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歌、ダンス、そしてキリスト教や仏教。。。
古い日記を読み返していると、自分はこういったものと、
縁があるのだなぁ。。。ということを、なんだか感じます。
小学校にあがる前ですが、バレエとピアノを習いたいと母に言ったら、
どちらかひとつに絞りなさいと言われ、、、
だったらバレエ。。。と、あの時は思いました。
今、歌かダンスかどちらかに絞れ。。。と言われたらどうするだろう?と
よく考えるのですが、どうしてもひとつに絞れません(苦笑)
何度も何度も考えるのですが、いつもいつも、どちらかひとつを
選ぶことは出来ないのです。
ルーンを学びに行った時に、そこで初めて出会った女性。。。
ブログでも何度か書きましたが、私がその彼女を見た時、彼女の背後に
突然、大自然のような風景が広がり、、、
その時、なぜか私は、彼女の過去生が見えてしまったのです。
彼女は前世、ネイティブアメリカンのシャーマンでした。
それを彼女に伝えたら彼女は、、、
「そうなのよ。見えちゃったのね。」
・・・って言ってた。。。
そんな彼女は今の人生ではヒーラーであり、ヒプノセラピストであり。。。
また、いろいろと見える、透視能力のあった人で、、、
その彼女曰く。。。
「あなたは、歌や踊りに縁のある人だね。」
・・・と。
そういえば私は、、、
どこかの過去生で、もしかしたらウィーン少年合唱団にいたかも
しれないのだった。。。と。。。
古い日記を読み返していたら、そんなことを思い出したりもしました。
だから、歌やダンスに関しては、、、
私がその世界から完全に縁を切ってしまうことは、おそらく出来ないの
だろうなと思うのだけど。。。
ダンサーになったり、シンガーになったりする人生は、、、
きっともう、どこかの過去生で体験済みだと思うのですよ。。。
昨日、お友達のお話を聞いていてすごく思ったのは、、、
今の私は、大好きな歌や踊りの世界に対する「必死さ」のようなものが、
全くない。。。ということでした。。。
これって、やる気がない。。。というのとはちょっと違うのだけど、
誰かにこの感覚を説明するのは、なかなか難しい。。。
今日も歌の先生とお話していた時に、私はこんな風に言いました。。。
「歌は、私の一生の趣味にしたいと思っているから、だから、あんまり無理せず、
ゆっくりのんびり、焦らずに目指さずに、じわじわとやっていきたいんですよ。」
・・・と。
すると先生も、「それが一番ですよ。」っておっしゃってた。
瞬発的な力を使ってつけた筋肉は、筋トレをやめた途端にすぐに
落ちてしまうのです。
でも、バレエのようにジワジワとつけた筋肉は、たとえ筋トレをやめても
そう簡単には落ちません。
あんまり頑張りすぎて、根を詰め過ぎると、その反動が、
いつか必ずやってくる。。。
プラスに振れ過ぎれば、その反動で針はマイナスに振れる。。。
それが、法則ですから。
そういうことを、私はこれまでの人生の中で、もうイヤというほど
繰り返してきました。
特にダンス、、、バレエの体験の中で。。。
歌やダンスに関する私の今の目標といったらそれは、、、
「やめないこと」
これしかない。。。
継続は力なり。
これは、その道をひたすらに進んできた人達は、みんな口を揃えて
言っていることです。
瞑想なんかもそうです。。。
何も期待せずに、ただ黙々と続けること。
でもこれって、意外と難しいことなんです。
無理することを、ある時からやめました。
そして、自分に何かを課すことやめました。
でもひとつだけ自分にやりなさい。。。と言っていることがあって、
それが、「やめないこと」。
そして同時に、「楽しむこと」。。。
ダンカン・ダンスのメアリー先生は、こうおっしゃっていました。
「ひとつのことをずっと続けると、いろんなことが解るのよ。」
・・・って。
ホント、、、そうですね。
私の場合、ずっと続けていくためのコツは、、、
あまり頑張り過ぎないことなのでした。
バレエのレッスンの、あのピリピリ感が。。。
本当は、すごい好き。
そして、やるからには、このくらいやらないとダメ。。。って。。。
ずっとずっと、そう思ってきました。。。
でも、娘にそれを課したら、、、彼女はバレエ嫌いになった(苦笑)
私も、、、
いろんなことを体験してきました。。。
今は、ゆるいのが一番。。。と。。。
やっとのことで。。。
心の底からそう思えるようになったのです。。。
こういうのを見ていると、すごくテンションが高くなる自分は、
未だにいますけど。。。
古い日記を読み返していると、自分はこういったものと、
縁があるのだなぁ。。。ということを、なんだか感じます。
小学校にあがる前ですが、バレエとピアノを習いたいと母に言ったら、
どちらかひとつに絞りなさいと言われ、、、
だったらバレエ。。。と、あの時は思いました。
今、歌かダンスかどちらかに絞れ。。。と言われたらどうするだろう?と
よく考えるのですが、どうしてもひとつに絞れません(苦笑)
何度も何度も考えるのですが、いつもいつも、どちらかひとつを
選ぶことは出来ないのです。
ルーンを学びに行った時に、そこで初めて出会った女性。。。
ブログでも何度か書きましたが、私がその彼女を見た時、彼女の背後に
突然、大自然のような風景が広がり、、、
その時、なぜか私は、彼女の過去生が見えてしまったのです。
彼女は前世、ネイティブアメリカンのシャーマンでした。
それを彼女に伝えたら彼女は、、、
「そうなのよ。見えちゃったのね。」
・・・って言ってた。。。
そんな彼女は今の人生ではヒーラーであり、ヒプノセラピストであり。。。
また、いろいろと見える、透視能力のあった人で、、、
その彼女曰く。。。
「あなたは、歌や踊りに縁のある人だね。」
・・・と。
そういえば私は、、、
どこかの過去生で、もしかしたらウィーン少年合唱団にいたかも
しれないのだった。。。と。。。
古い日記を読み返していたら、そんなことを思い出したりもしました。
だから、歌やダンスに関しては、、、
私がその世界から完全に縁を切ってしまうことは、おそらく出来ないの
だろうなと思うのだけど。。。
ダンサーになったり、シンガーになったりする人生は、、、
きっともう、どこかの過去生で体験済みだと思うのですよ。。。
昨日、お友達のお話を聞いていてすごく思ったのは、、、
今の私は、大好きな歌や踊りの世界に対する「必死さ」のようなものが、
全くない。。。ということでした。。。
これって、やる気がない。。。というのとはちょっと違うのだけど、
誰かにこの感覚を説明するのは、なかなか難しい。。。
今日も歌の先生とお話していた時に、私はこんな風に言いました。。。
「歌は、私の一生の趣味にしたいと思っているから、だから、あんまり無理せず、
ゆっくりのんびり、焦らずに目指さずに、じわじわとやっていきたいんですよ。」
・・・と。
すると先生も、「それが一番ですよ。」っておっしゃってた。
瞬発的な力を使ってつけた筋肉は、筋トレをやめた途端にすぐに
落ちてしまうのです。
でも、バレエのようにジワジワとつけた筋肉は、たとえ筋トレをやめても
そう簡単には落ちません。
あんまり頑張りすぎて、根を詰め過ぎると、その反動が、
いつか必ずやってくる。。。
プラスに振れ過ぎれば、その反動で針はマイナスに振れる。。。
それが、法則ですから。
そういうことを、私はこれまでの人生の中で、もうイヤというほど
繰り返してきました。
特にダンス、、、バレエの体験の中で。。。
歌やダンスに関する私の今の目標といったらそれは、、、
「やめないこと」
これしかない。。。
継続は力なり。
これは、その道をひたすらに進んできた人達は、みんな口を揃えて
言っていることです。
瞑想なんかもそうです。。。
何も期待せずに、ただ黙々と続けること。
でもこれって、意外と難しいことなんです。
無理することを、ある時からやめました。
そして、自分に何かを課すことやめました。
でもひとつだけ自分にやりなさい。。。と言っていることがあって、
それが、「やめないこと」。
そして同時に、「楽しむこと」。。。
ダンカン・ダンスのメアリー先生は、こうおっしゃっていました。
「ひとつのことをずっと続けると、いろんなことが解るのよ。」
・・・って。
ホント、、、そうですね。
私の場合、ずっと続けていくためのコツは、、、
あまり頑張り過ぎないことなのでした。
バレエのレッスンの、あのピリピリ感が。。。
本当は、すごい好き。
そして、やるからには、このくらいやらないとダメ。。。って。。。
ずっとずっと、そう思ってきました。。。
でも、娘にそれを課したら、、、彼女はバレエ嫌いになった(苦笑)
私も、、、
いろんなことを体験してきました。。。
今は、ゆるいのが一番。。。と。。。
やっとのことで。。。
心の底からそう思えるようになったのです。。。
こういうのを見ていると、すごくテンションが高くなる自分は、
未だにいますけど。。。

