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個別記事の管理2013-06-01 (Sat)
 昨日は、パリ・オペラ座バレエ団の来日公演、『天井桟敷の人々』を
 観に行ってきました。


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 この公演のことは以前、オペラ座のガラ・コンサートを観に行った時に、
 配られた広告で知りました。


 ガラに行った時は、絶対に観に行く!と思っていたのですが、
 実際にチケット予約が始まった頃は、またテンションも変わっていて。。。

 チケット代もとてもお高いので、どうしようか。。。と思ったのですが、
 その時点で予約すれば、もう最高の席で観れる。。。というのが
 解っていたので、非常に悩みました。


 オペラ座の舞台、全幕もの。。。
 しかも、国外初上演の、あの天井桟敷。。。
 そして、主演は、私にとってはベストキャスティング。。。

 
 ですので、散々迷ったあげく、やはり観に行くことにしたのですが。。。


 行って、大正解でした!
 素晴らしかったです。。。


 久しぶりのオーケストラ生演奏でしたが、、、
 音楽も素晴らしかった。


 忘れないうちに、昨日のキャストをメモしておこうと思います。。。


 バチスト:ステファン・ビュリオン
 ガランス:アニエス・ルテステュ
 フレデリック・ルメートル:カール・パケット
 ラスネール:バンジャマン・ペッシュ
 ナタリー:メラニー・ユレル
 モントレー伯爵:ヤン・サイズ


 オペラ座の『椿姫』をテレビで観た時、とても感動して。。。
 それ以来、ステファン・ビュリオンのファンになったのですが、
 その椿姫の時と同じように、アニエス・ルテステュとのコンビでしたので、
 嬉しかったです。

 以前、BSのプレミアムシアターで放送された『天井桟敷の人々』は、
 バチストがマチュー・ガニオで、ガランスはイザベル・シアラヴォラで、
 こちらもまた、とっても良かったのですが、私はやはり、ステファンと
 アニエスのほうの日を選んでしまいました。

 マチュー・ガニオのほうはチケットが完売になってしまっていたので、
 そちらのほうが、人気はあったみたいなのですが・・・
 
 
 でも。。。
 イザベルのガランスと同じくらい、アニエスのガランスもとても
 素敵でした。
 
 きっとあれは、日本人には出せない魅力のような気もして、、、

 フランスの女性って、やっぱりかっこいいなぁ。。。と、、、
 惚れ惚れしてしまったりもしました。


 この『天井桟敷の人々』というのは、昔の映画の物語を、元オペラ座
 エトワールのジョゼ・マルティネスが振付し、バレエ化した作品なのですが、、、
 彼自身も現役時代、主役のバチストを演じていましたし、たしか彼の
 引退公演も、この天井桟敷でした。

 ただいつも思うのは、この作品。。。
 主演のバチストよりも、ルメートルのほうが目立ってやしない??
 ということで。。。

 昨日も、ルメートル役のカール・パケット、ものすごく光っていました。

 まぁ。。。
 彼も好きだからいいのですけれども(笑)


 この作品は、一幕と二幕の間の休憩時間に、なんとダンサーが
 ロビーで踊ってしまうというビックリな演出があり、、、
 オペラ座のガルニエ宮の大階段で演じられるこのシーンを、
 上野の東京文化会館でどうやって行うのかと思っていたのですが、
 とても綺麗に演出されていました。

 ちなみに、劇中に登場する「天井桟敷席」もどうやって演出するのかと
 思っていたのですが、それは舞台の端に、豪華なソファーを置いて、
 代用していました。

 そのロビーでの『オセロ』のシーンも、ルメートル役のカールが
 務めていましたし、その他にも彼の見せ場はものすごくたくさんあり。。。


 バチストをこんなに控えめにしたのは、、、
 ピエロの哀愁を表現したかったのでしょうか?
 

 この作品の衣装デザインは、アニエス・ルテステュが担当した
 そうですが、彼女は面白いことを言っていました。

 『天井桟敷の人々』の映画はモノクロ作品なのに、あれを観た
 ほとんどの人が、ガランスのドレスは赤だと思っていた。。。と。

 だから彼女は、ガランスのドレスを赤にしたそうなのです。


 私はこの映画は観たことがなくて、オペラ座のバレエを観に行くまでに
 一度観ておきたいと思いながら、そのままになってしまっていました。

 でも、昨日の舞台が素晴らしかったので、、、
 近いうちに、映画も観てみたいと思います。


 まだまだ書きたいことはあるのですが、時間がない・・・(涙)


 昨日配られた広告を見ていたら、どうやら来年、オペラ座の『椿姫』が
 くるみたいなのです。。。

 これもまた、行かなくては。。。なんて思ってしまいました。

 
 美術館なんかもそうですけれども。。。
 バレエも、、、一度行き出すと、こうしてハマっていくのです(笑)


 でもやっぱり、、、
 オペラ座のドラマティックバレエは最高ですね。。。

 古典ものは、マリインスキーが好きですが、、、
 今後はオペラ座のコンテンポラリーに、どんどんハマっていきそうな
 気配です。。。


 
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個別記事の管理2013-06-04 (Tue)
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 声楽の発表会までは、ずっとそちらに集中していたので、
 次のライヴで歌う歌の歌詞の暗譜はそのあと。。。と、後回しにして
 きていたのですが、考えてみたら、残りあと2週間しかないことに
 その時になって気づき。。。

 でも、サビの部分はほとんど覚えていたので大丈夫だろうと思いきや、
 意外とその歌詞は覚えづらく、だんだん自信がなくなってきました。


 ある日、「絶対に今日中に覚える!」と決意し、一生懸命練習していたのですが、
 いくら繰り返しても、どうしても完全に覚えきれずに、いつも途中でひっかかり。。。

 ひっかかる個所はその時によってまちまちで、、、
 ひとつ覚えるとひとつ忘れる。。。の連続で、なかなかマトモに歌えず、
 こんな調子で大丈夫なんだろうか。。。と、ますます不安になってきたのでした。


 けれども、その次の日になってみると、、、

 不思議と全部綺麗に暗譜できている。。。
 スラスラと歌えてしまえるのです。。。


 覚えられない~と焦っていたのに、実は覚えていた。。。

 ・・・というようなことは、おそらく誰もが学生時代の試験前に一度は
 経験しているのではないのかな、、、なんて思ったりもしますが。

 こういうことが起こると私はつい、、、
 人間の脳って、一体どういう仕組みになっているんだろう?なんて。
 
 そんなことを考えたくなってきてしまったりもして(笑)


 一度スラスラ歌えたら、その安心感も手伝って、その後は、
 何度歌ってもスラスラ歌えるようになり、、、

 もう大丈夫。。。

 ・・・と、そう思ったのも束の間、、、
 レッスンの時に、先生の前で歌おうとしたら、一部の歌詞がいきなり
 抜けてしまって、頭が真っ白になってしまい、自分でもびっくりしました。

 バッチリだと思っていたのになぜ??と。


 こういうの、緊張するとよくありがちですが、、、
 どうして、こういうことが起こるのだろう?と、とても気になってきました。

 それで、あれこれ考えました。


 私が歌っている時、先生は歌詞のプリントを横でじっと眺めながら
 私の歌を聴いていたのですが、、、

 多分、そのせいなのだと思います。
 私の頭の中の歌詞が飛んでしまったのは。。。


 先日の、バンドリハーサルの時も、私はまた、歌詞が飛びました。
 その時飛んだのは、レッスンの時に先生の前で忘れた所とは
 また違う箇所でした。

 この時も、家で散々練習していって、今度こそ完璧に覚えたわ!と
 思っていたのに・・・です。


 なぜ、覚えていたものを忘れてしまうのか。。。


 これは、私が自分自身を観察していた結果、おそらくそうだろうと
 思ったことなのですが、ちゃんとインプットしてあるはずの歌詞を
 その時意識に浮かび上がらせないようにしているのは、多分、
 私自身の「思考」です。

 あれこれと、よけいなことを考えている思考。

 これが、歌詞が飛んでしまう原因。


 先生が隣で歌詞を見ながら私の歌を聴いている時、、、
 私は視界の隅にその先生の姿をとらえているわけですが、そうすると、
 「歌詞を間違えたらどうしよう。」とか「発音とかチェックされていたり
 するのかしら?」とか、、、

 もう、ものすごい勢いで思考が回転しているのが解るのです。

 考えている、、、というよりも、溢れてくる、、、という表現のほうが
 それに近い感じがします。

 そして、、、
 その思考に囚われすぎていると、、、
 そこに意識を集中させてしまうと、歌詞が飛びます。


 バンドのリハの時もそうでした。

 たくさんの人たちに囲まれて、、、しかも、その筋のプロの人達が、
 自分のために演奏してくれていて、なおかつ、そんな人たちに、
 私の歌を聴かれてる~~~(汗)と思うと、無意識に、、、

