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RAINBOW with the BLACK

 27,2006 13:41
 黙示録とは歴史の始まりのかなたにある。まったき言語以前の状態が、
 再び歴史の終局に出現することである。そこにはもはや時間が消滅して
 過去、現在、未来を包含した空間だけしか存在しなくなる瞬間であろう。
 それはゲーテが「ファウスト」のなかで述べた、あの暗い「母なる国」のように。

 「一切の時間性を排除した空間の連続としての動き」これがレクイエムの
 底辺に流れている思いである。つまり、時間と共に変化していく動きではなく、
 ただ内部から空間的にメタモルフォーゼしてゆく動き。

 ~ルジマトフとの出会い[ルジマトフ公演パンフレットより抜粋](笠井叡)~



 私はバレエが大好きなのですが、ファルフ・ルジマトフというロシアのダンサーが、
 世界に先駆けて、日本で新しい作品を披露するという事で、意気揚々と
 その舞台を観に行ったことがありました。

 それはモーツァルトのレクイエムに日本の舞踏家である笠井叡さんという方が
 振付けを行なった創作でした。

 
 でも…私がそこで観たものは見事なまでの「狂気の世界」でした。
 真っ暗な舞台で一筋のスポットライトを浴びて地を這うように踊る。。
 そして途中、笠井さんの作った詩の朗読が、ルジマトフによる
 ロシア語の低い声で、入る。。

 
 「時のクレヴァンスの中…息の結晶 光の風に………
  見なれた風景 あなたの肉であるかのよう…祈れ」

 
 私は彼の動きが止まり、音楽が消え、観客が拍手をしていても
 全く動けずにいました。

 休憩時間に入っても目の焦点が定まらないような、足が地についていないような。。
 フワフワした変な感じでした。

 モーツァルトが天から感じたものを譜面におこし、演奏家がその魂を感じて演奏し、
 振付師がそれを受け取り目に見える形に置き換え、ダンサーはそこから
 感じ取ったものを自分の肉体で表現しようとする。

 私はその根底に流れる魂の叫びを、自分の魂の部分で感じ取った気がして、
 しばらく呆然自失でした。

 
 舞踊は、身体を限界まで使って心に感じるものをいかに表現しようかと悩み、
 自分を極限まで追い詰めていくうちに気付くと崖っ淵に立ってしまう事があって。

 その高い高い崖っ淵に立ったとき、神の世界を垣間見てしまうことが
 あるような気がしています。そこで上を見るか下を見るかで、その後の
 舞踊人生がかわっていくのです。

 ルジマトフはきっと、もう何度も神の世界を垣間見て、そこに到達しようと
 上を向き、手をのばしているダンサーだと私は感じます。

 
 それはなぜかと言うと、私が彼の踊りから感じた「狂気」は、以前の
 全ては一つを感じた時に一緒に感じた恐怖に、似ていたような気がして
 ならないからです。

 表現が難しいのですが、あの感覚の真ん中にすっぽり入ってしまっている時は、
 本当に穏やかでホッとするような、「あぁ、帰ってきたんだ。」という気が
 するのですが(色で言えば虹色)、でもその一歩手前に、真っ暗な黒の部分を
 感じる場所がありました。

 怖かったのです。。
 
 私の場合は「気が狂ってしまう!」と感じましたが、今冷静にあの体験を
 分析してみると、あれは多分、「個」としての自分を失うことに対する
 恐怖だったように感じます。。

 そして、あの舞台で私が感じたものは、どちらかというとその恐怖の部分に
 近かったような気がするのです。。

 
 例えばバレエ界では、栄光を極め、伝説にまでなったニジンスキーという
 ダンサーは、最終的には精神を病んでしまいました。それから有名な話では
 ゴッホが耳を切ってしまったり、アインシュタインはADHD
 (注意欠格多動障害)だった?とか、小説家で自殺する人がたくさんいたり。。。

 いろいろあげるとキリがないのですが、何かを極めようとした人達に
 こういった話が多いのはなぜ?と自分の体験を含めて考えるうちに、
 準備ができないうちに知ってしまうことには危険も伴うのかも?
 なんて考えるようになりました。

 
 私がうつの状態になっていた時は、本当に毎日毎日「死」を考えていました。
 とても苦しいので病院に行きたいのですが、どこかで病院に行ったら逆に
 ひどくなりそう。。と思う気持ちがあって結局は行けませんでした。

 でも多分、病院に行ったら間違いなく「うつ病ですね。はい、お薬です。」
 という事になっていただろうなぁ。。と思います。。

 
 ただ、苦しんでいる自分を冷静に眺めているもうひとりの自分の存在に気づき、
 そちらの意識のほうに同化してしまうことが日に日に多くなってきました。

 そのもうひとりの私は常に冷静だし、穏やかだし、なんでも解かっているので、
 自分はまったくおかしくないと感じるし、逆にまわりが幻想だと知ってしまって、
 人としての私に戻るのがおっくうになってしまうのです。

 精神が研ぎ澄まされているようで、普段よりも意識はクリアです。
 俗世間が馬鹿馬鹿しくさえ思えてきて。。でも、どこかでやはりこの日常は
 とても大事なんだ。と感じて。。もうひとりの自分と同化することが、
 快感でもあり恐怖でもあり。。疲れた。。このジレンマから開放されたい、
 そのために「死にたい」。。。と思ってしまうのです。。

 
 自分がうつの状態にあった時の事を今振り返ってみると、あの状態は
 崖っ淵に立っているのと同じなのかもしれないという気がしてきます。

 きっとその時立っている場所はあの黒い位置で、でもちょっと先に虹色の
 場所があることに気づいているのだろうなぁ。。と思います。
 そして、その黒い場所は、魂の成長のためには避けては通れない道かもしれない。。
 なんて今では思うのです。。

 そうは言っても、今だからこんな事を言えるのであって、あの場所に
 立っていた時はやっぱり苦しかったです。私の場合、私をこの世界に
 繋ぎとめていたのは「子供達」でした。

 
 これは経験からなので、個人的な思いなのですが。。
 もし、ゴールというものがあったとしたら、私はその時は絶対に「よかった!」と
 思えると信じているのです。

 なので、自分の身に起こることは全て、最終的には「よかった」と思うために
 それは起きているんだ。。と信じています。

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