昔、前世を体験できる催眠誘導のようなCDを聞いた時に、、、
こんなヴィジョンを見たことがありました。
私は小さな男の子で、母親と一緒に森の中にある小さな小屋のような
質素な家に住んでいました。
ある日、ひとりの男の人がその家を訪ねてきました。
その人はおそらく私の父親で、裕福そうな身なりをしていましたが、
とても厳しそうな人で、私はその人がすごく怖かった。
母だと思われるその女性も、その男の人には逆らうことが出来ずに
いたようです。
私はその日、半ば無理矢理母から引き離されるような形で、その人に
森の外へと連れ出されました。
その怖い男の人に手をひかれ、私たちは黙ったまま森の中の小道を
歩いていて、その途中、道を塞ぐように流れていたとても幅の狭い小川を、
私は一生懸命飛び越えていたシーンがあって、その場面が、なぜか
とても印象に残っていたりします。
私がその男の人に連れて行かれた先は、とても規則の厳しい、
キリスト教系の男子校でした。
私はその日から、その学校の寮で生活するようになりました。
その学校は、名門校のような感じでしたが、でも何とも言えず
陰気くさいというか。。。
どんよりしているというか、生気がないというか。。。
色で言ったら、グレーっぽい感じ。。。
そこで私は、毎日を暗い気持ちで過ごしている。。。
・・・というような、そんなヴィジョンを見ました。
実は、このお話にはこのあともいろいろ続きがあるのですが、、、
それは今まで誰にも話したことがなく、おそらくこの先も、
誰にも話さないと思います。
・・・が、これが本当に過去生のヴィジョンだとしたら、、、
この人生って、結構壮絶な人生だったと思います。
こんなことを書きつつも、当時の私はこれをすんなり自分の過去生だと
受け入れたわけではなく、例のごとく、常にあれこれ分析したりして
いました。
これを観たのはもう、20年以上も前の話ですが、、、
ほんの数年前までは、自分の中では「ただの妄想だろう」と
思い続けていたくらいです。
古い日記を整理していたら2009年か2010年あたりの日記に、
そのヴィジョンに触れたお話が出てきていて、、、
今まですっかり忘れていたことを、思い出しました。
ある日、なんとなくテレビをつけてみたら、そこでたまたま
ウィーン少年合唱団特集をやっていました。
それがなんだか面白そうだったので、私はそのまま観ていました。
その時、合唱団設立当初の制服。。。というものが展示されている
ショーケースのようなものが映されたのですが、それを見た時、
私は思わず固まりました。。。
その制服は、、、
例のヴィジョンの中で、自分が着ていた制服と全く同じだったからです。
「あり得ない!!!」
・・・と思いました。
なぜなら、あのヴィジョンの中で私が生活していた寮のあった学校は、
ミッション・スクール。。。キリスト教に関係している学校だという
イメージはあったのですが、そこで自分が歌っている姿などは全く
見なかったからです。
なので、何かの間違いだろうと思いつつも、気になったので、
ウィーン少年合唱団のことを、少し調べてみたのです。
するとその合唱団は、元々は「宮廷礼拝堂少年聖歌隊」というものであり、
キリスト教には、思いきり関係しているということが良く解り。。。
私はなんだか、思わず頭を抱えてしまったりもしてね(苦笑)
そんな話をある日お友達にしたら、その夜に、その子からメールが来て、
「今久しぶりに読んでいた本に、急にウィーン少年合唱院なんて出てきた!!」
なんて言われ(笑)
その次の日は、夫が珍しく歯医者に行き、その待合室で何気なく手に取った
雑誌に、ウィーン少年合唱団特集があったそうで。。。
あの現実主義な夫も、さすがにその時は少し驚いていたりしました。
前世で自分はお姫さまでした。とか、前世で私は巫女でした。とか。
例えばそんなヴィジョンを見たりしたとして、それを、今の自分のことを
よーく解っている誰かに話した時、その相手の反応が、、、
「今のあなたのその雰囲気や生き方からして、それって信じられない。」
って感じだとしたら、多分そのヴィジョンは、その人の思い込み、、、
妄想とか願望なのだろうな。。。と、私はそう思っているのです。
なので私も、夫や子供達に聞いたのです。
「ママが前世でウィーン少年合唱団にいたって聞いたら、どう思う?」
・・・と。
身内からは、「まぁ、そう言われても違和感は感じない。」という答えが
返ってきました。。。
でもですね。。。
こんなにシンクロやらなにやらがいろいろ起こったとしても、、、
私は未だに、これが自分の妄想なのか、それとも本当の前世なのか、、、
ハッキリ解らないのです。
妄想。。。というと、ちょっと言葉が悪いですけれども、、、
潜在意識とか集合的無意識とか、、、
WMの「ジェネティック・マインド」なんかもそうですが。。。
そういったGMなどの中をただ単に覗き込んだだけなのか、
それとも本当に自分が過去に体験したことの記憶なのか。。。
それは、未だに解りません。
例えばチベットでは、「虹の身体」と呼ばれているものがあります。
ダスカロス用語を使って言えば、それは鍛え上げられた
「サイコノエティック体」。。。
その身体を使って私たちは、過去の記憶を見たり、体脱をして意識の旅に
出かけたり出来るようになるそうなのですが。。。
そういった身体は、自覚を持った修行、訓練を通して鍛え上げなければ、、、
おそらく出来上がりません。
そしてそれは、、、そう簡単なことではありません。
でもその身体が出来あがらなければ、おそらく、本当の記憶は蘇らないでしょうし、
なんらかのヴィジョンを見たとしても、それはその人がGMの中に潜り込んで見た、
あまりにもリアルな、空想のヴィジョンに過ぎないでしょうから。
私は、自分の虹の身体が、今どのくらい出来上がっているのか、、、
それもよく解りません。
これまでの前世の経験の中で、私は一体どのあたりまで、この身体を
創りあげてきているのかな。。。と。
ですから、それが自分でハッキリと解るまでは、こういったヴィジョンは、
自分の中で保留しておくしかないのです。
これだけではなく、アトランティスっぽい記憶や、その他のヴィジョンも。
ただ、こういったものは、それがたとえGMの景色だったとしても、
それでも、そこから学べることはたくさんあるのですから、そういった
有効活用だけは、しておきたいですよね(笑)
虹の身体を鍛えていく、初歩の初歩というのは、、、
やはり、日々の地道なハートの美徳の実践なのだろうな。。。と。。。
私は、そう思っていたりします。
感謝、寛容、理解、勇気、謙虚、同情(慈悲)
娘が夏に初ボーナスをもらった時、、、
彼女は私をディズニーランドとディズニーシーに連れて行ってくれて、
しかも、ディズニーランドホテルの宿泊までプレゼントしてくれました。
あの時の経験が娘にとってはよほど楽しかったらしく。。。
(もちろん私も、すごい楽しかった。。。)
なので今回、冬のボーナスが出ると彼女はまた、、、
私をそこに連れて行ってくれました。。。
それは親としたらもう、死ぬほど嬉しいことでした。
でもなんだか、、、私は娘に対して申し訳ない感じも少ししてしまって。。。
だから彼女に、、、
「もったいないからいいよ。気持ちだけで十分。。。
そのお金は、あなたが大変な思いをして稼いだ貴重なお金なのだから、
もっと他のことに使ったほうがいいよ。」
・・・と言ったのですが、彼女は自分がそうしたいのだから。。。と。。。
そう言って、全然譲りませんでした。
そこまで言われたら、断るほうが彼女に悲しい思いをさせるな。。。と思い、
ここは素直に娘の気持ちを受け取ることにしました。。。
これは私の勝手な思いだけれども、、、
親というのは子供に対して、何の見返りも求めてはいけないと。。。
そう感じているのです。
それこそ、「無償の愛」「無条件の愛」を、子供にはたっぷり
注ぐべきなのだと。。。
それをポリシーに、ここまで育ててきました。。。
親が子供を育てるのは当たり前のことで、たとえ子供が親に感謝をしなくても、
何の親孝行をしなかったとしても、それでいいのです。
私が子供達にたっぷりと注いだ愛情を、彼らが返す相手は私ではなく、、、
それは、子供達が将来愛する誰か。。。
例えば、配偶者とか自分の子供達とか、、、
そういう人達に、その愛を返していけるようにと仕向けてあげること。。。
それが子供達の幸せに繋がるだろうし、ひいてはそれが、
私自身の幸せにも繋がる。。。と。。。
そう信じていました。
そういう子育ての結果が、これなのか。。。と思ったら。。。
自分がこれまでやってきたことに対して、とても自信が持てました。。。
やはり、間違っていなかったんだな。。。と、そう思えました。。。
もちろんこれは、私だけの力ではなく、家族や子育てに対する夫の、
とても献身的な協力のおかげでもあります。
またなによりも、娘自身が持って生まれた資質によるものが、
とても大きいのだろうとも思います。。。
彼女がここに生まれてくるまでに積み重ねてきた、「徳」によるもの
なのでしょう。。。
同じように息子も、、、
社会的な、一般的な視点で見たら、少々落ちこぼれ的なところが
ありますが(笑)
でも、、、そんなことは、私にとってはあまり問題ではなく、、、
とても愛情深い、人の痛みの解る子に育ってくれたので、、、
私としてはもう、それで万々歳です。。。
私にとっての一番大切なことは、、、
やはり、「愛」とか「優しい心」ですから。。。
今回は、2日間ともお天気に恵まれ。。。
とても温かく。。。
これは、宿泊したディズニーランドホテルの写真ですが、、、
雲一つないその真っ青な空。。。
すごい綺麗でした。

