう、私たちは彼らの安息を邪魔していたのです。」
ここでいう「彼ら」とは、発見者のショーヴェたちのことです。
先日観た『忘れられた夢の記憶』という映画の中でも、スタッフの人が
これと同じようなことを言っていました。
彼らも洞窟の中で壁画を前にした時、ショーヴェ達と同じような感覚に
襲われたらしいです。。。
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今を生きる私たちは、今持っている様々な知識や常識によって、
「これは先史時代の人類が遺した壁画」だということを、事実として
受け入れています。
それが、共通認識となっています。
そういった共通認識を持ったうえで、この壁画を眺めると、、、
人は、こういう感覚を体験できるようになる。。。ということですね。
17世紀という現実を生きていた、ド・ラ・ヴィアルも、素晴らしい
壁画を目の前にして純粋に感動することは出来たかもしれませんが、
それは多分、今を生きている私たちとは違った種類の感動だったのでは
ないのかな。。。なんて想像します。。。
少し話はそれますが、ショーヴェ洞窟でその洞窟壁画を目の前にした
人達の気持ちは、『エンシェント・アロー・プロジェクト』のお話の中、
ネルダ博士がWM遺跡の中で壁画を目の前にした時の気持ちと、
とてもかぶるのです。。。私の中では。
ネルダ博士は確か、、、
遺跡に夢中になっているうちに、ふと、自分が遺跡の中でたったひとりに
なっていたことに気づき。。。
その時ふと、壁画が動いたように感じ、そして、誰もいないはずの
この遺跡の中に、自分以外の何者かの気配を感じたと。。。
そんなような描写があったと思ったのですが。。。
『忘れられた夢の記憶』の映画を観た時、、、
ネルダ博士の気持ち、、、というか、その感覚というものが、
なんとなく、実感として解ったような気がしたのでした。。。
ショーヴェ洞窟は、何万年も前に岩石の落下により、
その入口は閉じられてしまっていました。
それ以来、誰もそこに入ることは出来なくなり、次第に
その洞窟の存在は、人々から忘れ去られていきました。
でもそこに描かれた壁画は、、、、
長い間ひっそりと、そこに眠っていました。。。
誰にも気づかれることなく。。。
そして、完全に密封されていたことにより、その太古の壁画は、
とても良い状態のまま、保存されることとなりました。。。
まるで、天然のタイムカプセルですね。。。
ある時、また「自然の偶然」により、新たな入口が開かれたのでした。
まるで地球が、、、
「それはここにありますよ。。。
そろそろ、見つけてもらう時期が来ましたよ。」
・・・とアピールしているかのように。
チベットでは、埋蔵教というものは、それが必要な時代になると
自然と発見されるものだ。。。と言われているそうです。
なるほどなぁ。。。って思いますよね。
素晴らしく、、、全ては完璧。。。
その地球の呼びかけに誘われるように、ショーヴェさん達はここに
やってきました。
彼らがおそるおそる中に足を踏み入れてみると、洞窟は、太古の昔、
そこに生きていた人々が描いた、素晴らしい壁画に満たされていました。。。
この洞窟には、とても珍しい壁画も描かれていました。。。
女性の下半身と角を持つバイソン(牛)の頭が繋がって描かれていたのです。
このモチーフを描いた壁画は、このショーヴェ洞窟以外には
今のところないのだそうです。
これは、、、私にとってはかなり衝撃的なことでした。
もしかすると、古代の女神信仰の元となる種が、、、
このショーヴェ洞窟の壁画が描かれていた時代。。。
つまり、3万年以上も前に、もう既にあったのかもしれないからです。
今このショーヴェ洞窟は、保護のために再び閉じられ、、、
ごく限られた研究者が、限られた期間にほんの少し立ち入ることができる以外は、
誰も入ることは出来なくなっているそうです。。。

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この本には、アルタミラ洞窟発見にまつわるお話も書かれていました。
人々が「先史時代」というものの存在を意識するようになってから、
初めて発見された洞窟壁画は、スペインのアルタミラ洞窟壁画でした。
ドン・マルセリノ・サンス・デ・サウトゥオラという人が、1878年、パリ万博で
見た動産芸術(ポータブルアート)と、ある先史学者のその芸術に関連した
議論に感銘を受け、自らもそういった先史時代の動産芸術品を見つけようと、
スペイン北部海岸の自らの領地内にある洞窟を探検することにしました。
その翌年1879年、アルタミラ洞窟へと探索の場所を移し、そこで動産芸術を
探していたサウトゥオラは、今では有名になったバイソンの群像を発見したのだそうです。

