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洞窟のなかの心・序文より

 02,2013 09:27
 
洞窟のなかの心洞窟のなかの心
(2012/08/02)
デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ

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 この本については、いろいろと書きたいことが山ほどあるのですが、
 いざ書こうと思うと、何をどう書いていいのか解らずに、今に
 至ってしまっています。

 とりあえず、、、
 この本の「序文」の部分を一部抜粋して、まずは内容紹介から
 始めてみようかな。。。なんて思います。


 人間はつねに自分の解決できる問題だけを提示したがるものである。
 したがってより詳しく観察してみると、問いそのものが、その解決の
 物質的諸条件がすでにそろっているか、あるいは少なくともそれが
 形成されつつある場合にのみ発生する、ということがかならず見られる
 (カール・マルクス 『経済学批判』序言、1859年)


 本書の出版は、後期旧石器時代の芸術調査に費やされた二十世紀の百年間の終わりと、新しい世紀の幕開けを記念するものとなるだろう。1902年、当時フランスやスペインの洞窟でなされた発見の正当性につよい疑念を表明していたフランスの影響力ある考古学者、エミール・カルタイヤックが自らの主張を翻し、かの有名な『懐疑論者の懺悔』を出版した。当時、不完全ながらも広く浸透していた、後期旧石器時代の先史人類には芸術創造の能力など認められないという懐疑主義は、このカイタイヤックの改心によってすぐさま崩れ去った。こうして、後期旧石器時代の芸術をめぐる探求は、たちまちにしてれっきとした研究分野となり、新しい学問の共同体が誕生したのである。

 カルタイヤックの改心から一世紀を経た今、私たちはいったいどれほどのことを知りえただろうか?後期旧石器時代芸術の実態をめぐる私たちの知識量は、たしかにとてつもなく増大した。大地の下に潜む遺跡に関しても、地上に遺された遺跡に関しても、私たちは以前よりずっと多くを知っている。それにほとんどの有名な遺跡については、詳細なイメージのリストが存在する。多くの洞窟では考古学的な調査がされていて、それぞれのイメージの正確なありかを示す地図も作成された。それらの多くは、年代も特定されている。美しい動産芸術(ポータブル・アート)の、莫大なコレクションを私たちは保管しているし、洞窟も岩のシェルターも、注意深く発掘されてきた。古代のイメージの作り手たちの使った、いくつかの絵具の成分までわかっている。

 だが、これだけの情報量があるにもかかわらず、その時代の人々が、フランスやスペインの、光の入らない鍾乳洞の奥深くに潜り込んでイメージを描いたのはどうしてなのか、また彼らが、その近くの日当たりのよい場所でも石や骨や騎馬や角の小片にイメージを刻んだのはなぜかという謎には、まだまだ接近できていないように思える。私たちはそうしたイメージが、作者や鑑賞者にとってどのような意味を持ちえていたのかを知らない。少なくとも、こういった重要な点についての合意はいまだになく、「私たちはいかにして今日のような人間になり、またその途上で芸術を創造するようになったのか?」という考古学上の大問題は、いまだに私達を悩ませている。

 研究者の大勢、とりわけフランスやスペインの研究者たちは、「理論の形成」がおこなわれる前に、できるだけ多くの「事実」を用意しておかなければならないと信じている。だが、それではいったいどの時点に達すれば、説明の作業をはじめるのに「十分な」データがそろったと判断してよいというのだろう?データの量が臨界量に達したとき、データは内部崩壊を起こし、自動的に編成されて、ある説明として再構成されるのだろうか?こういうことは、ありえそうにない。それとも、データの量ではなく、なんらかの決定的な情報---集積されたデータがぴったりと当てはまり、私たちに説得力のある説明をもたらすような、いまだ洞窟でなされていない並外れて鋭い観察---があるのだろうか?たぶん私たちもまた、聖杯探求の途上にあるのだろう。

 この序文のエピグラフにマルクスのあのような言葉を掲げたのは、いささか楽観的にすぎるように思われるかもしれない。たが、現地調査に明け暮れた一世紀は事実上、後期旧石器時代の芸術のほとんど---そのすべてではないとしても---について説得力のある、概説的な説明をおこなうのに「十分な」データと、そのための「物質的条件」を提供してくれたはずであり、またこうして集められたデータによって、今まで説明のつかなかったイメージ類の特徴や、それをめぐる不可解なコンテクストに解釈の端緒がひらかれたものと、私は信じている。今求められているのは、さらなるデータの蓄積ではなくて(もちろん、新しいデータの追加はいつでも歓迎される)、むしろ私たちがすでに知っている事柄についての、根本的な見直し作業なのである。

