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私の想像する夢の世界

 17,2006 00:56
 共時性を体験することが多くなるにつれ、肯定的な態度を保つことは
 ますます大切になる。これはいくら強調してもしすぎることはない。
 内なる神のエネルギーとつながり、自らの真実を発見し、常に自分にとって
 何が問題なのか心にとめるようになると、共時性の流れが加速され、
 解決するのも容易になってゆく。<中略>
 否定的な出来事の中にポジティブな意味を探すことは、いくら言っても
 言い足りないほど、重要なことである。

 ~聖なるヴィジョン(ジェームス・レッドフィールド/角川文庫)~

 

 ある人が「この世での経験や生活にリアリティを欠く感覚がある。」と
 おっしゃっていました。この方は、ご自分の生活がきわめて困窮し
 危機的状態であるのに、心が安らかだともおっしゃっていました。

 私は時々ふと、この世は「本当の私」が見ている夢なのではないか。。と
 思う事があります。でも、「夢の登場人物としての私」にとっては、
 今のこの世は現実です。。

 本当の私が創造(想像かな?)した夢の世界で起こる出来事は、
 どちらの私にとっても、とても意味があるものと感じるし、私はその意味を
 探しながら「今」を生きています。

 もし、この世が私の創造した夢の世界だとしたら。。

 いくらこの夢の世界の中を探しまわってみても、本当の私のいる場所。。
 つまり「この世界を夢として見ている私という存在」を見つけることは
 できないでしょう。。

 でも、一旦この私の存在に気づくと、時としてこの世に対して
 リアリティを欠いたりすることもあるかもしれません。またその私の位置から、
 「登場人物としての私」に起こっている出来事を見ることが出きるようになるので、
 この世界でどんなにたいへんな状況になっても、安らかでいられるのかもしれません。。

 「夢をみている本当の私」に視点をあわせれば、この世界の自分も、
 そして自分以外の誰かも、結局は自分が想像した同じ夢の中の登場人物。。
 目が覚めた時には、私の体験も、誰かの体験もそれぞれの思いも、
 すべてが私の中で起こる出来事だったことに気づく。。

 でも、「夢の登場人物としての私」の位置に視点を合わせ立ってみると、
 その私にとっては、ここが現実。。すべてが私と感じるどころか、
 自分と他人はどうしても別物にしか感じられないですよね。。

 でも、それは夢の登場人物なのだから。。
 言いかたをかえれば「人間」なのだから当たり前かな?とも思います。

 なので、この現実世界のシステムを、夢の世界の中だけの法則にのっとって
 把握したい。。という欲求も自然であるし、この世界の中で、もがく事も
 また楽しいかも。。なんて思いました。。。

 また、この幻想の世界の中に宗教や哲学、そして科学や物理などが存在するのも、
 決して無意味ではなく、それらをうまく利用することで、「夢を見ている私」の
 意識までも一緒に進化させることができるからなのかな。。。とも思うのです。

 そんなことをつらつらと考えていたら、もうひとりの私の位置に視点を合わせれば、
 心は余計なことで苦しまなくてすむようになるし、穏やかでいられるけれど、
 でもだからと言って、今のこの現実世界で起きる現象をただの夢物語として
 適当に扱ってもダメなのだなぁ。。なんて。。

 自分が創造(想像)した夢の世界を思いきり満喫し、目覚めた時
 「あ~楽しい夢だった。」と思えるようにするためにも。。

 明晰夢を見るときのように、夢のなかで夢と気づけば、その夢をうまく
 コントロールしていけるかもしれませんね。夢を創造する私も、登場人物の私も、
 同時に存在していて、それは同一人物であるけれど、別人で。。

 矛盾しているけど、矛盾していない。。
 なんだか解るような解らないような不思議な感じなのですが(汗)

 人間が、本来の自分の居場所を思い出し、なおかつ人間として自分の生を
 心からありがたく感じ、感謝して受け入れることができた時、
 世界は変わるかも。。なんて思います。

 あっ、もしかしたら夢を見ている私がいるところもまた、さらに高次元の私が
 見ている夢だったりして。。。頭グルグルしますね(笑)

 思うこと、徒然に。。

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