でも、この壁画を実際に見つけたのは、サウトゥオラ本人ではありませんでした。
彼は、動産芸術を探すために地面ばかり、下ばかり見て歩いていました。
その時、彼の5歳の娘マリアが、ふっと上を見上げました。
そして、そこにバイソンの絵があることにたまたま気づいたマリアは、
「パパ、見て。」と、サウトゥオラに教えたのだそうです。
このエピソード、なんだか好きです。
子供って、何にも囚われていないのだなぁ。。。と、感じさせられます。
アルタミラの壁画の発見も、当時はいろいろと疑われたようです。
先史時代の人間は、まだとても原始的で未開人である。。。という、
そんな先入観に囚われていた意識にとって、まさかその未開人が
こんなに素晴らしい絵を描けるはずがないだろうという、
そういった思い込みをはずすためには、だいぶ時間が必要だったようです。
壁画は偽物なのではないのか?
実はサウトゥオラ自身が捏造したのではないのか?。。。と。。。
そんな風に思われたらしいです。
いろいろあって、最終的には本物だということがようやく認めらましたが、
娘のマリアも、この一件では、かなり辛い思いをしたようです。
大変でしたね。。。彼らも。。。
その後、アルタミラの壁画を見たピカソは、、、
「われわれは誰も、こんなふうには描けない」
・・・と語ったそうです。
ああいった、「偉大な画家」と言われるような人が、そんな発言をすれば、
このアルタミラ洞窟壁画の評価というものは、ますます高くなって
いっただろうということは、想像するに難くないですね。。。
面白いです。。。
人類の物語というものは。。。本当に。。。
「後期旧石器時代の芸術」というものが、たしかに本物だと認められる
ようになると、その後数十年にわたって、新しい事実というものが、
続けざまに次々と発見されていったのだそうです。
そして、これまで気づかれなかったイメージや、新たな洞窟が
発見されていき、そこに描かれるイメージの多様性というものが、
どんどん明らかになっていったようです。
史上初の発見とされたアルタミラの壁画にはじまり、ド・ラ・ヴィアルが、
壁画の近くに自分のサインを刻んでしまったあのニオー洞窟などでも、
それまでまったく気づかれることのなかったイメージ群が発見されていきました。
でもあとになって振り返ってみると、後期旧石器時代のこうした洞窟芸術に共通する
多くの特色というものは、壁画研究のはじまりの地となったアルタミラ洞窟の中に、
ほとんど見て取ることができるのだそうです。
それだけに、このアルタミラ洞窟は重要なのだ。。。と、本の著者である
ルイス=ウィリアムズさんは言っていました。
ここもまた、面白いですね。。。
たくさんの洞窟が次々と発見され、様々なことが解っていくにつれ、
実は、最初に見つかった洞窟の中に、既にそのすべてがあったのだ。。。
ということに気づく。。。という、、、この流れが。。。
現在は世界遺産に認定されているこのアルタミラ洞窟も、ショーヴェ洞窟と
同じように、落石によって洞窟の入り口が閉ざされたことにより、
壁画は封印され、発見当時は、とてもよい状態で保存されていたそうです。
しかし発見後しばらくの間は一般に公開され、観光名所となっていたため、
そこに訪れたたくさんの人たちの吐く息や、持ち込まれた微生物などにより
壁画が傷み始めてしまったことにより、現在ではここも、閉鎖されています。
その代わり、同じ敷地内に洞窟ごとそっくり同じレプリカを作ったものが、
アルタミラ博物館として2001年にオープンしたのだそうです。
アルタミラ洞窟壁画のレプリカは、世界に三か所存在するそうで、
ひとつはその、現地のアルタミラ博物館。
もうひとつは、スペインのマドリードにある国立考古学博物館。
そしてもうひとつは、なんとこの日本にあるのだそうです。