 「この人、ダメだと思われたくない!」、、、と、、、
 
 そうやって、必要以上に自分をよく見せようとするエゴが働くの。。。


 そして、空回る。


 思考、、、エゴ。


 歌ってる時は、これっていらない!!!
 思考、止まって、、、って、、、
 
 
 しみじみ思います。


 今日試しに、あえて家族全員が集まってザワザワしている部屋の中で
 少し瞑想状態に入って、思考の活動をちょっとだけ鈍らせてから、
 その状態で、何度か歌ってみたら、、、
 一度も歌詞を間違えませんでした。

 それどころか、ものすごく気持ちがよかった。。。


 考えずとも、勝手に歌っている感覚なのです。。。
 身体が。。。

 そして、メロディーの、歌詞の、音の「ヴァイヴレーション」と
 一体化している感じがしてくるの。。。

 この感覚が、「歌に入り込む」。。。という感覚。


 ただ、、、
 この感覚を、大勢の前に立った時にすぐに獲得できるのか。。。


 そこが問題です。


 「スポットライトの魔法」、、、と私は勝手に呼んでいるのですけれども(笑)

 これはバレエ時代から感じていたことなのですが、、、
 私の場合、スポットライトがそれを助けてくれることが多かったりします。

 自分にライトが当たると、眩しくて周りがあまり見えなくなり、、、
 そこに特殊な世界を築きやすくなる感じがするからです。


 ・・・と、ヴォーカルライヴのことになぞっていろいろ書きましたが。。。


 人間の脳ってきっと、、、
 一度見たこと聞いたことは、全て完璧にインプットする機能が、
 ちゃんとついているのでしょうね。

 それは、おそらく辺縁系あたりなのかな。
 そこにある、海馬あたりが、おそらく記憶を司る場所だったと
 思いましたが。。。

 ですから、大人になって記憶力が悪くなったと思っても、、、
 実は、子供の時と同じように、ちゃんとインプットはしているように
 思うのです。

 ただ、大人は子供よりも「体験」の数が多いですから、、、
 そういった体験によって「学んだこと」もたくさんあり、、、

 なんというか、、、
 辺縁系より、大脳新皮質、、、要は「思考」が、フル活動して
 しまいがちなのでは?

 ・・・なんて思ったりしてね。


 2歳児、3歳児でさえ言語を覚えることが出来るのですから、、、
 「歌詞を覚える」という行為自体は、決して難しいことでは
 ないはずですよね。。。

 それが大人になると難しくなってしまうのは、、、

 それだけ子供の頃より「エゴ」が強くなっているから。。。と
 いうことであり、、、

 その膨れ上がったエゴをいかに理解し、うまく手綱を握っていくか、、、
 
 それは、大人になった時にやっと挑戦できる、醍醐味だったり
 するのかもしれませんね。 

 そしてそれがうまくいった時の快感は、、、
 きっと、経験の少ない子供のうちは、味わえないことだろうと思います。。。
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個別記事の管理2013-06-09 (Sun)
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 昨日の、ヴォーカル教室のライヴコンサート。。。

 すごく楽しかったです。


 先日の声楽の発表会の時とは違って、テンションも高まったし、
 とても気持ちよく歌えました。


 なによりも、「場」の雰囲気がとてもよかったです。


 やはり、場の雰囲気というものはとても大切なのだな。。。と、
 改めて思いました。

 
 でも、その「場の雰囲気」というものを作りだすのは、、、
 強烈なパワー・スポットなどは別としても、多くの場合は、
 そこにいる人達、ひとりひとりの意識なのでしょうね。


 たとえば、瞑想の場、、、
 サンガなどで瞑想すると、普段よりも入りやすかったりしますが、
 これは、その「場」に形成されたエネルギーに影響されるのだと
 思います。

 あとは、一人よりも数人で一緒に瞑想したほうが、、、
 特に、瞑想に慣れている人と一緒だったりすると、「ひっぱられる」と
 いうことがあったりもしますが、、、
 これもまた、エネルギーなのでしょうね。


 それと同じで、、、
 ライヴハウスもまた、これまでそこで演奏してきた人達の作った
 エネルギーがそこにあったりもするでしょうし、なんというか、、、
 元々、盛り上がりやすい場であったのだろうな。。。とも思いますが、
 同時に、昨日その場にいた人達のテンション。。。

 やっぱりこれよねぇ。。。なんて思ったりもしました。


 緊張すると頭がいっぱいになってしまって、他の人の歌を
 落ち着いて聴いていられなくなりがちなのですが、そういう時こそ、
 意識的に、、、周りの方々の歌を、心から応援してあげる。。。

 そうすると、自分が歌う時も、なぜか安心して歌える感じがしました。


 与えよ、さらば与えられん。。。


 まさに、これですね。


 タロットと数秘術を使って、自分の本質を知る。。。という方法が
 あるのですが、それを使って自分を見てみると、、、
 私のソウルは「皇帝」で、パーソナルが「隠者」になるようで。

 実はこれ、娘もまるっきり同じなのですが。。。


 私たちは二人とも、歌っている時は皇帝降臨するのですが(笑)
 
 歌い終わったらサッサとステージから去りたいので、そこで
 インタビューを受けるのが苦手なのです。。。

 そういった場で、言葉で自分のことを「アピール」するのはあんまり得意じゃなく。
 ・・・というか、好きではなく。

 「歌で感じて!」というタイプのようです。。。
 
 やっぱり私たち、、、
 パーソナルは隠者だよね。。。と、二人で笑っていました。

 親子って、、、似ますよね。やっぱり。
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個別記事の管理2013-06-11 (Tue)
 
死と神秘と夢のボーダーランド: 死ぬとき、脳はなにを感じるか死と神秘と夢のボーダーランド: 死ぬとき、脳はなにを感じるか
(2013/02/05)
ケヴィン ネルソン

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 今日、この本をやっと読み終えました。
 
 『洞窟のなかの心』という本を読み終わったあとくらいから、、、
 移動の電車の中や、外出先でひとりでランチしたりする時間を使い、
 地道にコツコツと、この本を読んでいました。

 ですので、読み終わるまでにすごい時間がかかってしまったし、
 ブログなどにメモする暇もなく、かつ、脳に関する専門知識が
 たくさん出てきたりするので、細かいところまでしっかり把握する
 ことが出来ないままなのですが、全体の感想としては、とっても
 面白かったです。


 一般的に「神秘体験」と言われるようなものを、脳神経学者の立場から
 検証していくものです。


 臨死体験、体外離脱、そして、神や宇宙意識との合一体験などなど。。。
 

 私は、、、

 自分の今の人生の軸となっているある体験。。。

 自分の人生観が一瞬にしてガラッと変わってしまった、10代の時の、
 あの神秘体験が一体なんだったのか。。。

 それを知りたい!という思いが軸となり、スピリチュアル的な世界の
 探究をしてきたわけですが、そっち方面からでしたら、それが一体
 何だったのか、、、ということは、もうだいぶ理解できたような気が
 していたりします。

 「なぜ」そういったことが自分の身に起こったのか。。。ということは、
 ここ何年もの間、研究、、、とまではいきませんが、あれこれ
 調べ続けてきたつもりです。


 瞑想をすれば、様々な体験はしますし、ヴィジョンも見ますし、、、
 その世界では、アストラル界とかもっとその上の世界のこととか、
 輪廻転生のこととか。。。

 そういったことが当たり前のように言われてきているし、、、
 実際何かを体験してみて、「あぁ、それもありだな。」とは思っています。


 ただね。。。

 今度はそれが、「どのようにして」起こるのか。。。
 そちらを少し、調べていってみたいような気もしたりして。

 この人間装置のシステム、脳や遺伝子上では、そういったことが
 どのようにして起こっているのか。。。

 そういうことも、詳しく知りたいな。。。なんて思うのです。

 それには、そういったことに関する専門家。。。
 ちゃんとしたエキスパートのお話をいろいろ読んでみたい。。。


 こちらの本を書いたケヴィン・ネルソンさんは、ケンタッキー大学の
 神経学教授で、同大学、医療部門の所長を務めている方なのだそうです。


 この本は、もう一度メモを取りながらゆっくり読み返していきたい
 ような気がするのですが、、、

 今、強く印象に残っているのは、「心臓が夢を創りだす」というお話。。。

 あとは、「恐怖」と「神秘体験」の関連性。
 その時、どんな脳内神経物質が、どのような働きをするのか。。。とか。

 それをここで説明できるほど、私の頭の中では整理がついていないのですが、、、
 ちょっとね、、、『Quntusum』の物語との関連性を感じたのでした。


 私は、、、リアルに見えるこの世界も、、、
 本当は「幻想」なのだと。。。

 どうしても、そうとしか思えないところがあります。。。


 これを書いても、、、
 ほとんどの人に理解してもらえないこと、悪くすれば反発されたり、
 ショックを与えてしまったりすることも、解ってはいるのですが。。。

 これが、あの10代の体験によって私の中に残ってしまった真実。。。


 あの体験が自分に起きたことに感謝することもあれば、、、
 そんな体験、しなければよかったと思うこともあります。。。

 それは、「物の見方」が、周りの人とずれてしまっていることを、
 しみじみと実感させられるとき。。。


 でも、、、
 この本を読んでいたら、、、
 
 「脳神経学者というものは孤独なのだ。」というようなことが
 書かれていて。。。


 もしかしたらケヴィンさんも。。。
 私と同じような孤独感を味わっていたりするのかしらと。。。

 そんなことを感じたりもしてね。。。
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個別記事の管理2013-06-16 (Sun)
 
