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数と形

 22,2007 23:31
 とっても苦手と感じていた「数字」と「幾何学」。。。

 この頃、やっと真面目に読み出した「天空の蛇」という本。。。


 
天空の蛇―禁じられたエジプト学天空の蛇―禁じられたエジプト学
(1997/10)
ジョン・アンソニー ウェスト

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 これを読んでいたら、なんだかおもしろそうかも。。。
 なんて思ったりもして。。。
 
 少し抜粋です。。。


  現代人は時間を『流れ』として経験している。一方、
  空間とは物を収める場所、つまり『入れ物』のように
  思っている。しかし、そのような印象を合理的に分析
  すると、明らかにおかしな結論にたどり着く。
  あるいは実証主義者のように、質問の言葉づかい
  そのものが間違っていて、まるで無意味になってしまう。

  それでも、時間は流れだという強烈な印象は残る。

  論理的には時間の流れには始まりもなく終わりもなく
  『現在』もない。なぜなら過去と未来は繋ぎ目なく
  つながっているからだ。

  空間を入れ物と見なすと、無限の広がりを仮定せざる
  をえない。あるいは、宇宙が有限だとすると、その境界
  から先に何が始まるのかを仮定しなければならない。
  どちらの説明も満足できるものではなく、結局、空間には
  物が収まっているという印象が残る。『空間』そのものは
  相変わらず謎だ。

  科学でも、哲学でも、この問題を解くことは出来ない。

  しかし、『数』のシンボル主義と『数』の機能と原理を
  研究することで、健全で知的な基礎をよりどころとして、
  この謎に取り組むことができる。しかし、これは神秘的
  体験のかわりにはならない。神秘的な体験をすると、
  変わらぬ感情と自信、つまり信念が生まれるのだ。<中略>

  人間の身体は時間に縛られていて、私たちが必要とする
  もの、楽しみ、苦しみ、欲求などは身体ときわめて
  密接に関係している。したがって、時間を乗り越える
  ために必要な行動を始めるぞ、と揺るぎない決心を
  言葉にすることはできても、実行は難しい。そのため
  ヨガや禅など、東西の宗教の綿密な規律や儀式といった
  ものが必要なのである。

  『数』のシンボル主義を研究したからといって、時間を
  超越できるわけではない。しかし、問題を明らかに
  することはできる。つまり、広大な宇宙の計画図の
  中で、時間と空間がそれぞれ決まった役割を演じて
  いることがわかるようになる。

  つまり『数』のシンボル主義は時間と空間の真の姿を
  見る助けとなるのだ。

  また、時間と空間を超越する必要の緊急性を教えてくれる
  かもしれない。


 
 やっぱり。。。
 少し左も鍛えておかないとなぁ。。。 

 自分の体験などから、感覚として漠然と感じていたものを、
 はっきりとした形で体系づけて理解したくて、今はカバラの
 学校に通っていたりするのですが。。。

 そのカバラですら、単純な「数」と「形」で。。。
 全て説明できてしまいそうな。。。
 そんな感じがしてきました。。。

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