ここの、テーマパーク「パルケエスパーニャ」内にあるそうです。

アルタミラ洞窟壁画 バイソンの多色画
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今日、ドイツのマルクス主義の美術史家であるマックス・ラファエルの名が、
人々の口の端にのぼることはめったにない。せいぜい、アンドレ・ルロワ=グーランとか
アネット・ラマン=エンペレールの構造主義考古学の源泉に位置づけられる思想家として、
みじかく言及されるぐらいである。
この二人の研究家が、後期旧石器時代の芸術研究でなした多大な学問的な貢献について
吟味する前に、ラファエルを現代によみがえらせることもまた必要である。
<中略>
考古学におけるラファエルの構造主義的な貢献を、彼が社会理論を応用したことへの
評価を抜きにして理解することはできない。社会の本性こそが、畢竟、彼の思考の基盤であり、
<起源の泉>だったのである。
・・・というように、ルイス=ウィリアムズさんは、マックス・ラファエルと
いう人の思想に、強い共感を持たれているようでした。
ですので私も、このマックス・ラファエルについては、少し興味があるのですが、
彼についての日本語の資料があまりにもなさすぎて、途方に暮れました。。。
やはり、日本ではほとんど知られていないのですね。。。
それでも、なんとか少しだけ見つけた資料があったので、それはまた
時間のある時に、ゆっくり読んでみたいと思います。
この本の中では、こんな風に書かれていました。
ラファエルが主張するところによれば、巨大なバイソンと対峙する細身の雌鹿は
「・・・女性的なやさしさと男性的な威容との対立」として読みとることができる。
この対立(女性:男性)は、したがって「普遍的な人間的意味」を獲得する。
ラファエルは、この二元的対立を、記号の解釈にも応用した。
彼はある一組の記号群を、男性性を表象するものとして識別した。すなわち、
「矢尻、ファロス(男根像)、殺害の行為、死」。その一方で彼は
「女性性、女の人、子を産むこと、命」という記号群も発見した。
ラファエルが「悲劇的な二元論」と呼ぶ事態に直面して、後期旧石器時代の芸術家は、
「この対立を調和させるという使命にしかと向き合っていた。」後期旧石器芸術の
「メッセージ」は、生産と再生産を繰り返し、様々な記号論的な対立と調停のあり方
によって変容させられた。
このような考え方は、完全に構造主義的な立場のものであり、レヴィ=ストロースの
仕事の先駆けをなすものだった。
男性性と女性性、陰と陽、プラスとマイナス。。。
ラファエルは、バイソンを男性性、鹿を女性性と意味づけたそうですが、
鹿の持つ「角」というものを、男性性の象徴と考える人も、いたりしますよね。
例えば、「異なる二つのもの」がそこにあった時に、その見た目のイメージから、
こっちが男っぽいな、こっちが女っぽいな。。。みたいに、、、
そんな意味づけのようなものを、人々は先史時代から、なんとなく行って
いたりしたのかもしれませんね。
男と女、大人と子供、上と下、右と左、そして生と死などなど。。。
そういうものは、自然の中にはいくらでもありますし。。。
そうやって、一部の人がなんとなく意味をつけていったものが、
いつしか全体に受け入れられるようになり、そして社会的なシンボルとなり、、、
それが少しづつ私たちのジェネティック・マインドに積もりに積もって
いくうちに、心の原風景を形成し出していく。。。
そのうちだんだんと、ユングの言うような「元型」のようなものが、
私たちのジェネティック・マインドの中に生まれてきたのかも。
そしてそれは、、、
今を生きている私たちにも、深いところで影響を与えている。。。
ただ、、、
今の人類のGMが、そうやって少しづつ形作られたものなのだとしたら、
それが形成される以前の人類の意識って、一体どんな感じだったのでしょうね?
それを、今の私たちが想像することって、かなり難しいことだと
思うのですが、ちょっと、知ってみたい気がします。
私が気になるのは、やはりあのショーヴェ洞窟の女性の下半身と
バイソンの角を持つ頭の合体した絵です。

※画像はこちらから
これはいったい、どんな意味を持つ絵なのでしょうか。。。
このような絵は、他の洞窟では全く見られなかったものらしいですし、
その絵が描かれた場所というのがまた、ショーヴェ洞窟の中でも一番奥に
ある洞室だったりして、、、
しかもそれは、天井から吊り下がっているつらら石という、
少し変わった場所に描かれていたりするのです。
また、、、
この洞窟は1994年までは完全に封印され、それまでは、誰もこの絵を
目にすることができなかったという「事実」も、とても気になっています。
女性と牛の角。。。
・・・と聞けば、「女神と有角神」という魔女の信仰を、ついつい
連想してしまったりもします。
以前、本物の魔女の人が、ウィッカのような新興宗教的な魔女宗ではなく、
古くからの伝統的な魔女のルーツというものは、実は旧石器時代にまで
遡るんですよ。
と教えてくれたことがありましたが。。。
たとえば、先史時代にはこういったヴィーナス像がたくさん作られて
いたのですよね。。。