死と神秘と夢のボーダーランド: 死ぬとき、脳はなにを感じるか死と神秘と夢のボーダーランド: 死ぬとき、脳はなにを感じるか
(2013/02/05)
ケヴィン ネルソン

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 モネが細かい筆勢で置き並べた色彩を融合させて私たちに睡蓮と知覚させるのは、
 脳の仕業である。死の淵を覗きこんだジョーに異常なまでに臨場感のある映像を
 見せたのも、その脳であることは分かっていた。
 <中略>ジョーにとっては疑うべくもなくきわめて重要な宗教的体験をもたらした
 脳の活動領域は、果たしてどこだったのか?



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  『睡蓮』1905年 クロード・モネ


 精神の主座は大脳皮質だという説を早々と唱えた人物のひとりが、現代医学の祖と
 言われるギリシャのヒポクラテスだ。これは今も主流となっている説である。

 <中略>デカルトはヒポクラテスとは意見を異にした。彼が『魂の座』であると
 したのは、松果体である。彼はこの松果体が、神、すなわち宇宙の非物質的な
 側面を物質世界に出現させる変換器だと考えた。その松果体を、現代神経学では、
 『暗闇の器官』と呼んでいるのは興味深い。

 数十億年のはるか昔、両生類と爬虫類の松果体は、頭頂部表面に張りついたような
 光受容細胞、俗にいう『第三の眼』だった。これが進化の過程で鳥類や哺乳類の
 頭蓋内に取り込まれ、現在は人間のメラトニン産生を担うに至っている。

 デカルトが松果体を支持したにもかかわらず、大脳皮質こそ『魂の座』という
 先入観は、19世紀を通して存続した。大脳の機能局在を初めて突き止めた
 脳神経科学の巨星、ポール・ブローカが大脳皮質一辺倒だっただけに、この分野では
 今も大脳皮質偏重が続いている。それも無理からぬことだ。
 人間が体験する数々の要素を統合するのが大脳皮質なのだから。



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  ※画像はこちらからお借りしました。


 こちらのブログも面白いですね。

 「男脳・女脳」に関しては、以前このブログでもチラッと書きました。。。

 息子を育て、そして息子がある程度大人になってきた今思うのは、、、
 男の子はどういう風に育てても、結局は「男」になる。。。ということで。

 ママ友と、「これはもう、ホルモンと脳の仕業としか思えないね。」と、、、
 つい先日話していたところでした。


 何かで読んだのですが、、、

 多くの男性が理想としてあげるのは、中学とか高校時代あたりの
 クラスメイトの女の子が多いそうで。

 逆に女性に聞くと、理想の男性は異次元にいることが多いそうです(笑)


 結局、男女ともに、現実をちゃんと見ていないってことなのね^^;


 私なんかは、女性の理想とする男性像というのは、「宝塚」に
 出てくるような男性なのだろうな。なんて思っていたりして。

 「そんな男はいるわけないだろ!」と、世の男性陣は思うと思いますが、
 少年マンガや、アニメ、ゲーム、それから演歌の歌詞に出てくるような女性は、
 多分この世界にはいないのではないのかなぁ。とか思っていたりもします。

 そういう演技をする女性はいるかもしれないけど。


 そういう部分では、、、
 男性も女性も、いつまでも妄想劇場から抜け出せずにいたりすることも
 あったりするのでは?

 綺麗な表現をするとしたら、、、
 永遠に夢を追う。。。みたいな。


 そんなわけで、、、
 「脳の仕組み」から男女の違いを理解することでも、だいぶ地に足がついて
 現実と向かい合えるような気もします。

 目の前にいるパートナーに対する「要求」も、かなり減ってくると思います。


 果たしてそれを「悟り」と呼ぶのか、「諦め」と呼ぶのかと、、、
 
 そんなことを、話し合ったこともあったけど(笑)


 ・・・と、話がそれましたが、もう少し本から抜粋です。


 本書では、臨死体験と、臨死体験に関連していると思われる霊的事象、
 つまり、体外離脱体験、恍惚感や解脱の境地、『合一』の神秘体験、聖人や
 死者の幻視について、現在私が進めている研究を紹介しよう。
 原始的な脳幹が、脳の中で進化上最も新しい大脳皮質のうち最も古く
 誕生した大脳辺縁系と連動して活動し、多種多様な霊的体験につながることを
 証明するつもりだ。

 私の研究は今後も論争の火種を撒き散らし続けることになるだろう。
 レム睡眠と臨死体験との関連を指摘したわけだから、そうした体験を、
 来世の存在を示す啓示、あるいは、複雑な潜在意識のつながりや神の存在の
 証明と考えている人々は憤慨した。彼らにしてみれば、臨死体験を夢と・・・
 言い換えるなら、現実ではない体験と同列に扱おうとする研究など不愉快千万
 である。

 その一方で、私の研究は筋金入りの無神論者の意にも染まなかった。
 理性的な脳が好むと好まざるとにかかわらず、霊性(スピリチュアリティ)が
 人間であることの証と表裏一体であって、誰も我が身から切り離せないことを
 示してしまったからだ。

 脳の最も原始的な部分に端を発する霊的体験は、言うなれば本能である。
 その発現には、感情と情動を生む辺縁系の構造物もかかわっている。
 私の研究は霊的体験と宗教の根源にある不都合な本質を解明するための
 新たな手掛かりを提示している。

 ただ、私にしても、原始的な脳幹と辺縁系といいつつ、それで霊的体験すべてを
 説明できるとは考えていない。私たちに霊性を見せるのは原始の脳かもしれないが、
 それを私たちがどう受け止めて処理するかは、また別の問題である。
 霊的なものに関するこれからの脳神経科学の研究は、私たちの霊的衝動を、
 それが高次の脳領域において引き起こす連想イメージ、思考と区別するうえで、
 一役買うことになるかもしれない。霊的なものがいかにして大脳皮質を
 形成したか解明する糸口が、ついにつかめる可能性があるのだ。

 本書はひとつのきっかけに過ぎない。霊性と脳を扱う分野は一歩を踏み出した
 ばかりである。霊的なものの意味と価値は私たちひとりひとりが自力で
 見出すものだ。これは人間に課せられた最大の試練のひとつだが、人間だからこそ
 与えられたまたとない機会のひとつでもある。今、この時代にあって、人間で
 あることの意味を理解するには、つまるところ、霊性の神経学的基盤を解明することが
 必要なのだから。



 すごく共感できることが、ここに書かれていました。

 「そこに意味をつけていくのは自分」

 これは、私のポリシーでもあったりするのです。。。
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個別記事の管理2013-06-16 (Sun)
 声楽レッスンで、次に練習する歌。

 『Caro mio ben』


 


 イタリア古典歌曲の中ではかなりポピュラーな歌で、、、
 特にクラシックに興味のない人でも、どこかで聴いたことある?
 みたいな歌だと思います。

 最近新しくついた声楽の先生が、ちょっと不思議そうな顔をしていました。

 「あれ?Lyricaさんは、これはまだやってなかったんですね。」

 ・・・と。

 それくらい、みなさんご存じで、初期の頃に習うような歌みたい。



 ヴォーカルレッスンのほうは、歌い慣れているレベッカにしました。


 
 
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個別記事の管理2013-06-18 (Tue)
 ニューエイジ系スピではよく、「そのままのあなたでいいのです。」という
 言葉を目にします。。。
 
 完璧を目指すな。。。と。


 ファーストソースの視点で見たら、それこそ、そのままで、
 すべてが完璧な世界であり。。。

 SMAPの歌ではないですが、誰もが「世界でひとつだけの花」であり。。。

 でもそれは、スピリットの視点からの言葉であり、、、
 そのことを根底に置きつつも私はやはり、人間、「努力」というものは
 必要だと思っています。

 「そのままでいいんです。」という言葉の上に、エゴが胡坐をかいては
 いけないと。

 いつもそう思っています。


 ロシアのボリショイバレエ団に在籍しているアメリカ人ダンサー、
 デヴィッド・ホールバーグは、こんなことを言っていたそうです。

 ツイッターで、summelunaさんが翻訳したものを載せてくださって
 いたので、シェアします。


 初めて凝視したのはタップダンサーだったと思う。8歳の時だった。
 15歳の時の『くるみ割り人形』で、自分の芸術様式を発見したと思う。
 それか芸術様式が自分を発見したのかもしれない。

