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我の強さって?

 05,2013 18:31
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 私がいろいろと深刻に考えるようになったキッカケは、母のこの一言です。

 「あんたは我が強い。だから大変なのよ。」

 ・・・と。

 ちょうど高校に入った頃でした。


 当時の母の心の中に、いろいろと辛かったり苦しかったりしたことが
 あったのは解っています。
 そんな母はある時、怪しい新興宗教にはまりそうになりましたが、
 父に引き戻され、我が家が破産してしまうという大惨事はなんとか免れました。

 でも今度は、仏教関連の本を何冊も出版していたある仏教学者の先生に出会い、
 母は次第に、その先生に傾倒し始めていきました。

 我が強い…なんてね、それまでの母がそんな言葉を使ったことなんてなかったので、
 今にして思えば、それは明らかに仏教の影響なのですが、当時の母は、
 私にはそういう裏事情は一切秘密にしていた人でしたので、いきなり母に
 我が強いなんて断言されてしまった私は、まるで自分の人格を全否定されている
 ように感じて、すごいショックでした。

 その頃からです。。。
 それまで大好きだった母のことを、嫌いになり始めたのは。。。


 私の通っていた高校は週に1時間、チャペルでの礼拝の時間があり、
 そこでは、聖書の一部を朗読させられ、そして道徳的な話を毎回聞かされ、、、
 年に数回は特別礼拝などもあり、招かれたキリスト教関係者の人達の
 話もいろいろと聞かされました。

 その内容は、ほとんど覚えていません。
 いつも、寝てたから。 

 聖書の授業もありました。

 聖書の授業では主に、『新約聖書』を学んでいましたが、そこで私は
 大いなる疑問を持ちました。

 聖書の内容に疑問を持ち、レポートに「どうしてそうなるのか解らない。」と、
 率直に自分の感想を書くと、成績はひどく悪いものになりました。

 でも、聖書からの引用だけをただダラダラと書き写し、「ここは素晴らしいと
 思います。」と一言「嘘」を添えると、成績はものすごく良いものになりました。


 母のことといい、学校のことといい、当時の私は疑問だらけでした。


 先日の日記で書いた、仏陀を目指していたAさんは、、、
 有名なインド系マスターの弟子でした。

 Aさんのそのマスターへの傾倒ぶりを見ていた時、私はその人と母が
 だぶって見えていました。

 現にAさんに、私が母から我が強いと言われたという話をすると、
 Aさんの目はキラッと光って、こう言っていました。

 「お母さんに会って、お話してみたいな。」

 ・・・と。


 ベリーで出会ったあるお仲間の方は、、、
 一時期、「早起きの会」(朝起きの会?)というのに参加していたことが
 あったそうです。

 子育てで大変だった時期に、そういった子育てに関する情報を提供してくれる。。。
 という餌に釣られて、つい参加してしまったそうですが、途中で何か違和感を
 感じたので、やめることにしたそうです。

 子供は十人十色なのに、どうしてたったひとつの方法だけが
 正しいという事になるのか?

 そういう違和感だったって。

 でも、彼女がそこをやめると言った途端、それまでとても愛想よく
 仲良くしてくれていた人達が、挨拶すらもしてくれなくなったそうです。


 自分自身の意思をしっかり持つこと。。。

 これは決して悪いことではないのに、それをすると「我が強い」と、
 まるでそれが悪のように言われてしまうような世界は、私は大嫌い。

 それじゃまるで、操り人形。
 そのグループにいる人は、みんなが同じ人のコピーになってしまう。。。

 一番マズイのは、、、
 身内意識が強くなりすぎて、排他的になってしまうこと。

 でも、その中にいる時は、、、
 そのことには、なかなか気づけないものです。。。


 「唯一の正しいこと」を心底信じきっている人達から見たら、、、
 こういう私が、我が強いと映る。。。ということも、理解できます。。。

 でも、理解をする、、、ということは、時に辛いこともある。。。

 理解できずに相手を、、、自分と違うものを否定している時のほうが、
 よっぽど楽だということもあります。


 いつか誰かに、「あなたも我が強いね。」って言われたことがありました。。。
 でも私は、その人がいろいろ解った上で、わざとそう言っていたことは
 解っていました。

 同時にその人が反射的に、自分を守ろうとしていたことも。。。

 でも私はその時、その人のその言動の裏にある気持ちに全く気づかない
 ふりをしました。

 ・・・と同時に、その人の心の闇を感じていました。


 我が強い。。。と、一生懸命その我を否定すればするほど、、、
 逆効果になる。


 自分自身を知り尽くしてからでないと、、、
 エゴが完全に確立されたあとでないと、エゴは透明にはなれないから。



 ここで何度も書いてきたように、、、
 人は植物意識から動物意識に進化し、その先に、人間意識がある。。。

 そこに何の疑問も持たずに、ただただ先人の、親の敷いた路線の上を
 なぞるように歩くことは、一見素直で良いことのようだけれども、
 それをやっていても、全体としては全く進展しない。。。

 種から芽が出て、花が咲いて、また種を残す。。。
 この意識の一番の目的は、種の保存。。。

 「自分はこう思う」という、自分独自の世界観を築き上げる、、、
 分離の感覚を強く伴う動物意識は、、、
 時に争いなども引き起こし、、、だから一部の宗教的感覚からは、
 「堕落」のように映ってしまうのも解るけど、もっと大いなる目で見たら、
 決してそんなことはない。。。

 そこをステップとしないと、エゴと魂がシンクロする人間意識が
 目覚めないから。



 実は、、、
 先日のハフラの時に、その早起きの会?のお話をそのお友達から聞いた時から、、、
 こんなことを、なんとなく考えていたのでした。


 でも、、、ここでこんなことを書いてはいるけれども、、、
 私がこのことを本当に訴えたい人というのは、、、
 多分、母なのです。

 実際にそれをすることは、おそらくこの先も、ないでしょうけれども。


 ただね、母が生きている限り、、、
 時々、こうして何かをキッカケとして、こういった思いが急に
 浮かんできたりするのでしょう。。。

 そして、ブログに書き綴る。。。


 そして、、、

 何かの拍子にこれを読んだ人に、もしかしたら私の意図しないところで、
 何かが伝わっていくかもしれなくて。。。


 こうやって、ファーストソースは、全ての人を駒として、、、
 物語を展開させていくのです。。。 


 

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