ホーレ・フェルスのヴィーナス像

ドルニ・ベストーニスのヴィーナス像

ヴィレンドルフのヴィーナス像
こういった女性を模った先史時代の彫刻が、何を象徴しているのか
ということについても、研究者たちの間では様々な意見があるみたいですよね。
でも、マックス・ラファエルが、太古の壁画に「二元性」の意味を
見つけようとしたことも、たくさんの研究者たちがヴィーナス像に
様々な意味をつけようとすることも、、、
もしすべてがGMの影響下で行われているものだとしたら?
そこに刻まれている風景以上のものを、彼らはそこに見つけることって
出来るのでしょうか?
彼らだけでなく私達全員が、GM自体をしっかり理解しきらないうちは、
その影響下から逃れることができずに、それ以上のものを見つける
ことができないのではないだろうか。。。
・・・なんて、思ってしまったりもしてね。
先史時代の「人間の像」というものは、どうして女性だけなのでしょうね?
『忘れられた夢の記憶』の映画の中では、たとえばライオン像などは、
男性性を象徴していると、ある研究者の方がおっしゃっていました。

ライオンマン
でもどうして、男性の場合は人間ではなくてライオンの姿で表されて
いるのでしょう??
これは本当に、男性の象徴なのでしょうか?
世界最古の都市遺跡といわれるチャタル・ヒュユクが、紀元前7500年の
遺跡だと聞いた時は、その古さに驚きましたが。。。
何万年前という先史時代のことを考えていると、チャタル・ヒュユクまで
なんだか新しい感じがしてきていまいます(苦笑)
あの遺跡からも女神の像は出土したり、牛をモチーフとした壁画や彫刻が
見つかったりしていましたよね。