その空の青さに、ホテルの豪華さが映えていました。。。

今回も初日にランドに行き、二日目はシーに行きました。
そのシーの中に、ものすごいたくさんのチューリップが植えられていて、
本当に綺麗でした。。。


私は、こういう植え方が大好きなのです。。。
あらゆる種類が、色とりどりにちりばめられているのが。。。


でも、この季節にチューリップ?と不思議に思い、もしかして造花?と、
ちょっと葉っぱを触ってみたら、本物でした。

お花の開き方もこんなに見事に揃っている。。。ということは。。。
毎日、完璧に管理されているのだろうなぁ。。。と思ったし、
おそらく、命途中で抜きかえられてしまうお花もいるのだろうし。。。と。。。
ディズニーランドやディズニーシーって。。。
人々に夢を与える環境を維持するために、一体どれだけの人達が、、、
人だけでなく、植物たちまでもが、そうやって人知れず、その裏の
目に見えないところで頑張ってくれているのだろう。。。と。。。
そう思ったら。。。
もう。。。
いろんなことに、感謝でした。。。

ディズニーのようなところに行っても、私はいつもお花とか
空とか、そんなのばっかりに目が行ってしまうのですけれども(笑)
でも、お花の写真ばっかりでもあれなので、ランドのビッグサンダーマウンテンと、
シーのミラコスタ・ホテルの写真も今回のイベントの記念に。。。
両方とも、夕暮れ直前の。。。
少し哀愁漂う時間に撮ったものです。。。


おかげさまで。。。
自分の人生の物語に、また幸せな1ページが加わりました。。。
彼女は私をディズニーランドとディズニーシーに連れて行ってくれて、
しかも、ディズニーランドホテルの宿泊までプレゼントしてくれました。
あの時の経験が娘にとってはよほど楽しかったらしく。。。
(もちろん私も、すごい楽しかった。。。)
なので今回、冬のボーナスが出ると彼女はまた、、、
私をそこに連れて行ってくれました。。。
それは親としたらもう、死ぬほど嬉しいことでした。
でもなんだか、、、私は娘に対して申し訳ない感じも少ししてしまって。。。
だから彼女に、、、
「もったいないからいいよ。気持ちだけで十分。。。
そのお金は、あなたが大変な思いをして稼いだ貴重なお金なのだから、
もっと他のことに使ったほうがいいよ。」
・・・と言ったのですが、彼女は自分がそうしたいのだから。。。と。。。
そう言って、全然譲りませんでした。
そこまで言われたら、断るほうが彼女に悲しい思いをさせるな。。。と思い、
ここは素直に娘の気持ちを受け取ることにしました。。。
これは私の勝手な思いだけれども、、、
親というのは子供に対して、何の見返りも求めてはいけないと。。。
そう感じているのです。
それこそ、「無償の愛」「無条件の愛」を、子供にはたっぷり
注ぐべきなのだと。。。
それをポリシーに、ここまで育ててきました。。。
親が子供を育てるのは当たり前のことで、たとえ子供が親に感謝をしなくても、
何の親孝行をしなかったとしても、それでいいのです。
私が子供達にたっぷりと注いだ愛情を、彼らが返す相手は私ではなく、、、
それは、子供達が将来愛する誰か。。。
例えば、配偶者とか自分の子供達とか、、、
そういう人達に、その愛を返していけるようにと仕向けてあげること。。。
それが子供達の幸せに繋がるだろうし、ひいてはそれが、
私自身の幸せにも繋がる。。。と。。。
そう信じていました。
そういう子育ての結果が、これなのか。。。と思ったら。。。
自分がこれまでやってきたことに対して、とても自信が持てました。。。
やはり、間違っていなかったんだな。。。と、そう思えました。。。
もちろんこれは、私だけの力ではなく、家族や子育てに対する夫の、
とても献身的な協力のおかげでもあります。
またなによりも、娘自身が持って生まれた資質によるものが、
とても大きいのだろうとも思います。。。
彼女がここに生まれてくるまでに積み重ねてきた、「徳」によるもの
なのでしょう。。。
同じように息子も、、、
社会的な、一般的な視点で見たら、少々落ちこぼれ的なところが
ありますが(笑)
でも、、、そんなことは、私にとってはあまり問題ではなく、、、
とても愛情深い、人の痛みの解る子に育ってくれたので、、、
私としてはもう、それで万々歳です。。。
私にとっての一番大切なことは、、、
やはり、「愛」とか「優しい心」ですから。。。
今回は、2日間ともお天気に恵まれ。。。
とても温かく。。。
これは、宿泊したディズニーランドホテルの写真ですが、、、
雲一つないその真っ青な空。。。
すごい綺麗でした。