 ダンスで一番魅了されるのは、完璧さへの永遠の追求。全てを正確に
 させようとする欲求。体を整え、休め、評価し、自問し、リハーサルをし、
 舞台をやる。永遠に終わりがない。

 その公演は、何時間ものリハーサルや準備の結果。
 ある瞬間のために、身体を整えたり準備する。
 そのある瞬間がダンサーとしての動機になっている。
 この芸術様式において、そのある瞬間が自分を魅了する。

 自分が決して到達し得ないレベルがある。もの凄く辿り着きたいのに。
 バレエは他の芸術様式とは全く方法が違う。自分のパートナーだけでなく、
 観客とも分かち合う素晴らしいパフォーマンスが、その最高の瞬間。
 全てが上手くいって、自分が出来うる限りの表現をして、その結果
 その瞬間が生まれる。

 ダンサーとして、その公演には全ての練習をかける価値がある。
 そういうところが自分の心を捉える。
 それはこの世のものとは思えない世界。

 バレエ・イン・シネマ’は映画館の観客に、同じ瞬間を創りだす。
 映画館の観客は、自分の仕事を完璧に経験することができる。
 自分が舞台で感じる同じ激しさの瞬間を。



 ダンスや歌に関しては、ただただ楽しむだけでは、私は物足りなく感じます。。。
 上手になりたいから、一生懸命練習します。

 なぜ、上手になりたいのかといえば、、、
 上手に歌えたり踊れたりした方が、断然気持ちがいいからです。。。


 多分、ヨガ行者とか禅の修行僧とかも。。。
 ストイックに極めようとするその動機というものは、、、
 それと似たようなものなのではないのかな。。。なんて思ったりもします。


 「そのまま」では決して知ることの出来ない素晴らしい世界を、、、
 チラッとでも垣間見てしまったら、、、
 人はやっぱり、それを求めたくなってしまうのではないのかな。


 一度「渇き」を感じてしまったら、、、
 もう、止まらない。みたいな。


 歌やダンス、そして、こと精神世界的なことに関しては、私にはかなりストイックな
 一面があるのですが、それ以外のところでは、ものすごくゆるいです。。。

 日頃は、そんなに頑張らなくたっていいじゃない。。。と、思っていることのほうが、
 実は多いかもしれません。


 娘の職場で、先日転勤した人がいるらしく、、、
 娘曰く、その人は優しくて、そして繊細そうな人だそうで。。。

 なので娘は、その人にお別れをする時に、「新しい職場で、あまり
 無理しすぎないようにしてくださいね。」と言ったそうなのです。

 すると、女性の上司の方が娘に、「コラ、その子のこと甘やかしちゃだめでしょ。
 無理してでも頑張らせなくちゃ。」と言ったのだそうです。


 そんな話を聞いて、、、
 人によって、厳しくするところって違うものだなぁ。。。と、
 つくづく思いました。

 
 私が上司だったら、、、
 多分その子に、娘が言ったことと全く同じことを言っただろうと思います。。。

 けれども、、、
 娘がまだ小さかった頃、家で娘のバレエのレッスンを見ていた時は、
 私はまるで鬼のようでした^^;

 パッセやアラベスクの形が綺麗に決まるまで、、、
 何度も何度も、何時間も何時間も繰り返し練習させていました。

 ものすごい厳しい態度で。

 そのおかげで、娘はバレエ嫌いになったわけなのですが(苦笑)


 その人がストイックになるものというのは、、、
 真剣に好きなもの、本当に愛していて、絶対に極めたいもの
 なのかもしれないですよね。。。 

 そういうものに対しては、、、
 人は「完璧さ」を求めて、多少無理してでも頑張りたくなって
 しまったりするのかもしれません。。。

 周りから何と言われようとも、、、
 この情熱は止められない。。。みたいな。


 
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個別記事の管理2013-06-20 (Thu)
今日は、ヴォーカルライブに向けて、そのリハーサルに行ってきました。

 当日は、生バンドで演奏してくださるのですが、その方々との
 音合わせでした。

 その場で生で演奏してもらって歌うのは、、、ウン十年ぶり(笑)

 今回演奏してくださるのは、みなさんその筋のプロなので、
 安心して歌えました。

 昔はね、、、
 バンドを組んでいた仲間たちは、みんなよちよち歩きだったので、
 いろいろ心許なかったけど(笑)

 でも、あれはあれでとっても楽しくて。。。
 私の大切な、青春の1ページだったりするのですが。。。

 今日は、その当時の感覚を、懐かしく思い出したりもしました。。。

 ああいったバンドの練習スタジオに入ったのも、ウン十年ぶりでしたので、
 その匂いというか、、、そういうのもとても懐かしかったです。。。


 『The War is Over』の歌詞は、、、
 いちお全部覚えたのですが、韻を踏んでいるせいか、なんとなく
 ややこしくて。。。

 家では暗譜で完璧に歌えるのに、環境が変わり今日のような場に出ると、
 歌詞の一部が突然、スコーンと頭から抜けて、「え?」となって
 しまうことがあるので、焦ります。

 でもこれって、本番にそうならないようにしようと、力めば力むほど、
 逆に真っ白になってしまいそうな気もしなくもないので、これは、
 歌詞が抜けてしまっても固まってしまわないように、適当にごまかす術を
 身につけておいた方が安全そうです^^;


 「歌詞を覚える」ということから、いろいろと思ったこと。。。というか、
 気づいたことがあったのですが、それはちょっと堅苦しい話になりそうなので、
 また今度にします。。。


 それと、今日は娘が仕事で来れなかったので、娘の分の音合わせも、
 私が代わりにやってきたのですが。。。

 彼女の歌うボカロの曲をライブで歌うのって、、、
 かなり至難の業だということが、今日、身に染みて解りました。。。

 本番緊張すると、ただでさえ息が持たないのに。。。
 息継ぎするところ少なすぎ。休憩するところ少なすぎ(汗)
 音の高低さがありすぎ、音域広すぎ(大汗)

 しかも、ライヴで盛り上がって、テンションがあがったりなんてしたら、
 これは確実にはずすでしょ。。。というような音の並び。

 一回歌っただけで、かなり体力を消耗し、グッタリしてしまいました(苦笑)


 この歌は、、、
 パソコンの前に座って、画面を見ながらカラオケで淡々と歌っている分には
 まだいいのですが、、、

 感情を込めて歌うのは、とっても難しい曲ですね。


 この歌を普段、普通に歌っている娘って、、、と。
 
 つい、尊敬してしまいました。


 
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個別記事の管理2013-06-22 (Sat)
 東京ステーションギャラリーにて、、、
 『エミール・クラウスとベルギーの印象派』展を観てきました。


 エミール・クラウスとベルギーの印象派


 エミール・クラウスは、ベルギー印象派の先駆的存在です。

 最初は彼も写実主義だったようですが、次第にパリの印象派の
 影響を受けるようになりました。


 リュミニスム(光輝主義)の画家・・・

 
 彼は、絵の中で光を再現することを追及していたようです。



 ・・・と、以前の日記でも書きましたが、彼は、私の大好きな画家の
 一人です。


 Emile Claus


 そのエミール・クラウスの展覧会が東京で開かれるというので、
 大喜びで行ってきました。

 こんなに素晴らしい画家なのに、これまで日本では、彼の展覧会は
 開かれたことがなかったそうです。

 数年前、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催された
 『フランダースの光 ベルギーの美しき村を描いて』という展覧会の中で、
 彼の作品が数点紹介されていたのを覚えていますが、その時は見逃してしまって
 とても残念に思っていたところでしたので、今回、彼の実物の絵が観れたことは、
 私にとって、とても嬉しいことでした。


 エミール・クラウスの絵については、このブログでも以前何度か書いたと思います。

 その時も書きましたが、、、
 彼の描く絵は、観ているとどれもみんな眩しく感じるのです。。。

 さすが、光を追求した画家さんなだけあるなぁ。。。と思いながら、
 観ていました。


 20130622165837834.jpg
  『昼休み』エミール・クラウス 1887年~1890年頃


 この絵は、今回の展覧会では『昼休み』というタイトルがついていて、
 英語でも『The Midday Rest』となっているのですが、以前テレビで
 観た時は、『籠を持つローゼケ』と紹介されていました。


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  『そり遊びをする子どもたち』 エミール・クラウス 1891年