女性と牛。。。
一体、何なのでしょうね?
本当は。。。
![]() | 洞窟のなかの心 (2012/08/02) デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ 商品詳細を見る |
2009年の2月12日、ネアンデルタール人のドラフトゲノム解析が終了したという
ニュースがありました。
ドラフト、、、ですから、まだ完全ではないですが、それでもその全体像が
なんとなく見えてきたようです。
それによって、今では様々ことが解ってきています。
たとえば、、、
・ネアンデルタール人のDNAと現生人類との間では、FOXP2と呼ばれる「言語遺伝子」の
同じバージョンが共有されていたこと
・成人のネアンデルタール人が乳糖を消化できなかったということ。
これは、ネアンデルタール人が乳離れしたあとは、ミルクを飲むことが
出来なかった可能性があることを示しているとのこと。
ちなみに、現代のアメリカの約5000万人の成人がこのような乳糖不耐症に
悩まされているそう。
・ほとんどの現代人がネアンデルタール人とのつながりを持っていることが明らかになり、
その遺伝子構造の少なくとも1~4%はネアンデルタール人に由来するものだということ。
1~4%というのはあくまで最低限の値で、10%、あるいは20%という可能性さえあると
言っている研究者もいる。アフリカ人はネアンデルタール人の遺伝子を持たない。
(アフリカを出発した後に、ネアンデルタール人と現生人類の異種交配があった可能性あり)
・現生人類とネアンデルタール人のDNA配列は99.7%が一致していることが判明した。
なおチンパンジーとは98.8%一致している。
などなど、他にもいろいろとあるのですが、2013年現在では、ネアンデルタール人が
現生人類よりも様々な点で劣っていた。。。と考えることは、どうやら間違いだったと
いうことが、明らかになってきているようです。
ほんの10年くらいの間に、これまでずっと「未開人」とされてきたネアンデルタール人が、
実は全然未開人ではなく、現生人類とあまり変わらなかったのではないか。。。と
いうところまでになってきました。
なんだか、面白いですよね。
アルタミラ洞窟が発見された頃には、その現生人類の祖先であるクロマニョン人
でさえもが、ついこの前までのネアンデルタール人と同じような扱いをされていたわけで。。。
あとは例えば、カエサルの頃のローマは、ケルトの民族を「野蛮人」扱いしていたりとか。
人って、理解不能なものを「未開」とか「野蛮」とか、そういう風に決めつけて
しまう傾向があったりするのでしょうか?
それとも、、、
私たち自身の意識が進化したことによって、過去自体が変わったのでしょうか?
ルイス=ウィリアムズさんがこの本を出版された時と現在とでは、
ネアンデルタール人自身が、もう変化してしまいました。
彼は、「ネアンデルタール人は未開人」という現実の上に立脚して
理論を展開させていますので、そのあたりは今読むと、例えば宗教観の
部分などについては、少し違和感を感じたりしてしまう部分も多少
あったりするのですが、、、
でもルイスさんの、捉えどころ、、、というか、着目点が面白いな。。。
と思ったのです。
ルイスさんは、現生人類とネアンデルタール人は、脳の神経構造とその構造が
生み出す「意識のタイプ」が違っていたと言っているのです。
エーデルマンが示した二種類の意識のあり方について話を進めよう。
その二つとは、原初意識と、高次意識である。
原初意識は、(ほぼ確実に)チンパンジー、(おそらく)ほとんどの哺乳類や
何種類かの鳥たちのような動物はある程度経験することができるものである。
(おそらく)爬虫類には原初意識はない。このようにして、エーデルマンは
原初意識とは何かを定義している。
原初意識とは、この世にあるさまざまな事象を意識し、現在における心的イメージを
持っている状態のことである。そこには、人間が過去と未来について持つ感覚は
一切伴わない。
・・・[原初意識が依存するのは]神経解剖学の新たな構成要素として進化のなかで
現れた凹角(おうかく)の特殊な回路である。・・・人間は高次意識を持つが、
進行中のさまざまな出来事を類別化していくために、「映像」や「心的イメージ」
として原初意識を経験してもいる。・・・原初意識は、一種の「記憶された現在」
なのである。・・・原初意識は、現在という時間の塊のまわりにあるわずかな区別の
記憶に限られている。それは自己(a personal self)といったはっきりとした
観念や概念を欠いており、過去や未来を現在と関わりのあるものとしてモデル化する
能力もない。
原初意識を持つ動物は、空間を見るとき、一筋の光がそれを照らしだしているように
見る。光が照らしだしていたものだけが、現在としてはっきりと記憶され、その他は
暗闇である。これは、原初意識を持つ動物は長期にわたる記憶を持つことができないとか、
それに基づいて行動することができないことを意味しているのではない。実際、それは
可能である。しかし、一般的にそれらの動物は長期にわたる記憶を意識できず、
自分自身で未来を計画することはできない。・・・原初意識を持つ生物は、心的イメージを
持っているが、社会的に構築された自己の視点から心的イメージを見る能力はない。
このような意識と移行期の関連を指摘する前に、エーデルマンが高次意識について
要約したものを紹介しておこう。それはホモ・サピエンスが持つ意識である。
高次意識には認識能力が含まれており、自身の行為や感情について考えることができる。
そして、自己のモデル、現在と同様に過去と将来のモデルを具体的に築くことができる。
・・・それは、人間が原初意識に加えて持つ意識である。人間は、意識することを
意識するのである。・・・現在は記憶され圧倒的な存在感を持つ。それを解消する
方法とはどのようなものであろうか?答えは次の通りである。象徴的な記憶を扱う
新たな形式を進化させ、社会でのコミュニケーションと伝達に利用可能なシステムを
構築することにより、それは可能となるのである。その形式がもっと発達したものとして、
言語の進化を挙げることができる。人間は言語を持つ唯一の種である。それが意味するのは、
高次意識は人間とともに成熟してきたということである。・・・
[高次意識には、]社会の文脈のなかで人格を構築し、過去と未来の視点から世界を
モデル化し、直接感じ取る能力が含まれている。象徴的な記憶がなければ、これらの
能力は発達することができない。・・・人間は個人と個人の相互作用を通して、
長期にわたり象徴的関係を蓄積してきたのであり、そのために、自己という概念を
客観的に捉えることができるのである。
なんとなく。。。
原初意識は、大脳辺縁系(哺乳類脳)。
高次意識は、大脳新皮質(人間脳)に関わるような気がしたのですが。。。
そして脳幹が「爬虫類脳」と呼ばれていますので、脳幹というものは、
ただただ生命を繋ぐだけのシステム。。。ということになるのかな。
ネアンデルタール人の脳の容量自体は、ホモ・サピエンスよりも
大きかったのだそうですが、前頭葉の部分が私たちよりも小さかったことが
頭骨の裏に残った動脈の痕からわかっているとかで。。。
ですので脳自体は大きくても、大脳新皮質の部分が、私たちよりも
少なかったということですよね。。。
ということは、彼は、他の哺乳類動物以上に言葉を扱えたり、また、火を
扱ったりすることは出来たとしても、今の私たちのように、複雑な
思考というものは持っていなかったのかもしれませんね。
考えたりすることは出来たとしても、かなりシンプルだった。。。
とも言えるのかもしれません。
・・・というわけで、もしネアンデルタール人がその「原初意識」だけで
生きていたとすると、それは完全に「今を生きる」という状態になると
思うのです。
けれども、複雑な宗教や芸術というものは、「高次意識」を持っていないと
生み出すことが出来ない。。。
そういう話になると思います。
スピリチュアルではよく、「今を生きましょう」と言いますが、本当に
完全に今しか生きることが出来なかったとしたら、私たちは、、、
ネアンデルタール人とまったく同じような生き方しか出来なくなってしまう。。。
・・・ということなのでは?なんて思ったのです。
でもそれって、、、
ネアンデルタール人が地球上から絶滅し、ホモ・サピエンスが繁栄した
事実が必然だったのだと考えると。。。
今更ネアンデスタール人のように生きましょう。。。と考えるのは、、、
ちょっと、極端すぎてしまうしね。。。
じゃぁ、「今を生きるってどういうことなの???」
・・・となってしまいそうなところですが、、、実はそれって、
とても簡単なことのような気がするのです。
過去に「執着する」ことをやめて、未来を「心配する」ことをやめる。
ただこれだけでいいのではないのかな。。。と、私は思っていたりします。
その時その時の、「ハートの声」に素直に。。。
簡単とは言いましたが、実はこれはすごく難しいことです(苦笑)
よくよく観察してみれば解ると思うのですが、私たちの思考は常に
休むことなく、過去や未来をあちこちさ迷っていますから。。。
今のハートに落ち着く。。。
そこさえ押さえておけば、せっかく大脳新皮質を発達させ、知性というものを
発達させてきた私たちなのですから、それをフルに活用しない手はないですよね。
システムそのものをシャットダウンさせる必要はない。。。と、
私は思っています。
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開かれている「ルーベンス展」に
行ってきました。
ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア展