その空の青さに、ホテルの豪華さが映えていました。。。

今回も初日にランドに行き、二日目はシーに行きました。
そのシーの中に、ものすごいたくさんのチューリップが植えられていて、
本当に綺麗でした。。。


私は、こういう植え方が大好きなのです。。。
あらゆる種類が、色とりどりにちりばめられているのが。。。


でも、この季節にチューリップ?と不思議に思い、もしかして造花?と、
ちょっと葉っぱを触ってみたら、本物でした。

お花の開き方もこんなに見事に揃っている。。。ということは。。。
毎日、完璧に管理されているのだろうなぁ。。。と思ったし、
おそらく、命途中で抜きかえられてしまうお花もいるのだろうし。。。と。。。
ディズニーランドやディズニーシーって。。。
人々に夢を与える環境を維持するために、一体どれだけの人達が、、、
人だけでなく、植物たちまでもが、そうやって人知れず、その裏の
目に見えないところで頑張ってくれているのだろう。。。と。。。
そう思ったら。。。
もう。。。
いろんなことに、感謝でした。。。

ディズニーのようなところに行っても、私はいつもお花とか
空とか、そんなのばっかりに目が行ってしまうのですけれども(笑)
でも、お花の写真ばっかりでもあれなので、ランドのビッグサンダーマウンテンと、
シーのミラコスタ・ホテルの写真も今回のイベントの記念に。。。
両方とも、夕暮れ直前の。。。
少し哀愁漂う時間に撮ったものです。。。


おかげさまで。。。
自分の人生の物語に、また幸せな1ページが加わりました。。。

*Mandalas by Anja Koerts
今、実際に自分の身の周りに起こっている流れと、古い日記を
読み返すことにより思い出した過去の経験などが綺麗にクロスしていて。
自分がこれからどう在るべきか、どうするべきかということを、
見事に教えてくれているのが解ります。
それを言葉で表現しようとしても、それはまるで、見た夢をうまく
説明できないのと同じで、話そうとすればするほど、スルスルと
散っていってしまうような感じなのですが。。。
なんとなく、メモ程度に書いておきます。。。
ミッションスクールに通っていた高校時代。。。
そこでは毎週礼拝の時間があり、招かれたキリスト教関係の人に
よく聞かされていたのは、「奉仕」についてのお説教でした。
もっとも、私はその時間はいつも寝ていて、話なんてほとんど
聞いていませんでしたけど(苦笑)
また、「聖書」の授業もあり、その課題として実際の教会に行って
礼拝に参加したり、教会の行う奉仕活動に参加させられたりも
していました。
それに参加して、教会の人に「参加しました証明書」をもらってこないと、
聖書の授業が落第となり、留年してしまうので行くしかありませんでしたけど、
当時の私は、「こういう奉仕って、なんて馬鹿馬鹿しいの?」って
思っていたし、そういうことが、「偽善」に見えていました。
ですので、その学校に行ったことにより、私の中では「奉仕」というものに
対して疑問だらけになり、そこに強い反発心が生まれたのですが。。。
今にして思えば、「疑問や反発心を持つ」ということ自体がもうすでに、
私がそこに意識を向けている。。。ということに他ならない。。。
・・・ということが解るのです。。。
スピリチュアル的なことに興味を持つようになってしばらくした頃。。。
私は様々なワークショップに参加したりしていました。
そんな中、ルーン文字を使うリーディングやヒーリングを勉強し、
その資格を取りました。
先生は、「これからあなたたちはルーン・ヒーラーとして仕事をすることが
出来ますよ。」とおっしゃっていたけれども、その時も私にはすこし
疑問がありました。
「こんなチラッと勉強しただけなのに、本当にヒーラーだと名乗っていいの?」
・・・と。
更に、、、
これは、その先生に直接聞いたのではなく、人を介して聞いたことなので、
あの先生が本当にそう言ったのかは解りませんが、こんな話も聞きました。
「もしあなたがヒーラーとして仕事をする際に、私たちのこのシステムを
使ってのルーン・ヒーラーを名乗るのであれば、ちゃんとそれなりの代金を
取ってください。決して無料では行わないでください。
無料で行うということは、それだけ私たちのシステムの価値を貶めることに
なりますから。」
・・・と。
この言葉も、更に私の疑問を深めました。。。
こういった部分の疑問に関しては、今はもう、自分の中では解決しています。
しかし当時の私は、そういったことに納得が出来ず、ワークショップなどで
ただ資格を取っただけのヒーラーなんて、本当のヒーラーではなく、
それは「職業ヒーラー」に過ぎない。。。と。。。
そう感じて、そういったワークショップに通うことをやめました。
けれども私自身の中に、「自分と関わる人にホッとしてもらいたい。」という、
そういう願いがあることには気づいていました。
私がこう思うようになったのにも、そこには様々なイベント・ストリングスが
ありました。
ひとつは、いつも書いているあの例の10代の時の体験ですが、それ以前にも
まだあるのです。
中学生の頃、私はクラスの男子から「Lyricaさん」と呼ばれていました。
そして男子たちは、私の前に来ると、なぜか緊張していました。
女子の他のお友達たちはみんな呼び捨てにされていたし、男子たちともラフに
打ち解けていたのに、私に対してだけはなぜか、「はい、そうですね。」と、
敬語でした。
女子の友達たちは、、、
「なんで私たちは呼び捨てなのにLyricaだけ、さん付けなのよ、ズルくない?」
・・・って男子達を問い詰めるのですが、すると男子達は、
「そりゃお前、LyricaさんはLyricaさんだろ!」
と言うのです。女子の友達たちはみんな言っていました。
「男子は騙されてる。あたし達の中で一番がさつで男っぽいのは
Lyricaなのに、騙されてる!!!」
・・・って(笑)
もちろん私は、男子の前で作っていたり騙していたりしていた
つもりは全くないのですが、なぜかそうだったのでした。
でもね、その時私は本当は、、、
そういうのが少し寂しかったのです。。。
私は全然普通なのだから、そんなに緊張しないで、他のみんなに
接するのと同じように、もっと普通に接してくれればいいのに。。。と。
ずっと、そういう風に思っていました。
そういうことがあったから、私の中では、、、
「自分といて緊張しないでほしい、私といることで、ホッとしていてほしい。
それにはどうしたらいいのだろう?」
・・・と思う気持ちが、、、
少しづつ、少しづつ蓄積されていったのだろうと思います。
そしてそういうこともまた、、、、
「奉仕」を意識することに繋がっているのです。。。
運命って不思議ですね。。。
起こる出来事というのは、本当に全てが完璧。。。
さて、先ほどの話に戻りますが、あの当時、「職業ヒーラー」に
嫌気がさしていた私ですが、では、自分と関わる人にホッとして
もらうには、私はどうしたらいいのか?ということを、追求していった結果、、、
ある時、「そうだ、こっそりヒーラーになろう。」と。。。
そう思うようになりました。
私の言う「こっそりヒーラー」とは、、、
「私はヒーラーです。」なんて一切表に出さず、しかもスピリチュアル的な
こととは全く関係のない、普通の社会の中で、自分と関わる人たちの
痛みを取っていけるような人。。。
しかも相手には、それが私と関わることで起こったなんて全く気づかれない
ような形でそれを行えるような人。。。
その修行をするためにと、私はあえて、普通のコーヒーショップで、
そのお店のただの店員として働くことにしたのでした。
長くなったので、いったんここで切りますね。