 この絵も、以前の記事で取り上げています。

 でもこの絵、実物は148.5×205.0㎝と、とても大きな絵でした。
 色も、以前テレビやネットで観たものよりも、もっとピンクが強かったです。


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  『野の少女たち』 エミール・クラウス 1892年頃


 エミール・クラウスは弟子の日本人画家に、キャンバスは必ず、光にむかって
 立てるように、、、と指示していたそうです。

 そうすると、モデルとなる対象物の背後から光が入ることになるので、
 逆光になるってことですよね。。。

 この絵もそんな感じで、少女たちの背中には明るい陽射しが当たって
 いるのだなぁ。。。と、感じさせられます。。。


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  『晴れた日』 エミール・クラウス 1899年


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  『日の当たった木』 エミール・クラウス 1900年


 これもまた、以前の記事で取り上げたことがありましたが。。。

 以前も書いたように、この絵はなんだかすごい。。。
 テレビで観た時もそう感じましたが、実物はさらに迫力がありました。


 今回の展覧会は、印象派、、、ということで、エミール・クラウス以外にも、
 モネやシニャック、それからピサロの絵などもあり、なんだかすごく良かったです。
 あとは、クラウスに師事した日本人画家、太田喜二郎と児島虎次郎の絵も
 数点ありました。


 会場はとても綺麗で、そしてあまり混雑もしていなくて、、、
 とてもいい感じで、気分よく鑑賞することが出来ました。

 あのギャラリーは、なんだか味があっていいです。。。
 お気に入りになりそう。。。


 そして、、、
 個人的にとっても嬉しかったのは、そこに大好きなフランス人画家、
 アンリ・ル・シダネルの絵もあったこと!

 思わず、「わぁ。。。」と、喜びの声をあげてしまいました。


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  『黄昏の古路』 アンリ・ル・シダネル 1929年
 

 シダネルの絵は、以前、軽井沢のメルシャン美術館で観たことがあり、
 その時、大のお気に入りになった画家で、以前の記事でも書きました。


 そうでした。。。
 シダネルの絵は、少しづつ取り上げていこうと思っていたのですが、、、
 好きすぎて大切にしすぎて。。。

 結局そのまんまになってしまっていましたね。。。


 シダネルの絵は、、、
 多く絵がそうなのですが、家の窓から漏れてくる明りがとても温かい感じで、、、
 幸せな気分にさせられます。


 今回の展覧会。。。
 エミール・クラウス、アンリ・ル・シダネルと、好きな画家の絵を一度に
 観ることが出来て、大満足でした^^


 
* Category : 絵画
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個別記事の管理2013-06-24 (Mon)
 ギリシャのスーパームーン2013年6月23日
 「スーパームーン」、世界各地で神秘的風景


 私の住んでいるところでは、空一面雲に覆われていて、小雨まで降っていて、
 月は全く見ることは出来ませんでした。

 でも、、、
 今回の天体ショーに関しては、私はなぜかテンション低めだったなぁ。。。と
 感じています。

 2012年に起こった金環日食とか、ヴィーナストランジットの時とは、
 意識の向け方が全然違っていました。

 スーパームーンには、私はあまり縁がないのかな?
 以前起こった時も、テンションちょっと低めだったし。。。


 ところで、、、
 ツイッターでも少し呟いていたのですが、気になることがあるので
 書いておきたいと思います。


 以前、『錯覚の科学』という本を読んで以来、私は「記憶」というものが
 どんなに曖昧なものなのか、、、ということを意識するようになり、
 自分自身や他者を観察していても、自分では本当に起こったことだと
 信じきってしまっている「記憶違い」というものは、本当に、日常茶飯事的に
 ものすごくたくさんあるのだということを、しみじみと感じてきました。

 今日も、それについて考えさせられるようなことがありました。。。


 以前ベリーダンスのスタジオに通っていた時、いろいろと家庭の都合などもあり、
 一度そこをお休みさせていただくことになりました。

 それからしばらくしてある程度落ち着いてきた時に、その先生に、
 新しいクラスの体験レッスンの申し込みのメールをしました。

 でもその時、先生からの返信がありませんでした。

 ・・・ということに、私の記憶の中ではなっていました。

 そしてあの時私は、返信が来ないのは何かの手違いだろうと思ったのです。
 先生が、メールには必ずお返事を下さる方だということは解っていたからです。

 それで、もう一度メールをしなくては、、、と思っているうちに、
 時はどんどん過ぎ、父の容態もまた悪化してしまったりして、結局、
 そのままになってしまいました。

 それから約1年後の最近になって、私はようやくベリーダンスを再開したのですが、
 先生のお話では、やはりあのあとすぐに返信を下さっていたようでした。

 ですので、私のほうがそのメールを他のメルマガなどと一緒に、
 消してしまったのかと、、、そう思っていました。


 ただ。。。
 もしあの時、彼女とちゃんとメールのやり取りが出来ていて、ベリーを
 再開していたとしても、すぐにまた、父のことで休講しなければいけなく
 なっていたはずですので、これもまた、必然だったのだなぁ。。。と。。。

 そう思っていたのです。。。
 今日までは。。。


 でも今日、、、
 ある人のお話を聞いたら、自分の記憶が信じられなくなってきました。。。


 その人は、2年前に一緒にレッスンを受けていた方なのですが、、、
 今日たまたまその人とお話する機会があり、そんな昔の話をしていたら、
 彼女曰く、、、
 
 「あの時、Lyricaさんが体験にくるはずなのに来なかったから、
  どうしたんでしょう?って先生とおっしゃってたんですよ。」

 ・・・と。。。


 え。。。ということは、、、

 私はあの時、先生からの返信メールを受け取り、更にそれに、
 私自身が返信していたということになると思うのですが、、、

 実は、、、私には全くその記憶がないのです!!(汗)


 その方も、「もしかしたら私の記憶違いかもしれないけど。」と
 おっしゃっていたのですが。。。


 私も、、、
 当時のことをいろいろ振り返ってみたのですが、思いだそうとしても、
 そのことを全く思いだせなくて。。。

 それで、古いメールを隅々までチェックしてみたのですが、やはり、、、
 そのメールは見つからないのです。。。


 どうしてなのでしょう???


 また、、、
 もし私が返信していたのだとしたら、私はどうしてレッスンの申し込みをして
 おきながら、それに行かなかったのか。。。

 そういうことも、全然覚えていないのです(涙)


 自分の記憶が恐ろしくなってくると同時に、、、
 ふと、あることを思い出しました。。。
 

 もう何年も前になりますが、私はある人と、毎日のようにメール交換を
 していたことがありました。

 ある時、その人にメールの返信を出来ないほど忙しい日があり、、、
 でも私は、他のことをしながらもずっとその人に、メールを書きたい~~って
 思っていました。

 あとになってその人に、「昨日はメール出来なくてすみません。」と言ったら、、、
 「え?メールいただいてますよ。」と言われ、びっくりしました。

 私は送っていないのに、その人は私からのメールを読んだとおっしゃるのです。。。

 その人は、その日の昼間、仕事中にちょっとメール確認して、それをサラッと読み、
 夜になってからしっかり読もうと思っていたそうなのですが、、、
 
 その人は、私のその「すみませんメール」に驚いて、改めて確認してみたら、、、
 確かにあったはずのメールが消えてしまっていたようで、すごいびっくりされていました。

 更に、、、
 私があとになって実際に送ったメールの内容を、その人はもう既に、
 昼間メールチェックした時に読んでいたから知っていた。。。と、、、
 そうおっしゃるのです。


 私はメールを送っていないのに、、、
 私からのメールが、その人のところに届いていたって、どういうこと???と。。。

 あの時も、すごく不思議だったのを覚えています。。。


 その時は私も、「メールをしなくては!!」と、ずっと思っていたので、
 そういう私の強い念が、そういう現象を起こしたのかしら?