ピーテル・パウル・ルーベンス
HPには、日曜日は混雑すると書いてあったので覚悟して行ったのですが、
昨日は意外と空いていました。

『毛皮をまとった婦人像』1629-30年頃

『聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ』1615-1618年頃

『復活のキリスト』1616年頃

『ヘクトルを打ち倒すアキレス』 1630-1635年頃
ルーベンスは、バロック絵画の代表的な画家。。。
バロック絵画
今まで、フランドルの画家、、、というイメージが強かったのですが、
生まれたのはドイツなのですね。
そして、イタリアで活動していた頃もあり、その頃にダ・ヴィンチや
ミケランジェロやラファエロなどの影響も受けていたみたいです。
有名なフランドルの画家で、アンソニー・ヴァン・ダイクという人がいるのですが、
彼はルーベンスのお弟子さん。
アンソニー・ヴァン・ダイク
今回、彼のこんな絵も出展されていました。。。

ヴァン・ダイク 『改悛のマグダラのマリア』1618-1620年頃
肌の質感が、本当に素晴らしいな。。。と、しばらく見入ってしまいました。
ルーベンスというと、、、
私たちの世代では、このお話を思い出す人、多いのではないかな。。。
最終回は、、、泣きましたよね。。。
行ってきました。



HPには、日曜日は混雑すると書いてあったので覚悟して行ったのですが、
昨日は意外と空いていました。

『毛皮をまとった婦人像』1629-30年頃

『聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ』1615-1618年頃

『復活のキリスト』1616年頃

『ヘクトルを打ち倒すアキレス』 1630-1635年頃
ルーベンスは、バロック絵画の代表的な画家。。。

今まで、フランドルの画家、、、というイメージが強かったのですが、
生まれたのはドイツなのですね。
そして、イタリアで活動していた頃もあり、その頃にダ・ヴィンチや
ミケランジェロやラファエロなどの影響も受けていたみたいです。
有名なフランドルの画家で、アンソニー・ヴァン・ダイクという人がいるのですが、
彼はルーベンスのお弟子さん。