続きです。。。
そのお店で、私はもう、とんでもない人と出会いました。
そこの店長は、私がこれまで出会ってきたたくさんの人達の中では
もしかしたらダントツ一位なのでは?と思ってしまうくらい、
とんでもない人でした(苦笑)
どれだけとんでもなかったのか。。。というのを、、、
古い日記を読み返しながら、いろいろと思いだしていました。。。
彼とのバトルの中で(笑)いろいろあったその詳細は、今ではもう、
ほとんど忘れてしまっていましたが、あれから何年も経った今でさえ、
時折フッと、「あ~~!!!」みたいな、そんな、怒りのような感情が、
急にリアルに浮かんでくることもあり、そしてこうやって、話題に
のぼってしまうくらいの人なのですから、、、
それってある意味、あっぱれなことです。
良くも悪くもそれだけ強烈なエネルギーを持った人だったのだろうし、
そしてそれだけ、私とも深い縁のあった人なのでしょう。。。
ですから当時、そのお店で働き始めた頃は、、、
「本当に、なんて完璧なんだろう。。。」
・・・と、感動すらしていました。
「こっそりヒーラー」になる修行をするためには、なんて最適な職場
なのだろうと、そう思っていたのです。
あの店長のおかげで、店員みんなは委縮しきってしまっていましたから、
私はそういう仕事仲間の人達の心のフォローを、こっそりとやりつつ、
同時に、こんなにささくれ立ってしまっていた店長本人の心も癒すことが
出来ればと。。。
コーヒーショップの仕事自体よりも、そういったことに一生懸命に
なっていました。
仕事仲間のみんなは、そんな店長になんとか耐えながらも、そこで
仕事を続けていけるような、ある意味、メンタルの強い人が多かったので、
私は何をするでもなく、ただ私は、彼らの愚痴を聞いているくらいしか
していませんでしたが。。。
それでもみんなが、「普段誰にも打ち明けられなかった苦しさ」の
ようなものを打ち明けてくれて、話しているうちに彼らの顔が
明るくなっていくのを見ていることで、私もとても癒されました。
店長に対しては、仕事上では彼に従いつつも、それ以外では私は、
彼の言うことなんてほとんど聞かず、ある意味、常に戦闘モードで
戦っていました。笑顔で(笑)
それが彼に対しては効果的なやり方だと。。。
そう思っていたからです。
私は、彼のその固い殻を壊したかったんですね。。。
どんな場合でもそうですが、、、
癒しは私によって起こるのではなく、その人本人が起こすもの。。。
私が無理矢理彼を変えようとしたら、それは「コントロール」になります。
そうではなく、私に出来ることと言ったら、私自身が常に愛でいることと、
相手が自身の中にある、そのキラキラした愛に触れることが出来るように、
軽く刺激することくらいです。
その刺激方法も、時と場合によって、そしてその相手によっていろいろ
変わりますから、瞬時にその最適なものを見極めそのように行動できるような
「見抜く目」というものを常に養っておかないと、本当に人のことなんて癒せません。。。
そういう強烈な彼を通して、私自身もすごい学びをもらっていました。。。
そうしていくうちに、彼も少しづつ、私に心を開くようになっていくかの
ように見えました。
でも人って、、、
自分で気づき、変わろうと決意しない限り、なかなか変われないものです。。。
昨日は良いエネルギーだった店長が、今日はまた戻ってる。。。みたいな
日々が続きました。。。
そんな一歩進んで二歩さがる。。。みたいな状況が何年も続いた頃、、、
とうとう私も疲れ果てました。。。
そしてその時思いました。。。
「私はまだまだだ。ここで一度、自分の器が今はまだこの程度だと
いうことを、しっかり認めなくてはいけない。そしてしばらくは、
自分自身を見つめ、自分のケアをしてあげなくてはいけない。」
・・・と。
それまでの私は、自分で決めたことを途中で投げ出すことは、何かに負けたような
気がしてしまって、なかなか自分の限界を認めることが出来ない人でした。
でもその時は、それを素直に認めてあげなければ、結局私自身が
前に進めないと思ったのです。。。
将来、もっともっと立派なヒーラーになるためにも、、、
今は一度ここで立ち止まって、自分自身の浄化に励まなくては。。。と。。。
ですので、私は店長に、お店をやめさせてくださいと申し出ました。。。
店長はその時、ものすごく驚いていましたが、辞めることを承諾して
くれました。
その次の日です。。。
その店長のある不祥事が偶然発覚してしまって、お店は一気に
大混乱となりました。。。
そして彼は、もうこのお店にいることが出来なくなり、私たちの前から
去っていくことになりました。
あの時思いました。。。
魂がエゴに学ばせたかったことをエゴがその通りに学ぶと。。。
そのために必要だった状況は必要なくなり、消えていくのだな。。。と。
結局私は、、、
私のエゴは、あのお店で「こっそりヒーラー」の修行を頑張っている
「つもり」でいましたが、魂がエゴに学ばせたかったことは、
本当は、そこではありませんでした。。。
本当に私があそこで学ぶべきだったことは、、、
自分の器を知ること。。。
自分自身を正確に知り、それを受け入れる。。。
・・・ということだったのです。
そこにエゴが気づけたから、そのために必要だった状況は、
その瞬間に、きれいさっぱりなくなりました。
世の中って、本当にこういう風に出来ているんだ。。。と。。。
そういうことも同時に学びました。。。
また休憩します。。。