 ・・・なんて思ったりもしたのですが。。。


 でも、、、
 脳の仕組みのことを考えると、そういった現象には「記憶違い」というものが
 関わっている可能性もありますし。。。

 何がどうなっているのか、、、
 いろいろなことを知れば知るほど、「それはこういうことだ!」と、
 断言できなくなってくる気がしています。。。


 その不思議なメール交換の時、、、
 その人は、あとになって、実際に私から送られてきたメールを読んだ時、
 「これはもう、既に読んでいる。」というような、、、
 デジャビュのような感覚を感じたようですが、、、

 もしこの出来事が、単に「記憶違い」であるのならば、、、
 そういった感覚というものは、どうして起こるのでしょうか。。。


 結局、、、
 実のところはどうなっていたのかは、今でも解りませんが。。。


 世の中、こういう不思議なことはあるものですよね。。。


 私がこういったことを簡単に「記憶違い」だけで済ませられない理由は、、、
 実はもう一つあるのです。。。


 もうずっと以前に体験したこんな不思議な出来事。。。


 こんなこと、前も書いたような気がしますが、再び。。。です。


 パイレーツ・オブ・カリビアン。。着メロの怪(2006/3/17の日記)


 ある日、ビデオカメラを片手に家族で出かけたのですが、「行きの車の中」で
 大はしゃぎの子供達の様子を撮影しました。そして、1日遊んだあと夜
 「帰りの車の中」で私は携帯の着メロをダウンロードしました。
 「パイレーツオブカリビアン」です。(どうでもいいのですが(笑)。。)

 そのあとバタバタしていてその映像は見れなかったのですが、2,3日後に
 主人と一緒にそれを見ると「行きの車の中」のはしゃぐ子供達の大声を
 かき消すくらいの大音量で着メロの「パイレーツオブカリビアン」が入っていました。
 (なんだか、拡張機を使っているみたいな音で。。)

 でもその時私は、「車の窓が開いていて、外からの音がたまたま入ったんだろう。。
 おもしろい偶然だ」と、今思うととても不自然に納得していました。

 でも、なんとなく気になっていたので主人に言うと、彼の方も気になっていたらしく、
 じゃあもう一度見てみようという事になりました。ところが、入っていたはずの
 あの曲が消えているんです。聞き逃したのかと思い2,3回巻き戻して確認したのですが、
 やはりどこにも「パイレーツオブカリビアン」は入っていなくて、二人でゾォ~~ッとしました。

 あとからいろいろ考えてみたのですが、人間がその時、無意識にでも心の中で
 強く思っている事に、機械が反応する事があるのかも??なんて気がしました。
 もしかしたら、私の「思い」が「現象」として顕れた??なんて。。



 この体験に関しては、夫と二人で一緒に体験していますので、、、
 私の記憶違いという可能性は、多分ないだろうと思っています。。。

 それとも、二人同時に偽の記憶を信じ込んでしまうこともあるのでしょうか???

 無さそうだけど。。。


 でもだとすると、こういった現象はなぜ起こるのでしょうか?

 ふたつのメール事件も、、、

 真相はきっと、ずっと解らないままだろうと思っています。


 でもね。。。
 物事をここまでややこしく考える人なんて、あまりいないと思いますので、
 大抵は、、、

 「不思議なことが起こった!思いが具現化した!」

 とか、、、

 「あの人は嘘ついてる」

 とか、、、


 そうやってそこに、自分なりの意味づけをしながら、、、
 物語を創っていっているのだろうな。。。なんて思ったりもします。。。
 

 今回のことは、、、
 脳のこととか意識のこととか、そういうことを知れば知るほど、
 過去のことが解らなくなってくるので。。。

 もう、その過去にはこだわることなく、今を生きるしかないなぁ。。。

 ・・・と思います。


 過去にもし私が体験レッスンをすっぽかしていたのだとしても(記憶ないのですが 涙)
 先生は今、私を実際に温かく受け入れてくださっているのですから、

 今後の先生との関わり合いの中で、、、
 私もそれに答えられるように、誠実さをしっかり示していこうと思います。。。 
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個別記事の管理2013-06-26 (Wed)
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 私の太陽星座は射手座ですが、ある時までは月星座の乙女座エネルギー
 全開で生きてきたような気がします。


 昨日、ボーッと考えていたのですが、、、
 父は太陽星座が乙女座だったのですが、月星座は魚座だったのです。

 父に魚座が入っていたなんて、ちょっと信じがたい感じがしたのですが、
 でも、父の人生を振り返ってみた時、納得出来た。。。というか、
 なんとなく見えたものがあり。。。

 父も人生の中、傷ついたり苦労したりしなければ、、、
 その魚座エネルギーをもっとうまく使いこなせただろうになぁ。。。
 なんて思ったりもしたのですが、これもまた、父の辿った道として、
 完璧だったのだろうな。。。とも思いました。

 
 乙女座というのは、魚座のちょうど真裏に当たる星座なので、
 深いところでこの二つの星座は、同じようなエネルギーを持っていて、
 けれどもそれが「どのように」現れるのか、、、という、その部分に、
 少し違いがあったりするようです。

 その共通している部分を言葉で表すとしたら、、、
 「他者への奉仕の精神」のように私は感じていたりしますが、
 魚座がどこまでもゆるく優しいのに対して、乙女座はしっかりしていて
 厳しい。。。というイメージかな。私の中では。


 で、父は太陽が乙女で月が魚ですが、、、
 母は、太陽星座も月星座も魚座です。


 そんな父と母に育てられれば、私のこの乙女座気質が活性化するのも、
 当たり前といえば当たり前というような気がします。

 ちなみに、隣に住んでいる伯母は、なんとなく、ターシャ・テューダー
 おばあちゃんみたいな感じの人で。。。
 
 伯母の家はプチ動物園みたいなところでしたので、私は小さい頃から
 そこが大好きで、もうしょっちゅそこに入りびたりでした。
 ですので、伯母からの影響というものもかなり受けたはずですが、、、
 その伯母も乙女座でした。

 ついでに言うと、ターシャおばあちゃんも乙女座でしたので、
 なるほどなぁ。。。なんて思ったことがありました。


 ですのでこれもまた、運命というか。

 月星座というのは、前世での自分の太陽星座だった。。。なんて説も
 聞いたことがありますが、私が今回目指すべきもの、、、
 今回はこう在る。。。と決めてきた生き方は、太陽星座である射手座的な
 生き方のはずです。

 なのでまずは、前回の乙女座的生き方を一度活性化させたうえで、
 それを今度は射手座的にチェンジさせる。。。

 そのチェンジさせる過程というものを、この人生の中で、
 私は、いろいろと試行錯誤しながら楽しもうとしているような気も
 していたりします。

 だからこそ、、、
 子供の私に大きな影響を与えるような環境にいた人達には、そういった
 乙女座的エネルギーを持った人が、たくさんいたような気がしてね。。。

 月星座だけでなく、ドラゴンヘッドやドラゴンテイルなども、
 前世と関連していると聞きますが、そこも私は魚座と乙女座なので、
 ますます、そんな気がします。。。


 実はここまでは、前置きで。。。
 前置きが、こんなに長くなっちゃった^^;


 昨日、、、
 声楽のレッスンで、呼吸法を練習していたのですが、その時に
 気づいたことがありました。

 
 瞑想をする時とか、ストレッチをする時とか、、、
 呼吸を意識して腹式呼吸にしようとした時は、今ではそれはなんとなく
 出来るようにはなっています。

 でも数年前、初めて瞑想の練習をし始めた頃は、その呼吸が
 うまく出来なくて、呼吸に意識を向ければ向けるほど、息が
 苦しくなってしまう、、、といった具合でした。

 ある時ふっと、「コツ」のようなものが偶然解って、、、
 それは、頭で解ったわけではなかったのですが、身体が理解してくれたようでね。。。


 ただ昨日、歌のレッスンで呼吸の練習をしていた時は、それがなんだか
 うまくいかずに、最初、少し苦労したのです。

 吸い込む息が、うまく入っていってくれないのは、そこに先生が
 いらっしゃって、私の呼吸をチェックしていたからでね。。。

 やはり、緊張するのです。

 特に怖い先生というわけではないので、頭ではリラックスしている
 つもりなのですが、それでもどこかでは緊張しているようで、
 無意識に身体がこわばっているのですよね。

 すると、変なところに力が入ってしまっているようで、空気がうまく
 入ってきてくれないの。。。
 胸のあたりで止まってしまって、下までストンと降りてこない。。。


 ですので、ものすごく意識して身体の力を抜くようにしたら、
 途中からだんだんスムーズになってきたのですが、この身体の力を抜くこと、、、

 「弛緩」

 というものこそ、意識しないと出来ないものなのだなぁ。。。と、
 昨日も改めて思ったのでした。


 魔女のレッスンでね、こんなのをしていた頃がありました。

 頭のてっぺんから足の先まで、全身くまなく力を込めて、、、
 身体中を思いきりカチカチにしたあとに、一気に脱力する。。。

 そしてその、力の抜けた時の感覚を覚える。。。みたいな。


 あれをやっていた頃、「身体の力を抜くのって難しい。」と思っていたのですが、
 しばらくそういう練習をしていなかったせいか、またそうやって、
 無意識に身体のどこかに力を入れる癖が復活してしまっていたようです。

 歌でも踊りでも、、、
 発表会などの本番になると緊張して、普段以上に息があがったりするのも、
 きっと無意識に、身体のどこかに力が入ってしまうからなのでしょうね。。。