今回、彼のこんな絵も出展されていました。。。

ヴァン・ダイク 『改悛のマグダラのマリア』1618-1620年頃
肌の質感が、本当に素晴らしいな。。。と、しばらく見入ってしまいました。
ルーベンスというと、、、
私たちの世代では、このお話を思い出す人、多いのではないかな。。。
最終回は、、、泣きましたよね。。。
録画だけしておいて、そのまま観ていないという番組がだいぶ
たまっていたので、いろいろ整理をしていたのだけど、、、
その中に、『プリンセスプリンセス、もう一度ダイアモンド』という
番組がありました。
それは、録画したことすらすっかり忘れていたもので、、、
それになんとなく観たい気持ちもあまり起きなかったので、
もう、そのまま消してしまおうかな?と一瞬思ったのですが、、、
でもプリプリは、いろいろと思い出深いバンドですし、、、
少し青春時代に戻ってみるのもいいかな。。。なんて思い、
ちょっと観てみることにしました。
観てよかった。。。って思いました。
ハートが温かくなる感じがしました。
東日本大震災で辛い思いをした人たちに、少しでも笑顔を取り戻して
もらえることが出来たら。。。と、そういう気持ちから彼女達は、
2012年という年に、一年限りのバンド再結成を決心したのだそうです。
プリプリのメンバー達は、、、
あの震災で自分や家族が無事だったことにとても感謝した。。。
けれども、同時に少し罪悪感を感じた。。。
・・・と言っていました。
そして、もしかしたらああいった被害にあうのは自分だったのかも
しれなかったのに。。。と思ったら、とても複雑な気持ちになった。。。
そんなことを言っていました。
すごい、ハートで生きているなぁ。。。って感動したのです。
ホントにね。。。
自然体でこういった気持ちが出てくることって、とても素敵なことだと思う。
私も、、、
このブログで書いているような小難しいことは、普段はあまり話さない
ことにしているのです。
日頃のお付き合いの中では。。。
だって、、、
実際に会っていて、こういうことを延々と語られたら、、、
相手は、疲れてしまうだろうなぁ。。。って思うから。
そんなことよりも。。。
人とリアルで接する時は、、、
プリプリの彼女達のように、本当の優しさ、、、ハートフルでね、、、
そういった気持ちで接するほうが、ずっとスムーズです。
言葉で小難しいことを語るよりも、そのほうがずっと伝わるのです。
見えない何かが。。。
そのほうがね、相手も自分も気持ちがいいなぁ。。。と、
いつ頃だったかな。。。
そういうのをしみじみ実感するようになったのでした。。。
プリプリのメンバーは、全員40代。
40代後半。。。
20代、そして30代の前半くらいまでは決して理解できない「衰え」、、、
というものがあり。。。
これは、自分がその歳になった時にしみじみ感じるものだとは
思うのですが、、、
彼女達も年齢を重ねてそういったものを実感し、、、
でも、そういうことを経験した上で、この年齢で再結成して行うライブを、
被災地の人たちのために、本当に素晴らしいものにしたいという気持ちで、、、
そんな気持ちで一生懸命練習している姿を見ていたら、もう、
涙せずにはいられなかった。。。
メンバーのひとりが、こんなことを言っていました。
「40代でも、時間さえかければ戻る。
精神の強さは、20代(現役時代)のあの頃よりも進化している。
老化は進化。40代ではそういったことがしっかりしている。」
若い頃は若い頃なりの、大変なこともあり、、、
私は決して、20代よりも40代のほうがすごいとか偉いとか、、、
そういうことは思わないのだけれども。。。
でもなんというか、40代になってみて初めて経験できること、
感動できることもたくさんあるのだな。。。って、しみじみ思う。
その時、その一瞬がダイアモンド。。。
いつもいつも、そういった気持ちを持ちながら、貴重な毎日を
大切に過ごしていきたいですね。。。
たまっていたので、いろいろ整理をしていたのだけど、、、
その中に、『プリンセスプリンセス、もう一度ダイアモンド』という
番組がありました。
それは、録画したことすらすっかり忘れていたもので、、、
それになんとなく観たい気持ちもあまり起きなかったので、
もう、そのまま消してしまおうかな?と一瞬思ったのですが、、、
でもプリプリは、いろいろと思い出深いバンドですし、、、
少し青春時代に戻ってみるのもいいかな。。。なんて思い、
ちょっと観てみることにしました。
観てよかった。。。って思いました。
ハートが温かくなる感じがしました。
東日本大震災で辛い思いをした人たちに、少しでも笑顔を取り戻して
もらえることが出来たら。。。と、そういう気持ちから彼女達は、
2012年という年に、一年限りのバンド再結成を決心したのだそうです。
プリプリのメンバー達は、、、
あの震災で自分や家族が無事だったことにとても感謝した。。。
けれども、同時に少し罪悪感を感じた。。。
・・・と言っていました。
そして、もしかしたらああいった被害にあうのは自分だったのかも
しれなかったのに。。。と思ったら、とても複雑な気持ちになった。。。
そんなことを言っていました。
すごい、ハートで生きているなぁ。。。って感動したのです。
ホントにね。。。
自然体でこういった気持ちが出てくることって、とても素敵なことだと思う。
私も、、、
このブログで書いているような小難しいことは、普段はあまり話さない
ことにしているのです。
日頃のお付き合いの中では。。。
だって、、、
実際に会っていて、こういうことを延々と語られたら、、、
相手は、疲れてしまうだろうなぁ。。。って思うから。
そんなことよりも。。。
人とリアルで接する時は、、、
プリプリの彼女達のように、本当の優しさ、、、ハートフルでね、、、
そういった気持ちで接するほうが、ずっとスムーズです。
言葉で小難しいことを語るよりも、そのほうがずっと伝わるのです。
見えない何かが。。。
そのほうがね、相手も自分も気持ちがいいなぁ。。。と、
いつ頃だったかな。。。
そういうのをしみじみ実感するようになったのでした。。。
プリプリのメンバーは、全員40代。
40代後半。。。
20代、そして30代の前半くらいまでは決して理解できない「衰え」、、、
というものがあり。。。
これは、自分がその歳になった時にしみじみ感じるものだとは
思うのですが、、、
彼女達も年齢を重ねてそういったものを実感し、、、
でも、そういうことを経験した上で、この年齢で再結成して行うライブを、
被災地の人たちのために、本当に素晴らしいものにしたいという気持ちで、、、
そんな気持ちで一生懸命練習している姿を見ていたら、もう、
涙せずにはいられなかった。。。
メンバーのひとりが、こんなことを言っていました。
「40代でも、時間さえかければ戻る。
精神の強さは、20代(現役時代)のあの頃よりも進化している。
老化は進化。40代ではそういったことがしっかりしている。」
若い頃は若い頃なりの、大変なこともあり、、、
私は決して、20代よりも40代のほうがすごいとか偉いとか、、、
そういうことは思わないのだけれども。。。
でもなんというか、40代になってみて初めて経験できること、
感動できることもたくさんあるのだな。。。って、しみじみ思う。
その時、その一瞬がダイアモンド。。。
いつもいつも、そういった気持ちを持ちながら、貴重な毎日を
大切に過ごしていきたいですね。。。
六本木ヒルズで、ミュシャ展を観てきました。
ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展 パリの夢 モラヴィアの祈り