 今やどんな問いにも回答できるようになった、というのではない。そうではなくて、何かの説明をするために、かならずしもすべてに回答を与える必要はない、ということなのである。後期旧石器人は、なぜイメージをつくるようになったのか?あの漆黒の闇につつまれた洞窟の中で、秘められたイメージを描くように彼らを駆り立てたものは、いったい何だったのか?そうした疑問について、私たちは今や大まかな思考の見取り図を描くことができる。さらにこういった一般的な議論を超えて、洞窟内でのイメージの制作について、詳細な理解を得る地点まで進むこともできる。もちろん、解明しなければならない点がまだまだ多いことは、繰り返し注意しておきたい。本書は、想定される問いすべてに解決を与えようとするものではない。私の説明は、後期旧石器時代の芸術研究に決定的な指針を与え、論争に幕を下ろすことをめざしてはいない。逆に、私は各章ごとにわかりやすい表現を用いながら、新しい、さらなる探求上の問いかけを発信したいと考えている。

 今日の研究において不足しているのは、大量のデータの集積でもなければ、ジグソーパズルの欠落した重要な一片でもない。私たちがすでに持っているデータに新たな意味を与える方法こそが、必要とされているのである。方法論、つまり方法についての研究は、本書での必須の問題だ。ただしそれは、たとえば放射性炭素年代測定法、コンピュータ解析、イメージの正確な複製などの技術とは、別個のものと考えなければならない。ここで言う方法とは、研究者が自説の提示に至るまでの、議論のモードのことである。今日ではすべての研究者が、正確な年代測定等々の技術の必要性について合意を形成しているけれど、納得のいく結論にたどり着くためにはどのような議論の形式が好ましいかということについては、まるで合意は得られていない。その結果、後期旧石器時代の洞窟芸術の解説を試みる研究者の間で、コミュニケーションは減衰しつつある。多くの誤解があり、積み重なって、挙句の果てには罵詈雑言の嵐となる。こうしてみると、今日の研究者のほとんどが頑迷な不可知論者であるのも不思議はない。彼らは面倒な解説者の立場から我が身を遠ざけ、データの収集に集中したいのだろう。

 後期旧石器時代の芸術研究にみられる方法論の欠如は、優先事項の混乱という事態を招いている。私たちは他の疑問点を検証する前に、まずどの疑問に回答を出さなければならないのかということについて、はっきりとした考えを抱く必要がある。そして、どのような問いかけ---それが興味を惹くものであっても---が説明の展開を遅らせることなく取り置かれるべきか、ということを判断しなければならない。これこそ私が本書で試みたことで、つまり数多くの議論が埋没した暗礁を回りこんで航行し、回答を与えることのできる重要な問いの騎士へと移行するということである。

 <中略>

 私の思索にとって、後期旧石器時代に創造された西ヨーロッパの地下芸術ほど、考古学的な謎を感じさせるものはない。狭く閉ざされ、完全な闇につつまれた地下通路を一キロ以上も這いつくばって進み、ぬかるんだ起伏で足を滑らせながら暗がりの湖や隠された河へと歩みを進めた者は、その危険きわまりない旅の最後に、今や絶滅した毛深いマンモスや、堂々たるこぶを持つ野牛(バイソン)の絵画に遭遇する。それを観た者の意識は、もはや後戻りのできない変容を体験するだろう。全身泥まみれになって、へとへとに疲れ果てながらも、洞窟の探求者はそこで、人間の心のなかに果てしなく広がる<未知の大陸(テラ・インコグニタ)>に驚異の眼を見張ることになるのである。



 まず最初の、マルクスの言葉。。。
 本当に、鋭いな。と思ってしまいます。

 歴史に名を残す人というのは、その視線を向ける場所。。。
 見ているところ、「ものの見方」。。。

 ・・・が、一味違うのですよね。やはり。。。

 ですので、そのマルクスの言葉を、自分の本の冒頭に持ってきた
 このルイス=ウィリアムズさんという人に、私はとても興味がわいたのです。


 先史時代の人が、なぜ壁画を描き始めたのか。。。

 ・・・ということに関しては、私も非常に興味があって、それについて
 知りたい!という気持ちはもちろんあるのですが、その反面、それは、
 私たちがその時代にタイムトラベルでもして、その時代にそこに
 生きた人達に直接話を聞かない限りは、解るはずがないだろうという、
 そんな冷めた気持ちを持っていたりもするのです。

 たとえば、、、
 アカシックにアクセスすれば解るのではないか。。。という意見も、
 もしかしたらあるのかもしれませんが、多分そのアカシックですら
 「流動的」なのだな。。。と、私は、ある時から思うようになりました。