 ここで先ほどの星座の話に戻るのですが、、、
 乙女座というのは、とても繊細で敏感な一面を持っていたりします。

 「見えなくてもいいようなことまで見えてしまう」くらい、
 感受性は半端なく鋭いです。

 ですので、悪く言うと、とても神経質なところがあったりします。。。


 月星座というものは、エレガントにではなく、「無邪気」にそのエネルギーを
 発揮するところがありますので、その星座のエネルギーが暴走しやすかったり
 するような感じもしていてね。。。

 私の場合は、乙女座のエネルギーが暴走して、神経過敏になってしまう
 ことも多かったような気がします。


 ちょうど高校生くらいの頃、、、
 私は、呼吸のことでひとつ悩みを持っていたことがありました。

 たとえば満員電車の中、たくさんの人に囲まれていたりすると、
 息が苦しくなってきてしまったりすることがよくありました。

 今にして思えば、あまりに人目を気にし過ぎていたのでしょう。。。

 自分の呼吸する音が、周りの人に聞こえていたりはしないだろうか?とか、
 そういう変なことを考え出してしまってね。。。

 そうやって自分の吸ったり吐いたりする動作、、、
 普通だったら、自律神経が勝手にやってくれている動作を、意識し始めて
 しまうと、息が吸えなくなってくるのです。。。

 息を吸っても吸っても、なんだか吸いきれなくて、苦しくて、、、
 どうしよう。。。と思っているうちに、更に苦しくなってくる。。。みたいな。


 そういう繊細さ、神経質さは、今でも私の中のどこかにはまだあったりしますが、、、
 でも、子育てでかなり鍛えられ、今ではだいぶ神経が太くたくましくなり(笑)

 ですので、昔のようなそういった状態に陥ることも今はもうないのですが、
 ただ時々、なぜだか理由は解らないのですが、ちょっと息が苦しいなぁ。。。と
 感じることは、未だに年に1、2度くらいあったりして。


 どうしてなのだろう?と思っていたのですが、それってきっと、、、
 身体が何かでこわばった時なのかもしれないな。。。なんて、
 そんなことをね、昨日思ったのです。


 なのでそういう時は、意識して身体の力を抜いたり、呼吸法とか
 ストレッチとかヨガとか。
 そういうものがきっと良さそうだな。。。と思ったのですが。。。

 でもね、そういった外部から刺激で、そのこわばりも、一時は解消するとは
 思うのですが、問題はその要因。。。

 そこをなんとかしなくては、繰り返すなぁ。。。と、そう思ってね。。。


 重要なのは、自分の外部で何が起こる、、、とかそういことではなく、、、
 自分の中にあるこのエネルギー。。。

 それをもっと、理解してあげること。。。

 そう思います。。。

 多分ですが、、、
 私の場合は、この乙女座のエネルギーをもっと見つめてあげて、、、
 必要以上に緊張しないようにしてあげること。。。

 外からの刺激に対して過敏に反応しすぎないように、、、
 乙女座のエネルギーをポジティブに、いかんなく発揮できるように
 させてあげたいな。。。と。


 2011年に、、、
 私の中でひとつの「完成」を感じたものがあり、、、

 それ以来、ちょっとつまらなかったのですが、この頃また、
 新たなステージに入ったような気がして、すごい楽しいです☆ 
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個別記事の管理2013-06-28 (Fri)
 先日も書いたように、父は乙女座だったのですけれども。。。

 そのせいか、O型のわりには、整理整頓好きな人でした。
 ただしそれは、自分が大切にしていたものに限りましたけど。

 音楽もそうでしたが、映画が大好きだった父は、テレビで放送された
 映画を片っ端から録画して、それをラべリングして番号までふって整理した上、
 それらをノートに50音順に細かく記録して、そのリストを作成したりしてました。

 そういう、ちょっとオタク的な一面がありました。


 私も昔はそういう几帳面さを持っていたのですけれどもねぇ。。。

 夫と長年暮らしているうちに、すっかり感化されたのか?(笑)
 今はそういう細かいことは、すっかり出来なくなってしまいました。


 そんな父が遺したその映画リストのノートを昨日パラパラと眺めていたら、
 ふと、この映画に目が留まったので、それを観ていました。


 
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 この映画、公開された頃に一度観た記憶があります。
 細かい部分は覚えていませんでしたが、ウィルスをばらまかれたことで、
 地球上のほとんどの人達が死滅してしまうというお話だったことだけは
 覚えていました。

 また、ブラッド・ピットがちょっといっちゃった役で出ていたのは
 覚えていたのですが、ブルース・ウィリスが出ていたことは、なぜか
 すっかり忘れてしまっていました。

 主演は彼なのにね(苦笑)


 これを初めて観た当時も、私にはかなり衝撃的だったことは覚えていて、、、
 でもあれ一度きりで、そのあとは全く観る機会がなかったことも、
 考えてみたら、なんだか不思議です。


 この映画を観たのはいつだったんだろう?と思って、ウィキを見てみました。


 12モンキーズ(ウィキ)


 1995年。。。

 あの年は、射手座に冥王星が入った年でしたね。。。

 
 そっか。
 その年だったのか、、、と、なんとなく納得しました。


 「時間旅行」と「陰謀論」をモチーフとしたSF映画と書いてありますが、
 95年あたりでは、「ウィルス兵器」というものは、本当にSFの世界というか、、、
 映画の中だけのお話だと思っていた人も多かったような気がします。

 でも今では、多くの人が当時とは少し、違う反応を示すようになりましたよね。

 これもネットのせいなのか。。。


 ウィキには、、、

 「フランスの映像作家クリス・マルケルの短編映画 『ラ・ジュテ』(La Jetée)に
  インスパイアされて作られた映画で、時間と記憶をテーマにしている」

 なんて書かれていましたが、主人公のジェームズが、タイムトラベルをすることで、
 記憶が混乱する様子を見ていた時、私も、いろいろと思うことありました。

 過去と未来を何度か行ったり来たりすることで、一体何が現実で、
 何が妄想なのか、ジェームズが混乱してしまうシーンがあるのです。


 今回、どうして突然この映画が観たくなったのか、、、
 ・・・というか、この映画を観るように誘われたのかは、今はまだちょっと
 解りませんが、「記憶」のこと以外にも、なんとなく関連性を感じるものも
 ありました。


 ウィルスが撒き散らされて、、、とか、天変地異が起きて、、、とか、
 あとは、戦争でとか。。。

 そういった何か悪いことが起きて、人類が滅亡しかかる。。。みたいな
 お話って、ホント、多いですね。。。

 多くの人がその時死んでしまって、ごく一部の人が残り。。。
 その残った人達も、悲惨な状況の中で生活を送り、、、
 そこからなんとか立ち上がる物語があったり、希望を失くしたまま
 不安を抱えながらその先も生き続けていく物語もあったり。。。

 どうして近未来は廃墟。。。っていうのが、多いのでしょうね。


 心配、不安。。。
  

 それがきっと、人の本能と結びついているサバイバル精神を刺激して。。。
 人間同士を争わせてしまったりするのかな。。。なんて思ったりもします。


 その、人の本能と結びついた根本的な不安というものがもし解消されたら、、、
 たとえ近未来が廃墟になろうと、地球が滅亡しようと、全く心配もしないでしょうし、
 不安にもならないだろうな。。。

 でも同時に、、、
 人間は、進歩しなくなってしまうかもしれないね。。。


 映画のこの音楽は、、、
 すごく印象に残っていました。。。


 
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個別記事の管理2013-06-29 (Sat)
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 数年前までは、「魚座的エネルギー」を理解しなさいね。。。というような
 流れが自分の中で起こっていたような気がするのですが、それがここ
 最近は、「蟹座的エネルギー」にフォーカスさせられているような
 気がしています。

 これは、全体のお話ではなくて、個人的な流れのお話なのですが。。。
 でも、先日の6月26日に、木星が蟹座入りしましたので、、、
 もしかしたら、私と同じように感じている人、他にもたくさんいたり
 するのかな?

 たとえ占星術の詳しいことはよく知らなくても、例えば、、、
 「家族」とか「仲間」とか何か大切なものとの絆とか。。。

 そういったものを、大切にしよう。。。みたいな気持ちが強まっていたり
 する人は多かったりしますでしょうか?