またまた続きです。。。
私がなぜ、あの店長のお話をここに持ち出したのかというと。。。
ちょうど今も、あの当時と似たようなイライラ感を体験させられて
いることに気づいてしまったからなのです
私のことを、ここまでイラつかせる人も珍しい。。。
珍しすぎる。。。と思うような人と関わりを持つ流れがあり、
なんで私はこんなにイライラしているのだろう?と、ちょっと
不思議にも思っていたのですが。。。
そんな時に、古いブログの日記の中に、ちょうどあの店長との
日々のことが出てきて、それを読み返していたら、何だかここに、
何かの関連があるような気がしてきて。。。
だって、私をそこまで揺さぶるのって、、、
あの店長以来ですから。
その人も、よほど縁の深い人なのでしょうね。
私のその怒り心頭ぶりは、自分でも笑ってしまうくらいで、、、
例えば、怒った私の周りでは、電気機器がおかしくなりました。
スマホのメールが送信できなくなったり、電話がかけられなくなったり。
怒りのエネルギーというのは、私はそれを目で見たことはないのですが、
それを流れる風のような感じで、体感したことはあります。
それは、熱風のようでした。。。
それがもう、あの怒り心頭した時の私の、あのものすごい怒りでは、
それはおそらく、熱風どころか、太陽フレアと同じような感じだったの
でしょうね。
その電磁波が、電気機器に影響しないわけがありません。
それほど怒ったわけなのですが、、、
ハートの美徳の実践のおかげで、自分自身がそのエネルギーの
奴隷になってしまう前に、意識的にそれを変換できる術を、
今ではなんとか、身につけました。
おかげで、そういったことで体調を崩したりすることはなくなりました。
ウイングメーカー、さまさまですね。。。
それにしても、、、
最近のこの、なんだかおばあちゃんみたいに穏やかになってしまった私を、
ここまで怒らせるという人も、またまたあっぱれ。。。というか(苦笑)
そして私は、、、
今回は一体、何を学びたいのだろうかと。。。
それが全然見えなくて、、、
あまりにも見えないので、今回は、私のことをこれでもかってほど
よく解っている、夫や子供達に相談してみました。。。
すると、彼らが口を揃えていったことは、こうでした。。。
「ママが学ばなければいけないことはね、スルー術だよ。」
ですって。
要は、、、
どんな人に対しても、あまりにも親身に、真剣になりすぎる。。。
・・・とのことでした。
それでは、身が持たないでしょ。と言われたのでした。
あぁぁぁ。。。
そこなのか。。。と、今まだ、ハッキリと確信を持てたわけでは
ないのですが、もしかしたらそうなのかも。。。みたいな。。。
そんな気はしていたりします。。。
以前、占星術の先生が私のホロスコープを見て、こんなことを
言っていました。
「あなたは、人に何かをしてあげることで喜びを感じたりしない?
それかもしくは、自分ではそのつもりではなくても、あなたの
やったことが、結果的に人のためになっていることが多かったりしない?」
・・・と。
それを聞いた時は、あまりピンとこなかったのですが、、、
今にして思えば、なんだかそれは納得してしまわなくもなく。。。
そして、お友達でもあった占い師の人には、こうも言われたことがありました。
「あなたのテーマの一つは、『闘い』ですね。」
・・・と。
そしてある時はある人にこう言われました。。。
「老婆心ながら、、、
あなたにはヒーラーの素質がありそうなので、一言忠告させてください。
ヒーラーというものは、コーヒーの中に入れたミルクのように、
その中に溶け込まなくてはいけません。
しかしそのあとは、一度溶けたそのミルクを、コーヒーの中から
取り出せるようにならなくてはいけません。」
・・・と。。。
私は自分の性質上。。。
相手に溶け込むことは容易です。。。
けれども未だに、、、
そのミルクを取り出すことがうまく出来ないようなのです。。。
自分と相手を分けることが。。。
「スルー術が身についてない」と家族が言っているのは、それは、
「ミルクを取りだせてない」ということですものね。
以前よりはだいぶ、出来てきたかな。。。と、自分ではそう思って
いたのですけれども、まだまだなのかな?
いろんな人から聞いた、私の中にあるテーマ。。。
奉仕、癒し、そして闘い。。。
それらを、今後どうやってクロスオーバーさせていけばいいのか。。。
とりあえず今は、ブログ整理して、早くドルマンの翻訳を再開させよう。
あともうひとつやることがあるのですが、それはまだ秘密(笑)
この日記はここで終わりにしますが。。。
私の人生の探検は、、、
まだまだ続いていくようです。。。

