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悲劇

 10,2011 12:42
 以前、オペラには悲劇が多い。。。と書きましたが、それはなぜなのだろう?
 と気になったので、ちょっと調べてみました。

 ルネサンス後期の16世紀末にイタリアのフィレンツェで起こった、
 「古代ギリシャの演劇を復興させよう」という思いがオペラ誕生の
 キッカケになっているようでした。

 なんでそんなこと思いついたのでしょうね?
 
 そういうことに思いを巡らすのはまた違う機会にしますが、、、
 そもそもこの「古代ギリシャの演劇」というものが、どうやら
 「悲劇」だったようなのです。。。

 ではその「ギリシャ悲劇」とは一体どういうものだったのか?と
 調べてみたところ。。。


 ギリシア悲劇


 Wikiによればそれは、「古代ギリシアで、アテナイのディオニュシア祭で
 上演されていた悲劇またそれに範を取った劇」となっていました。

 ディオニュシア祭??

 ・・・とまた気になったのでさらに調べると。。。


 ディオニューシア祭


 ディオニューシア祭とは、神ディオニューソスを祝して古代アテナイで
 催された大祭である。
 主要な催しは悲劇の上演であるが、紀元前487年以降は喜劇も演じられた。
 これはパンアテナイア祭に次いで重要な祭だった。

 ディオニューシア祭は地方のディオニューシア祭と市のディオニューシア祭
 という二つの関連する祭から成り、年中各地で行われたが、これらは
 ディオニューソスの秘技の一端を担うものであった。



 ・・・と、話が私の好きな方向に展開していきました。。。(笑)

 おそらくあの、エレウシス密儀やディオニュソス密儀のような
 ものにも関係しているのかもしれないですね。。。


 しかしどうして、「悲劇」が重要だったのでしょう?


 悲劇とは 


 なお、まれに悲劇のうちには「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)に
 よって事件が解決される筋をもつものもある。



 ここがひっかかりました。

 「デウス・エクス・マキナ」とは、ラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」を
 意味するのだそうで、これもWikiによると、、、


 由来はギリシア語の ἀπό μηχανῆς θεός
  (apo mekhanes theos) からのラテン語訳で、古代ギリシアの
 演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な
 局面に陥った時、絶対的な力を持つ神が現れ、混乱した状況に解決を
 下して物語を収束させるという手法を指した。
 悲劇にしばしば登場し、特に盛期以降の悲劇で多く用いられる。



 昔の人が悲劇を好んだのは、、、
 簡単に言ってしまえば、そういう時代だったからなのでしょう。

 紀元前6世紀頃のギリシャの世界観というものは、こんな感じ
 だったようです。

 「人間というものは、人間に対して決して好意的ではないゼウスや
  運命の女神などによってもてあそばれながらも、現世利益を
  求めながら生きる。
  そして、死後は冥界でみじめに暮らす」

 ・・・と。。。

 こういった物の見方は、ホメロスなどによって描かれた物語の中に
 出てくる、オリンポスの宗教の中に見て取れるようです。

 どうしてこう、、、
 後ろ向きというか、自虐的というか、悲観的というか。。。
 そんな感じの物の見方をするようになってしまったのでしょうね。。。
 当時の人達は。。。

 その頃の、人々の暮らしはどうだったのか。。。
 自然災害とか圧政などに苦しんでいたりしたのではないか。。。とか。。。

 いろいろ想像してしまいます。


 けれどもそのうち、こういった物の見方をしていたギリシャ人達は、
 例えばシャーマニズムとか、オリエントの神秘主義的な世界観を
 引き継いだような、そういった「霊的なもの」を積極的に求めるように
 なっていったそうです。。。

 自然の流れですよねぇ、、、こういうのは。
 厳しい親にガチガチに管理された子供は、自由への欲求が
 強くなるものですものね。

 やっぱり、、、
 ただ単に神にもてあそばれるだけの世界では、やっていられなかった
 のでしょう。。。

 そのようにして起きた宗教・思想運動の先に登場したのが、
 プラトンに代表されるギリシャ哲学なのだそうです。。。

 そのプラトンでさえ、最初は悲劇詩人を目指していたそうですから、
 なんだか、そういう悲壮感漂うギリシャ人的な物の見方があった
 上での、そこからなんとかして自由になりたいという思いから
 生まれてきたものが、ギリシャ哲学なのかもしれませんね。。。


 こういった、なんだか後ろ向きというか、自暴自棄というか、、、
 ちょっと根暗な物の見方から生まれたギリシャ悲劇を、、、
 なぜ16世紀のイタリア人達は、復活させたくなったのでしょう。。。

 今度は、その頃のイタリアの事情についてもいろいろ調べたくなりますが、、、
 それはまた、今度にします。。。

 
 さて。。。
 現代は、どうなのでしょう?

 今の人も、未だに悲劇を好むのでしょうか?

 そういう傾向は、、、
 やっぱりまだちょっとあるような気もしなくもないですが。。。

 でも私は、、、悲劇に酔うことはあまり好きではないです。。。
 自分を悲劇のヒロインにして、身の上の不幸を熱く語って
 周りの同情をひこうとするのはイヤだし、、、
 神様に救ってもらう物語も好きじゃない。。。

 不幸になる物語は、胸が苦しくなるからやってられない。

 途中どんなに困難があってもその試練を乗り越え、そして
 最後はハッピーエンドで終わる物語が好きです。。。 


 私達人類は。。。
 苦悩は今までにもう散々経験してきたのだから、、、

 いつまでもそこに留まっていないで、これからはもう、
 そういうところからは卒業して、もっと違うことを
 体験していきたい。。。

 もっとポジティヴに。。。

 そう感じていたりします。。。


 私が感動して涙涙で見る物語は。。。
 悲劇ではなくてやっぱり、人間の、愛の物語なのですよねぇ。。。

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