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色彩論の中の「眼」のお話

 14,2006 22:56
 まだ読み始めたばかりなのでなんとも言えないところですが、
 ゲーテ本人はかの有名な「ファウスト」よりも「色彩論」のほうが重要だ。。
 と思っていたそうです。


 少し抜粋してみます。


 そこでわれわれは光を既知のものとして前提にしたが、ここでは
 眼についても同様のことをしたい。<中略>
 自然の全体は色彩を通して眼という感覚に自己を啓示する。

 

 でも、そのあとゲーテは、「眼は形を見ない」とも言っているのです。


 眼が存在するのは光のおかげである。未決定の動物的補助器官から、
 光は光と同じようなものとなるべき一つの器官を呼び起こし、
 こうして眼は光にもとづいて光のために形成される。
 それは内なる光が外なる光に向かって現れ出るためである。



 ふと、以前ウイングメーカーのフォーラムでちょっと話題にのぼった
 「眼の誕生」という本を思い出しました。。


 
眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く
(2006/02/23)
アンドリュー・パーカー

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 ゲーテによると、イオニア学派の哲学者達も「等しいものは等しいものに
 よってのみ認識される。」ということをとっても意味深げに、そして
 繰り返し述べていたそうです。

 ちなみにプラトンとかプロティノスも似たような事、言っているらしいです。。

 
 ゲーテはこういった思想を韻文で表現しています。。


 もし眼が太陽のようでなかったら、
 どうしてわれわれは光をみることができるだろうか。
 もしわれわれの内部に神みずからの力が宿っていなければ、
 どうして神的なものがわれわれを歓喜させることができるだろうか。



 そして


 光と眼のかの直接的な親近関係を否定する者はいないであろう。
 しかし両者を同時に同一のものとして考えることは、ずっと困難である。



 ゲーテは、「太陽」と「光」と「眼」を何かの喩えとして使っているのかもしれない。。
 ともとれますが、でも、私にとって「眼」は重要です。

 そして「光」も光がうみだす「色」も。。


 目を閉じて集中すると見えてくる光の粒子の回転や幾何学模様、
 ホログラフィックな映像などなど。。

 私はそれを「光のショー」と呼んでいますが(笑)。。

 その中心にうっすらと「眼」が見えることがあります。

 気のせいかなぁ?と思っていましたが、その眼は、異次元への扉だから
 にらめっこしてみるといいよ。。と以前、教えていただいた事がありました。


 「眼」。。。というより私にとっては「虹彩」なのですが、
 それはゲートなんだ。。という思いがとても強いです。


 ゲーテはこう主張しています。


 眼の中には静止した光が潜在していて、内部あるいは外部からの
 ほんのちょっとした刺激がきっかけで誘発されるのである。

 われわれは暗闇の中で、想像力の要請によって著しく明るい像を
 呼び起こすことができる。

 われわれの夢の中でいろいろな対象は白日の下におけるように現れてくる。

 目覚めている状態においては、われわれはほんのかすかな外光の作用にさえ
 気づくことができる。そればかりでなく、視覚器官が機械的な衝撃を受けただけで、
 光と色彩が飛び出してくる。



 「虹」と「(瞳の中の)虹彩」がどうして同じ「IRIS」という単語なんでしょうね。。
 全然違うものなのに。

 しかも、どうして「虹彩」という言葉に「虹」という字を使うのでしょう。。

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