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ドビュッシー、音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで

 08,2012 17:14
 先日、ブリヂストン美術館に行ってきました。

 観てきたのは、こちらです。 


 ドビュッシー 、音楽と美術 ー印象派と象徴派のあいだで


 201301161711522a1.png


 クロード・アシル・ドビュッシー(1862-1918)は、19世紀末から
 20世紀初頭にかけて活躍したフランスを代表する音楽家です。

 その作品は、伝統的な楽式・和声を超えて、自由な音の響きを重視した
 感覚的な印象を表現する革新性によって知られています。
 
 音楽史上でドビュッシーを最初に「印象派」と呼んだのは、1888年末の
 フランスの音楽アカデミーでした。ドビュッシーの2番目のローマ留学作品を
 おとしめることが目的だったようです。

 かならずしも美術史上の印象派との関連からそう呼んだのではなく、
 アカデミックな伝統的手法を無視した作曲態度を非難するためだったのです。
 印象派の画家たちにとってはむしろ名誉なことだったでしょう。
 
 現在の音楽史の通説では、ドビュッシーは象徴派に位置しています。

 歴史的な流れからすれば、美術の場合も音楽の場合も、印象派のつぎに
 登場するのは象徴派です。印象主義によって写実主義が完成したと考えるならば、
 その後を行く前衛芸術は反写実主義を標榜せざるをえません。

 象徴主義はその急先鋒のひとつです。しかし、印象派の代表者モネの例に
 みられるように、印象主義を究極的な地点にまで追求すると象徴的な表現に
 到達します。

 つまり、印象派と象徴派とは、反発する面と通底する面があるのです。
 画家のワシリー・カンディンスキーは、ドビュッシーについて、
 つぎのように記しています。


 「ドビュッシーのように最も現代的な音楽家たちは、おおむね自然から
  印象を借り出してきて、それを純粋に音楽的な形式をとった精神的
  イメージに変容させる。そのためドビュッシーは往々にして印象派の
  画家たちと比較された。

  印象派の画家と同じ方法で、彼は自然を自由に翻案して、極めて個性的な
  曲を作る、と主張されているのだから。しかし、この定義だけでドビュッシーの
  重要性を説明できると言い張るのは無理があろう。

  印象派とのこのように共通点があるものの、彼は心の内側にあるものと
  切に向き合ったのであって、そのため、作品の中には、現代人の魂の
  ひび割れた音、そのあらゆる苦悩と神経の慄きの音をすぐさま聴きとる
  ことができる。」

  ~カンディンスキー『芸術における精神的なもの』1912年より~


 (以上、美術展サイトより転載)



 ドビュッシーに所縁のある芸術家の作品が一堂に会していましたが、
 その中でも、私が観たかったのは、モーリス・ドニの作品でした。

 以前、都内で開かれたモーリス・ドニ展を観に行って以来、私は彼の絵の
 ファンになり、そのドニの『ミューズたち』という絵も観られるということでしたので、
 それを観るのが、今回の目的のひとつでもありました。


 20130111164026e8e.jpg


 これは、思っていたよりも大きい絵でした。

 ドニは、ゴーギャン(最近ではゴーガンって書かれること多いですね)に
 影響を受けた画家なのだそうですが、ゴッホファンの私としては、
 ゴーギャンに対してはいろいろと複雑な思いを抱えていたりするのも
 正直なところで。。。(苦笑)

 でも、そのゴーギャンの影響を受けたドニの絵が大好き。。。というのも、
 なんとも不思議なことだなぁ。。。なんて思ったりもします。


 ドニの他にも、アンリ・ルロールやエドワード・バーン=ジョーンズなどの
 素敵な絵がありましたが、それはまた時間がある時に記事にしたいと
 思います。

 あと、モネやルノワールもありました。

 モネの絵って、やっぱり生で観ると違いますね。。。

 絵は、モネに限らずみんなそうなのですが、でも特にモネの絵って、
 写真で観ると、そのすごさはほとんど解らなくなってしまうものだなぁ。。。と、
 家で図録を見ていたら、しみじみ思いました。

 実際に観た絵とは、そこにある「光」がやっぱり全然違うのです。。。


 ドビュッシーと言えば、私はまず『牧神の午後への前奏曲』が浮かんで
 しまいますが、それをバレエ化したニジンスキーの写真の模写なども
 展示されていました。


 20080605143857_20130116171956.jpg
  (この写真はなかったです)


 以前、テレビの音楽番組で観たことがあるのですが、、、

 牧神の午後への前奏曲の主題には、「悪魔の音程」(diabolus in musica)と
 いうものが使われているのだそうです。これは、非常に音程をとりづらい音の幅を
 使うことのようなのですが、それによって、つかみどころのない、
 曖昧な感じのする世界を表現することが出来るのだとか。。。

 ちなみに、この曲の中で使われているその音階は、ド♯とソなのだそうです。

 それをフルートという楽器を使って演奏することによって、
 さらにその惑う感じを強調することができるのだそうです。。。

 フルートでド♯を出そうとすると、どうしても音が不安定に
 なってしまうのだそうですが、ドビュッシーはそれも意図的に
 効果的に使ったらしいと。。。そんな風に言われているのだそうです。


 ドビュッシーはサティと共に、かなり「怪しい」作曲家ですから(笑)

 音の魔術に関しても、詳しかったのではないのかな。。。なんて。。。
 つい、そんな憶測をしてしまいますね。。。

 

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