 12星座は、陰と陽、もしくは女性星座と男性星座というふうに、
 ふたつに分けることが出来ますが、その「陽」の星座の中でも、
 私の太陽星座でもある「射手座」というのは、なんとなく、、、
 一番男っぽい星座、、、というイメージが、自分の中ではあったりします。

 一方。。。

 以前何かで見たのですが、一番女性っぽい星座のナンバーワンは
 どれだと思う?みたいなアンケートの中で、答えが多かったのが、
 「魚座」と「蟹座」でした。

 それを見て、私もなんとなく納得したのでした。


 男性、女性、、、と言っても、私にとってはそれは性別の話ではなくて、、、
 男性性とか女性性のこと。。。

 「陰」とか「陽」とか、そういうエネルギー的な意味だったりします。


 そういう「陰」の質をたっぷり含んでいる魚座や蟹座エネルギーと
 「陽」の質たっぷりの射手座のエネルギーをうまく調和させるためには、
 いろいろと試行錯誤が必要になってくるような感じがしていてね。。。


 ある時期までは、いい意味でも悪い意味でも、私のことを振り回すような
 タイプの人って、太陽星座が魚座の人が多いよなぁ。。。と思っていて、
 そこにカルマ的なご縁を感じることがよくあったのですが。。。

 ふと、、、それは蟹座もそうだったかもしれない。。。ということに、
 最近になって気づいた、、、というか、確信した感じがしてね。


 振り回す。。。というと言葉は悪いけれども、、、
 良くも悪くも、私とは「常識」が違っている彼らは、一緒にいると
 私のペースを乱されることが多い。。。みたいな。


 「え?なんでここでそういう行動に出るの?」
 「どうして、物事をそんな風に考えるの??」

 
 ・・・というような場面が多い。。。みたいな感覚です。


 「?」というマークをつけましたが、、、
 私は彼らがそこで、なぜそういう行動をとるのか、それは解っていました。

 解ってはいるのだけど、それが許せない、、、
 あなたのそれは間違っているんだというような、、、

 そんな気持ちに囚われてしまうことが多かったのです。
 

 それは、相手のことを「解っているつもり」になっていただけで、
 本当に理解していたわけではなかった。。。ということですね。。。


 そんな、まだまだ未熟な子供だった頃は、そういうことに対して、
 しょっちゅう、イライラしてしまうこともありましたが、、、

 今ではもう、そういうことでイライラすることもなくなりました。


 それは、、、
 「多様性」を、本当に理解したからなのです。。。

 ・・・と同時に、自分自身を理解し始めたからなのです。。。


 その「理解」が、私に余計な感情の嵐を起こさせることもなくなり、、、
 逆に、自分とは違う人に対して、素直に、尊敬の念を感じられる
 ようになりました。

 そして、、、
 そこに自分との対比が映し出され、逆に自分というものもよく見えてきました。。。


 私のその学びに、大いに貢献してくれのが、、、
 主に、「魚座エネルギー」を強く持っていた人達でした。。。


 その学びにタイトルをつけるとしたら、それは、、、

 「受け入れるということは、本当はどういうことなのか?」

 ・・・でした。。。

 
 多様性を学び、自分自身を学び。。。
 他人も、そして自分のことも「本当に」受け入れる。。。

 
 そうすることによって、長年被っていた息苦しい仮面をとっぱらうことが
 出来たのですが、それが2011年でした。。。


 その、今の私が今度は、「蟹座エネルギー」にフォーカスさせられ、
 一体これからどんなことを学んでいくのか。。。

 それが今から、とても楽しみであったりするのです。


 なんとなく感じていることはあってそれは、、、


 「違った者同士」が、ひとつの同じコミュニティの中で一緒に
 活動していく中から、何か学べそうな気がしていたりします。。。


 「コミュニティ」や「ホーム」と言えば、蟹座が思い浮かびますし。。。

 自分に起きている今の流れから見てもそれは多分、、、


 「共同創造」


 なのではないのかな。。。なんて予想しています。


 そこでお互いを尊重し合い、、、
 波長の違うエネルギーがうまく調和していくポイントを、
 試行錯誤しながら見つけ出していくこと。

 愛を持って。。。

 そして、それぞれの役割を理解し、それぞれの良いところを活かしながら、
 共同して、、、「本当に」素晴らしいものを生みだしていく。。。


 魂は、、、
 自分の目的をエゴに達成させるまでは、何度でも同じような展開を
 人生にもたらします。


 今ちょっと、、、
 自分の魂からのメッセージが見えたようです。。。


 火と水が混ざり合うと、、、
 それは、熱い水蒸気となってキラキラと輝きはじめ、、、
 全体に降り注ぐ。。。

 
 出会ってくれた人達に、、、感謝をこめて。。。
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個別記事の管理2013-06-30 (Sun)
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 昨日YouTubeで、あの『スライヴ』を観ました。


 
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 もう何年も前からあちこちで話題になっているのは知っていましたが、
 私はなぜか、あの映画から漂ってくる匂いがあまり好きになれなくて、
 今まで観る気持ちが起きませんでした。


 な~んか、嫌な印象を受けていたのです。


 でも、ふとしたきっかけで『スライヴ』が目につき、、、
 なんとなく昨日は、自分が観ることにあまり抵抗感を感じていない
 ようでしたので、観てみることにしたのでした。

 夫と一緒に。


 あの映画の中で言われているようなことは、、、
 もう、10年以上前に、ウイングメーカーの中では語られていたことでしたね。。。

 私も初めてネルダ・インタヴューを読んだ時は、いろいろと混乱し、
 この世界のシステム、全てにおいて疑い深くなっていた時期もありました。

 自分がそういった時期の時、夫に「エリート達がね。」「インキュナブラがね。」と
 力説したところで、彼は私の話を、ほとんどまともに聞いてはくれませんでした。


 それから数年後、、、
 夫は、仕事上のある取引を通して疑問を持ち、それで独自に様々なルートを
 調べ始めたところ、彼も、その「ちょっとおかしいシステム」に気づき。。。

 それからというもの、彼は私に、そういったことについていろいろと
 熱く語っていたりしましたが、、、

 私は、「あの時は人の話を聞いてなかったくせに、自分が興味を持った途端に
 今度は偉そうに語るな~!!」と、文句を言っていました。

 ホント、勝手だわぁ。。。と思いながら(笑)


 また、彼がそういったことに熱くなっていた時は、私はもう、その時期を
 過ぎてしまっており。。。

 夫がそういうことを語る度に、あの『スライヴ』の映画の最後のほうに
 語られていたようなことを夫に、まるで諭すように語り続け、
 いつもいつも、彼のそのテンションを下げまくっていました。

 私はそういうところ、全然優しくないのです。

 夫も、さぞかし、つまらなかったでしょうね(笑)


 男の人って、そういう話で盛り上がるの好きですものね。。。
 ですからいくら私が、「そんなことに熱くなってないで、自分の身近な
 ところで奉仕しましょうよ。」とか言ったところで、これは男性のサガなのか。
 どうしても、そういったことに目が向いてしまうようです。

 これはもう、脳とホルモンのせいだということで。。。ね(笑)


 最近では息子も、小難しいことを語るようになってきたし、そのうちきっと、、、
 夫と息子が、男同士でそういう話しとかで盛り上がったりするのだろうなぁ。。。
 なんて思ったりして。


 私はそれに参加する気はないけど、父と息子のそういう姿を遠くから
 眺めているのは、それはそれで楽しそうです。。。



 2011年に、日本であの震災があった時、、、
 私は正直、がっかりしたことがあったのです。。。


 それは、「精神世界」というものがまるでブームのように拡がり、、、
 多くの人が、「ワンネス」や「愛」というものについて語っていたりしたのに。。。

 震災直後の混乱の時、、、
 あれだけスピリチュアルについて語っていた人達の多くが、、、 
 それまで言っていたこととは全く違う行動をとっている姿を、、、
 あちらこちらで目にしたからでした。。。

 まだまだ多くの人が、「それを自分自身に言い聞かせている状態」なのだなぁ。。。と。。。
 そう思いました。

 それを「体現する」、、、までには、まだもう少し時間がかかるのだろうと。。。


 そして思ったのです。。。

 そういった状態の人達に、陰謀論的な、、、ある意味、それは本当の
 ことかもしれませんが、、、そういったことを暴露することというのは、
 逆効果になったりすることはないのだろうか?と。。。


 だから私は、、、
 あれ以来、ブログで政治とか世界情勢とか、そういう話を書くことは
 一切やめました。


 それにやっぱり、、、
 私は女性なのだなぁ。。。と、ある時気づいたから。。。


 マザー・テレサの言葉に、ものすごく共感しています。。。


 一人一人が、自分の家の前を綺麗に掃除すれば、世界中が綺麗になる。。。


 だから私は、、、
 それを実践していけばいいのだと。。。


 今は、そういう心境なっているので、『スライヴ』を見てももう、
 心が動かされることはあまりありませんでした。


 ちょっと嬉しかったのは、隣りで一緒に観ていた夫も、、、
 以前より全然落ち着いていてね。。。


 男性のそういう「落ち着いた」という在り方は、、、
 今の、、、まだまだ男性性優位な一般社会のシステムの中では、
 いろいろと不利になってしまう部分も多いだろうとも思います。

 ですからもしかしたら夫も、、、
 家の顔と外の顔は使い分けているのかもしれません。。。


 でもね、、、

 心に平安があるということは。。。

 やっぱりいいよなぁ。。。と。。。
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