アルフォンス・ミュシャ

ミュシャの絵って、、、
「綺麗」
この一言に尽きるような気がしました。
女性で、ミュシャの絵を嫌いな人っていないのでは?なんて思ったりもします。
花と美しい女性の組み合わせ、そして綺麗な色遣いは、
見ていてうっとりでした。

『夢想』1897年

『四芸術:ダンス・絵画・詩・音楽』1899年

『月と星:月の下絵』1902年
1894年の暮れ、フランスの大女優のサラ・ベルナールに舞台『ジスモンダ』の
デザインポスターを、たまたま依頼されることがなかったら、、、
ミュシャのその後の活躍はなかったのかもしれない。。。
そう思うと、そこに運命の不思議さを感じてしまったりもしました。

『ジスモンダ』1894年
ミュシャも、メーソンのメンバーだったそうです。
芸術家には、そういう人が多いですね。。。
ミュシャというと、上にあげたような絵を思い浮かべることが多いですが、
展覧会の後半の絵は、祖国を憂いたミュシャの心が現れているような、
少し色調の暗い、重い絵が続いていたりしました。
ミュシャは、こんなことを言っていたようです。
私の作品の目的は、破壊ではなく建設であり、人々を結束させることでした。
なぜなら人類が手をつなぎ、力を合わせることができることをわれわれは
信じるべきであり、人々の相互理解が深まれば、その結束も容易になるからです。
この相互理解のプロセスで、少なくともわれわれスラヴ民族間の理解だけでも、
私がささやかながら貢献できる役割を担うことができれば、喜ばしいことです。

『花に囲まれた理想郷の二人』1920年頃




ミュシャの絵って、、、
「綺麗」
この一言に尽きるような気がしました。
女性で、ミュシャの絵を嫌いな人っていないのでは?なんて思ったりもします。
花と美しい女性の組み合わせ、そして綺麗な色遣いは、
見ていてうっとりでした。

『夢想』1897年

『四芸術:ダンス・絵画・詩・音楽』1899年

『月と星:月の下絵』1902年
1894年の暮れ、フランスの大女優のサラ・ベルナールに舞台『ジスモンダ』の
デザインポスターを、たまたま依頼されることがなかったら、、、
ミュシャのその後の活躍はなかったのかもしれない。。。
そう思うと、そこに運命の不思議さを感じてしまったりもしました。

『ジスモンダ』1894年
ミュシャも、メーソンのメンバーだったそうです。
芸術家には、そういう人が多いですね。。。
ミュシャというと、上にあげたような絵を思い浮かべることが多いですが、
展覧会の後半の絵は、祖国を憂いたミュシャの心が現れているような、
少し色調の暗い、重い絵が続いていたりしました。
ミュシャは、こんなことを言っていたようです。
私の作品の目的は、破壊ではなく建設であり、人々を結束させることでした。
なぜなら人類が手をつなぎ、力を合わせることができることをわれわれは
信じるべきであり、人々の相互理解が深まれば、その結束も容易になるからです。
この相互理解のプロセスで、少なくともわれわれスラヴ民族間の理解だけでも、
私がささやかながら貢献できる役割を担うことができれば、喜ばしいことです。

『花に囲まれた理想郷の二人』1920年頃
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