今個人的に、ものすごく流れを感じているのですが、、、
まだその渦中の真っ只中なので、何がどう。。。という風に、
綺麗に組み立てて書けません。
なので、私以外の人が読んでも「???」としか書けないのですが、
でも書いておきたい(笑)
古い日記、昨日整理していたところに、こんなことが書いてありました。。。
2010年あたりの日記でした。。。
振り返ってみればそれぞれの月星座に土星が
いた頃、それぞれにいろんなことがあったよね。。。
みたいな話になったのだけど、ちょうど土星が
娘の月にかかっていた頃、彼女は転校先の
学校で、「いじめ」にあっていた。。。
今になってみれば、あの出来事が娘を大きく
成長させてくれて、彼女の中に眠っていた
彼女の資質というか。。。
そういうものを目覚めさせてくれるキッカケに
なったよなぁ。。。と。。。
私も。。。そして娘本人も、そういう風に
思えるけど。。。
それでも昨日。。。
ポツポツと語った娘の、当時の現状の様子を
聞いたら。。。
本当に、胸が痛んだ。。。
そんなことまでされたの???
・・・と。。。
私達親子は。。。
心は通い合ってると信じているし、実感してる。。。
そういう間柄であってさえも。。。
自分がいじめでどういう目にあっているのか。。。
・・・というようなことは。。。
その渦中にいる時は。。。
子供は親には話しにくいものなのですね。。。
娘がポツッと学校での出来事を私に言う時。。。
私がそれに対して次のセリフを「選ぶ」時。。。
私の頭の中では、瞬時にしていろんなことが駆け巡り。。。
自分が今、どういう態度を取ることが、今の娘にとって
最善なんだろう。。。ということを、考える私がいて。。。
当時も今も。。。私が選ぶ行動は。。。
娘をいじめている子達のこと、思いっきり悪く言う。。。
ひどくいじめられた状態で、傷が大きすぎて。。。
娘が自分のことを責め始めてしまう前に、
私が娘の代わりに怒り狂って、「相手」を非難する。。。
そんなことだった。。。
「何それ?最低じゃない?その子!!
ちょっとママ、その子許せないんだけど!!!!」
「あぁ。。。
でも、あなたがいじめる側じゃなくて、ママ、
本当によかったよぉ。。。」
・・・みたいにね。。。
もちろん。。。
本当に怒り狂ってるわけではなかった。。。
全て、計算してやってた。。。
そんな私に、娘がどこまで気づいていたかは
解らないけど。。。
たとえ私が怒り狂って娘の「敵」を思いきり非難したとしても。。。
それに同調して、自分の中の「善」を見失う娘ではない。。。と。。。
私はそう信じてるの。。。
だから私は、あえて怒り狂う。。。
そして。。。
「ママは何があっても絶対絶対、あなたの味方」
・・・ということを、単に言葉ではなく、態度で
伝えたかったから。。。
正論なんて。。。
こんな時は意味ないよ、きっと。。。
人は、心から安心すれば。。。
自然と内なる「愛」が輝きだすはずだもの。。。
昨日もさんざん怒り狂うことを装いながら。。。
密かに娘の様子を観察してたけど。。。
彼女の目の輝きを見て、安心しました。。。
こんな行動をとる今の私が在るのは。。。
やっぱり母との関係。。。
そこからの影響が大きいのだろうなぁ。。。
なんてことも思いながら。。。
いじめた子には。。。
いつかはカルマの清算がやってくる。。。
それを思うと、やっぱり胸が痛むよね。。。
娘は。。。
当時は自分にもいじめられる要素があったと思うし、
あの事件のおかげで今の自分はあるのだし。。。
そして、今の自分は、あの頃の自分よりも好き。。。
と言っていたから。。。
いじめっ子達は。。。
わざわざ「悪役」をやってくれたのでしょうね。。。
そしてそういうことをキッカケに、娘と私は
こうして様々なことを考え始めるし、スピリチュアル的な
話をするし、絆も深まるし。。。
逆に感謝よね。。。
・・・と。。。
それから、、、
こんなのもありました。。。
この頃。。。
タロットで同じカードばかりをひくの。。。
そのメッセージのひとつに。。。
「他の人が自分の責任は自分でとるということを
確かめてください。」
・・・というのがあるんです。。。
要は。。。
人の荷物まで背負うな。。。と。。。
自分は自分の責任を果たし、そして他の人がその人の
責任。。。カルマを果たすということも、きちんと
受け入れる。。。
人の荷物まで背負おうとするエネルギーを、もっと
適切なことに使えば、たくさんのことを成し遂げられるんだって。。。
この二つの日記の中に、今の私へのものすごいメッセージが入っていました。
昨日ツイッターで少し書いたのですが、、、
昔私は、マスター達が怒ることが理解できませんでした。。。
マスターが弟子たちに対して、感情的になって怒ったりすることが
全く理解できなかったのです。
なぜなら、マスターたるもの、その感情すらもマスターしているはずなのに、
なぜそんなに怒るの???と。。。
そう思っていたのです。
あれから何年も経ち、ある時、そのマスター達の行動が理解できました。
彼らは、「意図的に怒る」。。。のですよね。
感情に巻き込まれたままで怒るのではなく、あえて「怒りを表現」
しているのです。。。
今は、怒ること、怒りを表現することが必要だ。。。と、判断した場合、
彼らはそれを表現するのです。
そのことが解ったのは、私自身がその段階まで成長できたあとでした。。。
自分がまだ、ただ感情に巻き込まれ、その感情のままに無意識に
行動しているうちは、おそらく、マスター達の行動の真意は見抜けません。
なぜなら人は、相手に自分自身を投影しますので、マスターの怒る姿を見て、
そのマスターも自分と同じような状態で怒っているのだと勘違いした上で、
物事を判断するからです。
ですので、自分自身が成長しなければ。。。
マスターの矛盾ある行動の理由は、なかなか見えてこないでしょう。。。
「怒り」というもののほかに、「正論」というのも、今の私にとっては
キーワードでした。。。
夫と話していたら、彼はこんなことを言っていました。。。
「安倍総理が靖国参拝したこと。なぜ参拝したのか。
総理の語る参拝した理由、ああいうのを正論っていうんだよ。
あの人が語ってることは、理論的には何も間違ってない。
でも、その正論を通すことによって、外国への印象が悪くなり、
結果、みんなを怒らせる。」
確かに。。。
参拝することの何が悪い?全く悪いことではないのに、なぜ海外の人達に
とやかく言われなければいけないんだ。。。みたいな気持ちが
出てきてしまうのも解らなくはないです。
でも私だったら、、、
人が嫌がり、その結果もめるだろう。。。ということが解っているのに、
わざわざそこで、自分の正論を通そうとは思わないな。。。
私が大切にしているのは、周囲との「調和」だから。
それを夫に言ったら彼は、、、
「相手と仲良くしたいのなら、正論を通してたらダメだよ。」
・・・ってね。。。
彼がこういうことを言うのって。。。
私との20年以上の関わり合いの中で、しみじみ感じたことなのだろうなぁって
感じました。
なんだか、良いこと言うなぁ(笑)
・・・と思ったし、このことをこの日記に書こうと思って、
その靖国問題のことをちょっと調べたら、こんな動画が出てきたの。。。
私はここで、政治の話がしたいわけではないのですけれども、、、
この話を聞いていたら、今の自分の心情をそのまんま言い表す
言葉が出てきたの。。。
それは、、、
「I'm disappointed.」
もう、がっかりだよ。。。
失望したよ。。。
・・・と。
そして私はこの、「disappointed」の状態になってもまだ、、、
それを何とかしようと頑張ってしまうようなところが今回もまた
あったのですが、でも流れの中、もういい加減、、、
「人の荷物まで背負うな」
・・・という天からのメッセージをしっかり受け止めようかと。。。
そんなことをいろいろ考えていたら、、、
今日、すごいびっくりすることが起こりました。。。
昨日の日記に書いたあの例の店長。。。
その店長に、なんと今日バッタリ会ってしまったの!!!
もう、びっくりすると同時に、苦笑いしながら納得してしまいました。
あぁ。。。やっぱり繋がってるなぁ。。。と思いましたし、
今、自分がどう在ればいいのか、何に気づけばいいのか。。。
ということが、ハッキリ見えました。
あの店長との間で学んだこと、、、
「何かに負けたような気がする」という思い。。。
このエゴの部分に、執着することをやめること。
それを手放すこと。。。
きっと、これですね。
古い日記の中にこんなのが出てきました。
真の芸術家
歌。。。
知り合いのオペラ歌手さんが、以前こんなことを
言ってました。
声というのは、その人がどういう声帯を持っているのかとか、
どういう体を持っているのかということよりも、
自分自身の本質、感情センターがどういう人物であるかで
そのほとんどは決まってしまうと思っている。。。と。
ここで彼が感情センターと言っていたのは、グルジェフの
言う「感情センター」のこと。
例えばクラシックの歌を歌うために専門的な教育を受けたと
すると、最初の5年間くらいの間はどんどん声が変わっていく
のだそうです。
要は、技術がついてくるわけなのですが、それから後、
ある程度専門的な技術がついてしまうと、だいたいの人が
それ以上は声がほとんど変化しなくなるのだそうです。
バレエもそうですが、徹底した基礎訓練を受ければ
誰でもあるレベルまでは行くのですよね。
でもその先のプラスアルファ。。。
芸術って、、、
そのプラスアルファにかかってくると思うのですが、
それが、彼の考えだと「感情センター」に関わってくる。。。って。。。
私もこれには、ものすごく納得だったのでした。
もしかすると、、、
絵の世界もそうだったりするのかな?
喉、、、というのは時に、なんの訓練もしていないのに
元々「歌える喉」というものを持っている人もいて、
(私はこういうのはその人の過去生に関わっていると
考えていますが・・・)
こういう人が下手に訓練を受けると、逆に個性をなくし、
それまで魅力的に歌えていたものが歌えなくなってしまう危険性もある。。。
なんて話も聞いたことがありました。
それこそ、「型」にはまりすぎてしまって、
感情センターから声を出せなくなってしまうから
なのかもしれませんね。
ベリーダンスは、バレエやオペラなどとはちょっと
違う世界。。。というか、ある意味「創り上げた芸術」
ではなくて、「そのまんまで芸術」な世界ですから、
「ここ」が更に解りやすいんですよ。
その人の人生が、そのまま踊りに現れますから。
「感性」。。。というものが、私にとっては
ものすごく大事です。
だから、時の評論家が何と言おうとも、
魂に響くものがいい。
たとえ流行であっても、自分に響かないものはイヤ。
バレエ界に足を突っ込んでいた頃、、、
「創り上げた芸術」の世界では、そういった
価値観が少し、軽視されがちのように私には
見えました。
けれども、そんな世界にもほんの少しだけいる
希少な「本物の芸術家」の人達は、やはり
そこを大切にしていて。。。
だから、自分を深めるための修行も欠かさないのだな。。。と。。。
知り合いのオペラ歌手や、尊敬するロシアの
バレエダンサーの話を聞いて、そう思いました。
彼らはグルジェフ研究したり、インドで修行したりも
していましたから。。。
評論家の意見が物を言う世界では、なかなか
大変なのでしょうけれど、頑張って欲しいですね。
観るほうの私達も、もっと自分の感性を磨いて、
自分の感覚に自信が持てるようにもなりたいですね。
評論家の意見に左右されることなく、
自分の感性を信じられるように。。。
そういった真の芸術家達の作品は、評論家ではなく、
その世界を真に愛する一般の人達からは、実は
密かに絶賛されていたりもするのですから。。。
歌や踊り、そして絵も。。。
真の芸術というものは、その人のエゴではなく、
その人の内なる神。。。
内なる宇宙と繋がっているものだと、
私は思っているのです。
この日記を読んで、なんだか解ってしまった。。。
なぜ私が、最近のボイトレのレッスンに行くのが、
すごくおっくうなのか。。。
様々な歌い方をマスターして、そしてそのあとに、自分にあった
歌い方を選ぶ。。。
どうせやるなら、いろんなことが出来るようになるほうがいい。。。
こういう考え方って、私ではない「他の人」の考え方なのですね、きっと。
これが悪いとか間違っているとか言っているのではないのですが、
それは、「私の考え方」ではないのです。。。
そして私がそれをやると、逆効果になってしまうのだ。。。ということが、
すごい解ったような気がします。。。
これは、ベリーダンスに対しても言えること。。。
ベリーダンスのクラス、、、
いろいろと事情があって、少し減らしてしまっていたのですが、
どうにかやりくりして、また復活させたい。。。と、焦っていました。。。
でもそういうことか。。。と、納得しました。
私が焦っていたのは、自分の踊り上達云々ではなく、、、
先生の気持ちを、先に考えてしまっていたからだったんですね。。。
「さぁ、これから。。。」という熱意を燃やしている彼女の
気持ちに答えてあげられないことに対する焦りだったのです。
そこを、考えすぎてしまっていたのです。。。
そして、実はエジプシャン系があまり好きではない私は、、、
わざわざエジプシャンを学ぼうとしなくても、もういいんだな。。。と。
自分に合わない。。。というか、踊っていてあまり楽しくないジャンルは、
これからはもう、わざわざやらなくてもいい。。。
・・・ということで、今後もしまた、レッスンを増やせるとしたら、
踊っていて楽しいベリネシアンのクラスを増やせばいいのかもしれません。
それを教えるために、、、
いろんな流れが起きていたのかもしれません。。。
これからはもう、つまらないことはやらない。。。
楽しい!と思ったことしかやらない。
つまらないことを一生懸命頑張る。。。という経験は、、、
これまでの人生の中でもう、十分体験してきたから。。。
・・・というわけで、もう歌ってて面白くない歌の練習は
やらないことにします。
プロになるわけではないのだから、、、
あまり人の意見に左右されなくてもいいのかな。。。って思います。
もうそういうことは、これまで散々やってきたから。
相手のためを考えすぎて、自分の光がくすんでしまうようなやり方は、、、
これからはもう、選択しないようにしないとね。。。
このあたり、、、
私のカルマだということは気づいていたけど、、、
相変わらずまだ、完全に超えられていませんでした。

