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旅のはじまり

 13,2006 23:40
 学ぶとは教わることではない。対象物からその本質を自らの能力をもって
 学び取ることである。教師が伝授可能なのは知識だけで、そこから何ものかを
 創造する責任は、教師の教えを消化し、血肉と化してそれを使う弟子の側にある。
 <中略>特別な誰からも教わる必要はない。モーツァルトにしてみれば、
 イタリアで訪れるどの街にも、学ぶことが出来る材料は転がっていたのである。

 ~モーツァルト 天才の秘密(中野 雄/文春新書)~


 教師の最重要課題のひとつは、学業修了後、弟子がひとりで学ぶ癖と、
 ひとりで学ぶ方法を習得せしめることである。もうひとつは具体的なことを
 抽象的に思考する訓練を施すこと、即ち、出来事や事件を抽象思考に
 置き換える癖をつけることである。

 ~音楽の対話(丸山 眞男/文春新書)~



 今からしてみれば、???と思ってしまうような体験は小さい頃から
 ポツポツとありましたが自分自身、それほど気にしていませんでした。

 私にとって大きな転機となったのは、やはり10代の終わりのあの体験です。

 
 朝の通学途中の電車の中でした。

 私はドアのところに立って、本を読んでいました。その本は、
 タイムパラドックスに関する新書だったのですが、特にそういうものに
 興味があったわけではありませんでした。ただ「難しい本を読む」ということが、
 かっこいいなあ。。と思っていただけだったのです。

 そんなわけで、専門用語がバンバン飛び交うような、しかもそのテーマが、
 苦手な物理・科学方面の内容なんて、私に解るはずもなく、途中で頭がパンパンになって、
 本当にくらくらしてきました。ちょうど電車が川を渡っていたときで、
 朝日が反射してキラキラしていたのを覚えています。

 その時、意識がフッと飛びました。

 何もなく、自分の姿もなく、ただ自分が「いる」という感覚だけがあるその場所では、
 この世に存在する全てのことが一瞬で解ってしまいました。
 もちろん読んでいた本の内容も全部。。

 でも、当時の私には何の予備知識もなく、なんの前触れもなく、
 本当にいきなりの事だったので、急に怖くなったのです。

 このまま気が狂ってしまうのではないか。。というその思いが、私を現実に引き戻し、
 その不思議な感覚も消えてしまいました。…と同時に、解ったはずの本の内容も、
 すっかり忘れ、何が解ったのかさえ解らなくなりました。

 ただ「あっそうか!」と納得した時の感覚しか覚えていませんでした。

 とても長い時間、意識がどこかに飛んでいたような感じがしたのに、
 外を見ると相変わらず川の水に太陽の光が反射していたので、
 きっと普通の時間の感覚からすれば、一瞬の出来事だったのでしょう。。


 その体験で私の中に残ったものは

 
 「全てのもののもとはひとつ」

 ということでした。


 なぜかそう実感してしまって、あれ以来、私の中ではそれが揺るぎない真実となりました。


 あの体験は、私の旅の始まりだった。。今はそう感じています。。

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