 最初から決められているものはおそらく、「大筋」だけなのでしょうから。
 その大筋のポイント、ポイントに至るまでの過程は、「自由意思」によって、
 いろいろ変更することが可能だと思っています。

 ですので、先史時代の人達の「動機」というものも、いくらでも
 変更可能だと、私はそう感じています。
 今からでも。。。
 
 それが、現在によって過去も書き換えられる。。。ということ。


 ルイス=ウィリアムズさんがこの本を出版されたのは、もう10年くらい
 前なのだそうが、彼は欧米ではそこそこ人気があり、彼のこの考えを
 受け入れる人も多いようです。
 また、今でもいろいろと本を出されているようです。

 ですので、欧米人のジェネティック・マインドには、かなり前から、
 こういった考え方が、だいぶ浸透していたりするのではないのかな。
 なんて、想像したりします。

 日本では、この本が翻訳されて出版されたのが昨年でしたから、
 民族的なジェネティック・マインドで考えると、日本人の意識には
 まだそれほど浸透していないのだろうな。と、そんなことを
 考えたりもしました。
 
 しかし現在は、なんだかんだといっても欧米の影響力は大きく、
 その欧米的な「ものの見方」が世界中に広がっていく、、、という「形」が
 出来上がっていますし、ですから、科学、芸術、精神世界などに関しても、
 あちらで発祥したものが、のちにこちらに流れてきて影響を受ける。。。
 という流れには、逆らえないだろうと思っています。

 逆らう気もありませんけど。

 それが、ファーストソースの意思だと思っているから。

 
 特に古い世代になればなるほど、「日本人魂が~!!」って嘆く人、
 抵抗する人もたくさんいると思いますし、「海外には負けてられない!」って
 ライバル心を燃やす人ももちろんいると思いますが。。。

 結局、人類はみな兄弟。。。
 
 どこの国が後か先かとか、他国には負けたくない!とか、、、
 そういうことにこだわっていることに、私はあまり意味を感じないのです。

 その国の個性を活かしつつも、それは全体としての一部なのだという
 見方。。。

 そして、その全体で一つの大きな物語を作っているのだという見方。。。

 そんな中、日本の個性は?日本ってどんなことをするとその個性を
 発揮できるの?と、そんなことを考える方が、私は好きです。

 そして、そうやって考えていると、日本は、自分の意見というものを
 頑として主張するという役割を、あまり持っていないような気もしてね。

 なんか、もっと違う役割を持っていそう。

 個人的には、、、
 あちらで最初に外に押し出してくれたものを、もっと洗練させていく。。。
 みたいな、そんなことができそうな気がしていたりもします。


 自分は全体の一部なのだという自覚を持ち、その一部として出来る
 精一杯のことをして、全体に、つまりは「自分自身」へと奉仕する。。。


 あぁ。。。
 なんだか、洞窟壁画の話からは、どんどんずれていきますが(苦笑)


 たとえば、仲良しグループが3人くらいで一緒に話していたとして、
 誰かひとりが、「ケーキが食べたい。」というと、「え!私も今
 ちょうど食べたかったんだよ。」「え!私も!」って。。。

 みんなが同時に同じことを考えていた。。。ということが、時々
 あるかと思うのですが、そういう時って、誰かの思いを誰かがキャッチし、
 それを自分の思いのように感じている時なのだと思います。

 そして、その中の誰かが、一番最初に「ケーキが食べたい」と、
 それを外側に表明する。その人がその役を担ったのですよね。

 そしてみんながそれに同意して、、、
 「あのお店が美味しいよ。」とか「そこに行くにはこの道が一番近いよ。」
 とか、いろんな人がそれぞれの役割を担って、そして最後は、
 全員めでたく、一緒にケーキを食べることができました。。。みたいなね。


 人類全体も。。。
 そういう風に出来ているのだろうな。。。と感じています。


 人気が出るもの、、、というのは、その時点での人類全体の意識を
 反映させているものなのだと、私は感じていたりします。

 もし、ルイスさんの本がとても人気があるのだというのであれば、、、
 それは、これが現在の人類全体の思いの反映なのだろうな。。。と、
 私は思うのです。

 彼は全体の思いを、外側に発信する役割を、たまたま持っていた人
 なのかもしれないな。。。ってね。。。


 そんなことを思いながらこの本を読んでいると、、、

 「あぁ、今の私たちって、こういう世界を創造したいと思っているのかな。。。」

 なんて気持ちになってくるのです。

 そしてこの本のなかには、様々な歴史のお話なども出てきたりしますので、
 そこに、人類の意識の変化のようなものも見て取れて、、、
 だから、面白いのです。  

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