スポンサーサイト

 --,-- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

感覚遮断体験と脳の配線

 12,2013 11:31
 もう何年も前ですが、真っ暗闇の中で行う瞑想というものを体験したことが
 ありました。

 本当に真っ暗でまったく何も見えない中、ただ音楽だけが流れていて、
 そういった環境の中で、座っていてもいいし、寝ころがっていてもいいし、
 ダンスをしていてもいい。。。という、そんな瞑想でした。

 私は最初、その瞑想を甘く見ていたのですが、実際に体験してみたら、
 「あんな恐ろしいことは、もう二度と体験したくない。」と、そう思いました(苦笑)

 暗闇の瞑想を始めたばかりの段階ではいいのです。まだ余裕なのです。
 でもしばらくすると、息苦しくなってくるというか、変な恐怖感のようなものが
 生まれてきて、それにとりつかれそうになってきたのです。

 理性でそれを鎮めようとしても、全然ダメで、そのうち気持ちが悪くなって
 きたりもしました。

 「どうしよう。リタイアしないとまずいかな。」

 ・・・と、プチパニック状態でしばらく考えていると、それまで流れていた
 恐怖感をあおるような感じの音楽が、突然気持ちのやすらぐような
 ヒーリングサウンドのようなものに切り替わったのです。

 その時、本当にホッとしたと同時に、急にハッキリとしたヴィジョンが
 まわりに見え始めました。

 あたり一面のお花畑、そして気持ちのよいそよ風まで感じるような。

 今までの気分の悪さは一瞬にして消え去り、その時私は思っていました。

 「あぁ、やっぱり、すべては自分の意識が創りだしているのだな。。。」と。。。


 こういった体験をしたことがあったのですが、『洞窟のなかの心』の本の中には
 こんな面白いお話が書かれていました。


 
洞窟のなかの心洞窟のなかの心
(2012/08/02)
デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ

商品詳細を見る



 覚醒の状態から眠りへと移っていく意識のスペクトルは以上のようなものである。
 ここで私たちは、同じスペクトルを経るものの、かなり異なった効果をともなう、
 もう一つの別の意識の推移を考察しなければならない。私はこれを、
 「強度に満ちた意識の軌道」と呼ぶ。

 これは、内への方向性と空想により深く関与するものである。
 夢のような自閉的な状態は、通常の眠りへの移行とは別に、さまざまな方法によって
 引き起こされることもある。

 その方法の一つは感覚遮断であり、その間、外界の刺激が減少させられることによって、
 内なるイメージが「解放」される。ごく普通の被験者であれば、音の遮断された
 真っ暗な状態にひとりでおかれると、二、三時間で幻覚を見はじめる。

 彼らは、マーティンデイルが「刺激渇望」と呼ぶ経験もする。極小の、
 もっとも些細な刺激でさえも渇望し、そこにひたすら注意を向けるのである。

 感覚遮断は、東洋の数多くの瞑想技法と部分的に比較することもできるだろう。
 瞑想者は、できる限りまわりの環境への感覚を遮断して、ただひとつの焦点に
 意識を集中する。

 こうした焦点は、繰り返される呪文(マントラ)であったり視覚的な
 シンボルであったりする。そして、延々と続くドラムのような音による
 心理的な駆り立てや断続的に明滅する閃光のような視覚的な刺激、
 ダルヴィーシュ(訳注:イスラーム神秘主義の修行者)にみられるような
 持続的なリズムを刻むダンスもまた、似たような効果を神経システムにおよぼす。

 内部に生じたイメージを強度に満ちた意識の軌道にそって解放させる意識の移行の
 方法として、疲労、苦痛、断食、そしてもちろん向精神性物質
 (訳注:脳内で作用する伝達物質)の摂取にも言及する必要があるだろう。

 最後に統合失調症や側頭葉癲癇のような病的な状態があるが、これらは意識を
 強度に満ちた意識の軌道へと連れ出してしまう。つまり幻覚は、向精神性物質の
 摂取のように意図して求められることもあるし、今述べた誘発要因のように、
 自ら求めていないのに引き起こされる場合もある。



 今まで、ヴィジョン体験のようなものをいろいろと経験してきましたが、
 実際に体験すると、それはあまりにもリアルで、それが「幻」だとは
 とても思えないものです。

 あれだけ鮮明に見えればそれが、自分の前世なのだと信じたり、神や
 異次元生物だと信じこんでしまう気持ちは、私も理解できます。

 私自身、ちょうど魔女やヒルデガルトにとても関心を持っていた頃は、
 その世界にすっかりはまり込んでいたこともありましたから。

 瞑想会や、スピリチュアル的なワークショップにいろいろと通った
 こともありました。

 真剣に、魔女修行をしようと思ったこともありました。

 けれども、そういった時でもなぜかどこかで私はずっと、「物足りなさ」を感じ続け、、、
 でもその「物足りなさ」を、ウイングメーカーには全く感じることがなかったので、
 私はここを、自分のホームにしようとある時決めたわけなのですが。。。

 あの「物足りなさ」の「原因」が何だったのかということに関しては、
 最近になってやっと、頭でハッキリ解ってきたような気がしています。

 やっぱり、思考はハートに遅れる。。。
 遅れること、約2年。。。


 自分の中のこの懐疑的な部分が良くも悪くも、自分自身に
 そのヴィジョンを、そのまま現実だとして受け止めることにブレーキをかけます。

 そして見えたものが一体何だったのか、なぜそんなものが見えるのか、、、
 という意味での「なぜ?」を、私は探究したくなるのです。

 私がしたかったのは、「探求」ではなくて「探究」だったわけで。

 そういった私の「なぜ?」に、この本は少し答えてくれていて、、、
 ですから今後も、人間の脳や神経システム、意識についてはどんどん
 探究していきたいなと思っています。


 もう少し抜粋を。。。


 これまで説明してきたすべての心的状態が、人間の神経システムによって
 生理学的に生み出されるものだ、ということを記しておく必要がある。

 このような状態は、まさに人間であることの重要な部分をなしている。
 そうした神経生理学的なシステムは、脳に「配線」されているのである。

 同時に、意識変容状態のなかで私たちが経験する心的なイメージは、
 (これから見るように、完全ではないが)圧倒的に記憶から発するものであり、
 それゆえその文化に特有のものだと言える。



 ハンコックさんの場合、そこで見えたものを素直にそのまま「存在」として
 受けとめていましたね。。。

 私はどちらかというと、ルイス=ウィリアムズさんの考え方のほうが
 共感できて、こちらの物の見方のほうが好きです。

 ルイスさんは、「圧倒的に記憶から発する」とおっしゃっていますが、
 私もそう思っています。

 しかし、それだけでもないと思います。

 人類全体の深い部分にある意識、ウイングメーカー的に言えば、
 ジェネティック・マインド。

 そのあたりも、見えてくるヴィジョンに影響を与えているのだろうなと、
 今のところはそんな風に感じていたりします。


 m51.jpg

Comment - 0

Latest Posts - -

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。