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太陽を愛したひまわりの画家

 11,2009 17:38
 私のゴッホ熱があがって騒ぎ始めると、息子が必ず、学校の
 図書室から借りてきてくれる本。。。

 今回もそうだった。。。(笑)

 でもなんだか。。。
 私のためだけじゃなく、息子自身も、ゴッホの絵や生きざまに
 何か感じるものがあるみたい。。。

 真剣に、この本に見入っている様子だから。。。


 
ゴッホ―太陽を愛した「ひまわり」の画家 (小学館版学習まんが人物館)ゴッホ―太陽を愛した「ひまわり」の画家 (小学館版学習まんが人物館)
(1996/10)
鈴木 みつはる、黒沢 哲哉 他

商品詳細を見る
 


 この本にある解説のページ。。。
 さすがに子供向けのほんだけあって、とても解りやすく書いてあるけど、
 なんだか、ジーンとくるので、抜粋しておこうと思います。。。



 「ひまわりと日本に夢を見た画家」  国府寺 司

 ゴッホは、オランダ南部のフロート・ズンデルトという村で、キリスト教の
 牧師の長男として生まれました。ゴッホが牧師の息子として生まれたことは、
 非常に大きな意味を持っています。

 当時オランダでは牧師はもっとも尊敬される職業でした。
 この家庭の中で、ゴッホはしっかりとしたキリスト教の教育を受けました。
 当時は美術の批評も、牧師たちによって書かれることが多かった時代でした。

 ゴッホは中学校で勉強したあと、グーピル商会という有名な画商の店員に
 なります。この仕事についたことは、のちのゴッホに大きな影響を
 与えたはずです。

 というのも、ここで勤めているあいだ、ゴッホは数多くの美術作品に
 接しましたし、また、ロンドン支店、パリ支店にも勤めたため、英語や
 フランス語も学び、多くの美術館を見てまわることもできたからです。

 キリスト教の教えを受け、英語、フランス語、ドイツ語の文学、そして
 美術にも親しむことで、ゴッホの精神はつくりあげられていきました。


 20090211160104.jpg


 ひまわりに託した想い

 やがて画商の仕事に興味がもてなくなったゴッホは、父と同じ牧師に
 なろうとします。そのためには大学で神学を勉強しなければなりませんでした。
 ところが、ギリシャ語やラテン語を学び、難しい進学を教わることは、
 ゴッホが本当に望んだことではありませんでした。

 ゴッホはキリストがやったのと同じように、苦しんでいる民衆を
 助けたいと思って、炭鉱のある町へ移り住みました。

 ゴッホは自分の持ち物を炭鉱夫達に与えてしまい、ほとんど裸でむしろの
 上に寝ていたとも言われています。ところが、教会の権威を守りたい
 牧師たちにとって、この態度は受け入れられませんでした。
 ゴッホは人並みはずれた強い信仰心を持っていたのに、教会に
 拒否されるのです。

 この絶望のなかでゴッホが選んだ仕事が画家でした。やり場のない信仰心を
 もったまま、ゴッホは聖職者になれなかったかわりに、画家になったのです。

 ゴッホが好んで描いたテーマには、種まく人、麦刈りをする人、地面を掘る人など、
 聖書と関係の深いものが多くあります。また、有名なひまわりも例外では
 ありません。

 ひまわりは17世紀頃に南米からヨーロッパにもたらされた花だと
 言われていますが、いつしかこの花には、信仰心や愛といった意味が
 込められるようになりました。ひまわりの花は常に太陽に顔を向けると
 信じられていたため、ひまわりが太陽に顔を向けるのと同じように、
 信仰のあつい人はいつもキリストや神に、顔を向けているものだと
 されていました。また、人は顔が自然と愛している人に向けられると
 されたのです。ひまわりはこうして信仰や愛の象徴になりました。
 ゴッホの生きていた頃のヨーロッパでは、このような意味はよく知られて
 いました。キリスト教の教育を受け、絵画にも詳しかったゴッホが、
 ひまわりの伝統的意味を知らなかったとは思えません。