歌。。。
知り合いのオペラ歌手さんが、以前こんなことを
言ってました。
声というのは、その人がどういう声帯を持っているのかとか、
どういう体を持っているのかということよりも、
自分自身の本質、感情センターがどういう人物であるかで
そのほとんどは決まってしまうと思っている。。。と。
ここで彼が感情センターと言っていたのは、グルジェフの
言う「感情センター」のこと。
例えばクラシックの歌を歌うために専門的な教育を受けたと
すると、最初の5年間くらいの間はどんどん声が変わっていく
のだそうです。
要は、技術がついてくるわけなのですが、それから後、
ある程度専門的な技術がついてしまうと、だいたいの人が
それ以上は声がほとんど変化しなくなるのだそうです。
バレエもそうですが、徹底した基礎訓練を受ければ
誰でもあるレベルまでは行くのですよね。
でもその先のプラスアルファ。。。
芸術って、、、
そのプラスアルファにかかってくると思うのですが、
それが、彼の考えだと「感情センター」に関わってくる。。。って。。。
私もこれには、ものすごく納得だったのでした。
もしかすると、、、
絵の世界もそうだったりするのかな?
喉、、、というのは時に、なんの訓練もしていないのに
元々「歌える喉」というものを持っている人もいて、
(私はこういうのはその人の過去生に関わっていると
考えていますが・・・)
こういう人が下手に訓練を受けると、逆に個性をなくし、
それまで魅力的に歌えていたものが歌えなくなってしまう危険性もある。。。
なんて話も聞いたことがありました。
それこそ、「型」にはまりすぎてしまって、
感情センターから声を出せなくなってしまうから
なのかもしれませんね。
ベリーダンスは、バレエやオペラなどとはちょっと
違う世界。。。というか、ある意味「創り上げた芸術」
ではなくて、「そのまんまで芸術」な世界ですから、
「ここ」が更に解りやすいんですよ。
その人の人生が、そのまま踊りに現れますから。
「感性」。。。というものが、私にとっては
ものすごく大事です。
だから、時の評論家が何と言おうとも、
魂に響くものがいい。
たとえ流行であっても、自分に響かないものはイヤ。
バレエ界に足を突っ込んでいた頃、、、
「創り上げた芸術」の世界では、そういった
価値観が少し、軽視されがちのように私には
見えました。
けれども、そんな世界にもほんの少しだけいる
希少な「本物の芸術家」の人達は、やはり
そこを大切にしていて。。。
だから、自分を深めるための修行も欠かさないのだな。。。と。。。
知り合いのオペラ歌手や、尊敬するロシアの
バレエダンサーの話を聞いて、そう思いました。
彼らはグルジェフ研究したり、インドで修行したりも
していましたから。。。
評論家の意見が物を言う世界では、なかなか
大変なのでしょうけれど、頑張って欲しいですね。
観るほうの私達も、もっと自分の感性を磨いて、
自分の感覚に自信が持てるようにもなりたいですね。
評論家の意見に左右されることなく、
自分の感性を信じられるように。。。
そういった真の芸術家達の作品は、評論家ではなく、
その世界を真に愛する一般の人達からは、実は
密かに絶賛されていたりもするのですから。。。
歌や踊り、そして絵も。。。
真の芸術というものは、その人のエゴではなく、
その人の内なる神。。。
内なる宇宙と繋がっているものだと、
私は思っているのです。
この日記を読んで、なんだか解ってしまった。。。
なぜ私が、最近のボイトレのレッスンに行くのが、
すごくおっくうなのか。。。
様々な歌い方をマスターして、そしてそのあとに、自分にあった
歌い方を選ぶ。。。
どうせやるなら、いろんなことが出来るようになるほうがいい。。。
こういう考え方って、私ではない「他の人」の考え方なのですね、きっと。
これが悪いとか間違っているとか言っているのではないのですが、
それは、「私の考え方」ではないのです。。。
そして私がそれをやると、逆効果になってしまうのだ。。。ということが、
すごい解ったような気がします。。。
これは、ベリーダンスに対しても言えること。。。
ベリーダンスのクラス、、、
いろいろと事情があって、少し減らしてしまっていたのですが、
どうにかやりくりして、また復活させたい。。。と、焦っていました。。。
でもそういうことか。。。と、納得しました。
私が焦っていたのは、自分の踊り上達云々ではなく、、、
先生の気持ちを、先に考えてしまっていたからだったんですね。。。
「さぁ、これから。。。」という熱意を燃やしている彼女の
気持ちに答えてあげられないことに対する焦りだったのです。
そこを、考えすぎてしまっていたのです。。。
そして、実はエジプシャン系があまり好きではない私は、、、
わざわざエジプシャンを学ぼうとしなくても、もういいんだな。。。と。
自分に合わない。。。というか、踊っていてあまり楽しくないジャンルは、
これからはもう、わざわざやらなくてもいい。。。
・・・ということで、今後もしまた、レッスンを増やせるとしたら、
踊っていて楽しいベリネシアンのクラスを増やせばいいのかもしれません。
それを教えるために、、、
いろんな流れが起きていたのかもしれません。。。
これからはもう、つまらないことはやらない。。。
楽しい!と思ったことしかやらない。
つまらないことを一生懸命頑張る。。。という経験は、、、
これまでの人生の中でもう、十分体験してきたから。。。
・・・というわけで、もう歌ってて面白くない歌の練習は
やらないことにします。
プロになるわけではないのだから、、、
あまり人の意見に左右されなくてもいいのかな。。。って思います。
もうそういうことは、これまで散々やってきたから。
相手のためを考えすぎて、自分の光がくすんでしまうようなやり方は、、、
これからはもう、選択しないようにしないとね。。。
このあたり、、、
私のカルマだということは気づいていたけど、、、
相変わらずまだ、完全に超えられていませんでした。
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