 ゴッホは南フランスのアルルで家を借り「黄色い家」と名付けました。
 ここに友人の画家達も呼んで共同生活をしようと考え、部屋をひまわりの
 絵で飾りました。この共同生活の手本のひとつとなったのがキリスト教の
 修道院生活です。

 ゴッホの考えではこの「黄色い家」は南フランスの太陽を信じる芸術家
 たちが、お互いへの友情に満ちた生活を送る場所だったのです。
 太陽への信仰と愛情に支えられたユートピア「黄色い家」。
 ひまわりはこのユートピアにいちばんふさわしい花でした。

 ゴッホがしばしば「ひまわりの画家」と呼ばれるのは、ただ、ひまわりの絵を
 たくさん描いたからではありません。太陽に向かい、信仰と愛をあらわす花。
 これほどゴッホの理想に近い花は、ひまわりのほかにはなかったのです。
 

 gogh_tournesols00.jpg


 ゴッホと日本

 「日本」もまたゴッホの理想でした。ゴッホが生きていたのは今から
 百年以上も前ですから、日本のことがよくわかるはずがありません。
 日本や日本人について、いったいどのようなイメージを持っていたのでしょうか。
 ゴッホの手紙を読んでいくと、一時期、日本に夢中になっていたことが
 わかります。

 ゴッホはまず日本の浮世絵に夢中になり、浮世絵に学んで絵を描こうと
 します。浮世絵のように影のない世界を描こうとしたのです。そして
 ついには、フランス人のモデルや自分自身を日本人のような顔に描く
 ようにもなります。
 ゴッホは日本や日本人に夢中になっていきました。

 ゴッホにとって日本とは、まず光に満ちた美しい異国でした。
 そして日本人とは「まるで自分自身が花であるかのように自然の中に
 生きる」素朴な人々で、お互いの友情に支えられ、自然の中でつつましく
 働く人達でした。そしてこの日本人の中に、ゴッホは「本当の宗教」も
 見つけるのです。
 もちろん日本がそれほど理想的な国でないことは、私たちにはわかります。
 しかし、当時のヨーロッパの人々にとって日本ははるか遠くの国で、
 日本について詳しいことはあまりわかりませんでした。だからこそ日本は
 美しく、理想的に思えたのです。ゴッホが想像した異国「日本」とは
 現実の日本ではなく、ゴッホ自身のすべての理想の結晶だったのです。
 ゴッホは日本や日本人を誤解し、夢をみていたことになります。
 しかし、この誤解と夢がゴッホの心を支え、多くの美しい絵を描かせたのです。


 自然の中に神を見つける

 ところが、夢は長続きしませんでした。
 友人のポール・ゴーギャンとの共同生活は、わずか二ヵ月後、有名な
 「耳切り事件」で終わります。その後、ゴッホはしばしば精神病の
 発作に悩まされながらも製作を続け、優れた作品を次々に描きました。

 時には宗教的な幻覚にも悩まされました。しかし、ひまわりにも日本にも、
 もう自分の宗教的理想や夢をたくすことはできませんでした。
 教会に拒否されて画家になったゴッホは、結局、自分の信仰心の
 やり場をうまく見つけることはできなかったのです。

 ゴッホの絵にはキリスト教的なテーマが多いのですが、ゴッホは
 宗教画は描きませんでした。聖書の一場面を描こうとしたことはありましたが、
 その絵を二度にわたってかきけずっています。

 また、友人のベルナールが聖書の場面を描いた時、ゴッホは猛烈な
 勢いで怒りました。ゴッホは深い宗教心やキリストへの尊敬はもって
 いたのですが、教会や牧師、宗教画は心から憎むようになっていました。

 そこで、ゴッホがやったことは、一見自然なものを描きながら、その中に
 宗教的な意味をこめるというやりかただったのです。ある意味では、
 種まく人もひまわりも、また太陽や星空も、ゴッホにとっては宗教的表現でした。
 ただ、それはキリスト教の信仰ではなく、自然への信仰となったのです。

 ゴッホは星空について次のように手紙に記しています。


 「それでもぼくは時々、なんといったらよいのか、宗教の必要を感じる
  ことがある。そんな時、ぼくは夜、外に出かけて星空を描くのだ。」


 20090211155231.jpg

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